『ミステリマガジン』2024年5月号No.764【シャーロック・ホームズを演じる】

『ミステリマガジン』2024年5月号No.764【シャーロック・ホームズを演じる】

 毎度毎度のホームズ特集ですが、今回は変化球で来ました。

「ノサカラボ 野坂実氏メール・インタヴュー」
 朗読劇というニッチなホームズ。
 

「サー・ヘンリー・バスカヴィル殺人事件」エリザベス・エルウッド/日暮雅通(The Murder of Sir Henry Baskerville,Elizabeth Elwood,2023)★☆☆☆☆
 ――私は効果音に合わせて魔犬を撃った。サー・ヘンリー役のロジャーが野獣に噛みつかれたようによろめき、白目を剥いてステージの床に落下した。凶器は小道具室に保管されていたリヴォルヴァーだった。人目を気にせず現場に行けた可能性のある人物は四人しかいなかった。ロジャーはギャンブルによる多大な借金があった。

 ホームズ劇の最中に起きた殺人事件。基本的な捜査はバーカー警部補が行い、ホームズ役のグラドウィンは最後に安楽椅子探偵みたいにちょろっと切れるところを見せてあとはただの嫌な奴。
 

「ミュージカル『憂国のモリアーティ』アクターズ・レヴュー 目撃者としてその場所で」江中みのり

「魔人モリアーティ アステロイドの秘密」井上雅彦

「ホームズを演じた役者たち 忠実、破壊、実験〜繰り返し観たい三人のホームズ」小山正
 グラナダ版ホームズを演じたジェレミー・ブレッド、『シャーロック』のベネディクト・カンバーバッチ、『エレメンタリー』のジョニー・リー・ミラーについて。
 

森見登美彦氏メール・インタヴュー」
 ヴィクトリア朝京都が舞台の新作『シャーロック・ホームズの凱旋』
 

『テトラとライカ』(1)宮木あや子
 

「『みんなで読む源氏物語』刊行記念 ミステリとしての『源氏物語』、『源氏物語』のミステリ」渡辺祐真×たられば
 さすがにミステリにこと寄せるのはこじつけが過ぎます。
 

「書評など」
『検察官の遺言』紫金陳。この作品云々よりも、「倒叙ミステリというキーワードで語られることの多い紫金陳」という一節に惹かれます。

 2023年11月号で紹介されていたポケミス70周年作品の一つ「ハビエル・セルカス『Terra Alta(漆黒の夜を超えて)』」がいつの間にか刊行されていました。『テラ・アルタの憎悪』

 『推理の時間です』法月綸太郎・方丈貴恵、我孫子武丸・他は、WHO/WHY/HOWをテーマにした「読者への挑戦」付きのアンソロジー。面白いのは「問題編」と「解答編」ではなく、他の収録作家による「推理編」も付いているところです。『毒入り火刑法廷』榊林銘は、『あと十五秒で死ぬ』作者による新作長篇。阿津川辰海『黄土館の殺人』はシリーズ最新作。『ファラオの密室』白川尚史は、第22回このミス大賞受賞作品。古代エジプトが舞台の本格ミステリで、探偵役はミイラ。設定とこのミスという情報からはキワモノっぽいのですが果たして如何に。
 

「迷宮解体新書(139) 加納朋子」村上貴史
 駒子シリーズ最新作にして「これで完結」の『1(ONE)』。20年ぶりだそうです。
 

「〈ミレニアム〉既刊六部作前作レヴュー」樹下堅二郎

「おやじの細腕新訳まくり(34)」

「ジェーン」ジェーン・ガスケル/田口俊樹訳(Jane,Jane Gaskell,1968)★★★☆☆
 ――わたしたちは同じ日に生まれた。ジェーンの世話をするあいだ、わたしは放ったらかしにされた。ジェーンは完璧に成長したが、わたしはそうではなかった。ジェーンはこの家の女王さまだった。冬にはジェーンが暖炉のまえを占領してとぐろを巻くので、わたしはその脇の狭いスペースしか与えてもらえなかった。両親がどうしてヘビなんか好きになったのかわからないけれど、その点を除くといたってノーマルな人たちだった。この世の現実について最初に教えてくれたのはジェレミーだ。隣家に間借りしている家の十歳の子供だった。十一歳になった。ジェレミーが連れ出してくれる約束をした翌日、家庭教師が父を説得し、わたしは寄宿学校に二年間入れられることになった。

 孤独な子どもと動物の組み合わせというと、良かれ悪しかれ子どもの支えとなっているイメージが強いのですが、この作品のヘビの場合は恐怖の対象であり抑圧の象徴――のように一見すると思われます。が、著者と同じジェーンという名を与えられているところからすると、このヘビこそが語り手の分身であり、なりたい自分でもあったようです。
 

「華文ミステリ招待席(14)」

「雪祀り」鶏丁《ジー・ディン》(孫沁文《スン・チンウェン》)/阿井幸作訳(雪祭,鸡丁(孙沁文),2012)★★★☆☆
 ――打ち捨てられた公園のフェンスの向こうで、バラバラに切断され茹でられた死体が発見された。手足は中央のあずま屋に、頭部と胸部と腹部は南北のフェンス際にちょうど正三角形になるような位置に置かれていた。周囲には雪が積もっていて、発見者の足跡しかない。王刑事が被害者の身許特定方法に頭を悩ませていると、その日の未明に夫が誘拐されたという女性からの通報があったことを知らされた。ビデオ通話で犯人に脅されていたようだ。DNAも一致し、被害者はその女性・夏青の夫・張延濤だと判明した。だが雪が止んだのは午前零時だというのに、犯人からのビデオ通話があったのは午前一時だという。では犯人は雪が止んだあとに、足跡を残さず遺体を公園内に運んだというのか? 捜査を進めるうち、被害者夫妻はもともと同じ大学の学生で、七年前にその大学で同じような事件が起きていたことがわかった。

