『愛じゃないならこれは何』斜線堂有紀(集英社)
若手実力派ミステリ作家による、恋愛(?)小説集。そのあまりにもいびつな純愛感情は、無理にミステリにこじつけるならばクライム・ノヴェルに通ずると言えないこともありません。
「ミニカーだって一生推してろ」(2021.3)★★★★★
――人気アイドルが一般人へのストーカーで逮捕されたら、どんな結末が待っているだろう。赤羽瑠璃は夢想する。部屋の中にいる人物が、ふとしたきっかけでベランダの瑠璃に気づいてもおかしくない。瑠璃は意を決して二階のベランダから跳んだ。どんな落下にも、それに至るまでの軌跡がある。長くて大きすぎる放物線の始まりは、今から四年前、瑠璃が二十四歳の頃まで遡る。二十四歳の赤羽瑠璃はアイドルを辞めようとしていた。「めるすけ『赤羽瑠璃は赤じゃなくて黒の方が似合うな』」。そんな時、エゴサで引っかかったその呟きが全ての始まりだった。瑠璃はめるすけのツイートを追い、めるすけが好きだという小説を読んで、音楽を聴き、依存するようになっていた。
ファンをストーカーするアイドルという逆転した構図が目を惹きます。やっていることは紛れもないストーカーなのですが、アイドルとして上を目指すなかで不安解消のよすがとしてすがっている分には前向きと捉えられなくもありません。けれどとっくに一線を越えている瑠璃が、そんな建前すら捨ててしまうのがめるすけの恋人へのプレゼントの存在です。そしてそんな瑠璃に応えためるすけも、一線を越えてしまったのでした。落下を放物線に喩えて、堕ちる前の瑠璃のことを「投擲の多くがそうであるように、瑠璃はここから上昇する」と書く表現を面白いと感じました。
「きみの長靴でいいです」(2020.12)★★★★★
――二十八歳の誕生日に贈られたプレゼントはガラスの靴だった。「どうしたの? これ」灰羽妃楽姫は努めて冷静に尋ねる。何しろ、彼女は何も知らないお姫様ではなく、気位の高い女王だ。「世界で一番妃楽姫に似合う靴だと思ってる」と言った妻川の婚約報告を聞いたのは、その直後のことだった。三日後、妃楽姫は高校からの親友である花恵をマンションに呼んだ。「妻川が結婚します」「その……おめでとう? でいい?」「おめでとうならこんな声で言ってない」「妃楽姫ではない?」「妃楽姫ではないです」「噓でしょ? こんなもの貰っておいて振られたの?」「振られたも何も。告白されたことも告白したこともないので……」
瑠璃が貰ったテディベアのデザイナーが主人公です。これは男女の友情――というよりは、意識高い系を互いに演じる関係になるのでしょう。花恵の言葉によれば「舞踏会中毒」です。この話の場合は意識高い系だからわりと滑稽になっていますが、ある立場と恋愛のバランスや距離の取り誤りというのは現実でもありがちなところです。妃楽姫が舞踏会中毒を自覚したうえで取捨選択できたのは、そうできる強さと実力があるからではありますが、だからこそ人から憧れられもするのでしょう。「本当に共に暮らすべき相手に渡すのは、花束とかガラスの靴ではなく家の合鍵なんだよ」。
「愛について語るときに我々の騙ること」(2020.8)★★★☆☆
――「僕さ、ずっと前から新太のこと好きだったんだ。だから、付き合ってくれない?」。私が頷くと、園生は痛ましさと安堵の混ざった顔で笑った。これでハッピーエンドにはならない。何故なら、私は泰堂新太じゃなく、鹿衣鳴花だからだ。
瑠璃や妃楽姫がまがりなりにも真っ直ぐで或る意味では気持ちのいい人たちだったのに対し、この話に登場する人たちは、とてもずるい。新太のことを好きな園生は、新太と鳴花が付き合うのを牽制するために鳴花と付き合おうとし、男女三人の友情を続けたい鳴花は、事情をわかったうえで園生の提案を受け入れます。「恋愛感情が成熟の証だというのなら、二十六歳になった今も私は雛だ」。
「健康で文化的な最低限度の恋愛」(2021.6)★★★★☆
――運命の朝、美空木絆菜は親友の茜が逮捕されていたことを知ったばかりだった。しかも、その罪がストーカーだと聞いて更に落ち込んだ。自分が知っている茜と、捕まった茜が別人すぎて恐ろしい。恋によって人間がそこまでおかしくなるなんて思わなかった。そんなことを考えているうち、絆菜は働いているSNS運営会社に辿り着いた。中途採用された新人が手を差し出した。「津籠実郷です。よろしくお願いします!」。顔が好みだったわけでもないし、企画を褒められて嬉しかったけれど、あの記事はほかにも色んな人間に褒めてもらった。それなのに、絆菜は津籠のことが好きになってしまった。津籠がサッカー好きだと知ると、動画で勉強して自分もサッカー好きであるふりをした。
好きな人の色に染まる――。恐らくは多かれ少なかれ誰にでもあることでしょう。しかし絆菜は度を越しています。「そうするだけの覚悟がある」と宣言し、自分の好きなものやそれまでの生き方を捨ててまで、それどころか健康や命を危険にさらしてまで、津籠に合わせようとします。瑠璃や妃楽姫と同様、間違った方向に全力で真っ直ぐに突っ走るのは、なぜかどこか潔い。「この恋は、きっと地獄に続いてる」と帯にあるように、本書中でどうにか幸せになれそうな可能性のあるのは妃楽姫くらいで、ほかの三組に待っているのは地獄しかないだろうに、たとえ間違った信念であったとしても信念であるには違いありません。
「ささやかだけど、役に立つけど」(2021.12)★★★☆☆
――初めて放送部の部室で鹿衣鳴花と出会った時、自分はいつか彼女と付き合うんじゃないかと思った。「ここ、放送部だけど」新太の声は冷たかった。きっと二人きりの空間を破る時が来たのだし、それを破るのなら目の前にいる鳴花がいい、と思った。それを後悔する日が来るなんて、あの時は思わなかった。鳴花が三人でいることを選択し、俺を脅迫することで関係の寿命を引き延ばしてから三か月が経った。
単行本書き下ろし。園生と新太と鳴花のその後。「愛について語るときに我々の騙ること」には新太の視点が欠けていたので、それを補完するなら新太の一人称だろうと思うのですが、なぜか園生の一人称です。特に新しい展開も視点もなく、本当にただのその後でした。
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