『《ドラキュラ紀元》 われはドラキュラ――ジョニー・アルカード(上)』キム・ニューマン/鍛治靖子(アトリエサード)★★☆☆☆

『《ドラキュラ紀元》 われはドラキュラ――ジョニー・アルカード(上)』キム・ニューマン/鍛治靖子(アトリエサード

 『Anno Dracula: Johnny Alucard』Kim Newman,2013年。

 創元版では刊行されていなかった第四作は、ドラキュラ紀元シリーズ初の(連作)短篇集です。

 虚実入り混じったキャラクターも魅力のシリーズではありましたが、短篇となるとどうしてもただキャラが出てきただけのパロディ色が強くなるようです。特にコッポラとチャンドラーにはそれが強かったです。もしかするとわたしが気づかないだけで、ほかの作品も何らかのパロディなのかもしれません。

 レギュラーキャラですらゲスト出演的な扱いの作品もありました。

 ドラキュラが死んでラスボスが不在であるため仕方がないことではあるのでしょうが、ドラキュラに憧れているジョニー・アルカードにタイトルを張るほどの魅力がないのも痛いところです。
 

「プロローグ 契約――ドラキュラ紀元一九四四」(Prologue: Promises to Keep (Anno Dracula 1944) )★★☆☆☆
 ――戦の前からトランシルヴァニアは死者の国だった。少年はヴァンパイアなど恐れていなかった。これ以上悪い事態が起こることなどあり得ないのだから。マインスター男爵の語る過去の栄耀栄華など誰も信じてはいなかったし、少年の見たところ真の指揮官はヴァンパイアのブラストフだ。そして彼らは招喚された。あの城砦へ。ドラキュラ。少年はアーチをくぐり近づいていった。「われはドラキュラなり」長身のヴァンパイアが言った。

 文字通りのプロローグ。とはいえドラキュラの文語体も相まってあまりにも芝居がかっていて、笑ってしまいました。
 

「第一部 コッポラのドラキュラ――ドラキュラ紀元一九七六‐七七」(Part One: Coppola's Dracula (Anno Dracula 1976-77),1997)★★☆☆☆
 ――ルーマニアで大予算映画を撮ろうというのが正気の沙汰ではない。コッポラの『ドラキュラ』にテクニカル・アドヴァイザーとして参加してくれないかと言われたとき、ケイトはドラキュラの起源を見るのも面白いと考えた。だが撮影が延びに延びている。ヴァンパイアの中にはトランシルヴァニアを聖地にすべきと考える者もいるが、そもそもドラキュラがこの地を離れたのはうんざりしたからだ。「一度中断してキャストを考えなおすべきなんだ」というフランシスの決定より、ジョナサン・ハーカー役はハーヴェイ・カイテルからマーヴィン・シーンに変わっていた。

 ただでさえ虚実入り混じったドラキュラ戦記シリーズなのに、原作『ドラキュラ』の映画化『ドラキュラ』のパロディという作中作に至ってはもはやわけがわかりません。『地獄の黙示録』のキャストで『ドラキュラ』をやってみた、というのと、プロローグのイオン・ポペスク(ジョン・ポップ)少年ふたたび、そしてケイトがヴァンパイア極右活動家と疑われて逮捕されるという話です。
 

「インタールード 砂漠の城――ドラキュラ紀元一九七七」 (Interlude: Castle in the Desert (Anno Dracula 1977),2000)★★☆☆☆
 ――私の妻と結婚した男は、彼女の死を告げながら泣いた。オリルグ石油産銅会社のスミス・オリルグ・ジュニアがリンダとともに過ごした期間は、私とリンダの結婚生活と長さはそれほど変わらないながら、私たちのものより幸せだった。ふたりの間には娘が生まれたのだ。最後にラッケルと会ったのは、彼女が十三か十四歳のころだ。「あの子が……攫われたんだ。ヴァイパーどもに」

 フィリップ・マーロウがリンダとリンダの再婚相手との間に出来た娘を助けに行くという話ですが、マーロウ感はほぼありません。よかった点は、老いたマーロウを見られたことくらいでしょうか。ジュヌヴィエーヴも登場しています。『ナイトランド・クォータリー』vol.5()に植草昌実訳で訳載されていました。
 

