『失われた探険家』パトリック・マグラア/宮脇孝雄訳(河出書房奇想コレクション)★★★★☆

 Patrick McGrath。これで全短篇、だそうです。少ない。。。

「天使」(The Angel)★★★★☆
 ――ハリーは八十を越えているだろう。唇には紅をさしていた。「昔、天使を知っていた」と、ハリーはつぶやいた。「あれも二〇年代のことだった」

 解説によればマグラアは「ポストモダン・ゴシック」なのだそうですが、わかるわかる。薫物のこもる老紳士のもとに話を聞きに通う青年という設定がもう耽美というか頽廃というか。いたずらにグロテスクに溺れずに、現代の天使という発想にも某かの説得力があります。
 

「失われた探険家」(The Lost Explorer)★★★★★
 ――十二歳の秋の日、両親と暮らしていたロンドンの自宅の庭で、イヴリンは行方不明の探検家を見つけた。「ピグミーだ、ピグミーどもがやってくる!」探検家は叫んだ。イヴリンはささやいた。「眠るのよ。もう恐くないわ。お眠りなさい」

 普通であれば「道に迷った探険家」とでも訳すところですが、「失われた」という訳題がぴたりとはまっています。読み終えてみれば確かに、これは「失われた」物語なのです。下世話な此岸の言葉で言えば、不思議ちゃんのままごとであり現実を浸食する空想であるのだけれど、そう思わせない書きぶりが見事。
 

「黒い手の呪い」(The Black Hand of the Raj)★★★★★
 ――「ねえセシル」「え?」「そのヘルメット帽、どうして脱がないの?」考えてみれば不思議だった。船着場で再会して以来、その帽子はセシルの頭にのせられたままになっていたのである。

 十九世紀が舞台というのがミソ。道徳観念の厳しい時代だったわけで。ごく当たり前に考えれば、手というのは抑圧された性欲の象徴ということになるのでしょうか。そして今風に言えば“南国の暑い太陽の下で、身も心も大胆に!”――みたいな話なのですが、それをインド行者の呪いとして描いてしまうのがユニーク。不気味な幻想ホラーになっています。
 

「酔いどれの夢」Lush Triumphant)★★★☆☆
 ――早起きして、ジャックは一時間ほど絵を描いた。改めてキャンバスの前に立ったとき、川べりで見かけた少年の姿がたちまちジャックの心を占領した。

 妄想(?)転じて天啓と為すというか、創作に悶々とした画家の苦悩の話。
 

「アンブローズ・サイム」(Ambrose Syme)★★★★☆
 ――アンブローズ・サイムは神の下僕であり、卓越した古典学者でもあった。アンブローズ・サイムが背負っているのは性欲という十字架であった。今にして思えばその強さは標準を上回っていたようである。

 (^^)。いいのか。こんなふうに笑い飛ばして。これも性欲の抑圧と道徳観念の話なのだけれど、ホラーだった「黒い手」とは一転、心理小説風にしてその実ギャグ小説です(^^)。
 

「アーノルド・クロンベックの話」(The Arnold Crombeck Story)★★★★☆
 ――ジャーナリスト生活で特筆すべきは、〈死の庭師〉として悪名高いアーノルド・クロンベックとの連続インタビューだった。クロンベックが絞首刑に処せられる直前のことだ。

 あ、なるほど。ひねり自体は予想がつくので意外ではないけれど、それを実行する〈HOW?〉の意外性にミステリ心がくすぐられます。語り手の設定と時代設定や舞台設定もその〈HOW〉にとって必然性のあるものなのが高ポイント。
 

「血の病」(Blood Disease)★★★★★
 ――そもそもの発端は次のごとくである。ある朝、一匹の蚊が人類学者コンゴ・ビルを刺した。こうしてビルはベッドに横たわることになる。そこからどうやって脱出したかについては血湧き肉躍る物語があるのだが、差し当たって関係ない。

 ○○○○○・ハンターもののパロディと言えなくもありません。おいおいクラッチ……。いや、なんかもう、怪しげな出来事がてんこ盛り。一方ではマラリアに冒された失意の探険家とその家庭――みたいなシリアスがあるかと思えば、その一方ではオカルトが乱れ飛んでます。
 

「串の一突き」(The Skewer)★★★☆☆
 ――叔父は著名な美術評論家であった。検死裁判でノルドウ医師が行った、叔父の精神状態に関する下劣な当てこすりを含んだ証言には断固、抗議したいと思う。

 精神医学(というよりはフロイト流)に対する痛烈な諷刺。初めっからこういう悪意ぷんぷんの書き方をせずに、もっと抑えた書き方で最後にあっと言わせた方が、諷刺としては効果的だったと思うんだけど。
 

「マーミリオン」(Marmilion)★★★★☆
 ――あなたは猿を食べたことがあるだろうか。これほどの珍味はないという。『滅びゆく動物たち』という本のために蜘蛛猿の写真を撮るのがわたしの目的だった。その最中に、わたしはマーミリオンを見たのだった。かなり荒廃の進んでいる農園屋敷だ。

 人間なんてしょせん運命にもてあそばれてるんだね、とでもいうべき感じの終わり方に何とも呆然。ゴシック・ホラー仕立てとはいえ、“そういうことがある”ということを信じちゃってる語り手は、やはりアブナイ人であって、実はすべてが妄想に過ぎないのかもしれないけれど。
 

