『不必要な犯罪』狩久(幻影城ノベルス)
1976年。
アンカットフランス装。見た目はお洒落だけどペーパーナイフなんて持ってないから読みづらい。
著者(語り手)がしばらく筆を断っていたのは、殺人事件に関わって人の心に踏み入ってしまったうえに事件を発表すると関係者を傷つけるからだ――というように、実際にしばらく筆を断っていたことをネタにして作品に組み込んでしまうところがいかにも狩久らしいところです。
でもメタな感じには逃げずに、しっかりとした本格ミステリでした。
画家の中杉は講師をしている美大で、学生の雨宮杏子に目を奪われます。彼女こそ《叢林の女》だ――。胸中で温めていたテーマのモデルにぴったりの女性でした。婚約者・槇村の反対も押し切って、杏子は中杉のために裸婦モデルを務めます。ところが完成した《叢林の女》が、「一週間拝借します」というメモを残して盗まれてしまい、一週間後に戻って来た裸婦像には恥部が露わに描き足されていました。
《精神の貪婪》と称された杏子とは逆に《肉体の貪婪》と称された姉の葉子は、中杉にモデルを断られた腹いせもあって、妹の婚約者・槇村と関係を持ち、写真が趣味の中杉の甥・史郎とも体を重ねます。葉子を崇拝している演出家の青江はそれを目撃しながら葉子には何もせず、葉子の代わりの女を抱きにゆくのでした。
《叢林の女》事件の犯人も目的もわからぬまま、やがて葉子のもとに「死と 陵辱を」という脅迫めいた手紙が届きます。両者は同一犯なのか?
不穏な空気が漂うなか、遂に事件は起こります。杏子が首を絞められて殺されたのです。杏子はなぜか葉子の水着を身につけ、それは脱がされかけたようにめくれていました。葉子と間違われて殺されたのではないか――? そんな憶測も飛ぶなか、素人探偵さながらに銘々が真相を推測し始めます。
やがて第二の《叢林の女》のモデルとなった葉子と中杉は結婚を噂されるようにもなりました。そこに第二の事件が……。
ウィキペディアには「官能的な小説」と書かれていたので戸川昌子の非ミステリみたいな話ではないかと危惧していたのですが、それは杞憂に終わりました。確かに葉子という奔放な女はいますが、例えば誰と誰が片想いで――みたいな形で人間関係がしっかりと描かれていて、それによってある時点ごとに誰に容疑がかかるかが変わってくるというところなど、しっかりとミステリしてました。
絵に秘部を描き足すという取って付けたようなエロ要素も、事件の根っこと犯人の動機に密接に関わっていて、必然だったことがわかります。【※ネタバレ中杉に陵辱された杏子が、復讐として中杉畢生の絵を陵辱した。】
葉子と杏子の取り違え殺人疑惑にしても、それを逆手に取った犯行計画は極めてトリッキーで、もし名探偵ものだったならもっと評価されていたんじゃないのかな、とも思ってしまいます。【※ネタバレ絵を陵辱された中杉が杏子を殺すのだが、疑われないために、犯人の目的は葉子だが間違って杏子が殺されたと思われるように、予め葉子に脅迫状を送り、杏子の死後は偽の「犯人の目的」がばれないように葉子も殺した。】なかでも、ずり下げられた水着という小細工はなかなか面白いミスディレクションで、エロティシズム漂う作風に上手く潜ませられていました。【※ネタバレ水着のずれは犯人が脱がして犯そうとして途中でやめたからだ、と思われていたが、実はそう思わせるための犯人の小細工であり、実際には別の場所で犯行に及び、葉子と間違われて殺されたと思わせるために葉子の水着を着せていた。葉子の水着をあとから着せたことを疑われないために、わざと水着をずり下げて、「脱がそうとした」と思われる状況を作り出した。】このあたりの、「不必要な犯罪」というタイトルの由来に、無念な感情が滲んでいるようでした。
事件を発表できなかった理由の一つとして、【葉子を崇拝する青江が、どうしても葉子にとって特別な存在になりたくて、自分が葉子を犯して殺したと思い込もうと自首した】というその意思を尊重したというのがあって、多分に観念的なのですが、ここら辺もちょっと惜しいというか、青江に当たる役をもう少し語り手と関わりの深い人物の話にしておけば悲劇性が強まったのでは――と感じました。
中杉画伯の傑作《叢林の女》が、或る日、忽然としてアトリエから消え、一週間後、戻されたその絵には、画面の中央に立つ裸婦に細密な筆致で生々しい恥部が描き加えられていた。この奇妙な出来事を発端に、貴婦人のような女、葉子の貪婪な肉体をめぐって、盛夏の海辺に展開される妖しくも淫美な連続殺人事件。人間の孤独な欲望をみつめながら、異端の作者が心をこめて綴る、死と、愛と、憎しみと、陵辱の美学。短篇作家・狩久の処女長編。(カバーあらすじ)
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