『私がふたりいる』戸川昌子(光文社文庫)★☆☆☆☆

『私がふたりいる』戸川昌子光文社文庫

 1977年『蒼い悪霊』の改題文庫化。

 学園都市の建設に携わった職員が電車内で遭遇した、顔を白い繃帯でぐるぐる巻きにした若い女性。彼女はクローンの研究を心霊学と勘違いして、同じ人間がふたりいる証拠である手記を研究所に渡してほしいと、職員に託す。「私がふたりいる」という題名のその手記には、孤児となった若い女性が心霊会で体験した奇怪な出来事が記されていた。

 孤児となった波子はお手伝い募集の広告を見て、生島心霊会に面接に行く。処女でなければ資格はない、噓をつけば下半身が不随となる――と狐顔の女に脅されながらも心霊会にたどり着くと、そこには同姓同名の秦野波子という醜女がいた。紫野という美しい女性が黒塗りの箱の蓋を開くと、白い蛇のようなものが動き、脚のあいだから躰の中に入ってきた。そこで波子は気を失った。

 自分たちには双生児の背後霊がついていると主張する同姓同名の秦野波子、波子は悪霊に憑かれていると告げる紫野。ラーメン屋の主人や俳優の船山一郎に犯されたのは夢なのか。波子は同姓同名の秦野波子に熱いラーメンをかけられ顔に大やけどを負い、臨死体験を味わう。

 戸川昌子らしいエロティックな幻想譚です。とは言え果たしてこれをエロティックと言ってよいのかどうか、やたらと割れ目を撫でたりセックスがそそり立ったりのオンパレードで、大半がそうした描写で占められていました。

 前半は話がどう転がるのかわからず、とにかく波子が意識を失うたびに繰り返す不思議な体験を追って、波子とともに迷路の彷徨に身を委ねました。

 中盤からは、波子は実は船山一郎の義妹・船山志摩子なのではないか――という新たな疑惑(幻覚?)が持ち上がるものの、結局は波子が意識を失うたびに新たな人物とエロティックな関係になって――の繰り返しで、そういう描写はいいから早く話を先に進めてくれと思わずにはいられませんでした。

 最終的に、精神病院の看護婦N子さんの妄想――だったのか何なのかもよくわからないまま、もっともらしい感じで幕が閉じられました。

 「生島心霊会の会長様はとてもこわいの。口の中に蛇がすんでいたの。舌のかわりに大きな蛇が、あたしに近づいてきて……」秦野波子と船山志摩子同一人物の奇怪な人生の開幕……⁉

 波子と志摩子の人生のどちらが現実であるのか?この本を読みながら、読者《あなた》は奇妙な錯覚におちいるにちがいない。異色|推理《サスペンス》力作!(カバーあらすじ)

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