『ポンド氏の逆説』G・K・チェスタトン/南條竹則訳(創元推理文庫)★★★☆☆

『ポンド氏の逆説』G・K・チェスタトン南條竹則訳(創元推理文庫

 『The Paradoxes of Mr. Pond』G. K. Chesterton,1936年。

 南條竹則氏による新訳版。『コリアーズ・ウィークリー』に掲載された「名前を出せぬ男」を除いて、すべて『ストーリーテラー』に発表されたもの。
 

「黙示録の三人の騎者」(The Three Horsemen of Apocalypse,1935.6)★★★★☆
 ――ポンド氏は政府の役人で、父の昔馴染みだった。年に数回、穏やかな池《ポンド》の水面から、突拍子もない発言の形を取って怪物が現れた。その日は我が家の庭で、外交官のウォットンと話していた。「あの詩人のペトロフスキーを憶えているだろう。彼の住んでいた町は当時プロシア軍に抑えられていて、名高いグロック元帥が指揮を執っていた。だがプロシア軍はあまりに規律正しかった。二人の兵士が命令に従ったために、グロックは失敗ったんだ。グロック元帥は詩人の処刑命令を出した。あとになって執行延期令状が出されたが、令状を運んでいた男が途中で死んだので、囚人は解放された」

 「命令を守る」ことに対する二通りの解釈【「言葉通り守る」と「真意を汲む」】の違いによって誤解が生まれるのは、ブラウン神父ものでもお馴染みのチェスタトンならではのロジックです。それにしても、「騎士」だと「knight」の意になってしまうからなのでしょうが、「騎者」という訳語には違和感が拭えません。
 

「ガヘガン大尉の罪」(The Crime of Captain Gahagan,1936.6)★☆☆☆☆
 ――アメリカの新聞記者エイサ゠スミス嬢がある事件についてポンド氏の見解を訊きに来たが、一切口を挟ませず独り語りをつづけていた。「だって――私は劇を書いたことがあって、すごく現代的なんです――水に飛び込むところから始まって――」「俳優が飛び込みたがるとは思えませんが」「そりゃあ大女優のオリヴィア・フェヴァーシャムならしないでしょうけど、でもヴァイオレット・ヴァーニー嬢は約束してくれましたし、素人役者もやってくれるでしょう。あのガヘガンさんは泳ぎが達者ですし」「ガヘガン大尉は親友でして、女優のヴァーニー嬢の妹ジョーンと親しいようです」。その翌日、訴訟王のフレデリック・フェヴァーシャムが自宅で殺され、その妻オリヴィアにつきまとっていたとされるガヘガン大尉が疑われた。

 もともともってまわった言い回しをするのがチェスタトンですが、この作品はとりわけわかりづらかったです。事件のすべてが伝聞のうえに、事件そのものよりも関係者の話ばかりが切り貼り状に語られるので、なかなか話の道筋が見えづらいところがありました。タイトルになっている「ガヘガン大尉の罪」【=現代の女性を理解しなかった】というのもしょうもなさ過ぎるし、矛盾した三つの証言は実は全部おなじことを言っている【=話の初めだけ聞いて後ろは聞いていない】というのも逆説と呼ぶにはお粗末でした。旧訳「ガーガン」からより近い発音の「ガヘガン」に新訳されています。発表順では次の「博士の意見が一致する時」より後なので、「ハギス事件」についての言及がありました。
 

「博士の意見が一致する時」(When Doctors Agree,1935.11)★★☆☆☆
 ――この事件の始まりはハギス氏が殺されたのは怪事件だった。ハギス氏は頑固で時代遅れな急進派だったが、経費節減と社会改革を主義としながら、いかなる改革も経費がかかりすぎると仄めかした。不況の時にキャンベル老博士が貧民街の伝染病を撲滅しようとすると、独りハギスだけが反対したのもそういう理由からであった。しかし、貧しい子供たちがチフスで死んでいくのを喜ぶ悪魔だという結論を導き出すのは、極端な推論だろう。ポンド氏が出席したパーティーでもこの事件の話題で持ちきりだった。出席者の中には、例のキャンベル博士と、その若い友人のアンガス氏もいた。博士はこの青年の受験勉強を指導しているという。

 逆説としては第一話にも似て魅力的なのですが、「二人の人間の意見が完全に一致したために一方がもう一方を殺した」「殺された人間の行動や意見が間違っていた場合、殺人は正しい」とあっては、考えるまでもなく答えは一つしかありません。
 

「ポンドのパンタルーン」(Pond the Pantaloon,1936.9)★★★☆☆
 ――クーデターを企む陰謀が表沙汰になりそうになったことがあった。大陸の勢力が応援していて、一定数の下級官吏が一味に買収されたおそれがあった。それ故に、重要な機密を要するある公文書をどのようにしてロンドンに送るかが会議で話し合われた。目立たせると狙われるというポンド氏の意見により、何のしるしもないたくさんある白い木箱の一つに収められた。スコットランド・ヤードのダイヤーは駅に出入りする人物を制止し、拘引ないし取り調べするよう命じた。それに加えてポンド氏は、宛先が一味の仲間宛てに書き替えられることを恐れて、宛先が書き替えられたものはすべて差しとめるよう手配した。

