『芥川龍之介選 英米怪異・幻想譚』澤西祐典・柴田元幸編訳(岩波書店)★★★★☆

芥川龍之介選 英米怪異・幻想譚』澤西祐典・柴田元幸編訳(岩波書店

 芥川が英語読本に採用した全51編のなかから、選りすぐって新訳した作品集。
 

「I The Modern Series of English Literatureより」

「身勝手な巨人」オスカー・ワイルド/畔柳和代訳(The Selfish Giant,Oscar Wilde,1888)★★★★☆
 ――子供たちは学校帰りに巨人の庭で遊んだものでした。七年ぶりに帰ってきた巨人は、庭で子供たちが遊んでいるのを見て、「俺の庭だぞ」と言って追い出してしまいました。身勝手な巨人だったのです。やがて春が来て国じゅうが花や小鳥であふれましたが、巨人の庭だけは冬のままでした。ある朝、巨人が目覚めると、子供たちが木々の枝に座っていました。木々はうれしくて花をつけています。「俺はなんて自分勝手だったのか!」

 『幸福な王子』より。子どもが明るさの象徴で、子どもを慕って花や小鳥がやって来るところに、心が温まります。子どもの姿に変じていたり、死後に花が咲いたりと、芥川が仏教譚に改作したのかと勘違いしかけましたが、ワイルドのオリジナルでした。
 

「追い剥ぎ」ダンセイニ卿/岸本佐知子(The Highwaymen,Lord Dunsany,1908)★★★★☆
 ――追い剥ぎトムは独りぼっちで首に鎖を巻かれて永遠に風に揺られる身となった。風がびょうびょう吹いていた。とある酒場で三人の男がジンをすすっていた。この三人ほど義理堅い友はいなかった。そしてその厚い友情を受ける男とは、鉄の鎖につるされて風雨に揺れるいくばくかの骨だけであった。夜が更けて三人が向かったのは、大司教が眠る墓地だった。墓地のはずれに三人は大急ぎで穴を掘った。

 別訳は『夢見る人の物語』所収。埋葬するのかと思ったら墓穴を素通りして、いったい何だ?と思わせたあとのブラックなユーモアが爽快でした。
 

「ショーニーン」レディ・グレゴリー/岸本佐知子(Shawneen,Lady Gregory,1910)★★★★☆
 ――男の世継ぎが欲しい王様は、賢者の長の言葉に従い、お妃様に魚を食べさせました。妃は男の赤ん坊を産み、料理女も男の赤ん坊を産みました。二人はあまりにそっくりなので、妃は料理女の息子ショーニーンに出ていくように言いました。ショーニーンが桶屋の山羊の番をしていると、巨人に見つかってしまい、戦いが始まりました。

 アイルランド伝承集からの一篇。初訳。民話や伝承(の翻訳)にありがちな無味乾燥さがなくて、波瀾万丈の英雄譚を堪能できました。男版シンデレラのようなエピソードもあり、興味深い。最後にはいきなり語り手が出て来て驚きました。
 

「天邪鬼」エドガー・アラン・ポー柴田元幸(The Imp of the Perverse,Edgar Allan Poe,1845)★★★☆☆
 ――経験に基づき帰納的に考えたならば、骨相緒もひとまず天邪鬼とでも呼ぶ他ない或る逆説的な何物かを、人間の生来的原初的原理の一つとして認めざるを得なかったであろう。この話をしたのは、何故私が足枷を嵌められこの死刑囚独房に棲んでいるのかを貴君に説明する為だ。ここまでくどくど述べなければ、私の事を狂者と片付けたかも知れぬからだ。

 著者自身がくどくどと書いていますが、さすがにいま読むとくどいんですよね。「モルグ街」にもそういうところがありましたが、まだ小説の型が今ほど定まっていなかったので、語る前にそれだけの準備が必要だったのでしょうけれど。怪奇小説「黒猫」「告げ口心臓」現実寄りの変奏です。
 

