『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』シェルドン・テイテルバウム&エマヌエル・ロテム編/中村融他訳(竹書房文庫)
『Zion's Fiction: A Treasury of Israeli Speculative Literature』Sheldon Teitelbaum and Emanuel Lottem ed.,2018年。
その名の通り、イスラエルSFのアンソロジーです。面白い作品はあったけれど突出したものはなく、この人のほかの作品も読みたい!とは感じませんでした。
「まえがき」ロバート・シルヴァーバーグ/中村融訳(Foreword,Robert Silverberg)
「オレンジ畑の香り」ラヴィ・ティドハー/小川隆訳(The Smell of Orange Groves,Lavie Tidhar,2011)★★☆☆☆
――ボリスは捨てていこうとした。家族の記憶を、〈威衛の愚行〉と呼んでいるものを。/鍾威衛は巫女に会いに来た。「架け橋がほしいのです。過去と未来のあいだにかかる橋です」「不死か」「子供たちにわたしのことを覚えていてほしいのです」/彼はミリアムのことを思った。いまはジョーンズおばさんと呼ばれている。世界は若く、二人は愛し合っていた。二人のあいだを裂いたのは、ただ生活だった。
好みの問題なのでしょうが、こういう自分たちの問題を勝手に押しつけられているような作品は読んでいてうんざりしてしまいます。あと、こういう家族の結びつきはユダヤや中国は日本より格段に強そうなのでピンと来ないところもあります。
「スロー族」ガイル・ハエヴェン/山田順子訳(The Slows,Gail Hareven,1999)★★★★☆
――保護地区を閉鎖するというニュースは最悪のものだ。スロー族の研究の進捗が損なわれる。オフィスのドアを開けると、スロー族の女がいた。未開人たちは許可を得ないと入れない。どうやって入ってきたのだろう? 「おはよう」警備兵を呼ぼうとは思わない。女はデスクのわきからなにかを持ちあげた。キャリーバッグで、なかに人間の幼体が寝ていた。「あなたたちはあかんぼうを奪わないと誓約した。協定が結ばれ、署名した」怒りと強い感情に満ちた口ぶりだ。「それは何世代も前のことだ」「子どもを奪わないで」「成長促進技術は短命にはならない。むしろすぐに成人してその後の長い人生を楽しめるんだ」
スロー族とはどうやら新人類から見た旧人類(今の人類)であるらしいのですが、種としては変わってはおらず、新しい技術を拒んで古いしきたりを守ろうとする少数民族のようです。為そうとする側にとっては疑うべくもない正義であるのが恐ろしいところです。どんなことであれ自分の側の常識に囚われていないか、襟を正します。
「アレキサンドリアを焼く」ケレン・ランズマン/山田順子訳(Burn Alexandria,Keren Landsman,2015)★★★★☆
――「5-7-20。接近して静止している」通話機の向こうでシルがいった。「侵入。もしくは侵略か――」わたしの目の前に、巨大な黒い球体がある。球体からは何の反応もない。自己消滅開始――衝撃と苦痛、無、再構築と覚醒。だが苦痛はやってこない。わたしとシルの背後で球体の外殻が閉じた。白いローブの女性が現れた。わたしは女性をスキャンした。人間。あるいはかぎりなく人間に近い模倣物。「主任司書のニュファー。アレキサンドリア第八版の」図書館には人類の歴史を網羅した記録の数々があるという。「三百年ごとに記録に必要な情報を集めています」
人類の叡智を集めた図書館と、人類を守り続けてきたロボット。なのに肝心の人類は【宇宙人によって滅ぼされていた】というのが第一の衝撃でした。図書館のワープ・フィールドのせいで宇宙人が襲来したため、それを阻止するために再びアレキサンドリア図書館を燃やすという、歴史をなぞるかのような火災の必然が秀逸でした。
