『カルパチアの城』ジュール・ヴェルヌ/安東次男訳(集英社文庫)★★★☆☆

 『Le Château des Carpathes』Jules Verne,1892年。

 ヴェルヌ作品のなかでもかなり異色の作品です。

 誰も住んでいないはずの城から煙が立ちのぼっていたことから、勇敢な林務官ニック・デックと臆病なパタク医師が確認しに行こうとした直後、「城には行くな。さもなくば不幸がふりかかるだろう」という声がどこからともなく聞こえてきました。

 動かなくなる足、触れられもせず塀から落とされるニック、ムードこそ足りませんが怪奇色は充分です。

 怪奇ムードがいよいよ色濃くなるのは、新たな登場人物が現れてからでした。旅の途中のフランツ・ド・テレク伯爵は、村で起こった奇妙な事件と城の持ち主の名を聞いて唖然とします。ロドルフ・ド・ゴルツ男爵。かつて一人の歌姫をめぐってライバル関係にあった男でした。

 かつて歌姫ラ・スティラは、テレク伯爵のプロポーズを受け入れた直後、舞台上で不幸な死に見舞われます。それ以来、ゴルツ男爵と発明家のオルファニクの姿を見た者はいませんでした。

 興味を惹かれたテレク伯爵の前に、死んだはずの歌姫の歌と姿が現れます。ところが歌姫は気が触れてでもいるかのように呼びかけても応えません。

 人知れぬ山奥で、歌う狂気の美女。このイメージが鮮烈で、この作品をとりわけ印象深いものにしていました。何よりも愛しているものを独り占めしたい――ゴルツ男爵の哀しい想いが生み出した幻想でした。種明かしが現在の目から見ればアナログなだけに、古い映画を見ているような、いっそうのもの悲しさを誘いました。

 遠眼鏡から始まり、機械仕掛けと恋には、ホフマン「砂男」をちょっとだけ連想しました。

 吸血鬼伝承の残るトランシルヴァニアのカルパチア山中、無人のはずのゴルツ男爵家の古城から立ち昇る一筋の黒煙。このときから奇怪な事件が相継ぎ、村人たちは脅える。謎の解明に乗り出したテレク伯爵にとって、ゴルツは、ヨーロッパ一の歌姫ラ・スティラを巡る因縁の相手だった。だが、城へ赴いたテレクの前には、五年前に死んだはずのラ・スティラの姿と歌声が……。ヴェルヌ随一の伝奇ロマン。(カバーあらすじ)
 

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『神の守り人 (上)来訪編・(下)帰還編』上橋菜穂子(新潮文庫)★★★☆☆

 守り人シリーズ初めての前・後編です。

 バルサがたまたま助けた少女が、体内に「神」を宿す血筋だったことから、刺客に追われることになります。何しろ多勢に無勢、本書のバルサは(特に後半は)押され気味で、これまでのような活躍を期待するとやや消化不良でした。元来が用心棒なのですから守ってなんぼなのですが、陰謀や機略にバルサが自分から踏み込んでゆくということはなく、終始用心棒に留まっていました。

 女用心棒バルサは逡巡の末、人買いの手から幼い兄妹を助けてしまう。ふたりには恐ろしい秘密が隠されていた。ロタ王国を揺るがす力を秘めた少女アスラを巡り、“猟犬”と呼ばれる呪術師たちが動き出す。タンダの身を案じながらも、アスラを守って逃げるバルサ。追いすがる“猟犬”たち。バルサは幼い頃から培った逃亡の技と経験を頼りに、陰謀と裏切りの闇の中をひたすら駆け抜ける。(上巻カバーあらすじ)
 

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神の守り人(上) 来訪編  下神の守り人(下) 帰還編 

『11枚のとらんぷ』泡坂妻夫(角川文庫)★★★☆☆

 泡坂氏の長篇は、奇想に溢れる短篇と比べると、手堅いという印象を持ちます。本書にしてもそれは例外ではありませんでした。

 公民館でのアマチュア奇術ショウで披露される十一の奇術に加えて、作中人物の著述『11枚のとらんぷ』に書かれた十一の奇術、という大盤振る舞いは、確かにトリッキーなものを求める好奇心を満足させてくれます。作中作『11枚のとらんぷ』になぞらえられた(連続)殺人事件、しかも関係者には完璧なアリバイがある、という趣向には、謎解きミステリを愛する心をくすぐられます。