「マークハイム」R・L・スティーヴンソン/藤井光訳(Markheim,R. L. Stevenson,1885)★★★★☆
 ――「また伯父様の陳列棚からお持ちいただいたんですか?」「今回は買いに来たんだ。とある婦人にクリスマスの贈り物をしたい」マークハイムは店主に答えた。「この手鏡などいかがでしょう?」「鏡? 本気なのか? 歳月だの犯した罪だのを映し出してくれる良心の手先だぞ」マークハイムは襲いかかった。店主はどさりと倒れ込んだ。……「金を探しているわけだね」訪問者が入って来た。「何者だ?」

 恐怖、言い訳、回想――人を殺してしまったあとに押し寄せる様々に入り乱れた感情のあと、ようやくのことで悪人の良心がドッペルゲンガーとなって現れ、対話を始めます。(実際のところはわかりませんが)こうした混乱のあとの良心の葛藤というのがリアルなように感じられます。そして簡にして要を得た最後の一文により幕が下ります。
 

「月明かりの道」アンブロース・ビアス/澤西祐典訳(The Moonlit Road,Ambrose Bierce,1907)★★★★☆
 ――父から「至急帰省せよ」という電報を受け取りました。母が無惨に殺されたというのです。動機も犯人も皆目見当もつきません……/俺は今日まで生き延びた。ある晩、俺は卑しくも妻の貞操を試そうとした。翌夕に帰ると妻に告げて、その実、夜明け前に帰宅した。闇の中へ逃げ去る男の姿が見えた……。

 殺人事件をめぐり三者三様の話を語るという形式が、芥川「藪の中」の元ネタになった作品です。ただし「真相は藪の中」な芥川作品とは違い、この作品の眼目はポウの諸作やスティーヴンソン「マークハイム」のようなところにありそうです。
 

「秦皮の木」M・R・ジェイムズ/西崎憲(The Ash-Tree,M. R. James,1904)★★★★☆
 ――マザーソール夫人は魔女として絞首刑に処された。領主サー・マシューの証言が決め手だった。「あの屋敷は客を迎えるだろう」死に際して夫人が口にしたのは無意味な言葉だった。数週間後、屋敷を歩いていたサー・マシューは秦皮の木の幹を上下している生き物を見た。クローム牧師は誓った。栗鼠にしては、肢が四本より多かった、と。翌日、サー・マシューはベッドで絶命していた。外傷も毒物の痕跡もなかった。

 古典的な怪談の代表らしい地に足のついた筆致で進みながら、最後にとんでもなくおぞましい怪異が待ち受けていました。アレの持つ生理的な気持ち悪さが最大限に活かされていました。
 

「張りあう幽霊」ブランダー・マシューズ/柴田元幸(The Rival Ghosts,Brander Matthews,1883)★★★★☆
 ――エリファレット・ダンカン青年の母の家系が代々所有してきたセーレムの古屋敷には幽霊が取り憑いていた。主人の前には現れず、歓迎されざる客にだけ出現し、誰も幽霊の顔を覚えていなかった。そんなダンカン青年が父方のスコットランドの男爵位を継ぐことになり、男爵家に取り憑いていた幽霊もくっついてきた。その日から屋敷に居着いた幽霊と男爵に取り憑いた幽霊が喧嘩するようになった。

 初訳。アメリカの母方の屋敷に取り憑いた幽霊とスコットランドの父方の家系に取り憑いた幽霊という取り合わせが秀逸です。屋敷から離れていれば取りあえずは幽霊二体のバッティングは避けられるわけですが、幽霊二体と直面せざるを得ない事情が、婚約者の女性による男気を見せろという理不尽で下世話な要求であるところが笑えます。そんな笑える話に相応しく、微笑ましい結末を迎えました。
 

「劇評家たち あるいはアビー劇場の新作――新聞へのちょっとした教訓」セント・ジョン・G・アーヴィン/都甲幸治訳(The Critics Or, A New Play at the Abbey: Being a Little Morality for the Press,St. John G. Ervine,1913)★★★☆☆
 ――「駆け出しの記者がやるのが劇評家だ。だから僕がここにいるのは転落なのさ」「今回の劇は悲劇だって聞きました」「悲劇なんて現実で充分だ。どんな話だい」「全然理解できない。初めに見えたのは舞台を歩き回る幽霊でした」「いやいや幽霊じゃないよ。イェイツは幽霊が嫌いなんだ」