 〝中国のディクスン・カー〟2021年9月号掲載の「涙を載せた弾丸」に続いての二度目の掲載。同じく夏時&王刑事のシリーズです。人体をトリックの道具としか見ていないような潔さがありました。【七年前の事件でも検視した監察医の呉が】七年前の事件に言及しない時点で怪しさ満点なのですが、これは敢えてであって、犯人はわかってもトリックはわからないだろうという著者の自信の表れでしょうか。天気予報通りに雪が止むというご都合主義も、著者にとっては恐らく些末なことなのだと思われます。とは言え【証拠を隠したり捏造したりできる】のであれば、アリバイ作りもさして意味がないと思うのですが。【※ネタバレ 生きている状態で手足を切断し、雪が降っているあいだに手足だけをあずま屋に置き、その後に殺害。切断した頭部や胴体は雪が止んだあとにフェンス際に置いた。これにより殺害自体が雪が止む前だと誤認させられる。茹でたのは切断時間や殺害時間をわからなくするため。
 

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 ミステリマガジン 2024年5月号 

『平成怪奇小説傑作集2』東雅夫編(創元推理文庫)★★☆☆☆

『平成怪奇小説傑作集2』東雅夫編(創元推理文庫

 後半は『幽』やてのひら怪談作家が占めます。ということは怪談実話ブームもこの頃だったでしょうか。
 

「匂いの収集」小川洋子(1998)★★★★☆
 ――僕は彼女に髪をといてもらうのが好きだ。彼女が触れたとたん、素っ気なく退屈な髪が、特別な光によって祝福を受けたもののように見えてくる。「今日のチェンバロは、朝露に濡れたシダの匂いがする」初めて出会ったコンサートで、彼女はそんなふうに話し掛けてきた。何と答えていいか戸惑ったまま、僕はあいまいに微笑んだ。彼女は匂いの専門家だ。この世のあらゆる匂いを収集するのを趣味にしている。

 匂いという文章でも映像でも伝えるのが難しいものを、さらに収集するという難しい出来事に説得力を持たせる、独特の文章と世界観が印象的です。怪談としてはありきたりのオチなのにとてつもなく怖いのは、そうした独特の雰囲気で二人の幸せそうな様子が描かれているがゆえに、幸せのただ中にぽっかりと暗い穴が開くようだからでしょう。
 

「一文物語集(244~255)」飯田茂美(1998)★★★★☆
 ――244鳥葬のしきたりに反して族長を火葬にしてしまったため、もう何日ものあいだ、空から灰が降り続け、鳥たちは姿を見せない。245鐘一面にぎっしりと大きな蛙がへばりついていて、晩鐘を撞けずにいる。248薄暮の湿原をひとりで走っていると、遠くから全裸の自分がげらげらと笑いながら、こちらをめがけて突進してきた。249目覚めると、妻の仕業か、すべての髪の毛が一本ずつ、愛人の髪の毛と固く結び合わされている。

 怖さという点では245、248、249が際立っていました。245の生理的な気持ち悪さ。248の不条理な恐怖。249の「一本ずつ」という一言がより恐ろしさを増幅させています。
 

「空に浮かぶ棺」鈴木光司(1998)★★★☆☆
 ――長方形に切り取られた空を見上げているようだ。東京湾に面したビルの屋上……舞は次第に自分のいる場所を把握していった。突如、足の痛みに襲われた。啞然とした。足が見えないのだ。腹部がパンパンに膨らんでいる。どこから見ても臨月の腹だ。直感で理解した。ビデオテープを見てしまったからだ。大学の講師である高山竜司の死にビデオテープが絡んでいるらしいという話は聞いていた。

 『リング』シリーズの短篇。相変わらずこの人の考えるリアリティはピントがずれています。排卵日にビデオを見たから妊娠したと言われても、ギャグにしか思えません。ビデオ自体の怖さはまったく伝わって来ませんし。とはいえ『リング』よりは格段に文章が上手くなっていて、読むこと自体がしんどかったりはしませんでした。
 

グノーシス心中」牧野修(1999)★★☆☆☆
 ――怪物。いずれマスコミは、十二歳の深澤千秋をそう名づけることになる。一年前までは神秘主義に心酔していた。その頃熱中していたのは死んだふりだった。痩せた男が声をかけてきた。「深澤千秋くんだね」「誰」「君と同じ霊的人間だ」「馬鹿みたい」「君は間違いなく〈独り子〉だ」。カグヤマはナイフを千秋に渡した。カグヤマは鉈を抜き身で持っていた。カグヤマがカラオケボックスの扉を開いた。四人の男女が一斉に彼らを見た。歌っていた少年が罵った。カグヤマは蠅を払うより素っ気なく、鉈を振るって少年の喉を掻き切った。

 どこまでも中二病に満ちているスプラッタです。「源平の時代」「エプロンドレスを着たジュリー・アンドリュース」等々の薄ら寒い譬喩も中二病らしさを補強していて、これはこれで作品の完成度を高めています。こういう事件を起こす人の、“俺って他人と違うんだ”感を描いていると思えばリアルなのでしょうか。
 

「水牛群」津原泰水(1999)★★★★☆
 ――この一週間で三時間も眠れず、五日も六日も固形物を口にしていない。蕎麦屋でビールを飲んで眠ってしまったらしい。伯爵が部屋に入ってきた。「お暇ですか」「お暇です。無職です」「出かけましょう。一種の都市伝説ですね、特定の晩、宿泊客が幸福を得られるという」。ホテルの料理屋でビールを飲んで伯爵を待った。「水牛になさいますか」どこかで会ったような男である。顔を向けたが男の姿はなく、代わりに板前姿の小男が笑っていた。「水牛のお客様で」「どうやって食うんだ」「うちで出してるのは尾鰭のとこだけですけどね。参りましょうか」「どこに」「湖ですけど」「あそこに水牛が?」

