『鹿の王 水底の橋』上橋菜穂子(角川文庫)
『鹿の王』の続編です。とは言っても片方の主人公であったヴァンやサエたちは登場せず、ホッサルとミラルたちの話になります。
前作で結局は袂を分かったかと思われた清心教祭司医の真那とは、その後も良好な関係を築き続けていたらしく、ミラルの許を訪れてホッサルに嫉妬されるまでになっていました。前作でも絵に描いたような主人公だったヴァンと比べて意外と聖人君子でも何でもないところのあったホッサルでしたが、本書ではさらにやたらと人間くさくて幼稚なところが露わになっていました。
難病に苦しむ真那の姪を診るため、真那の父親が治める清心教ゆかりの地・安房那領を訪れることになったホッサルたちに、与多瑠は次期皇帝候補を巡る陰謀に気をつけるよう忠告するのでした。
のっけから奥仕えのスパイが登場してきな臭さが漂います。このカオラ、冒頭では次期幹部候補のような描かれ方だったのに、道中で身体を張った登場を果たしてびっくりしました。そのカオラに偉そうなことを言っていた男スパイがフェイドアウトしてしまうのが気になりました。ただのモブだったのでしょうか。
安房那領に着いたホッサルや真那たちは、患者を巡ってオタワル医術と清心教医術談義に花を咲かせます。ここらへんは友情というか師弟関係というか、わりあいゆったりと読めるひとときの安穏でした。
そこから叔父による誤診、治療法の探求――急転直下に清心教医術ルーツの地・花部を目指します。俄然引き込まれたところで次々と明らかになる、清心教医術の秘密の数々。祖父の企みによる縁談。さまざまな試練が、増水した川水で怪我をしたホッサルを襲います。まさに踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂。
清心教医術のルーツの秘密は、返す刀でオタワル医術をも切り伏せます。立場的にはホッサルは政治家研究家たるべきだと個人的には思いますが、なまじ臨床の才能があるのなら目の前の命を救いたいと考えるのも当然のことでしょう。陰謀家でもあるリムエッルがどこまで自覚して行動していたのかが気になるところです。
ひとつのことがきっかけで急進派がみるみる勢力を拡大してゆくさまは、現実の歴史でも多々あることですが、良かれと思ったことが良い方向に進まないのにはやはりやるせないものがあります。
やがて安房那領に諸侯が集い〈鳴き合わせ、詩合わせ〉が始まったところで事件が起こります。
前作でも複数の思惑が絡まっていましたが、本書はさらに複雑になっていました。次期皇帝候補、清心教領主、オタワル医、それぞれが生き残りを賭けて陰謀を巡らし、それぞれが糾弾し始めるので、何が真実で誰が引いた図面なのか、最後にならないとよくわかりません。ちょっと複雑すぎるとは思いますが、よくまあ三つの図面がきちんと重なる物語を作りあげられたものだと、著者の苦労がしのばれます。
結局のところ、みんな身内の命が大事なんですよね。
伝説の病・黒狼熱大流行の危機が去った東乎瑠帝国では、次の皇帝の座を巡る争いが勃発。そんな中、オタワルの天才医術師ホッサルは、祭司医の真那に誘われて恋人のミラルと清心教医術発祥の地・安房那領を訪れていた。そこで清心教医術の驚くべき歴史を知るが、同じころ安房那領で皇帝候補のひとりの暗殺未遂事件が起こる。様々な思惑にからめとられ、ホッサルは次期皇帝争いに巻き込まれていく。『鹿の王』、その先の物語!(カバーあらすじ)
[amazon で見る]