 けれど犯人特定の手順は手堅く古典的なもので、普通のミステリであれば◎でも泡坂印だと思うと物足りなさを感じてしまったのは否めません。

 作中作のなかでは、『しあわせの書』のような凝った小道具の登場する第十話「レコードの中の予言者」、逆転の発想が光る第六話「砂と磁石」、錯覚と見せ方にうまく鳥を絡めた第四話「九官鳥の透視術」等を面白く感じました。第一話「新会員のために」と第七話「バラのタンゴ」は、『KAWADE夢ムック 泡坂妻夫 からくりを愛した男』に、奇術誌に発表された原型短篇「ハートの2」と「クラブの4」が掲載されていました。

 真敷市立公民館で開かれた奇術ショウ。〈袋の中の美女〉という演目の直前、袋から出てくるはずの水田志摩子が、姿を消した。「私の人生でも最も大切なドラマが起こりかかっている」という言葉を遺して――。同時刻、自室で発見された彼女の屍体、その周囲には不可解な品物の数数が。同じ奇術クラブに属する鹿川は、これは自分が書いた小説「11枚のとらんぷ」に対応していると、警察に力説した――。奇術トリックの最高傑作!(カバーあらすじ)
 

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「凡天」倫の助、「さよなら、ホームラン」松田中大地(『good!アフタヌーン』2020年1月号)、「ハコヅメ出向編」(『警察公論』2020年01月号)

good!アフタヌーン』2020年1月号(講談社

亜人」74.5「フラッド2」桜井画門
 今回はあまり話に進展がありません。
 

「さよなら、ホームラン」松田中大地
 ――怪我をした野球選手ウオズミは、行方不明になった幼なじみの投手トリカイのことを案じながら、少年野球時代の監督カンバァの店で働くことになった。カンバァの店にはアキというコントロールの上手い少女が住んでいた。

 四季賞新人戦第12回作品。画風や作風が松本大洋とか、そっち系の絵ですね。いい話なのですが、一昔前という感じもします。
 

「凡天」倫の助
 ――高校一年バスケ部部長の大江修一朗は誰よりも練習を重ねながらも、とてつもなくバスケが下手だった。それに引き替え副部長の夏目は長身でバスケも上手く女性徒にもモテる天才だった。

 萩尾望都特別賞受賞作。これだけ描いといて、結局最後は精神論かよ、くだらない。――と思ってしまいました。
 

『警察公論』2020年01月号(立花書房)
 「ハコヅメ出向編」として、2ページの試験対策漫画が掲載されています。漫画自体はおまけ漫画的な扱いですが、著者の泰三子と警察幹部の対談(前編)が5ページ掲載されていて、県警警察官とキャリアそれぞれの立場から裏話的なことが聞けます。付録参考書のせいでやたらと値段が高いです。

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『バタフライ和文タイプ事務所 日本文学100年の名作 第10巻2004-2013』(新潮文庫)★★★★☆

「バタフライ和文タイプ事務所」小川洋子(2004)★★★★★
 ――学会シーズンを迎えて、事務所は忙しくなってきました。私以外のタイピストは二十年以上のベテランです。その日、糜爛の糜の活字が欠けてしまいました。「活字管理人に新しいのを出してもらいなさい」と所長は言いました。

 活字管理人の活字に対する愛情と指づかい(と声)が、語り手を通してエロティックに変換されていました。活字管理人との交流はおろか和文タイプ事務所という存在からして今となっては明らかな非日常であるにもかかわらず、まるでありふれた日常のように淡々と静かに流れてゆく文章が、うっとりするほど心地よいです。
 

「アンポス・ムンドス」桐野夏生(2004)★★★★★
 ――夏休みに生徒が崖から落ちたとき、担任と教頭が一緒に海外旅行に行っていて連絡が取れなかったというあの事件です。私の受け持ちだった五年生のクラスは、女子の陰口によるいじめがひどく、私には手に余ったため、見て見ぬふりをしていました。崖から落ちたのはいじめのボス格の女の子でした。

 アンファン・テリブルによる恐ろしい行為――を描いただけの作品であれば、さほど驚くに当たりません。少女の死に対する異様な接し方は、当事者たちだけに留まらず、クラスメイトや周囲の大人たちの無関心、そうでなければワイドショー的な距離感という形を取って描かれます。常識を揺さぶられるようなそうした事情のあとに明かされる、巨大な操りには、ただただ呆然とするしかありません。
 

「風来温泉」吉田修一(2005)★★★★★
 ――いつのころからか、友人や親戚に会うこと自体が目的ではなく、保険に入ってもらえないかという気持ちが強くなっていた。妻の誘いも何度も断ってきた。今、恭介が駅から乗ったホテルのシャトルバスに、もう若くはない女が一人で乗ってきた。