「完璧な娘」ガイ・ハソン/中村融訳(The Perfect Girl,Guy Hasson,2005)★★★★☆
――新入生はいろいろと雑事がある。「アレクザンドラ・ワトスン?」「はい」「きみは……モルグだ」「モルグですか? でもここは超能力者のための学院で――」「人の心は死後も読めるんだ」あたしが最初のモルグの担当者だった。ベンディス教授の二日目の授業は、新しい遺体を使って被験者の精神を分析することだった。「ミズ・ワトスン、彼女の名前を知っていますか?」「ステファニー・レナルズです」「ミドル・ネームは?」「いいえ」「彼女に触れて、ミドル・ネームを教えてください。出発点を得るために、記憶のなかにすでに存在する場所を見つけなければなりません」――ステファニーはひとりですわって、昨日のことを考えている。マイクルとのキスのことを。
本書随一の長篇です。共感によって引きずられてしまうという、ある意味で古典的なテレパスの苦悩を描いた作品です。自分にコンプレックスを持っている女の子が、死体とはいえ完璧な美少女に興味を持ってしまうところに、思春期ものとしての上手さがありました。共感するあまりステファニーの両親にまで会いに行き完全に周りが見えなくなっている語り手に、当たり前の視野を取り戻す手助けをするパークス教授は、教師の鑑ですね。本当の物語はこれから始まるのだというような前向きな終わり方に救われます。
「星々の狩人」ナヴァ・セメル/市田泉訳(Hunter of Stars,Nava Semel,2009)★★☆☆☆
――すべての星の光が消えた夜、ぼくは生まれた。世界はその状態に慣れてしまった。何世紀ものあいだ、大気中に放出していた有毒ガスのせいで空気は透明じゃなくなって、今ではどんな星の光も通り抜けることはできない。ぼくはふだんからおじいちゃんにしつこく質問する。「星の見えたころの世界はどんなふうだったの?」
星が見えなくなった世界で星を愛する少年が、狩人オリオンになぞらえて星々の狩人になると宣言するのですが、あんまり上手いこと言えてると思えません。
「信心者たち」ニル・ヤニヴ/山岸真訳(The Believers,Nir Yaniv,2007)★★★☆☆
――食料雑貨店で老女の手からチーズが落ちる。カートの中身は戒律的に不適切だった。チーズが鶏もも肉パックにぶつかる。すさまじい音がして老女がまっ二つになる。誰もが知らんぷりしてうつむいたまま。/来週、機械との会合があり、わたしの人生を変えることになるだろう。すべて変えられたとき、わたしたちはついに、神を殺すことができるかもしれない。/青年が図書館で少女とぶつかる。少女が握りしめているのは小冊子『天使たちの夢』。その翌日、ふたりは青年のアパートにいる。少女は微笑み、二枚の白い翼を広げる。
旧約時代の怒れる神がなぜか突然復活してしまった世界で、神を信じず抵抗しようとする人々の話。バベルの塔が神への抵抗の象徴のように扱われているのが面白い。頭に機械をつけたら本当に翼が生えるとは思えないので、最後に不信心者たちがなった天使とは精神的な何かなのだろうけれど、それすらも神の怒りからは逃れられないようです。語り手だけが免れたのは、それ以前に天使と接触していたからなのか、決意の問題なのか、よくわかりません。
「可能性世界」エヤル・テレル/山岸真訳(Possibilitie,Eyal Teler,2003)★★☆☆☆
――その記憶は死ぬまでわたしにつきまとうだろう。五十年という歳月も消し去ることはできなかった。あの老人がわたしに殴打され崩れ落ちるようすを、いまでも思い浮かべられる。タイムマシン、レイがわたしをわたし自身に引きあわせたこと。あの日じっさいになにが起きたのか、二十年前に見つけようとしたことはある。占い師のセデフによれば、わたしは病院で死んだ。ではあの年寄りは?
