『砂漠の惑星』スタニスワフ・レム/飯田規和訳(ハヤカワ文庫SF)★★★★★

 『NIEZWYCIEZONY』Stanislaw Lem,1964年。

 遭難したコンドル号を捜索するため、無敵号はレギス第三惑星に到着した。そこは奇妙な惑星だった。大気には酸素がある。だが、海に魚はいるのに陸には植物すら見あたらなかった。都市の廃墟のようなものは見つかったが、どんな種類の生物も住んでいた形跡はない。

 戸惑うロハンたちのもとに、コンドル号が見つかったという報せが届いた。彼らがコンドル号で見つけたものは、乗組員の白骨死体だった。食料はふんだんに残っていた。ウィルスや毒も検出されなかった。何者かの攻撃を受けた様子もない。ではなぜ死んだのか? なにもかも謎だらけだった。ダイヤモンドにしか傷つけられないはずの合金の壁には、無数の穴があいていた。

 やがて探索中の隊員に異変が起こった。何を訊いても反応せず、同僚の顔も見わけられなくなっていた。記憶がすっぽりなくなっていたのだ。

 レムの小説を読むのは『ソラリス』[bk1amazon]『天の声』『枯草熱』[bk1amazon]に続いて四作目だけれど、本作がいちばんエンターテインメントだという印象。レムの小説は、ほとんど思想小説といってもいいような発想と、それを裏づける圧倒的な書き込みが魅力だと思うのですが、本書にはその書き込みがほとんどない。だからいわゆるSF的な発想だけで物語が進んでゆく感じで、眉間にしわ寄せずにすらすら楽しめました。(翻せば、書かれていないことを読者が自分で読みとらなければならないということにもなるわけですが。でもまあ『ソラリス』を読んだ人ならレムの言いたいことは言わずもがなだと思うし、解説とエッセイも巻末についているわけなので、結局のところははやり小難しくないエンターテインメントという印象なのです。)

 その印象には、仮説とはいえ〈黒雲〉の正体が明らかにされているというのも大きい。人間の認識を越える存在とはいっても、正体がはっきりしているとなんとなく安心できるものです。もちろん本書にも、ロハンが一人で探索に出かけて戻る途中の夕暮れに〈黒雲〉がまったく理解できない行動を取る場面があって、正体がはっきりしそうではっきりしない不安をかきたててくれるのですが、『ソラリス』や『天の声』と比べるとそれでも安心できる範囲内なのでした。

 〈黒雲〉に対して、どうしても昆虫の群れのイメージを重ねてしまうことも大きい。わたしにとっては蜂のダンスも蟻の行列も意味不明ですからね。もちろんそれは誤読なんだけれど。昆虫の行動には動機(?)があっても、〈黒雲〉にはあるはずもないのだから。

 だけどやはり、似た地球上の生物を連想させちゃう時点で、レムの意図はいくぶん失敗に終わってると思います。非理性と理性の戦い(というかすれ違いというか)という内容が充分に生きてこない。その点に関して言えば、『ソラリス』と『天の声』は凄い。

 で、まあ、そういうわけで、本書『砂漠の惑星』は、わたしにとってはとびっきりのエンターテインメントという位置づけで楽しませてもらいました。謎の惑星の探検、謎また謎、機械と機械の戦い、襲い来る恐怖、〈黒雲〉を巡る議論議論議論……。『ソラリス』よりはよほど映画に向いていると思う。ヒーローがいて、(一応の)勝利があって、戦闘シーンがあって、どっしり構えた隊長がいて、科学者がいて技術者がいて隊員たちがいて。無茶な譬えをするならば、本書はウルトラマンを楽しむように楽しめるのである。ゴジラのように下手に(本当に下手に)人間ドラマを入れないところも作品を引き締めている。

 人間VS○○の戦いものとして一級品です。
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