 猿渡を主人公にした幽明志怪シリーズの一篇。なぜなのかわからないままに恐怖と不眠と食欲不振に苦しめられている主人公の苦悩を読み進めていくと、水牛の尾鰭という突拍子もないものが飛び出してきて、あっさりと別の世界に引き込まれてしまいました。それでいながら決して荒唐無稽なわけではなく、不当な馘首であったり子ども時代の思い出であったりといった現実に根ざしていることが明らかになります。小説なんだから事実をそのまま書かないよ、と小説家の伯爵が話している通り、事実に基づく幻覚が小説として昇華された作品でもあるのでしょう。
 

「厠牡丹」福澤徹三(2000)★★☆☆☆
 ――「夜ひとりで厠にいるとき、牡丹の花の折れるところを想像してはいけません」。昼過ぎから読んだ本が面白くない。用足しに厠に立ったところで、不意に牡丹の話を思い出した。急に玄関の戸を叩く音がした。「早く開けろ。きょうは呑んでないんだ」「家をおまちがえでではないんですか」「自分の父親によくそんなことがいえるな」「あなたは父親じゃない。うちに金目のものはない、帰ってくれ」。作家になりたがっていたが才能のなかった父は、ある朝、庭に倒れて冷たくなっていた。

 印象的な書き出しですが、厠や牡丹である必然性がないように思います。そして他者=自分だったという、よくある形へと落ち着きます。
 

「海馬」川上弘美(2001)★★★☆☆
 ――海から上がって、もうずいぶんになる。主人は会社役員である。今の主人に私が譲り渡されたのは、三十年ほど前だったか。子供は四人いる。主人は帰りが遅い。前の主人は毎日家にいる職業だった。画家だったのである。画家の前の主人は大学教授で、その前は商人だった。海から出たのは、誘われたからだ。男は漁師だったが、魚を採ることより女を漁ることのほうが性にあっているような男だった。次の主人には輪をはめられ杭につながれた。

 著者が川上弘美なので当然怪奇小説ではなく幻想小説です。タイトルにこそ海馬とありますが、およそタツノオトシゴでもアシカでもセイウチでもありそうにありません。「殺到」と書かれているからには群体なのでしょうか。
 

「乞食《ほいと》柱」岩井志麻子(2001)★★☆☆☆
 ――明治の岡山の民家には、土間に一本だけ立った「乞食柱」と呼ばれる柱があった。乞食は入り口から三尺だけ、家の中に入ることを許された。数えで十六になった冬、サトは熱病に倒れた。サトは夢で見た蛇のことを婆やんに話した。「うちのサトはトウビョウ様のお使いになりました」。トウビョウ様とは広い地域で信仰された蛇の神様のことである。「男を知ったら拝む力は半分になるど。男のもんがっこに入ったら、蛇の頭が入ったんとおんなじことじゃ。抜けん」

 いかにも著者らしい土着と下半身の話。信仰の対象である蛇(の頭)=亀頭、乞食《ほいと》=女陰《ほと》とすることで、乞食に性的暴行を受けた話がきれいに繋がっていました。
 

「トカビの夜」朱川湊人(2003)★☆☆☆☆
 ――東京から大阪に来て移り住んだのは文化住宅だった。一番奥にはチュンジとチェンホという朝鮮人の兄弟が住んでいた。チュンジは私より二つ年上で直情型の性格だった。弟のチェンホはか細く、体に重大な障害があって外で走り回って遊ぶことが出来なかった。私が持っていた怪獣図鑑を貸したのが交流の始まりだった。チェンホは翌年の八月にこの世を去った。その数週間前、私は罪を犯していた。近所の子供たちと一緒になって、チェンホを差別し、いじめたのだ。

 著者の作品はどれも薄味のジェントル・ゴースト・ストーリーです。
 

「蛇と虹」恩田陸(2005)★★★☆☆
 ――ああ、ねえさん、血のような夕陽が沈むわ。あたしたち、あんな色、生涯で二度しか見ていない。可愛いいもうと、あんたはいったい何の話をしているの。冗談も休み休みお言い。あんたの目にはくすんだ紗の布がかかっているようね。あんたが言うのはいつのこと。ねえさんが撃った、あの黒い犬がまだ元気だったあの日ではないの。もしかして、ねえさんは別のものを撃とうとしていたのではないかしら。銃声なんか聞こえなかった。黒い犬なんか床に寝そべっていなかった。そうでしょう、可愛いいもうと。

 幻想や怪異に見えたものが視点や描写をずらしただけのごく当たり前の光景だったと考えれば、ポースト「大暗号」などの系譜でしょうか。前世と胎内で見た胎児の記憶。
 

「お狐様の話」浅田次郎(2006)★☆☆☆☆
 ――おじいちゃんの験力を頼って、お狐憑きがよくやってきた、と伯母は言った。その女の子はまるでフランス人形のようだった。少女は「かな」と名乗った。夕刻になると雉や狐ではない遠吠えが聞こえてきた。狗神が鳥獣の声を真似ているのだと教えられていた。森の中でその声を聞いた途端、香奈の相が変わり、嗄れた声で言った。「狗は嫌いじゃ」。お狐の仕業だった。

 狐憑きの話。
 

「水神」森見登美彦(2006)★★★☆☆
 ――これから語るのは祖父の通夜の日の出来事である。五年前のことになる。「今夜遅くに、芳蓮堂が来るそうだ。親父からの預かり物を持ってくる」孝二郎伯父が言った。芳蓮堂が持ってくる家宝に、私は少し興味を抱いた。晩酌をしながら待つことになった。「親父は水みたいにすいすい呑んでたなあ」と弘一郎伯父が言った。祖父は酒豪であった。樋口家の開祖は琵琶湖疏水のポンプの整備を手伝っていたようである。その開祖が掘り出した宝なのではないか。

