大陸もの作品集『哈爾濱詩集・大陸の琴』に続いて、「結婚・夫婦」「友・芥川」「生と死」というテーマで編まれた作品集が文芸文庫で刊行されました。目次が作品ごとに立てられずにテーマごとに章立てされているのが読みづらい。
「第一章 結婚について 夫婦について」
「女性に送る」
――自分は今夜あの人に手紙をかいて/あの人の胸ふかく潜んでゐる/自由をおびき出して置いた/……
未刊行詩。愛読者を妻とした「結婚者の手記」と内容的に通ずるところのある作品です。互いを思う気持を「自由」と称するところに、恋する者の自信とノロケが感じられるようです。
「結婚者の手記」
――妻は国で結婚式をあげてから一週間目に、私どもの家についた。あわてて門まで出迎えると、ぴんと耳の立った漆黒な日本犬が、ほとんど彼女と一しょに下車するのを見た。「クロと云うんだったね。」「――クロさん! お手をおかし。」と妻が云って聞かせたが、犬はわたしのそばからのこのこ妻の方へ行った。妻のつみでもなければ私のつみでも、ましてや犬のつみでもない。まだ心が通じきらないのだ。妻の心にしてもまだよくわからない。
ドストエフスキー「地下生活者の手記」に倣ったタイトルでしょうか。貧しい作家が妻に対して感じる引け目と嫉妬と自尊心が、可愛らしいといってもいいような形で描かれます。買い物に出かけに声をかけるだけでも、そんなこと言わなければよかったかと悶々。何かにつけて小理屈をこねて悶々。嫉妬を覚えて猫を小突き犬を蹴飛ばし悶々。原因は自分にあるのだから、犬を遠ざけたところで意味はなく、それどころか犬の幻影に取り憑かれ、深閑としたなかに響く「くう、くう」という音が恐ろしく物悲しく心に刻まれます。
「小さい家庭」「心の遊離」「宇宙の一部」(『第二愛の詩集』より)
――暴風の来る前/犬はきつと荒くなつて毛並を立てた/そして動物的な猜疑に燃えてゐるやうであつた/……
短篇「結婚者の手記」に関わる内容の詩を抜粋。
「四月の日記(抜粋)」
――藤沢清造君が来て「縞の財布に五十両入れて貸せ。」という。「結婚者の手記」のF君に細君の羽織を貸してやった位だから、まさかおれに貸されないとは言えまいと……
同じく内容に関わる日記を抜粋。
「第二章 友について 芥川君について」
「彼と我」
――我は何者かと我が有てるものを交換せり。/その者は長き髪を垂れ/暗夜とともに没し行けり。/……
「最後の清浄さ」
「犀星随筆(抄)『芥川全集』」
「晴朗の人」
「龍氏詩篇 御使よりも先に/旅人に寄せてうたへる/会へないのか?」
――或日暁方よりも早く/御使は下りてこられ/庭の石の上に立たれたのであらう、/……
「金沢に於ける芥川龍之介」
長い髪を額に垂らしたり舌を出したりして女中を吃驚させる芥川がお茶目です。この文章にかぎらずこの章には、長身痩躯、顔色が悪く前歯のない芥川の姿が生き生きとして描かれていました。
「古典的史材(芥川君の作品)」
「日記」「続軽井沢日録(昭和二年)」「続馬込日記」「書簡」
「澄江堂忌」
「悪文」
――このあいだ森茉莉さんが室生犀星論を書かれているなかに、室生犀星がもし発狂したらと書いてあった。芥川君は小説も人物も共にすんでいて発狂分子など少しも見せていなかった、その人がそういう不安をもっていたことが恐ろしい。
犀星から見た芥川は、澄江堂という雅号に相応しい澄んだ人だったようです。翻って自分の文章のことを「(森茉莉は)僕の書くちょっと意味の取りにくいところに意味を含んだ、そういう悪文のなかに精神的異常をかぎだされたのかもしれない。」と書かれてあって、当たり前ですがあの悪文は自覚的なものだったのだなあと納得しました。
「深夜の人」
――雨があがると虹が立った。群衆は一どきに列をすすめた。「虹なんぞ見たって仕様があるまい。」死んだ小説家が僕とならんで、愚かなることよというような顔をした。群衆が感極まって声をあげた。僕らも慌ててそらを仰ぎ見たが、一頭の龍が下界に向って下りてくるのを眺めた。
短篇小説。季節や事情は明記されていませんが、彼岸の季節に還って来た死者たちの行列を思わせるような、幻想的な作品です。作り物の龍に導かれるようにのみこまれる人々は、あの世に還って逝く死者たちなのでしょうかそうではないのでしょうか。
「第三章 生について 死について」
「ふるさと」
――けふ烈しきこころをもて/ひとびとふるさとに行かむとす。/……
「日録」
「見聞三日」
――地震のさいちゅうに蝉が啼いていたのが、まだ耳の底に残っている。たまごの黄味のような太陽が火の手のそらに懸って暴風に揉まれた樹から蝉が啼いているのを私は全く再度と聞きたくない、――。
上に引用した冒頭の文章などは震災の現実を詩人らしい感性で記したものですが、ほかにも体験したものならではの生々しい記述が目に留まります。
「子供はあまり恐がっていなかった。(中略)大人のあわてたり恐がっていたりしているのを眺め、そして自分もあんなに恐がらなければならないのかという気もいでいたらしい。」「(六つか八つくらいのとき)杏の樹のなかほどへ攀じ登って地震と一しょに杏の樹をゆすっていたように覚えている。」
「隅田川へ飛び込んで折からの蒸気船眼がけて泳いだが、川のまんなかに火風にあぶられた龍巻きのような渦巻ができていて、大がいの人はそれに捲き込まれて了った。」
「雑感」
「切なき思ひぞ知る」「標準」「僕は考へただけでも」「ボロボロになる」
――死んでみやうと戯談に考へただけでも、/身軽に明るいところに出られる。/この世は死ねない約束づくめだ、/僕らを趁ひ詰めてばかりゐる。/……(「僕は考へただけでも」より)
「母を思うの記」
「作家生活の危期」