『幻想と怪奇』12【イギリス女性作家怪談集 メアリー・シェリーにはじまる】

『幻想と怪奇』12【イギリス女性作家怪談集 メアリー・シェリーにはじまる】

「A Map of Nowhere 11:メアリー・シェリー「変化」のジェノヴァ」藤原ヨウコウ
 『新編怪奇幻想の文学1 怪物』より、とあります。よって今回は本文は無し。
 

「イギリス怪奇小説・女性作家名鑑」
 ヴァーノン・リーが女性作家だったと初めて知りました。デュ・モーリアがこのラインナップにいるのはちょっと意外です。
 

「死すべき運命の不死の者」メアリー・シェリー/金井真弓訳The Mortal Immortal,Mary Shelley,1833)★★★☆☆
 ――一八三三年七月十六日、わたしは生まれてから三百二十三年を迎えた。当時、わたしはコルネリウス・アグリッパに師事していた。若く非常に貧しかったわたしは、ある恋に身も心も捧げていた。だがわたしはベルタとの結婚を望めないほど貧しかった。それから一年が過ぎ、わたしは金を蓄えていたが、師匠の仕事が忙しくベルタとはなかなか会えなくなった。ベルタには会えない男よりはほかの男と結婚したほうがましだと明言されてしまった。師匠の研究の完成が近づいていた。わたしは師匠の目を盗んで、惚れ心を治すという霊薬を口にした。途端にわたしは恍惚状態に陥り、ベルタに無関心になるどころか崇拝していた。「おまえに台なしにされたあの薬は――恋の病やあらゆるものの治療薬なのだ――不死の霊薬なのだよ」師匠はそう言って事切れた。

 不死者の苦しみからさらに一歩踏み込み、不死なのか長寿なのかが宙ぶらりんという状態を作りあげているところに工夫が見られます。一抹の希望が数百年後に絶望に変わる可能性もあり得ることを考えると、恐ろしいリドル・ストーリーでもあるのでしょう。
 

「隅の影」メアリー・E・ブラッドン/夏来健次(The Shadow in the Corner,Mary E. Braddon,1879)★★★☆☆
 ――野ノ花屋敷には当代のマイケル・バスコムと使用人のスケッグ夫妻が暮らしていた。マイケルが屋敷に移り住んでから三十二年が経ち、使用人もすっかり年老いた。スケッグの妻を手伝ってくれる小間使いが必要だった。だがマイケルの大伯父であるかつての当主アンソニー・バスコムがこの屋敷で自ら命を絶ったことから、幽霊に憑かれていると噂されている現状では、屋敷で働こうとする娘などいなかった。そこでスケッグが見つけてきたのが、地元の者ではない孤児だった。痩せた小柄なその娘には、屋根裏部屋をあてがった。アンソニーが命を絶った部屋だとは知らせずに。娘が屋敷に来て一週間、唇から色が失せ、目にも怯えが浮かんでいた。「なにがあった?」「夜中に目が覚めると、部屋の隅に、ひとつの影が――」

 怪異や恐怖というよりも、すべてが終わってみれば、慣れない環境に身を置いた若い娘の不安定な心やはっきりとはしない不安を描いた作品だったと言えそうです。科学者本人は割り切って怪異を切り捨てることが出来ても、そうは出来ないタイプの人間もいるのだということに、悲劇が起きるまで気づけませんでした。
 

「あれは錯覚だったのか?」アメリア・B・エドワーズ/伊東晶子訳(Was It an Illusion?,Amelia B. Edwards,1881)★★☆☆☆
 ――これは十数年前、私自身にふりかかった出来事である。そのころ私は勅命視学官の職についていた。ピット・エンドという田舎へ視察に行く途中、日が傾き、霧が出てきて、道に迷いかけていた。そこに霧の中から左足を引きずった男が現れるのを見て声をかけたが、まったく反応のないまま通り過ぎた。私は男を追おうと振り返り、立ちすくんでしまった。釣り竿を肩にかけた少年が、私が来たばかりの道を向こうに歩いていく。少年とすれ違ってなどいない。夢を見ているのだろうか。何とか宿にたどり着き、翌日には学校の査察に出かけた。現れた校長の顔を見ると、昨日の男だった。だが校長は昨夜は出かけてもいないと言う。校長と話しているうち、校舎の壁に生徒のものらしい影が一瞬だけ映った。すると校長はおどおどとし始めた。