 どこかしら人とは違う祖父が遺した宝物を巡る話ということもあって、どことなく『百鬼夜行抄』を連想しました。悪鬼や人の手によるものではない自然現象のような怪異はまさに神というタイトルに相応しいスケールでした。
 

「帰去来の井戸」光原百合(2006)★☆☆☆☆
 ――この春頃から伯母の体調は思わしくないようだ。由布は大学三年になって時間割にも余裕がでてきたところで、店の手伝いを引き受けた。開店時間にはまだ早いのだが、常連の一人、浜中がやってきた。「実はお別れの挨拶に来たんじゃ。茨城で所帯を持った息子が家を建てるけえ、そろそろ一緒に暮らさんかと言うとくれた」「常連の皆さんには何も言うてなかったんですね」「しんみりしちゃあたまらんけえの」

 この人もジェントルな感じの話ばかりの印象です。
 

「六山の夜」綾辻行人(2006)★★☆☆☆
 ――八月十六日。今日はいわゆる「五山の送り火」の日だ。「よろしければ十六日、おいでになりますか。病院の屋上を開放しますので」一週間前、深泥丘病院の石倉医師からそんなお誘いを受けた。「このあたりから五山全部が見えるのは貴重ですね」。描かれる文字や図形は決まっている。「人」「永」「火」「目」「虫虫」。今年の送り火は六山で、六山めに描かれる文字はその年によっていろいろで決まっていないという。

 著者の怪談特有の「……」や「――」の多用や、京極堂の関口みたいなうじうじ妄想系の主人公には相変わらずついていけません。文体だけでなく結末までもが「……」です。
 

「歌舞伎」我妻俊樹(2007)★★★☆☆
 ――子供の頃、砂場で古い乾電池を拾ったことがある。砂に埋めて家に帰り、翌日掘り返そうとしたが見つからなかった。そういえば兄貴、昔公園で乾電池拾ったよねえ。帰省した折、弟が突然そんなことを言い出す。いつも持ち歩いてたじゃない、ポケットに入れて。私の記憶とは食い違う。弟によれば、こわれたラジオに私の乾電池を入れたときだけ息を吹き返したという。ロシアかどこか外国語の放送が日本の歌舞伎みたいに聞こえたというのだ。

 てのひら怪談。「いやな寒気だけを感じた」という結びの文章がぴったり来ます。記憶が食い違っていただけだったはずなのに、世界が歪んでしまったようなずれが生じていました。
 

「軍馬の帰還」勝山海百合(2007)★☆☆☆☆
 ――「まっこ、けえってきた」一緒に寝ている末の息子が体を起こし、「おらえのアオ、けってきたよな音する」と言った。馬は二年前に軍に徴用された。「そんなわけねえべ。まっと寝ろ」そう言った途端、離れの馬小屋で、前肢で柵を蹴る音がした。「アオ!」息子が馬小屋に駆け出した。それにしてもよく生きて……馬小屋はいつものように空だった。「さっきまでハ居だのに……」息子が小さく呟き、泣き出した。

 てのひら怪談。この時期、方言で書かれた作品をやたらと評価する流れがあって、食傷した記憶があります。実際、著者は方言に頼らずとも勝負できる作家なので、ほかの作品を収録すべきだったと思います。
 

「芙蓉蟹」田辺青蛙(2007)★☆☆☆☆
 ――芙蓉の花を蟹が食べている。美味いのかい? 蟹は私の問いには答えないで、ぷつん、ぷつん、と赤い鋏で花びらを口に運び消化している。旅のお方ですか? 花の間から籠一杯の蟹を手にした赤い毛足の猿が現れた。にやりと笑った猿の歯が、どうして血に濡れているのかばかり考えてしまう。

 てのひら怪談。芙蓉を食う蟹という組み合わせこそ非凡ですが、あとは猿蟹合戦と自分が食われるというよくある要素に終わっています。
 

「鳥とファフロッキーズ現象について」山白朝子(2007)★★★★☆
 ――屋根にひっかかっていたのは全身が黒色の巨大な鳥らしい。回復して飛べるようになるまで面倒を見ることにした。寝そべってテレビを見ていてチャンネルを変えたいときのことだ。鳥が嘴でリモコンをくわえ、つきだした。「……ありがとう」そんなことが何度もあった。三年が経過し、私が高校三年生になったとき、家に侵入した人物に拳銃で撃たれて父が死んだ。二月になると父の兄が家をおとずれた。遺産管理についてだった。私はこの人が嫌いだった。伯父が帰った翌朝、窓のそこから音が聞こえた。見覚えのある指輪を見て伯父の中指だと気づいた。黒い翼が月の上をよぎった。

 乙一の別名義。幻想小説のような雰囲気でありながら、最後はきっちりホラーに着地します。ミステリ要素もありました。黒い巨鳥の正体自体は不明なままなのですが、読み終えてからそのことに気づきました。謎の鳥という存在を凌駕するストーリーテリングということなのでしょう。かつて手当てまでして助けた鳥を、共存のためと言い訳して傷つける場面には胸が痛みます。恐らく鳥には裏切られたという感覚がなく、本能的な行動であるらしいところが却って痛ましい。

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 平成怪奇小説傑作集2 

『いただきます。ごちそうさま。 怪談えほん13』あさのあつこ作/加藤休ミ絵/東雅夫編(岩崎書店)、『おめん 怪談絵本14』夢枕獏作/辻川奈美絵/東雅夫編(岩崎書店)

『いただきます。ごちそうさま。 怪談えほん13』あさのあつこ作/加藤休ミ絵/東雅夫編(岩崎書店)、『おめん 怪談絵本14』夢枕獏作/辻川奈美絵/東雅夫編(岩崎書店

 怪談えほん第三期の第二回配本と第三回配本です。第二期の高橋克彦はいつの間にか中止になっていたので9は欠番なんですね。……と思っていたら、2024年2月に「怪談えほんコンテスト大賞受賞作」+伊藤潤二という形で9巻目が発売されたようです。