レイ・ブラッドベリ「埋め合わせ」を通して実現した別の可能性世界。いかにもファンライターっぽいと感じるのは、プロ作家ではないという経歴を読んでしまったせいでしょうか。
「鏡」ロテム・バルヒン/安野玲訳(In the Mirror,Rotem Barchin,2007)★★★☆☆
――猫のミカが車に轢かれて死んだ。リロンに悲しい顔をさせたくない。わたしは覚悟した――鏡を割るしかない。初めて割ったのは十歳のとき、人形を壊してしまったあとだった。それから何か月かのあいだ、わたしは壊れていない人形を抱いて鏡を見つめて過ごした――わたしとは違う、別のダニエルを。そのダニエルはわたしとちがう高校に進み、看護学を勉強して、男の医者と結婚した。リロンと巡り会ってからは、ほかのダニエルたちをほとんど観察しなくなった。
鏡に映るもう一つの世界。パートナーとの幸せのため、鏡を割ることで現実を変えてきた語り手が、しっぺ返しを喰らいます。こちらから見ている状態が向こうから見られているようにも見えるという、鏡の特性を活かした結末でした。
「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」モルデハイ・サソン/中村融訳(The Stern-Gerlach Mice,Mordechai Sasson,1984)★★★☆☆
――どこかの生物物理学者が、生体組織に電子ビームを通過させたとき生じるシュテルン=ゲルラッハ効果を測定しようとした。脳に直接ビームを照射されたネズミの一群は、知能が増大し、研究室から脱走した。はじまりはぼくがおばあちゃんに会いにいったときだ。〈ブリキの物乞い〉があらわれた。眼窩から電線が垂れさがり、ナットが何本かなくなっている。「金属をめぐんでもらえないでしょうか」。おばあちゃんは錆びた釘をやり、「脚が痛くてさ。ゴミを捨ててもらえないかしら」。じつにおばあちゃんらしい。錆びた釘一本で奴隷にしてしまったのだ。「マダム、キッチンに巨大なネズミがいます」。ぼくがキッチンに行くと、ロバほどもあるネズミがいた。
文体からも内容からもパニックものではなく、コメディであることが窺えますが、正直なところイスラエルのユーモア感覚はわからないというほかありません。
「夜の似合う場所」サヴィヨン・リーブレヒト/安野玲訳(A Good Place for the Night,Savyon Lieberecht,2002)★★★★☆
――列車がいきなり揺れたときのことを、ジーラは今も思い出す。喫煙車両の扉をあけると、ついさっきまで起きていた人たちがみんな眠っていた。もう一人起きていた男は、「新手の事故ですかね。放射線が一気に撒き散らかされるような」と言った。辺りを調べるため家に足を踏み入れた途端、初めて竜巻を見た。五人の大人は死んでいたが、赤ん坊は生きていた。三人は家で暮らし始めた。駅まで行くと、老人を介抱している修道女がいた。ある日の朝には、自転車に乗ってポーランド人の男がやってきた。
終末とポスト人類に於いて避けては通れない問題を、避けずに描いた作品です。人間はこうした状況になったとき、実際に個人の尊厳よりも種としての継続を選ぶのでしょうか。
「エルサレムの死神」エレナ・ゴメル/市田泉訳(Death in Jerusalem,Elana Gomel,2017)★★★★☆
――モールは大学のカフェテリアでデイヴィッドと出会い、一週間毎日デートした。モールは三十五歳だった。友人はみな結婚して子供もいた。モールの部屋で、二人は服を脱いだ。「すまない。だけどぼくは死ねない。たとえ小さな死でも」「あなたは……」「ぼくは死神だ」。二週間後、披露宴には死神たちがやって来た。デイヴィッドの専門は射撃による死だった。ほかに〈疫病〉〈自殺〉〈飢饉〉……〈戦争〉は死神社会では高い地位にあるらしい。死神を引退したダニエルという小男が話しかけてきた。死神はもともと人間で、別の死神に殺されれば死神も死ぬ。
死に方ごとに分担が決まっていて死に方の流行り廃りもあるという設定がマンガチックでわかりやすく、死神が一堂に会する場面だったり、最古の死神が出てくるところだったりを読むと、なんだか楽しくなってしまいます。最後がちょっとご都合主義に感じられましたが、死と生の対比という意味では当然の結末ではあるのでしょうか。
「白いカーテン」ペサハ(パヴェル)・エマヌエル/山岸真訳(White Curtain,Pesakh (Pavel) Amnuel,2007)★★★☆☆
――十一年ぶりにオレグと再会した。「イリーナが去年死んだ。きみにはできる。きみは分枝どうしを結びつけて継合することができる」「ぼくはずっと試してきた。数百の現実のすべてでイラは死んでいた」「きみは分枝は無限だと……」「ディマ、ただしかったのはあなただということだ。分枝は有限だ。イラが生きている世界線はただの一本も存在しない」