オナニストの手」(Hand of a Wanker)★★★☆☆
 ――リリーは流しにある何かを見つめていた。「本物だわ」「何が」「これ――手よ!」ディッキーはイヴォンヌを呼びに行った。戻ってみると、手は消えていた。

 やりすぎて毛が生えたってのがそもそも(^_^;。。。これも性欲の抑圧ものだと捉えれば著者らしいと言えるのでしょうが。
 

「長靴の物語」(The Boot's Tale)★★★☆☆
 ――自分はただの長靴にすぎない。自分はあるアメリカの一家の崩壊を目撃した。放射能シェルターが完成した翌日、あの運命的な発表が行われたのである。「繰り返します……ミサイルで壊滅的打撃を受けました……」

 長靴による一人称! 突飛なようではあるけれど、〈自分が見ていることしか語れない〉という原則に照らせば、この物語で長靴が語り手というのは理に適ってはいるのである。核シェルター内での家族の崩壊が割とさらりと描かれます。その後に描かれる、ホラーやミステリでお馴染みの頭の悪い被害者的行動が何とも……。
 

「蠱惑の聖餐」(The E(rot)ic Potato)★★★☆☆
 ――おれはギルバートという名前の蠅だ。池のそばに住んでいる。堤を乗り越えると、崩れかけた小屋が一つ建っている。その小屋にあるのが〈蠱惑の聖餐〉だ。

 蠅の一人称! これはもう、こんなの書いてみました!ってな作品です。無駄なエログロがこの人らしいのかな。
 

「血と水」(Blood and Water)★★★☆☆
 ――数か月前からサー・ノーマンは激しい失見当識の発作に見舞われていた。サー・ノーマンは狂気の者とわれわれを隔てる境界線を越えてしまったのである。では、彼の妻、レディ・パーシーの方はどうしたであろうか?

 ここらあたりからおかしな人の話ばかりになってくる。狂人と両性具有という、悲劇と耽美のタネを詰め込んだ物語。
 

「監視」(Vigilance)★★★★★
 ――こちらの素性などどうでもいい。パーキンズの授業を取っている学生といえば事は足りる。円形刑務所、パーキンズのいう「監視のための建築様式」という考え方は、なかなか面白いと思う。

 うわ。なんだこりゃ。何、父って? しかも、あたし「たち」って何だ? やだなあ、こういう気持ち悪い物語は。語り手が異常なのは初めからよくわかるのだけれど、結末にいたってさらなる異常性が待ち受けています。
 

「吸血鬼クリーヴ あるいはゴシック風味の田園曲」(Cheave the Vampire, or, A Gothic Pastorale)★★★★☆
 ――ごめんなさい、わたし、よく聞いていなかった。ヒラリーのことで頭がいっぱいだった。どうしてハリーは吸血鬼だなんて気味の悪いことを言いだしたのだろう。

 これは比較的わかりやすい狂気の物語。すべてが語り手の妄想でさえなければ、筋の通ったゴースト・ハント物語なのだ。妄想でさえなければ、ね。。。
 

「悪臭」(The Smell)★★★★☆
 ――うちには私の都合で鍵をかけたままにしてある部屋が一つある。私には家族がいる。妻がいて、子供たちがいる。妙に反抗的なそぶりを見せる者がでてきたので、もちろん罰を与えた。

 ちょうど読んだばかりということもあって、『落葉』のころのガルシア=マルケスを連想しました。〈生身〉の幽霊と具体的な物質と得体の知れない幻想。断片的に語られる家庭の様子が怖い。
 

「もう一人の精神科医(The Other Psychiatrist)★★★☆☆
 ――私とスピーゲルはどちらも私立の精神病院に勤務していた。「独断はフロイト派にまかせておけばいいでしょう」フロイト派であるスピーゲルの反応を、私は興味津々で待った。

 これまた精神医学に対する諷刺。ただし今度は、精神科医の所説を批判するもう一人の精神科医の方が実は歪んでいるという凝った構成。諷刺としてはこちらの方が優れているかな?
 

「オマリーとシュウォーツ」(O'Malley and Schwarts)★★★☆☆
 ――この男、オルフェウス・オマリーこそ、かつて天才と呼ばれた男なのである。オマリーは、エウリュディゲー・シュウォーツのためにヴァイオリンを弾いているのである。

 悲恋。けれど悲恋も、現代を舞台にしては、狂気や痴漢になってしまうのだ?
 

「ミセス・ヴォーン」(Mrs. Vaughn)★★★☆☆
 ――「帰らないでくれ。あと五分」彼女は躊躇した。「あと五分ね」あと五分。大人になって初めて、私は一人の女性から愛されていることを自覚した。

 もともとは長篇の一部として発表されたもの、とのこと。これはさすがに単独では何だかわからないだろう。外科医としての腕と人妻との恋ともに葛藤を抱える語り手……とか思ったら、いきなり敵意を抱いて終わっちゃった。
 --------------

  『失われた探険家』
  オンライン書店bk1で詳細を見る。
 amazon.co.jp amazon.co.jp で詳細を見る。


防犯カメラ