 初訳。アイルランドで上演された『ハムレット』を劇評家が酷評するという諷刺です。というか諷刺なのか、憂さを晴らしているだけなのか。
 

「林檎」H・G・ウェルズ大森望(The Apple,H. G. Wells,1896)★★★☆☆
 ――「こいつを始末しないと」客車の隅に座っていた男が唐突に言った。「これは知恵の木の林檎だ。すばらしい知識――これをきみにやろう」乗客はヒンチクリフ氏に言った。「しかしそういう話は寓話だと思っていました。あなたの話では――」

 嘘だとか、知恵があっても不幸になるだけだとか言いつつも、やっぱり気になる――というあるある話に、知恵の実の入手の幻視場面がミックスされています。
 

「不老不死の霊薬」アーノルド・ベネット/藤井光訳(The Elixir of Youth,Arnold Bennett,1905)★★★★☆
 ――その男は不老不死の霊薬を売っていた。簡単に騙される酒呑みたちを相手に瓶一本を六ペンスで売る男である。「紳士淑女の皆様、私は百一歳ですが、霊薬のおかげでぴんぴんしております。ご覧あれ」突然声があがった。「ブラック・ジャックだ! 捕まったぞ」殺人犯は一晩身を隠したのち、番小屋に連れて行かれるところだった。「我が霊薬を一杯飲むといい」「俺は一文なしさ」そのとき若い女が駆け出てきた。

 初訳。〈五つの町〉を舞台にした一篇。香具師の挑発もひどいですが、それに応えるブラック・ジャックも悪党の貫禄があります。それだけに若い女のけなげさが際立っていました。これしかないという結末でした。
 

「A・V・レイダー」マックス・ビアボーム/若島正(Max Beerbohm,A. V. Laider,1916)★★★★★
 ――イギリス以外でなら、流感で弱っていようが同じホステルで過ごす二人の人間が言葉を交わさないのは無理な話だ。だがひょんなことから言葉を交わし、二人とも手相を信じていることがわかった。レイダーは語った。十四年前、自分は人を殺したのだと。鉄道に乗り合わせた同乗者の生命線は誰のものも途切れていた。列車を止めるべきだった……。罪の意識に苛まれるレイダーに、私は自分の考えを伝えることにした。

 初訳。怪談の体裁を取りながら実は皮肉な話でしたが、実際のところどちらが真実かはわからない……はずでしたが、オチが強烈です。そうせずにはいられないのでしょうね。稀代のストーリーテラーです。
 

「スランバブル嬢と閉所恐怖症」アルジャーノン・ブラックウッド/谷崎由依(Miss Slumbubble-- and Claustrophobia,Algernon Blackwood,1907)★★★★☆
 ――ダフニ・スランバブル嬢は神経質なご婦人で、男性を過剰に意識した。そのうえ火事を恐れ、鉄道事故を恐れ、狭い空間に閉じ込められることを恐れた。例年のように女性専用車両に乗ったが、不安は去らなかった。スランバブル嬢は不安の原因を探し始めた。窓の外を見て、切符を、所持金を確かめた。窓のそばへ行った。窓枠は動かなかった。閉じ込められたのだ!