平行世界有限説を採る語り手が、無限説を採るかつてのライバルに妻が生きている世界線を継合してほしいと頼むという、ドラマチックな展開です。学問だけではなく恋のライバルでもあったのだからなおのこと。本当に不可能なのかかつての意趣返しなのか、頼みは断られるものの実は……という趣向です。ベタといえばベタですが、恋のライバルでもあったという設定が活かされていました。
「男の夢」ヤエル・フルマン/市田泉訳(A Man's Dream,Yael Furman,2006)★★★☆☆
――「リナ!」ガリアはベッドから出ようとあがいたが、ヤイルを起こせるのはリナだけだ。「ヤイル!」リナの声にベッドのヤイルが身じろぎし、ガリアを包んでいた見えない障壁が消え失せた。「運転してたの。歩行者もいた」。幸い怪我人はいなかった。「どうしてあたしの夢ばかり見続けるの? しかも朝っぱらから寝てるってどういうつもり?」。ガリアが帰ったあと、ヤイルは言った。「また薬を試してみようかな」「こないだ死にかけたじゃない。人類の三十パーセントはあの薬にアレルギーがあるのよ」
夢に見たものを引き寄せてしまう夢見人という奇病が蔓延している社会で、なぜか特定の女の夢ばかり見て迷惑を掛けっぱなしな男が主人公です。「男の夢」というタイトルは、妻以外の女と――という願望への含みも持たせているのでしょうか。ガリアの言う通り、頼むからせて夜中に寝てくれと思わずにはいられませんが、最後まで傍迷惑な男でした。
「二分早く」グル・ショムロン/山岸真訳(Two Minuites Too Early,Gur Shomron,2003)★★☆☆☆
――配達が二分早すぎたことを除けば、その箱が世界パズル選手権の決勝戦出場者であるリントン家に届けられたのはおかしなことではなかった。全解答者は、立体模型の組み立て完了までに四十八時間が与えられる。世界記録二十時間五十五分七秒だ。隣家の六十代の紳士アルフレッドは、リントン・チームのコーチとマネージャーを務め、前年のコンテストで三兄妹が成功をおさめるのに多大な貢献をした。パイパーはリントン兄妹のコンパクト・コンピュータだ。時間との競争がはじまった。
配達が二分早かった理由と、新記録の達成者は――意外ではあるものの陳腐なものでした。追放されたマッド・サイエンティストがマッドな発明を完成させたようにしか思えないのですが、なぜかほっこり風味です。
「ろくでもない秋」ニタイ・ペレツ/植草昌実訳(My Crappy Autumn,Nitay Peretz,2005)★★☆☆☆
――「おはよう、イド。別れましょう」とオシャーが言った。「どうしたんだ」「話すことはない。もう終わりだから」。オシャーは出ていった。シフトを休んで馘首になった。突然ルームメイトのマックスの身に一大事が起きた。救急車が来たが、マックスが医師の体を撫でると疥癬の痕が消えた。何人かがマックスのお供についていくと言い出し、驢馬のトニーが歌い出した。
取り留めなくふざけ倒したような作品で、作者のノリについていけないときつい。
「立ち去らなくては」シモン・アダフ/植草昌実訳(They Had to Move,Simon Adaf,2008)★★★★☆
――母さんは日に日に弱っていく。とうとうアヴィヴァやノームとは何年も顔を合わせてないテヒラおばさんが家に来ることになった。レバノンとの戦争は終わったが、何も変わらなかった。おばさんの家に引っ越すことになった。家には本がたくさんあった。何が起きたのはアヴィヴァにはわからなかった。その日は裏庭で『ノーサンガー・アビー』を読んでいた。がっしりした体格の女の人が、体のあちこちに青あざのできた男の子を連れてきた。「あんたの弟がやったのよ」「ノームがどれだけ小柄かごらんなさい。一人で三人も相手にしたなんて信じられますか」「もう一人いたんだ」
メアリー・ポピンズ的なちょっと不思議なおばさんの話かと思いきや、複雑な家庭環境の子どもが異能を持っていたという話だとわかる意外性がありました。しかも異能があるのは願いを伝える本人ではないところにもうひとひねりが効いています。願いが叶うだとか逃避文学だとかいうファンタジーが、願ってもいない形で実現してしまう恐怖が、「立ち去らなくては」というタイトルに集約されています。
「イスラエルSFの歴史」シェルドン・テイテルバウム&エマヌエル・ロテム/中村融訳(Introduction,Sheldon Teitelbaum and Emanuel Lottem)
イスラエルSFの歴史というよりイスラエルの歴史であり、けれど本書収録作にはさほどこの序文の内容は響いていないように感じました。
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