 通常の謎解きものであれば、筆記用具がないなかで、しかも宛先の書き替えが疑われるなかで犯人は如何にして書き替えに成功したのか――という謎が立てられるのでしょうが、そう考えてしまうと真相はしょぼいものです。この作品の場合、「赤い鉛筆に似ていたから、黒いしるしがつけられた」という逆説を設定することで、うまく意外性を演出していました。とはいえ青鉛筆というウォットンの言葉に対して赤鉛筆と言っているだけなので、逆説自体をむりやり作りあげているようなもので、ずるいといえばずるいのですが。密室と同じで警備が完璧であるがゆえに容疑者が絞られるというのが皮肉ですが、そこに道化師が入り込んでしまうというのが笑えます。

 わたしの拙い英語力では、旧題「道化師ポンド」の方がニュアンスが近いと思うのですが、新題は恐らく原題の頭韻を踏まえたものでしょうか。そう思って見ると、「大尉の罪」「恐ろしき色男」も、「T、T」「母音+ろ、母音+ろ」のようにして原題の頭韻を踏まえているようにも見えます。

 第一話でHorsemenを騎士でなく騎者と訳していたのにしても、またこの作品の邦題にしても、さらには「the detective from Scotland Yard」は「スコットランド・ヤードから来た探偵」なのに「Dyer the detective」は「ダイヤー刑事」だったりと、恐らく原文に忠実であろうとするあまり日本語として違和感のあるものになっている箇所があるのが気になりました。
 

「名前を出せぬ男」(The Unmentionable Man,1935.4)★★☆☆☆
 ――「その人物は国民の願望と呼ぶべきものだった。しかし国外追放にはならなかった。求められていたにもかかわらず、国外追放にならなかった」とポンドは続けた。「その国は共和政体が君主制に取って代わって久しいが、経済に関しては混乱に直面していた。私が訪れた時はストライキが起こっていて、それをテロリストが仕組んでいると政府側は主張していた……」。ポンドはその国で三人の知人を得た。三人目の男は変わっていた。宿無しの子供たちが、コーヒーに入れなかった砂糖の塊をもらった。むっつりした労働者が、誰よりも長く話し込んだ。堅苦しい貴婦人がじっと見つけていたかと思うと、やがてまた馬車に乗って立ち去った。男はムッシュー・ルイと呼ばれていた。すぐに押収された革命派新聞を、敬意も非難も見せずに読んでいたのは、ムッシュー・ルイだけだった。

 この作品のみ『コリアーズ・ウィークリー』掲載で、発表順では第一作に当たります。架空の共和制国家が舞台の政治風刺ですが、「政府が好ましいよそ者の国外追放を考えねばならなかった」という逆説の解答としても、ムッシュー・ルイの正体にしても、ありきたりすぎて面白味はありません。
 

「恋人たちの指輪」(Ring of Lovers,1935.12)★★★★☆
 ――事の起こりはクローム卿が開いた晩餐会だった。恐らくはクローム卿夫人の後を付いて歩く女性客にうんざりして、男だけのパーティーを開いたのだ。おおむね名のある人たちだったが、無作為に選んだようだった。ブランド大尉という能なし将校、クランツ伯爵というハンガリーの科学者。ベンガル連隊のウースターという男とはガヘガンはうまが合った。サー・オスカー・マーヴェルという俳優と、ピット゠パーマーという外務次官もいた。イタリア人歌手とポーランドの外交官もいたが、誰も名前は憶えられなかった。まるで気の合わない人間を集めたみたいだった。ポーランド人がクローム卿の嵌めている指輪に興味を示したのをきっかけに、指輪が次々と手渡されていったが、指輪は返って来ずに途中で消えてしまった。

 指輪紛失事件の真相もさることながら、事件が解決したあとに大尉が気づくある事実【※指輪を盗んだ犯人は、妻にちょっかいを出す男をあぶり出すために疑わしい遊び人ばかりを呼び寄せて証拠の指輪を盗み出した。ガヘガンも遊び人として疑われていた】に慄然とします。一話まるごとを伏線にしてしまう手法に感心したものですが、実は「ガヘガン大尉の罪」の方が後に書かれていると知ってがっかりでした。わかいやすい逆説は登場しませんが、「コーヒーを飲んで死んだ男は毒殺されたわけではない」「指輪を隠した男は泥棒ではない」という事実が該当するでしょうか。
 