 初訳。ブラックウッドは出来不出来の差が激しいのですが、この作品はかなり面白い部類に入ります。タイトルにも「閉所恐怖症」と書かれてあるしネタをばらしたうえで語り口で読ませるタイプの作品かと思ったのですが、もうひとひねりありました。何だかんだ言いつつ根っこは怪談作家なのでしょう。
 

「隔たり」ヴィンセント・オサリヴァン柴田元幸(The Interval,Vincent O'Sullivan,1917)★★★☆☆
 ――ウィルトン夫人は店に入った。ヒューが戦死して以来会った占い師はこれで十人目だ。だが彼女が求めている慰めは一人として与えてくれない。過去の話など聞きたくない。もしも誰かが、まだ終わりじゃありませんよ、あの人はどこかにいるんですよと言ってくれたら……。

 初訳。芥川は戦死者の幽霊というところに新しさを見出していたようですが、いま読めばオチも含めてごくオーソドックスな(そして少し切ない)怪談です。
 

「白大隊」フランシス・ギルクリスト・ウッド/若島正(The White Battalion,Frances Gilchrist Wood,1918)★★★★☆
 ――「フーケ少佐、報告によれば突撃開始から塹壕までのあいだ連絡が取れなくなったとか。中尉の話では、見たというのです――」「塹壕攻撃に四十秒の遅れが出た。敵軍はほぼ殲滅された」「遅れには原因があったのですね?」「信じてもらえないだろう――この目で見た私すら信じられない。だが証拠に子供たちがいる。山のようなドイツ兵の死体も――攻撃していたのは――かつての戦友たちだった。そして女たちはみな、亡き夫の顔を見たんだ」

 初訳。前話と同じく戦争にまつわる幽霊譚です。人質となった子供たちの命を守るために戦死者の幽霊たちが銃を使わずに敵を殲滅するというエピソードは、戦場が舞台の怪談実話にも類例がいくつもありそうなよくできた話で、幽霊を信じていないわたしでも、死が身近な場所でならこういうこともありなんと思いたくなるほろりとする話でした。
 

「ウィチ通りはどこにあった」ステイシー・オーモニア/柴田元幸(Where Was Wych Street?,Stacy Aumonier,1921)★★★★☆
 ――四人の男と一人の女がワグテール亭で飲んでいた。きっかけはドーズ夫人が、亡くなった伯母がウィチ通りのコルセット店に勤めていたと述べたことだった。「ウィチ通りってどこにあったんです?」「キングスウェイだよ」「ウェリントン通りに入ってく道だよ」「失礼ながら、教会の前を通っていた狭い路地だよ」喧嘩になった挙句、ならず者が黒人を殴り殺して立てこもった。

 初訳。よくあるすれ違いの笑いや結末のわからない作品かと思っていたのですが、思いも寄らない方向に転がってゆきます。立てこもりと惨劇に発展するだけでもすごいのですが、それも裁判の布石に過ぎず、そこで弁護士の話になるという展開でした。もちろん「ウィチ通りがどこにあったのか」こそが主役なわけですから、そこから外れないかぎりストーリーは突拍子もない方が面白いのには決まっているのですが。
 

「大都会で」ベンジャミン・ローゼンブラット/畦柳和代訳(In the Metropolis,Benjamin Rosenblatt,1922)★★★★☆
 ――彼女は百貨店のショーウィンドウのなかに座っていた。頭上の看板には「笑わせた方々に賞品あり」と書かれている。今朝この田舎娘が来店し、仕事をくださいと頼むのを見て支配人が思いついたのだ。今朝、百貨店で仕事をもらえると聞いたときには心が弾み、手紙で故郷に知らせようかとさえ思った。昨晩のぬくもりは跡形もなく蒸発し、「蝋人形」は心のなかで何かが沈むのを感じた。

 都会にまみれ傷つく若者を描いた掌篇です。顔のけいれんの意味するものが、見る者によっては本人の感情とは別の意味に思えてしまうところが皮肉で残酷です。あの場面があるからこそ、少女がいっそう際立っていました。
 

「残り一周」E・M・グッドマン/森慎一郎訳(The Last Lap,E. M. Goodman,1907)★★★☆☆
 ――ウィトリー医師は一刻も早くその場を離れたかった。夫のほうは娘がよくなるという希望はとうの昔に捨てていた。妻のほうは何があっても本当はなんにもないと信じ続けるだろう。医師は両親に代わって告知することになった。「手術を受けることになりそう?」というイザベルに、「手術してもいいことはありませんから」と医師は答えた。「私に残された時間は?」。医師は一瞬言葉を失った。

