『名もなき王国』倉数茂(ポプラ社)★★★★☆

 倉数茂の第四作にして最新作は、著者を思わせる語り手が幻の作家・沢渡晶の甥と出会い、晶の遺稿と甥の小説と語り手自身の作品をまとめたもの、という体裁が取られています。

 語り手自身の来歴が著者とダブり、雑誌『牧神』や中井英夫の名が現れるなど、はじめから虚実のあわいは取り払われています。

 第一話「王国」は、語り手と甥・澤田瞬との出会い、幼少期の瞬と晶の交流、語り手と妻のすれ違いが描かれます。

 第二話「ひかりの舟」は、瞬が語った話に語り手が手を加えた「共作」で、第一話で瞬が語り手に話していた、瞬と妻・未莢との離婚までの顛末が描かれていました。書くことに異常なほどの情熱を持っていた晶はともかく、取材対象にのめり込んでしまう未莢など瞬の周りにいる危うさを持った人々やDVやカルトといった社会問題は、徹底したリアルの側の物語で、夫婦の関係が壊れてゆく過程はとても切ない。

 そしてまた第一話で瞬が晶から渡された女の横顔が浮き彫りにされたブローチが、ここでまた顔を出します。また、語り手と瞬は二人とも夫婦関係にひびが入っていてどこか似通っています。

 第三話「かつてアルカディアに」は、澤田瞬が書いた小説です。歳を取らぬまま昏睡し続ける人々と、自分そっくりのコピーが現れる町。疫病の拡大を防ぐという名目で封鎖された町に、外部から澤田という名の男が訪れます。思い出の女性を探しに来た澤田と、外部を目指す町の少年少女の物語です。単なるファンタジーではなく、澤田自身の人生と何らかの形でリンクしていると考えるべきでしょうか、さて。

 第四話「燃える森」と第五話「掌編集」でいよいよ沢渡晶の小説が登場します。「燃える森」にはこれまでに明らかになっている現実らしき部分の一部が顔を出し、掌編集はいくつかの幻想のイメージが飛び出す純然たる幻想小説でした。私小説風でもあり尾崎翠的「変な家庭」小説でもあるような「燃える森」を「二十代の頃に書いた」という設定にして、より虚構性の高い掌編が長じてからの作品という設定にしてあるのが、現実の小説家の作風の変化のようで巧みでした。

 第六話「幻の庭」では、ふたたび語り手の作品に戻ります。幻想性などまったくない、デリヘルのドライバーに身をやつしていた語り手と妻・藍香のなれそめを描く内容が、これまでの作品とどう繋がってゆくのか、それがわからないまま、とにかくこれまでとは違うサスペンス・タッチの物語に引き込まれました。藍香がナイフで腕に傷をつけられたのは、「燃える森」で小松が釘で肩につけられた傷と呼応するのかどうかなど、読みながら繋がりを探してしまいます。

 瞬と再会したあたりからふたたび現実は影をひそめ、「かつてアルカディアに」で描かれたような眠り続ける奇病を巡る、私立探偵小説へと物語は姿を変えます。

 そうして語り手たちの世界は誰かが見ている夢だという煮え切らない結末で終わるのかと思いきや、帯に書かれた言葉に偽りなく、最後に世界は一変するのです。すべては一人の人間の人生を作りあげるためだけに存在していたとは。類似のアイデアはいくつもあれど、ここまで作り込まれた作品はないように思います。むしろもし現実に実行する人がいたならば、これだけの愛と情熱がなければおかしいのかもしれません。

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