『いただきます。ごちそうさま。』あさのあつこ/加藤休ミ(岩崎書店★★☆☆☆

 主人公は食いしん坊の子ども。しばらくは好きな食べ物ばかりが羅列され、怖くなる雰囲気はありません。お父さんが八の字ヒゲを生やしていて、いつの時代のお父さんなんだと笑っちゃいました。不穏な空気になってくるのは真ん中近く、「なんでも たべます。たべられます。」で真ん丸にふくらんだ姿が描かれます。出会った犬を食べるのは予想通りにしても、食べられる子どもが口から血反吐か何かを吐き出しているのはグロテスクで、画家の妙なこだわりを感じます。
 

『おめん』夢枕獏/辻川奈美(岩崎書店★★★★☆

 他人を妬んだり憎んだりしてばかりの子が呪いのおめんを手に入れてしっぺ返しを喰らう話です。いつの時代の日本なんだというような(そもそも日本なのでしょうか?)、妙に生々しくて小汚い下町が描かれていて、おめんの怖さよりもむしろそういった背景に生理的な嫌悪を感じました。呪いが成就して有頂天になっている場面が金魚とともに明るく描かれているのはともかく、絶望に駆られてうずくまっている場面で明るく輝くすだれか何かのなかにいるのは何ともブラックです。「どんどろぼろぞうむ でんでればらぞうむ」という呪文の響きもおどろおどろしい。「わたしのかお おめんと おんなじになっていた」の場面で、主人公の顔を描かないのは卓見だと思いました。そこであの埴輪のような顔を描いてしまったらギャグにしかならないでしょうから。
 

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13いただきます。ごちそうさま。 怪談えほん13 14おめん 怪談えほん14 

『私立霧舎学園ミステリ白書 八月は一夜限りの心霊探偵』霧舎巧(講談社ノベルス)★★★☆☆

『私立霧舎学園ミステリ白書 八月は一夜限りの心霊探偵』霧舎巧講談社ノベルス

 霧舎学園シリーズ第五作。

 七月事件で知り合った久賀カメラマンに口説き落とされて漫画雑誌のグラビアを飾った琴葉だったが、撮影現場のサイパンには母親までくっついて来た。

 それでも養護教諭の日辻美加から伊豆の「別荘」に招待されたときには、母親は警察大学校時代の同期会が北海道で開かれるとかでくっついては来なかった。ところが琴葉は行きの電車のなかで見ず知らずの女性に水難を予言される。不穏に思いながらも伊豆に到着すると、日辻の横にはなぜか担任の脇野までいた。まさか日辻の言っていた婚約者とは……。

 別荘とは日辻の祖父の研究施設だった。電気もガスも通っていないため、発電機で最小限の明かりしか確保できない。日辻の祖父はヒツジ出血熱の原因となるウイルスの発見者だった。地元の名家である炭野家の老婦人は、日辻家に呪いをかけられていると信じて日辻家を忌み嫌っていた。だが若い炭野秋人だけは呪いを信じてはおらず、研究所までトラックを運転してくれた。冬美は秋人にぞっこんだった。

 日辻先生の招待に保が絡んでいることから、どうやらまたも棚彦との探偵勝負を計画しているらしい。予想を裏づけるように、保は私立霧舎学園の「新刊」を差し出した。七月とまだ発生していない『八月・心霊探偵』。保によれば八月だけは別人の作で、作者の見当も付いているという。図書委員の中込さんに頼んで調べてもらっている最中だ。

 そうこうしているうち中込と久賀まで伊豆に現れ、中込の鞄が盗まれるという事件が起こる。

 廃校となった近所の小学校まで肝試しをすることになり、冬美の提案で、四組に分かれたグループが四冊の私立霧舎学園のうちそれぞれ一冊を小学校から持ち帰ることになった。トップバッターは冬美と秋人だったが、冬美が一人だけで戻ってきた。秋人が死んでいるという……。

 八月のテーマは心霊探偵で、一応は〈甦る死者〉が扱われていますが、心霊探偵の要素はほとんどありません。甦る死者というよりは、現れたり消えたり北海道まで移動したりする死体消失が謎となっています。

 謎の真相はある著名作【神の灯】のバリエーションですが、またもや脇野が謎の発生に一役買っているところが可笑しかったです。グラビアや付録や書籍そのものまで手がかりにしてきたこのシリーズのこと、当然のように見取り図も手がかりになっていたことにも舌を巻きました。

 そのほかにも羽月警視や蘭堂ひろみやファンの子との会話や、温泉での出来事など、細かい描写によってトリックが補強されており、こういうところは毎度ながら上手いなあと感心させられます。

 そして本を用いた仕掛けは今回も大がかりなものでした。『六月』同様に本書も電子書籍化は出来ませんね。

 この仕掛けが保と棚彦の推理の明暗を分けることにも繋がっていて、単なるお遊びに終わっていないことにも注目です。暗闇のなかでの光源とこの仕掛けの二つによって、真犯人が導き出されるように出来ていました。

 その犯人像に、ちゃんとグラビアが関わっていることにも驚きました。ただのキャラ萌えではなかったんですね。

 派手でこそないものの完成度は高い作品でした。

 当然のことながら今回も保は負けてしまうのですが、それにしてもお茶目なことをやります。よほど一度は勝ちたかったのでしょう。第一の事件に用意された手がかりの数々は、なるほどいかにも推理小説っぽい理屈でした。

 冒頭の予言者は開かずの扉研究会シリーズの咲さんであるらしく、今回はそんなところにリンクがありました。【※「ひろみ」も由井広美だという説もあるらしい

 八月。偶然につぐ偶然の末、クラビア・アイドルとしてデビューを飾った琴葉は夏休みに伊豆の「別荘」へと赴く……が、そこで琴葉を待っていたのは奇怪な怪談にまつわる殺人事件だった! 和服の老婆は叫ぶ――「呪い殺されたらどうする!」