 初訳。母、父、娘が、三者三様に死を受け止めます。大人を尻目に娘がいちばん自分の死に向き合って見つめていることに胸を打たれます。けれどいい話では終わりません。誰よりも俗物なのは医師でした。
 

「特別人員」ハリソン・ローズ/西崎憲(Extra Men,Harrison Rhodes,1918)★★☆☆☆
 ――川沿いの人々は夕方、単独で村を通り抜ける騎行の人物を見たと言う。ミセス・バカンは窓辺に立って、ジョージがまもなく戦争に行くことを考えていた。そのとき男がドアをノックした。「道に迷いました。この前ここに来たときから何年も経っています」「あれがプリンストンにつづく道です」「プリンストン。もちろんそうだ。イギリス人と戦って打ち負かしたところだ」

 初訳。ミステリーゾーン風の作品です。時代を考えれば本作の方が何十年も早いのですが、それだけに今となっては陳腐になってしまったのが悔やまれます。
 

「ささやかな忠義の行い」アクメット・アブダラー/森慎一郎訳(A Simple Act of Piety,Achmed Abdullah,1918)★★★★★
 ――その晩ナグ・フォン・ファは老女を殺した。何一つ悔やんでない。山場は老女殺害ではなく、ファニー・メイ・ハイの笑い声だった。ファニーは彼の妻だった。中国人の結婚だったことから、住民があれこれ噂した。ファニーは目が青く金髪だったがそれ以外はどう見ても中国人だった。子を産まぬから離縁したユン・クワイに代わって男の子を産んでくれるだろう。威厳たっぷりに結婚を申し込んだ。「もちろんお受けするわ、黄色い吊り目のおデブちゃん」

 初訳。誇張された中国人の風習によって、風が吹けば桶屋が儲かるような『予告された殺人の記録』のような思いも寄らない結末がもたらされます。あながち誇張でもないのでしょうか。現代日本の目から見ると、忠義というより体裁・体面という方が近いのですが、それが人の命よりも重いという前提の文化として描かれているため、それこそ忠義のような揺るぎなさを感じます。
 

「II 芥川龍之介作品より」

「春の心臓」ウィリアム・バトラー・イェイツ芥川龍之介(The Heart of the Spring,William Butler Yeats,?)★★★☆☆
 ――老人が瞑想に耽りながら、岩の多い岸に座っている。其傍には少年が座っている。二人のうしろには修道院がある。「御師匠様、此長い間の断食はおやめになさいまし。」「己は全生涯を通じて、生命の秘密を見出そうとしたのだ。己は数世紀に亘るべき悠久なる生命にあくがれて、八十春秋に完る人生を侮蔑したのだ。明日、黎明後に、己は其瞬間を見出すのだ。」

 不老不死を夢見る老人の愚かな望みと、自然のもっとも美しい時期と時間が対比されています。
 

「アリス物語(抄)」ルイス・キャロル芥川龍之介菊池寛共訳(Alice's Adventure in Wonderland,Lewis Carroll,1865)★★★☆☆
 ――兎がチョッキのポケットから懐中時計をとりだして、急いで走っていきましたとき、思わずアリスは飛起きました。すぐにアリスは兎の後をつけて、穴に入っていきました。穴の底の広間には四方に扉がありましたが、すっかり錠がかかっておりました。けれども低いカーテンの後には、約一尺五寸位の、小さい扉がありました。そこで鍵を穴に入れて見ますと、しっくり合いましたので、もうアリスは大喜びでした。

 言わずと知れた『不思議の国のアリス』の、芥川訳と思われる冒頭二章の抜粋。
 

「馬の脚」芥川龍之介(1925)★★★☆☆
 ――脳溢血で頓死した忍野半三郎は支那人のいる事務室に来ていた。「人違いですね。だが三日前に死んでいて、すでに脚が腐っている」。現世に戻そうにも、代わりの脚がないため、仕方なく馬の脚をつけることにした。半三郎は他人にばれないように常に長靴を履くようになった。

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