 校長と少年のあいだに何かあったらしいことはわかりますが、盛り上がる間もなく唐突に死体が見つかり真相が明らかになってしまいます。校長が甥(実は私生児)に拷問していたというところだけ生々しいというか、全体から浮いていました。すでに死んでいたとするとあの少年の姿は錯覚だったのか?という今さらながらのオチで幕が閉じられます。
 

「胡桃屋敷」シャーロット・リデル/岩田佳代子訳(Walnut-Tree House,Charlotte Riddell,1882)★★★☆☆
 ――精神病院から出てこなかった主人が亡くなって忘れ去られた屋敷に、所有権を手にした新たな主人がやってきた。ミスター・ステイントンは屋敷に泊まるつもりだったが、弁護士事務所からはホテルに泊まるよう促された。どうやら屋敷には幽霊が出るらしく、何年も放置されていたのもそれが理由だった。屋敷に泊まると、警告された通りどこからともなく子どもが姿を見せた。翌日、弁護士を訪れて話を聞くと、先々代のミスター・フィーリクスが亡くなると、女の子は親戚に引き取られ、男の子は亡くなったという。フィーリクスの死後には甥のアルフレッド・ステイントンが跡を継いだが、精神に異常をきたした末に亡くなった。フィーリクスは遺言で子どもたちに遺産を残していたはずだが、作った遺言書はいまだに見つかっていない。アフルレッドは子どもたちの死を願っていたのだろう。自ら手を下すまではいかなくとも。ミスター・ステイントンは引き取られたという娘に会いに行くことにした。

 別名J・H・リデル夫人。遺産や愛憎おぞましい幽霊屋敷ものであるらしく始まりながら、少年が屋敷を歩き回っている理由が判明するやジェントル・ゴースト・ストーリーであることが明らかになるように、恐怖と愛情を出し入れする手つきが意外と上手です。というか、どちらも幽霊であることに代わりはないのだから、受け手の気持ち次第ではあるのでしょう。
 

「二〇二二年、メアリー・シェリーの受容(需要)」市川純
 元メアリー・シェリーの研究者だが反応と実りが少ないために『アリス』に鞍替えしたという著者が、日本でのメアリー・シェリー受容についてものする愚痴が大半を占めています。
 

「擦り切れた絹布」マージョリー・ボウエン/平戸懐古訳(Scoured Silk,Marjorie Bowen,1918)★★★★☆
 ――ハンフリー・オーフォードは変わった人物だった。地域の娯楽行事に参加せず、学問に没頭していた。屋敷に来て数週間で、病がちな妻は亡くなってしまい、聖ポール大聖堂に埋葬された。だがそれも二十年前のことだ。そのころのこどもがすっかり成長し、イライザ・ミンデン嬢になっていた。そしてもうすぐオーフォード氏の二番目の妻になる。婚約期間も何事もなく過ぎつつあったある日のこと、オーフォード氏がイライザを散歩に連れ出した。「妻のフローラが埋葬されている場所を見せないのだ」。それが事件の始まりを告げることになる。「きみの足元に埋葬されていて、もし彼女が起き上がって手を伸ばしてきたら、きみのドレスを摑むこともできる」。その言葉にイライザは身震いした。「恐れることはない。彼女は死んでいるんだ。ほんとうに邪悪なひとだった」。イライザはふとこの結婚に疑念を持った。イライザは従兄のホーア大尉に付き添ってもらい、オーフォード家の家政婦にフローラのことを聞きに訪ねた。

