『黒髪に恨みは深く 髪の毛ホラー傑作選』東雅夫編(角川ホラー文庫)★★★☆☆

「エクステ怪談」園子温加門七海東雅夫
 園子温監督映画『エクステ』と髪の毛怪談にまつわる鼎談です。他人の髪の毛を身につけるという感覚はまさにホラー。ファッションアイテムとして流通している以上は髪の毛が大量に入ったコンテナがあるはずだ、という発想力が非凡です。他人の髪なんて気持ち悪いなーとは思っても、普通はなかなかそこまでは思い至らない。ジャパニーズ・ホラーの、映画というよりは稲川淳二の怪談テイストな、わざとらしいショッキング演出が苦手なわたしとしては、「向こうのホラー映画に近い」という『エクステ』には期待したいところです。
 

「髪」伊藤人誉★★★☆☆
 ――混んでいる電車に乗るのは嫌だ。ぼくの前に女の人がいて、髪が背中に垂れている。香料が匂ってくるのでなるべくからだを遠ざけていたのに、ぼくの上着のボタンに、女の人の長い髪の毛がからみついていた。髪を切らずに丁寧に取れと言われてやってみるのだけれど、取れそうな見込みはない。

 芋虫の内臓とかパンツのゴムの汗とか切腹の刀だとか、描かれる細部が手触りの感じられるほどリアルで気持ち悪い。髪の怪異という非日常とは別に、語り手の少年の皮膚感覚あふれる発想がグロテスクなのです。筒井康隆の「顔面崩壊」を読んでいるような感覚。

 髪の毛の怪自体も肉体的で生々しくって胸のあたりがもぞもぞする。そんななので、最後の一行に恐怖を感じるというよりもほっとしてしまった。ああ、これで別世界に行ける、というような。
 

「実話」加門七海★★★☆☆
 ――「殺された女生徒の幽霊が窓に出るんですって」「やめてよね」私は一蹴した。榛原という陰気な生徒が声をかけてきたのは次の日のことだった。霊感があるとかほざく榛原は、幽霊に謝らないと取り憑かれると脅してきた。

 相当に気持ちの悪いオカルトオタクが登場する。幽霊をダシに使うようなオカルトオタクを出しておきながら、なおかつ幽霊の実在を肯定する三段構えの構成がにくい。

 描かれる髪の毛の怪異はめちゃくちゃ怖い。でも著者は怪談として終わらせずに、あくまで学校怪談・都市伝説風にまとめる。「髪の長い幽霊」という「お定まりのパターン」が出てくるのも、本篇に限っては髪が本質だとかどうとかいうことではなく、“学校の怪談”というお決まりの作品だからだと思います。お決まりといえば風呂場と排水溝と髪の毛と血というのも。定まった器にいかに盛っているか、が見どころです。
 

「女の髪」宮田登★★★☆☆
 お亡くなりになっていたとは知らなかった。髪にまつわる民俗学的エッセイ。ここで紹介されている「光明皇后」「静御前」の髪の毛とは、先ごろ文庫化された『植物怪異伝説新考(下)』を読むと、植物であるらしいことがわかる。何にしろ、長い髪には神秘的な力が宿ると信じられていたようです。
 

「「髪梳き」の場――『東海道四谷怪談』より」鶴屋南北★★★★☆
 ――喜兵衛殿よりくだされた血の道の薬を飲んで、俄に顔が発熱したお岩。伊右衛門とお岩を離縁させようとする喜兵衛が毒を飲ませたのだ。伊右衛門もその陰謀に乗り、按摩の宅悦にお岩と不義をさせようとせまる。

 有名な――とは言っても映画しか見たことないのですが――四谷怪談より、お岩の顔が爛れるシーンと髪が抜け落ちるシーンです。お岩の死んだあとに猫が現れ、その猫を大きな鼠が咬えて走り去るという場面がえもいわれず怖いです。メインの髪梳きよりも、そっちの方が強い印象を残しました。このシーン、舞台ではどうやって表現されているんでしょうね? 気になります。
 

「髪梳き幽霊」澤田瑞穂★★★☆☆
 ――お岩さんは殺される前に髪を梳いたので、化けてから後に髪を梳いたのではない。ここにいうのは幽霊になってからの動作である。それと知らずに覗いてみたら、女が自分の頭を取り外して卓上におき、髪を梳いていたという怪異談である。

 中国の髪梳き幽霊譚の紹介です。とにかく髪梳き幽霊の話が寄せ集められています。順番に読んでいけば、後の時代になるに従って、ストーリーと関係なく「頭を外して髪を梳く」のが幽霊の型になってしまったという考察がすんなり納得できます。
 

「幽霊」モーパッサン岡本綺堂(Apparition,Guy de Maupassant)★★★★☆
 ――妻を亡くした友人から頼まれて彼の家に書類を取りに行ったときのことです。真っ暗な部屋の中で抽斗を探していると、後ろの方でかさりという音が聞こえました。ひとりの背の高い女が白い着物を着て立っているのです。「わたしの髪を梳いてください……」