 学園ラブコメディーと本格ミステリーの二重奏、「霧舎が書かずに誰が書く!」、“霧舎学園シリーズ”。八月のテーマは心霊探偵!(カバーあらすじ)

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 私立霧舎学園ミステリ白書 八月は一夜限りの心霊探偵 

『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』シェルドン・テイテルバウム&エマヌエル・ロテム編/中村融他訳(竹書房文庫)★★★☆☆

『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』シェルドン・テイテルバウム&エマヌエル・ロテム編/中村融他訳(竹書房文庫)

 『Zion's Fiction: A Treasury of Israeli Speculative Literature』Sheldon Teitelbaum and Emanuel Lottem ed.,2018年。

 その名の通り、イスラエルSFのアンソロジーです。面白い作品はあったけれど突出したものはなく、この人のほかの作品も読みたい!とは感じませんでした。
 

「まえがき」ロバート・シルヴァーバーグ中村融(Foreword,Robert Silverberg)
 

「オレンジ畑の香り」ラヴィ・ティドハー/小川隆(The Smell of Orange Groves,Lavie Tidhar,2011)★★☆☆☆
 ――ボリスは捨てていこうとした。家族の記憶を、〈威衛の愚行〉と呼んでいるものを。/鍾威衛は巫女に会いに来た。「架け橋がほしいのです。過去と未来のあいだにかかる橋です」「不死か」「子供たちにわたしのことを覚えていてほしいのです」/彼はミリアムのことを思った。いまはジョーンズおばさんと呼ばれている。世界は若く、二人は愛し合っていた。二人のあいだを裂いたのは、ただ生活だった。

 好みの問題なのでしょうが、こういう自分たちの問題を勝手に押しつけられているような作品は読んでいてうんざりしてしまいます。あと、こういう家族の結びつきはユダヤや中国は日本より格段に強そうなのでピンと来ないところもあります。
 

「スロー族」ガイル・ハエヴェン/山田順子(The Slows,Gail Hareven,1999)★★★★☆
 ――保護地区を閉鎖するというニュースは最悪のものだ。スロー族の研究の進捗が損なわれる。オフィスのドアを開けると、スロー族の女がいた。未開人たちは許可を得ないと入れない。どうやって入ってきたのだろう? 「おはよう」警備兵を呼ぼうとは思わない。女はデスクのわきからなにかを持ちあげた。キャリーバッグで、なかに人間の幼体が寝ていた。「あなたたちはあかんぼうを奪わないと誓約した。協定が結ばれ、署名した」怒りと強い感情に満ちた口ぶりだ。「それは何世代も前のことだ」「子どもを奪わないで」「成長促進技術は短命にはならない。むしろすぐに成人してその後の長い人生を楽しめるんだ」

 スロー族とはどうやら新人類から見た旧人類(今の人類)であるらしいのですが、種としては変わってはおらず、新しい技術を拒んで古いしきたりを守ろうとする少数民族のようです。為そうとする側にとっては疑うべくもない正義であるのが恐ろしいところです。どんなことであれ自分の側の常識に囚われていないか、襟を正します。
 

アレキサンドリアを焼く」ケレン・ランズマン/山田順子(Burn Alexandria,Keren Landsman,2015)★★★★☆
 ――「5-7-20。接近して静止している」通話機の向こうでシルがいった。「侵入。もしくは侵略か――」わたしの目の前に、巨大な黒い球体がある。球体からは何の反応もない。自己消滅開始――衝撃と苦痛、無、再構築と覚醒。だが苦痛はやってこない。わたしとシルの背後で球体の外殻が閉じた。白いローブの女性が現れた。わたしは女性をスキャンした。人間。あるいはかぎりなく人間に近い模倣物。「主任司書のニュファー。アレキサンドリア第八版の」図書館には人類の歴史を網羅した記録の数々があるという。「三百年ごとに記録に必要な情報を集めています」

 人類の叡智を集めた図書館と、人類を守り続けてきたロボット。なのに肝心の人類は【宇宙人によって滅ぼされていた】というのが第一の衝撃でした。図書館のワープ・フィールドのせいで宇宙人が襲来したため、それを阻止するために再びアレキサンドリア図書館を燃やすという、歴史をなぞるかのような火災の必然が秀逸でした。
 

「完璧な娘」ガイ・ハソン/中村融(The Perfect Girl,Guy Hasson,2005)★★★★☆
 ――新入生はいろいろと雑事がある。「アレクザンドラ・ワトスン?」「はい」「きみは……モルグだ」「モルグですか? でもここは超能力者のための学院で――」「人の心は死後も読めるんだ」あたしが最初のモルグの担当者だった。ベンディス教授の二日目の授業は、新しい遺体を使って被験者の精神を分析することだった。「ミズ・ワトスン、彼女の名前を知っていますか?」「ステファニー・レナルズです」「ミドル・ネームは?」「いいえ」「彼女に触れて、ミドル・ネームを教えてください。出発点を得るために、記憶のなかにすでに存在する場所を見つけなければなりません」――ステファニーはひとりですわって、昨日のことを考えている。マイクルとのキスのことを。

 本書随一の長篇です。共感によって引きずられてしまうという、ある意味で古典的なテレパスの苦悩を描いた作品です。自分にコンプレックスを持っている女の子が、死体とはいえ完璧な美少女に興味を持ってしまうところに、思春期ものとしての上手さがありました。共感するあまりステファニーの両親にまで会いに行き完全に周りが見えなくなっている語り手に、当たり前の視野を取り戻す手助けをするパークス教授は、教師の鑑ですね。本当の物語はこれから始まるのだというような前向きな終わり方に救われます。
 

「星々の狩人」ナヴァ・セメル/市田泉訳(Hunter of Stars,Nava Semel,2009)★★☆☆☆
 ――すべての星の光が消えた夜、ぼくは生まれた。世界はその状態に慣れてしまった。何世紀ものあいだ、大気中に放出していた有毒ガスのせいで空気は透明じゃなくなって、今ではどんな星の光も通り抜けることはできない。ぼくはふだんからおじいちゃんにしつこく質問する。「星の見えたころの世界はどんなふうだったの?」