 おかしいのは夫なのか前妻なのか、怪異の正体は何なのか、真実をなかなか摑ませないまま不安だけが募ってゆくところはさすがの手練れです。どちらも問題のある夫と前妻のあいだに起こった確執【※ネタバレ*1】は、そこから派生する幽霊譚としてそれだけで終わっても充分に怪奇小説として成り立っていたでしょう。けれどボウエンは凡百のゴースト・ストーリーのままでは終わらせませんでした。人を邪悪と評するのは、相手が本当に邪悪だった場合のほか、評する側に相当の恨みがあった場合もあるわけですが、それにしても【ネタバレ*2】という常軌を逸したイカレ具合には戦慄を禁じ得ません。
 

「彼奴《セルイ・ラ》」エレノア・スコット/渦巻栗訳(Celui-Là,Eleanor Scott,1929)★★★☆☆
 ――マドックスはフォスター医師の勧めで、ブルターニュで三、四週間、静かに過ごすことにした。お世話になる教区司祭ヴェティールは温厚で親しみやすい人物だった。ある日、いつもより遠くまで散歩に出かけ、不安を覚えた。そのなにものかは五十ヤードほど先にいた。頭巾めいたものをかぶって、両腕をふりまわしたり、くねらせたりしている。それから突然、犬の遠吠えのような叫びをあげた。次にそのなにものかは渚にうずくまって砂をかきまわしている。マドックスは大きな蝦蟇を連想した。「まるで厚さがないみたいだった――」あれがうずくまっていた場所に行ってみると、容器が見つかった。夕食を終えてくつろいでいるとき、マドックスはヴェティール神父に宵の出来事を話しはじめた。容器の中からは羊皮紙が出てきた。マドックスが夢中になってそのラテン語を解読しようとしていると、神父が怯えた声をあげて止めた。「これは召喚のまじないです――呼び出してしまうのです、彼奴を」「悪魔のことですか?」「地元の人間はあれに名前をつけず、ただ彼奴と呼んでいます」

 幻想小説的な不気味さと生理的なおぞましさを併せ持つのが持ち味で、結局のところ何だったのかはっきりとはわからないのですが、触らず見て見ぬふりをして共存しているかのような怪異が風変わりでした。
 

「ウィッティントンの猫」エレノア・スミス/熊井ひろ美訳(Whittington's Cat,Lady Eleanor Smith,1934)★☆☆☆☆
 ――マーティンという名の若い男が、ほぼ毎晩、地元のパントマイムを独りで観に行っていた。パントマイムの本を執筆する予定だったのだ。そして現在、無一文の若者が飼い猫のおかげで大金持ちになる『ディック・ウィッティントン』を観ていた。猫が観客の誰かをからかうのが恒例となっていたが、それが今回はマーティンだった。地元の有名人である彼にとって、このあざけりは耐えられなかった。その夜、彼は猫の夢を見た。古い友人である医師と昼食をとっていたところ、医師の飼い猫が膝に飛び乗り、マーティンは恐怖のあまり猫を放り出してしまった。マーティンは夜になるとそれでもパントマイムを観に出かけた。今夜も猫が登場する。次の瞬間、マーティンの意志は黒い波のように速やかに移動して、猫の中に入り込んでいた。

 怪異というよりはコメディのようでもありますが、よくわかりません。
 

「二百年後のメアリー・シェリー」斜線堂有紀
 女性作家という立場から、メアリー・シェリーの時代と二百年後の現代の違いと変わらぬ苦労が語られています。
 

「青銅の扉事件」マージェリー・ローレンス/田村美佐子訳(The Case of the Bronze Door,Margery Lawrence,1945)
 オカルト探偵ものなのでパス。
 

「秘密の池」ダフネ・デュ・モーリア/植草昌実訳(The Pool,Dame Daphne du Maurier,1959)★★★★☆
 ――庭は見るたびに驚きに満ちている。自分たちがいないあいだ、ずっと驚きをとっておいてくれるのだ。この庭が待っていてくれるのは、デボラだけが知っている奇蹟だ。世界には草と砂とどちらが多いかロジャーと議論したことがあった。おばあちゃんに尋ねると、「砂粒は数えきれないでしょう」と言われたけれど、結果はもうどうでもいい。風になびく草のほうが少なくてよかった。「これからどうする?」ロジャーに尋ねられて、デボラは一人でいたかったが、夏休みの最初の晩にそう言ってしまったら、弟がかわいそうな気がした。「果樹園に行ってみない? でもその前にみんなに挨拶しておかないと」「一緒に行く?」「一人でできるようにならなくちゃ」。ロジャーが行ってしまうと、デボラは森に向かい、足音をひそめて小道を池に向かう。聖なる場所に入る前には罪をつぐなわなければならない。胸の前で腕を組み、目を閉じて靴を脱いだ。そしてひざまずき、額を三度、地面につけた。デボラは捧げ物を用意してきた。幸運のお守りとしてポケットに入れていた鉛筆だ。

