日記だということは重々承知していましたとも。
いや。でも、ね。そこは久生十蘭のこと、プライベートな日記であってもスタイリッシュであるに違いない、という期待もあったのです。
実際のところは、人に読ませることを前提とした日記文学でも日記という形式のエッセイでもない、純然たる日記にそれを望むのはちとお門違い。
橋本氏曰く「昔の大人の普通の日記」。久生十蘭の素顔――なのです。
とはいえ、ところどころに見られる「おれ」という一人称と「〜なり」という文語体のチャンポン文体は、〈作家〉十蘭を彷彿とさせて恰好よかったりもします。
第四章第五章なぞは日記というよりほとんど戦記物である。
何にしても、プライベートな日記だとわかってはいても、一言一句もおろそかには読めないような気持にさせてしまう力が、十蘭にはあります。研究者でもないのにこんなの精読している自分はいったい何なんだ(^ ^;とかふと我に返って自問しながら読んでしまいました。
どんな読み方をしたっていいわけだし。
例えば第二章四月二十七日の項みたいな、何気ない記述でも、よくよく読むと不条理コントみたいで妙に可笑しかったりするのだから困りものなのである。
昨夜、へんに寝られず、起きて見たが、ひどく疲れている。ブランデーを飲みまたすぐベッドに入る。湖水の景色など一向に魅力なくなる。(略)ジョンゴスが起しにくる。見るとギターを抱えて立っている。長官にいつかギターをきかせようといったがよもやと思っていたのに例の調子で探がさせたものと見える。それがピックギターでブリッジが狂い飛んでもない代物なり。悲観す。仲々調子が合わず手古ずる。(略)自動車でパノラマ荘へ行く。
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