807「現には逢ふよしもなしぬばたまの夜の夢にを継ぎて見えこそ」
頭注によると、「夢にを」の「を」は「意志や命令を表わす内容の文の連用格の下に置かれる間投助詞」とあります。それってつまり、「ぬばたまの夜の夢にOh!継ぎて見えこそ」ということ……ですよね?
983「山のはのささらえをとこ天の原門渡る光見らくし良しも」
頭注によれば「ささらえ男」とは月の異名で「細小」の意か、とあります。
1081「ぬばたまの夜渡る月をおもしろみ我が居合る袖に露を置きにける」
これは涙ではなくどうやら本当の露のようです。夜更かししてしまったため朝露がついたのでしょう。
1201「大き海の水底とよみ立つ波の寄せむと思へる磯のさやけさ」
何だこれは。びっくりした。初め読んだときは「水底がとよめくので」「水底がとよめいて」だと思ったのですが、頭注によれば「水底がとよめくほど」という意味だそうです。とはいえいずれにしても、1239の類歌「磯本揺すり」とは比べものにならないスケール感です。「磯本揺すり」だと途端に説明くさくなっちゃいます。
1211「妹があたり今そ我が行く目のみだに我に見えこそ言問はずとも」
現代的な感覚からすると、「見える」のと「言葉を伝える」の軽重の対比に一瞬とまどいを覚えます。姿を見る方が贅沢なんじゃないの、と。「言問ふ」というのが一種の決まり文句だとはいえ。
1344「真鳥」=「鷲」
1420「沫雪かはだれに降ると見るまでに流らへ散るは何の花そも」
雪と落梅を重ねる類例が山ほどあるなかで。「流らへ」の一言が効いている……と思ったのだけれど、「流るる」も慣用表現みたいなものなんですね。。。
1497「筑波峯に我が行けりせばほととぎす山彦とよめ鳴かましやそれ」
いや、ただ単に、「山彦」って表現は萬葉集の時代からあったのか、と思っただけ。
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『萬葉集 二』日本古典文学全集