 邦訳版『破局』からは洩れた作品の一つ。弟と遊ぶのも祖母や祖父と暮らすのも我慢がならないのではないし、みずみずしい感性で生きることを存分に楽しんでもいるけれど、ふと単調な日常の間隙に嵌まり込む瞬間というのはデボラならずとも誰にでもあることです。少女は半醒半睡のままあちらの世界に片足を突っ込んでゆくのですが、その夢のなかにいるような(あるいは水のなかにいるような)、全篇を覆う夢うつつ感に、息苦しさと心地よさの混じり合ったような心持ちを感じます。
 

「彫刻家の天使――愛の奇跡の物語」マリー・コレリ/圷香織訳(The Sculptor's Angel: The Story of a Love-Miracle,Marie Coreli,1913)★★☆☆☆
 ――「空のまま残っている教会の壁龕を平和と祝福の天使で埋めるという崇高な仕事を、おまえにまかせたい」という修道院長の言葉を、従順に押し黙ったまま聞いているのは修道士のアンセルムスだ。修道院長が礼拝堂を出ると、アンセルムスは絶望になすすべなしという様子で十字架の前に身を投げ出した。「神よ、どうかお慈悲を! 罪の重荷を、この魂から取り除いてください!」アンセルムスは少年時代から大彫刻家のもとで学んだが、より崇高なものに対する信仰と高揚に打たれ、神への奉仕に自らを捧げたのだった。だが村のあちこちに派遣されるなか、すべての男が落ちる運命に見舞われた――恋に出会ってしまったのだ。ふたりは密会を重ねたが、やがてアンセルムスは背徳的な行為に耐えがたくなり、娘に別れを告げた。「きみがわたしを誘惑したんだ――わたしではない」。娘は何も言わず去り、その週、溺れているのが見つかった。

 男が見た都合のいい夢みたいな話を、女性作家特集のトリに持ってくる意図がわかりません。娘から許されたという幻視だけでなく、娘の愛と神の愛を重ねるに至っては、二重に都合がよすぎるでしょう。ただ、孫娘の死を信じようとしない祖母の、必死の訴えは胸を打ちました。
 

「カーター、ウィンターソン、キャリントン――忘れがたき女性作家たち」牧眞司
 アンジェラ・カーター『魔法の玩具店』を、かつて牧氏が「レイ・ブラッドベリ『何かが道をやってくる』やトルーマン・カポーティ『遠い声遠い部屋』と並べて紹介して」いたという点でも惹かれますが、同じ『魔法の玩具店』を田嶋陽子氏が評論で、「『鳥』を性的/自由の二重メタファーとして作中に見出すのだが、ただメタファー探しにとどまらず、その『鳥』がプロットやテーマに則して変奏されてゆくさまを追」っているというのも面白そうです。
 

「《Le Forum du Roman Fantastique》」

「海を纏う」S・チョウイー・ルウ〔陸秋逸〕/勝山海百合訳(Spiling Salt Into the Sea,S. Qiouyi Lu,2021)

「ペストの死者――或るハンガリーの伝説」ジョン・ハーマン・メリヴェール/市井純訳(The Dead Men of Pest, A Hungarian Legend,John Herman Merivale,1807)
 「吸血鬼を扱った最初期の英詩」とのこと。旧字旧仮名が用いられているだけで、訳文自体は古風でも何でもないのが中途半端です。

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*1 妻の浮気と、夫から間男への復讐

*2 二十年にわたる監禁と拷問

*3 


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