「恐ろしき色男」(The Terrible Troubadour,1936.8)★★★☆☆
 ――ポンド氏は旧知のグリーン博士から、ガヘガン大尉が実は逃げ出した殺人犯であると聞かされた。目撃者の牧師から詳しい話を聞いたポンドは、安堵の微笑を浮かべると、事務弁護士立ち会いのもとでガヘガン本人に事情を聞くことにした。大戦中、牧師と娘が住んでいた家の隣にグリーン博士が越してきた。牧師は動物を飼い馴らす研究の手伝いもした。やがてエアーズという若い画家が反対隣の家を借りた。傷病兵であるエアーズは、画家とはこういうものだという古い通念のような外見をしていた。休暇を得て前線から戻って来たガヘガン大尉は、宿屋にいるよりも牧師の家にいることの方が多く、牧師の娘にがむしゃらに求婚した。あるとき牧師たちが庭をぶらついていると、大尉が壁の蔓草を伝って窓から降りてきた。博士は辛辣だったが、恋敵のエアーズは対抗心を燃やして上り下りなど簡単だと豪語する。果たしてその夜、牧師は蔓草を降りて来た画家と、それを撃ち殺して川に捨てた大尉の姿を目撃する。

 このシリーズはすべて、ポンド氏が過去に携わった事件を語ったり登場人物が過去に体験した話をポンド氏が解き明かす形式なのですが、現在時制がはっきりしません。幾つかの作品で「大戦の間」という表現が見られるので、第一次世界大戦後なのは間違いないのでしょうが、何年後の話なのかがわかりません。なぜこんなことを気にするかというと、この作品はいかにもチェスタトン世界の話であって、この時この場所だからこそ事件として成立する内容だからです。失踪した画家は翌日から旅行の予定であり、容疑者のガヘガンは翌日には前線に戻っていったという事情でなければ、その場でとは言わぬまでも数日から数か月のうちに真相が判明していたことでしょう。

 「影がもっとも人を誤らせるのは、まったく事実通りである時」という逆説からは、ブラウン神父ものの「通路の人影」を連想しますが、その正体についてはいくら何でも荒唐無稽で、いくら外見に特徴があろうと見誤ることはまずないでしょう。【脚の悪い犯人がコンプレックスから、恋敵たちよりもっと上手く壁を上り下りできる類人猿に上らせた】という動機も、わかるようなわからないようなものですし、ガヘガンが逃げ出した理由にしても【恋をしていた娘のため云々と】いうのも独りよがりにしか思えないように、ツッコミどころ満載の作品ではありました。

 「文字通りの意味で、気狂い博士」というのも日本語としては何が文字通りなのかわからない表現なので、あるいは「mad scientist」あたりを訳したものかと確認すると、原文は「mad doctor」で、本来「精神病医」を意味するそうです。なるほど原文を知ってみれば上手い訳語ではありました。

 原題の「troubadour」とは「吟遊詩人」の意で、窓から思いを伝えようとする恋敵たちを指すようです。邦訳では本文もすべて「色男」で統一されています。旧訳では「恐るべきロメオ」と題されていました。
 

「高すぎる話」(A Tall Story,1936.2)★★★★☆
 ――大戦中にスパイを監視するため、ポンド氏は裏通りの家の二階を目立たないよう事務所に改造した。バットとアーサーという二人の部下がいた。隣にはハートグ゠ハガード夫人という、何を見てもスパイだと思うような人物がいて、ドイツ人の家庭教師が部屋で通信していると忠告したり、向かいの骨董屋がドイツ名だと叫んだりした。骨董店から戻ったポンドは、バットが悩んでいる様子に気づいた。「アーサーの婚約者にお会いになりましたか? 良いお嬢さんなんでしょうが、彼女が階段を上って、誰も入れない事務室へ向かった時、ちょっとおかしいぞと思ったんです――」その時ドスンという音がして、天井が震えた。それから逃げるような足音。二階に上がって事務室の扉を開けると、うつ伏せに倒れたアーサーの肩甲骨の間に、長い柄をした奇妙な剣が深々と刺さっていた。剣は深く床に食い込み、引き抜けなかった。

 これもブラウン神父ものの「神の鉄槌」等を思わせる、怪力犯によるものとしか思えない犯行が描かれます。本書には戦時中の話が多く、この作品でもスパイが暗躍していました。ユダヤ人がドイツ人名を名乗ったり、女性の化粧やお洒落に変装の疑いを拭えなかったりといったエピソードにも、戦争の影と独特のロジックが窺えます。巨人の仕業としか思えない犯行が、ある意味では実際に巨人の仕業だったが高すぎて見えなかったというのは、非常に絵になる逆説でした。お伽噺のようなファンタジックな犯行風景ですが、修理中という伏線がきっちり効いています。「『長靴を履いた猫』の物語に巨人が出て来るのを、みなさんが御存知ない」という、これまたチェスタトンらしい言い回しに至るまで、巨人とお伽噺にまみれた作品でした。

 [amazon で見る]
 ポンド氏の逆説 『ポンド氏の逆説』 


防犯カメラ