 乱れ髪が気がかりで成仏できないという、まるで日本の幽霊のような女幽霊が登場します。↑の「髪梳き幽霊」を除けばほかは日本の物語ばかりなのに、フランス人の手になる本篇が一篇まぎれこんでいてもまったく違和感がありません。どこか奥ゆかしい幽霊がいかにも日本風だということもあるのでしょうが、加えて岡本綺堂の翻訳によるところも大きいのだと思います。
 

「黒髪の怪二話」杉浦日向子★★★★☆
 ――『百物語』より、髪の怪二篇。

 杉浦日向子『百物語』には、背筋の怖気立つような怪談ではなく、透明感のある底なし井戸のような、深く深く吸い込まれるような余韻の印象深い怪談が多く収録されています。ぞぞ髪立つような恐怖ではない、静かな恐怖を堪能できます。
 

「生え出ずる黒髪」村田喜代子★★★★☆
 ――日光の山中の林の奥に、人の身の丈に余る毛髪状のものが木の枝に垂れ下がっているという。その話が気になった藤兵衛は、妻及び使用人一行と日光まで旅に出た。およそ自然界にあるもので、無用に生ずるものはなかろう。毛髪は人の頭にこそ必要で、樹木に毛などはいらぬ。

 『植物怪異伝説新考(下)』をすでに読んでいたので、これの正体が科学的には蔓や菌であることは知っていたのですが、そういうこととは関係なく楽しめました。そりゃ科学的に幽霊がいなくったって怪談は楽しめるわけですし。仲むつまじい夫婦の時代小説です。今となってはこういう夫婦像は理想の夫婦像とは違うのかな、とも思われるような、ちょっと古風でツーカーな二人が素敵です。
 

「黒髪」泉鏡花★★★★★
 ――夜毎に聞こえる、ものの不思議な声がある。婦人の声である。密娼か狂人かと見ると、おそろしく背の高い婦だと思った。唯、最う、影も形もなくなっていた。屋根の影に陽の色が赤くなって滲んだ。あれあれ! 火の見の梯子を昇る人が見える。火は早稲田であった。

 この話はあらすじをどこかで読んだことがあります。京極夏彦水木しげるか乱歩の『幻影城』か何かか。いかにも鏡花らしく、ところどころユーモアを感じさせつつ、ぞっとさせるところはぞっとさせます。この作品の肝は、何と言ってもあの最後の絵的なイメージです。大女をビジュアル化してしまうと何やらコミカルになってしまいますが、それを補って余りある映像美です。作中の設定は大正なのですが、どこかしら江戸怪談風味が漂っております。
 

「闇絵黒髪」赤江瀑★★★★☆
 ――雉子も鳴かずば打たれまいに……。野浜心平は、十年前に通りかかって、死んだ女を見ただけだ。この絵があの日の女の髪の毛を印象にヒントを得ているとは、誰にも思いつける筈がない。展示会のあとで、中司という医者がたずねてきた。あの絵に描かれた櫛は「三夕」ではないのか、と。

 こういう発想をギャグとしてではなくちゃんと幻想譚として描ける作家がいると嬉しくなります。これはもう生まれ持った作家のセンスの問題でしょう。怪異よりもおぞましい現実がなぜか美しい。この髪の毛はつややかであればあるほどおぞましい。人が成仏できないのは妄執が残っているから。妄執を抱くのは何も幽霊とは限らない。
 

「毛髪フェチシズム小酒井不木★★☆☆☆
 毛髪フェチに関する短文。日本では黒髪、西洋では金髪を愛するフェチがもっとも多いそうです。でもなかには白髪フェチもいるのだとか。モーパッサンの「幽霊」はどうだったかと読み返してみると、黒髪でした! やはりあの作品は黒髪でなくては、と思うのはやはり日本人の感性なのかなー。
 

「文月の使者」皆川博子★★★★☆
 ――枕がひとつ、川浪にゆれている。まさか、珠江の使った枕じゃあるまいな……。三年前に雨宿りした家の主人は、散切り頭の女だった。その家の若い娘……いや、女のなりをした男は、名前を珠江といった。「あの叔母さんは、男に心が動くと髪が伸びて相手の首に巻きつく癖があるの。それで髪を切ったのよ」

 『居酒屋ゆうれい』のような幽霊を交えた男女の綾と、『モノノケ大合戦』に収録されてもおかしくないような(?)大喧嘩。これだけ普通ではないものたちが跋扈する物語なのに、異世界小説ではなくあくまで日常小説であるところが素晴らしい。この世とはこんなにも妖気ただよう世界だったのだ。雰囲気的には『百鬼夜行抄』に似てるだろうか。この世とあの世の境界なんて昔はきっとこんなもんだったんだとうらやましくなってくる。
 

「貞子はなぜ怖いのか――毛髪とホラーの妖しい関係をめぐって」東雅夫
 これは解説ではなく髪の毛ホラー評論なのですね。編者解説みたいなノリで最初に読んでしまいました。最初に読んでしまうとちょっと牽強付会じゃないのと思わなくもない。ところが収録作を読んでから読み返してみると、いちいちお説ごもっともなのである。みごとに編者の編集テクニックにやられました。
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