「第二部 アンディ・ウォーホルのドラキュラ――ドラキュラ紀元一九七八‐七九」(Part Two: Andy Warhol's Dracula (Anno Dracula 1978-79),1999)★★☆☆☆
 ――ジョニー・ポップはアメリカでのし上がろうと決意していた。〈父〉なら敵に対してどうしていただろう。アンディ・ウォーホルがクラブで踊るジョニーを見つけ、あれは誰なのかとペネロピにたずねた。間違いなく、ドラキュラの子か、血統の者だ。ジョニーは自分の血を麻薬のように販売して金を稼ぎ奴隷を手に入れていた。

 タイトルはアンディ・ウォーホル監修の映画『処女の生血』に由来するとのこと。ペネロピはちょい役だし、アンディ・ウォーホルもさして重要な役回りでもありません。ジョニーの成り上がり篇・序章といったところですが、憧れの対象にほぼ無関係の人ほど相手を神格化してしまう痛い感じが読んでいてしんどかったです。
 

「インタールード 挑みし者に勝利あり――ドラキュラ紀元一九八〇」(Interlude: Who Dares Wins (Anno Dracula 1980),2002/2013)★★★☆☆
 ――「こいつはとんでもない事件ですよ」ケイト・リードが現場に着くと、顔見知りの警官が封鎖の板をどけた。落とし戸の中の司令部には、ディオゲネス・クラブ闇内閣の議長リチャード・ジェパーソン、秘密警察のトップであるケレイブ・クロフト、諜報員ヘイミシュ・ボンドがいた。問題は人質のなかに有名な喜劇役者の孫パトリシア・ライスがいることだった。大使館に立てこもっているマインスター男爵は、ケイトに大使館に来るよう要求した。

 タイトルはSASのモットーであり、イラン大使館占拠事件を題材にした映画のタイトルでもあるそうです。マインスターが起こしたルーマニア大使館人質事件にケイトが挑む話です。短い話なので何やらあっさりと終わってしまいますが、それが逆に功を奏して、下手に細かいパロディがなく素直に楽しめる作品でした。マインスターもまたドラキュラになりたかった男でした。初出はウェブ。
 

「第三部 真夜中の向こうへ――ドラキュラ紀元一九八一」(Part Three: The Other Side of Midnight (Anno Dracula 1981),2000)★★☆☆☆
 ――「ジュヌヴィエーヴ、お会いできて嬉しいですよ」撮影を終えたオーソン・ウェルズが抱擁した。「ジョン・アルカードという名前におぼえはありませんか」「何者なの?」「独立プロデューサーを名のっていて、わたしの『ドラキュラ』に出資しようとしてくれているんですが、実績がない」。調査を開始したジュヌヴィエーヴは、バービーと名乗る少女の殺し屋に襲われ、レインコートを着た義眼の刑事に話を聞かれた。

 コッポラに続いて今度はオーソン・ウェルズが登場しますが、まるまんま『ドラキュラ』/『地獄の黙示録』だったコッポラとは違い、映画そのものは一部に留められています。殺し屋とその黒幕を追う話ですが、ジョン・アルカードは登場しない――というか、黒幕止まりでアルカードまではたどり着けません。鏡とフィルムに映らないヴァンパイアを使ったトリック撮影に、鬼才オーソン・ウェルズ味を感じました。
 

「インタールード 愛は翼にのって――ドラキュラ紀元一九八六」(Interlude: You Are the Wind Beneath My Wings (Anno Dracula 1986),2001)★★☆☆☆
 ――キャプテン・ガードナーが注目を命じた。「こちらはミス・チャーチウォード。おまえたちのマナー講師だ」。ペネロピの姿を見て、クラスの全員が、男も女も、目を瞠った。ペニーはいまやセックス・ファックの達人といってもいい。近頃のペニーは〈合衆国蝙蝠戦士プログラム〉に所属する退役軍人キャプテン・ガードナーと過ごしている。訓練通過者七名。明日、ガードナーは闇の息子、闇の娘として、彼ら全員におのが血統を与える。

 ヴァンパイアで構成されたアメリカ部隊とカルパティア部隊による戦闘演習。ペネロピはマイペースですね。

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