 星が見えなくなった世界で星を愛する少年が、狩人オリオンになぞらえて星々の狩人になると宣言するのですが、あんまり上手いこと言えてると思えません。
 

「信心者たち」ニル・ヤニヴ/山岸真(The Believers,Nir Yaniv,2007)★★★☆☆
 ――食料雑貨店で老女の手からチーズが落ちる。カートの中身は戒律的に不適切だった。チーズが鶏もも肉パックにぶつかる。すさまじい音がして老女がまっ二つになる。誰もが知らんぷりしてうつむいたまま。/来週、機械との会合があり、わたしの人生を変えることになるだろう。すべて変えられたとき、わたしたちはついに、神を殺すことができるかもしれない。/青年が図書館で少女とぶつかる。少女が握りしめているのは小冊子『天使たちの夢』。その翌日、ふたりは青年のアパートにいる。少女は微笑み、二枚の白い翼を広げる。

 旧約時代の怒れる神がなぜか突然復活してしまった世界で、神を信じず抵抗しようとする人々の話。バベルの塔が神への抵抗の象徴のように扱われているのが面白い。頭に機械をつけたら本当に翼が生えるとは思えないので、最後に不信心者たちがなった天使とは精神的な何かなのだろうけれど、それすらも神の怒りからは逃れられないようです。語り手だけが免れたのは、それ以前に天使と接触していたからなのか、決意の問題なのか、よくわかりません。
 

「可能性世界」エヤル・テレル/山岸真(Possibilitie,Eyal Teler,2003)★★☆☆☆
 ――その記憶は死ぬまでわたしにつきまとうだろう。五十年という歳月も消し去ることはできなかった。あの老人がわたしに殴打され崩れ落ちるようすを、いまでも思い浮かべられる。タイムマシン、レイがわたしをわたし自身に引きあわせたこと。あの日じっさいになにが起きたのか、二十年前に見つけようとしたことはある。占い師のセデフによれば、わたしは病院で死んだ。ではあの年寄りは?

 レイ・ブラッドベリ「埋め合わせ」を通して実現した別の可能性世界。いかにもファンライターっぽいと感じるのは、プロ作家ではないという経歴を読んでしまったせいでしょうか。
 

「鏡」ロテム・バルヒン/安野玲(In the Mirror,Rotem Barchin,2007)★★★☆☆
 ――猫のミカが車に轢かれて死んだ。リロンに悲しい顔をさせたくない。わたしは覚悟した――鏡を割るしかない。初めて割ったのは十歳のとき、人形を壊してしまったあとだった。それから何か月かのあいだ、わたしは壊れていない人形を抱いて鏡を見つめて過ごした――わたしとは違う、別のダニエルを。そのダニエルはわたしとちがう高校に進み、看護学を勉強して、男の医者と結婚した。リロンと巡り会ってからは、ほかのダニエルたちをほとんど観察しなくなった。

 鏡に映るもう一つの世界。パートナーとの幸せのため、鏡を割ることで現実を変えてきた語り手が、しっぺ返しを喰らいます。こちらから見ている状態が向こうから見られているようにも見えるという、鏡の特性を活かした結末でした。
 

「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」モルデハイ・サソン/中村融(The Stern-Gerlach Mice,Mordechai Sasson,1984)★★★☆☆
 ――どこかの生物物理学者が、生体組織に電子ビームを通過させたとき生じるシュテルン=ゲルラッハ効果を測定しようとした。脳に直接ビームを照射されたネズミの一群は、知能が増大し、研究室から脱走した。はじまりはぼくがおばあちゃんに会いにいったときだ。〈ブリキの物乞い〉があらわれた。眼窩から電線が垂れさがり、ナットが何本かなくなっている。「金属をめぐんでもらえないでしょうか」。おばあちゃんは錆びた釘をやり、「脚が痛くてさ。ゴミを捨ててもらえないかしら」。じつにおばあちゃんらしい。錆びた釘一本で奴隷にしてしまったのだ。「マダム、キッチンに巨大なネズミがいます」。ぼくがキッチンに行くと、ロバほどもあるネズミがいた。

 文体からも内容からもパニックものではなく、コメディであることが窺えますが、正直なところイスラエルのユーモア感覚はわからないというほかありません。
 

「夜の似合う場所」サヴィヨン・リーブレヒト安野玲(A Good Place for the Night,Savyon Lieberecht,2002)★★★★☆
 ――列車がいきなり揺れたときのことを、ジーラは今も思い出す。喫煙車両の扉をあけると、ついさっきまで起きていた人たちがみんな眠っていた。もう一人起きていた男は、「新手の事故ですかね。放射線が一気に撒き散らかされるような」と言った。辺りを調べるため家に足を踏み入れた途端、初めて竜巻を見た。五人の大人は死んでいたが、赤ん坊は生きていた。三人は家で暮らし始めた。駅まで行くと、老人を介抱している修道女がいた。ある日の朝には、自転車に乗ってポーランド人の男がやってきた。

 終末とポスト人類に於いて避けては通れない問題を、避けずに描いた作品です。人間はこうした状況になったとき、実際に個人の尊厳よりも種としての継続を選ぶのでしょうか。
 

エルサレムの死神」エレナ・ゴメル/市田泉訳(Death in Jerusalem,Elana Gomel,2017)★★★★☆
 ――モールは大学のカフェテリアでデイヴィッドと出会い、一週間毎日デートした。モールは三十五歳だった。友人はみな結婚して子供もいた。モールの部屋で、二人は服を脱いだ。「すまない。だけどぼくは死ねない。たとえ小さな死でも」「あなたは……」「ぼくは死神だ」。二週間後、披露宴には死神たちがやって来た。デイヴィッドの専門は射撃による死だった。ほかに〈疫病〉〈自殺〉〈飢饉〉……〈戦争〉は死神社会では高い地位にあるらしい。死神を引退したダニエルという小男が話しかけてきた。死神はもともと人間で、別の死神に殺されれば死神も死ぬ。