 保険の外交員という他人から嫌われる職業に、結局のところは負い目を感じていたのでしょう。プライドがあるがゆえにそれを認めず収入という言い訳を自分に言い聞かせていても、無理はできないもので遂にはそれが一気に噴出してしまいます。悲しいのは、堰が切れてからも変わらずに保険の外交をしようとしているところです。
 

朝顔伊集院静(2005)★★★★☆
 ――朝顔の夢を見た。脳梗塞を患ってから、龍三郎は少年の頃の夢を見るようになった。母を追い出した祖母が憎かった。祖母が大切に育てていた朝顔をらっぱのようにパンと鳴らしたものだった。それから、朝顔が爆ぜるような音が聞こえるようになった。

 音の記憶から少年時代の封印された記憶が甦って来ます。ショッキングなその記憶は、けれどそこから「その後の幸せ」へと連想の糸が紡がれ、母そして祖母の人となりが再確認されます。大人になって改めて思い返した祖母の人柄は、とても優しいものでした。母や祖母のような、矜恃を持ってたくましく生きる人々のかっこよさに触れられました。
 

「かたつむり注意報」恩田陸(2006)★★★☆☆
 ――誰かが店のドアを開け叫んだ。主人から話しかけられたが、この国の言葉はわからない。「今夜はここを出るな、と言ってるんですわ」隣の席に一人で座っていた女が教えてくれた。「かたつむり注意報が出た、と言っています」

 ユーモラスなタイトルを裏切る、幻想的な大かたつむり。語り伝えられる姿は神々しいほどです。
 

「冬の一等星」三浦しをん(2006)★★★★☆
 ――私は車の後部座席で眠るのが好きだ。夢を見られるし、懐かしい記憶を呼び起こされるから。私が誘拐されたのは、八歳の冬のことだった。文蔵には誘拐するつもりなどなかったはずだ。後部座席で寝ていた私が、振動に目を覚ますと、車はいつのまにか走りだしていた。

 死地へ赴く若者と、はからずも誘拐されてしまった少女の、一夜かぎりの縁。周りからは「変わってる」「変」と言われても、そんな二人だからこそ通じ合うところがあったのでしょう。星座と夢と匂いが過去への扉を開きます。
 

「くまちゃん」角田光代(2007)★★★★☆
 ――学生時代の友だちが集まる花見に参加していたその男の子がくまのトレーナーを着ていたので、苑子は「くまちゃん」と呼んだ。あとかたづけのあと、苑子の部屋に泊まったくまちゃんとの、奇妙な共同生活が始まった。くまちゃんは苑子に、学生のころの無責任な気分を思い出させてくれた。

 作中での表現を用いれば風の又三郎。けれどそんな上等なものではなく、単なる大人になりきれない若者です。けれど大人の世界に足を踏み入れたばかりの苑子には、かつての自分が失ってしまったものを持っているくまちゃんのことがまぶしく見えてしまうようです。後年、本当の意味で大人になった苑子は、くまちゃんをくまちゃんたらしめていた理由を知ることになります。それは本当に子どもっぽい、けれど純粋で真剣な理由でした。今の苑子にはそれを温かい目で懐かしむことのできる余裕がありました。
 

宵山姉妹」森見登美彦(2007)★★★★☆
 ――彼女と姉がバレエ教室を終えて帰路についていると、露店と群衆の熱気が充ちていた。姉は好奇心旺盛で、どこへでもずんずん入っていこうとする。笑いさざめきながら人混みを抜けていく女の子たちに見とれて、彼女は姉の手を離してしまった。途方に暮れていると、真っ赤な浴衣を着た女の子たちが寄ってきた。

 人でないものが往来する土地で、人でないものが出没する季節に、出会うべくして出会ってしまったようです。あまりにも日常と地続きなので、恐怖も幻想も覚えずについていってしまいたくなる気持もわかります。
 

「てのひら」木内昇(2008)★★★★★
 ――母が、上京する。母と会うのは二年ぶりだ。佳代子にとって母は特別な存在だった。その辺りには珍しい教養があったのが、幼い頃の佳代子には自慢だった。翌日銀座へ向かう車の中で、母は「こんな無駄遣いはいけないよ」と拝むような口調で言った。メニューを見ては「高いねえ」と言う。