 死に方ごとに分担が決まっていて死に方の流行り廃りもあるという設定がマンガチックでわかりやすく、死神が一堂に会する場面だったり、最古の死神が出てくるところだったりを読むと、なんだか楽しくなってしまいます。最後がちょっとご都合主義に感じられましたが、死と生の対比という意味では当然の結末ではあるのでしょうか。
 

「白いカーテン」ペサハ(パヴェル)・エマヌエル/山岸真(White Curtain,Pesakh (Pavel) Amnuel,2007)★★★☆☆
 ――十一年ぶりにオレグと再会した。「イリーナが去年死んだ。きみにはできる。きみは分枝どうしを結びつけて継合することができる」「ぼくはずっと試してきた。数百の現実のすべてでイラは死んでいた」「きみは分枝は無限だと……」「ディマ、ただしかったのはあなただということだ。分枝は有限だ。イラが生きている世界線はただの一本も存在しない」

 平行世界有限説を採る語り手が、無限説を採るかつてのライバルに妻が生きている世界線を継合してほしいと頼むという、ドラマチックな展開です。学問だけではなく恋のライバルでもあったのだからなおのこと。本当に不可能なのかかつての意趣返しなのか、頼みは断られるものの実は……という趣向です。ベタといえばベタですが、恋のライバルでもあったという設定が活かされていました。
 

「男の夢」ヤエル・フルマン/市田泉訳(A Man's Dream,Yael Furman,2006)★★★☆☆
 ――「リナ!」ガリアはベッドから出ようとあがいたが、ヤイルを起こせるのはリナだけだ。「ヤイル!」リナの声にベッドのヤイルが身じろぎし、ガリアを包んでいた見えない障壁が消え失せた。「運転してたの。歩行者もいた」。幸い怪我人はいなかった。「どうしてあたしの夢ばかり見続けるの? しかも朝っぱらから寝てるってどういうつもり?」。ガリアが帰ったあと、ヤイルは言った。「また薬を試してみようかな」「こないだ死にかけたじゃない。人類の三十パーセントはあの薬にアレルギーがあるのよ」

 夢に見たものを引き寄せてしまう夢見人という奇病が蔓延している社会で、なぜか特定の女の夢ばかり見て迷惑を掛けっぱなしな男が主人公です。「男の夢」というタイトルは、妻以外の女と――という願望への含みも持たせているのでしょうか。ガリアの言う通り、頼むからせて夜中に寝てくれと思わずにはいられませんが、最後まで傍迷惑な男でした。
 

「二分早く」グル・ショムロン/山岸真(Two Minuites Too Early,Gur Shomron,2003)★★☆☆☆
 ――配達が二分早すぎたことを除けば、その箱が世界パズル選手権の決勝戦出場者であるリントン家に届けられたのはおかしなことではなかった。全解答者は、立体模型の組み立て完了までに四十八時間が与えられる。世界記録二十時間五十五分七秒だ。隣家の六十代の紳士アルフレッドは、リントン・チームのコーチとマネージャーを務め、前年のコンテストで三兄妹が成功をおさめるのに多大な貢献をした。パイパーはリントン兄妹のコンパクト・コンピュータだ。時間との競争がはじまった。

 配達が二分早かった理由と、新記録の達成者は――意外ではあるものの陳腐なものでした。追放されたマッド・サイエンティストがマッドな発明を完成させたようにしか思えないのですが、なぜかほっこり風味です。
 

「ろくでもない秋」ニタイ・ペレツ/植草昌実訳(My Crappy Autumn,Nitay Peretz,2005)★★☆☆☆
 ――「おはよう、イド。別れましょう」とオシャーが言った。「どうしたんだ」「話すことはない。もう終わりだから」。オシャーは出ていった。シフトを休んで馘首になった。突然ルームメイトのマックスの身に一大事が起きた。救急車が来たが、マックスが医師の体を撫でると疥癬の痕が消えた。何人かがマックスのお供についていくと言い出し、驢馬のトニーが歌い出した。

 取り留めなくふざけ倒したような作品で、作者のノリについていけないときつい。
 

「立ち去らなくては」シモン・アダフ/植草昌実訳(They Had to Move,Simon Adaf,2008)★★★★☆
 ――母さんは日に日に弱っていく。とうとうアヴィヴァやノームとは何年も顔を合わせてないテヒラおばさんが家に来ることになった。レバノンとの戦争は終わったが、何も変わらなかった。おばさんの家に引っ越すことになった。家には本がたくさんあった。何が起きたのはアヴィヴァにはわからなかった。その日は裏庭で『ノーサンガー・アビー』を読んでいた。がっしりした体格の女の人が、体のあちこちに青あざのできた男の子を連れてきた。「あんたの弟がやったのよ」「ノームがどれだけ小柄かごらんなさい。一人で三人も相手にしたなんて信じられますか」「もう一人いたんだ」

 メアリー・ポピンズ的なちょっと不思議なおばさんの話かと思いきや、複雑な家庭環境の子どもが異能を持っていたという話だとわかる意外性がありました。しかも異能があるのは願いを伝える本人ではないところにもうひとひねりが効いています。願いが叶うだとか逃避文学だとかいうファンタジーが、願ってもいない形で実現してしまう恐怖が、「立ち去らなくては」というタイトルに集約されています。
 

イスラエルSFの歴史」シェルドン・テイテルバウム&エマヌエル・ロテム/中村融(Introduction,Sheldon Teitelbaum and Emanuel Lottem)

 イスラエルSFの歴史というよりイスラエルの歴史であり、けれど本書収録作にはさほどこの序文の内容は響いていないように感じました。

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