 憧れと現実とのギャップ、誰に向けたものでもない自分に向けた見栄と劣等感、それが爆発する瞬間が、痛いほどにわかります。記憶のなかの母とは違う母親が現れるとっかかりとなる、母親がゲップをする何気ないシーンが印象的でした。
 

「春の蝶」道尾秀介(2008)★★★☆☆
 ――隣に住む牧川という老人の部屋に、泥棒が入ったらしい。玄関の内側には、パーカーを着た少女が立っていた。心理的な要因で耳が聞こえなくなった由希という少女を、きっかけを作った両親に代わって牧川が預かっているのだという。その母親が当てにしていた牧川の財産が盗まれた、ということだった。

 耳の聞こえない少女をめぐるささやかな謎。子どもばかりが負担を強いられていました。
 

「海へ」桜木紫乃(2009)★★★★☆
 ――千鶴の相手は五十代半ばの加藤という男だった。水産会社を経営しているという。その加藤から千鶴を囲いたいという話をもらった。「考えさせてください」。千鶴は以前勤めていた焼き肉店の常連客だった新聞記者くずれの健次郎と、風呂もないアパートで暮らしていた。

 駄目人間ばかりが集まり、駄目人間同士で傷を舐め合って、それでバランスが取れているのならいいのかもしれません。けれど約束を交わし合ったわけでもないそんな関係は、ちょっとしたきっかけで簡単にほころびてしまいました。千鶴にとって良い方に――だと信じたいです。
 

「トモスイ」高樹のぶ子(2009)★★★★☆
 ――ユヒラさんと夜釣りに出た。一度何かの折にキスしたことがあったが、ユヒラさんは男の匂いがしない。餌になるタマリンドを針に刺した。舟に上がったのを見たら、魚ではなく大きな貝の剥き身みたいなものだった。

 二人のあいだにも文体にも男と女の生臭さはないむしろ透明なところさえ感じさせるのに、描かれているのはエロチック、という不思議な魅力のある作品です。
 

「〆」山白朝子(2009)★★★☆☆
 ――茶屋で見かけた白い鶏を小豆と名づけて旅を続けた。山道をのぼっていたはずなのに、海に出た。「私の方向音痴のせいだ」と和泉蝋庵は言った。宿にしようと廃屋に入ると、何十人もから見られている気配がする。お茶のなかに人の顔がうつりこんだ。気づくとその村の動植物はどれも人の顔をしていた。

 再読。人の顔をしていたら食べられなくて、していなければ食べられるのか。それが本能的なものなのか、倫理や嫌悪に由来するのかはさておき、愛情のない人面と愛情を注いでいる動物のどちらを取るのか、残酷な決断とともに、我々が生きるという現実をつきつけられています。
 

「仁志野町の泥棒」辻村深月(2009)★★★★☆
 ――律子は隣町からやって来た。明るく器用で、「アイドルになりたい」と言っていた。律子と一番仲良くなったのは優美子だ。人気者の優美子と家が近いこともあって、私は三人で遊ぶようになった。「りっちゃん家のおばちゃん、泥棒なんだよ」。そんな噂を聞いたのは五年生になっていたときのことだ。

 転校を繰り返していた律子から見れば、ミチルのことはその他大勢であっても当然なのでしょう。決定的になりかけた場面も、未遂に終わったことで風化し、そういう意味ではあのときミチルが救っていたのかもしれません。
 

「ルックスライク」伊坂幸太郎(2013)★★★★☆
 ――笹野朱美は高齢の男の苦情をひたすら耐えていた。注文した料理と違ったという。謝るほど激昂してくる。そのとき若い男が声をかけてきた。「あの、こちらの方がどなたの娘さんかご存じの上で、怒ってらっしゃるんですか」

 思わずニヤリとするような出会いと、自転車の駐輪無視男が鮮やかに結びつき、最後も「見た目」と「like」で終わる演出が見事でした。
 

「神と増田喜十郎」絲山秋子(2013)★★★★☆
 ――増田喜十郎は市長になったタカちゃんから雑用のような仕事を頼まれるようになった。出張先で女装バーを訪れたのが、女装をはじめたきっかけだった。タカちゃんも死んでしまった。家に帰って化粧を落とし、弱く長い屁をもらす。「ああ、自由の証だ」

 何とも人を食ったことに、この作品には本当に「神」が登場します。ある局面ある人にとっての、そのときどきの「神」ではあるのだとしても。タカちゃんがマスダに惹かれたように、女装のグロテスクを自覚し屁を「自由の証」と称する増田には、どこか超然とした魅力があります。
 

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