『平成怪奇小説傑作集2』東雅夫編(創元推理文庫)★★☆☆☆

『平成怪奇小説傑作集2』東雅夫編(創元推理文庫

 後半は『幽』やてのひら怪談作家が占めます。ということは怪談実話ブームもこの頃だったでしょうか。
 

「匂いの収集」小川洋子(1998)★★★★☆
 ――僕は彼女に髪をといてもらうのが好きだ。彼女が触れたとたん、素っ気なく退屈な髪が、特別な光によって祝福を受けたもののように見えてくる。「今日のチェンバロは、朝露に濡れたシダの匂いがする」初めて出会ったコンサートで、彼女はそんなふうに話し掛けてきた。何と答えていいか戸惑ったまま、僕はあいまいに微笑んだ。彼女は匂いの専門家だ。この世のあらゆる匂いを収集するのを趣味にしている。

 匂いという文章でも映像でも伝えるのが難しいものを、さらに収集するという難しい出来事に説得力を持たせる、独特の文章と世界観が印象的です。怪談としてはありきたりのオチなのにとてつもなく怖いのは、そうした独特の雰囲気で二人の幸せそうな様子が描かれているがゆえに、幸せのただ中にぽっかりと暗い穴が開くようだからでしょう。
 

「一文物語集(244~255)」飯田茂美(1998)★★★★☆
 ――244鳥葬のしきたりに反して族長を火葬にしてしまったため、もう何日ものあいだ、空から灰が降り続け、鳥たちは姿を見せない。245鐘一面にぎっしりと大きな蛙がへばりついていて、晩鐘を撞けずにいる。248薄暮の湿原をひとりで走っていると、遠くから全裸の自分がげらげらと笑いながら、こちらをめがけて突進してきた。249目覚めると、妻の仕業か、すべての髪の毛が一本ずつ、愛人の髪の毛と固く結び合わされている。

 怖さという点では245、248、249が際立っていました。245の生理的な気持ち悪さ。248の不条理な恐怖。249の「一本ずつ」という一言がより恐ろしさを増幅させています。
 

「空に浮かぶ棺」鈴木光司(1998)★★★☆☆
 ――長方形に切り取られた空を見上げているようだ。東京湾に面したビルの屋上……舞は次第に自分のいる場所を把握していった。突如、足の痛みに襲われた。啞然とした。足が見えないのだ。腹部がパンパンに膨らんでいる。どこから見ても臨月の腹だ。直感で理解した。ビデオテープを見てしまったからだ。大学の講師である高山竜司の死にビデオテープが絡んでいるらしいという話は聞いていた。

 『リング』シリーズの短篇。相変わらずこの人の考えるリアリティはピントがずれています。排卵日にビデオを見たから妊娠したと言われても、ギャグにしか思えません。ビデオ自体の怖さはまったく伝わって来ませんし。とはいえ『リング』よりは格段に文章が上手くなっていて、読むこと自体がしんどかったりはしませんでした。
 

グノーシス心中」牧野修(1999)★★☆☆☆
 ――怪物。いずれマスコミは、十二歳の深澤千秋をそう名づけることになる。一年前までは神秘主義に心酔していた。その頃熱中していたのは死んだふりだった。痩せた男が声をかけてきた。「深澤千秋くんだね」「誰」「君と同じ霊的人間だ」「馬鹿みたい」「君は間違いなく〈独り子〉だ」。カグヤマはナイフを千秋に渡した。カグヤマは鉈を抜き身で持っていた。カグヤマがカラオケボックスの扉を開いた。四人の男女が一斉に彼らを見た。歌っていた少年が罵った。カグヤマは蠅を払うより素っ気なく、鉈を振るって少年の喉を掻き切った。

 どこまでも中二病に満ちているスプラッタです。「源平の時代」「エプロンドレスを着たジュリー・アンドリュース」等々の薄ら寒い譬喩も中二病らしさを補強していて、これはこれで作品の完成度を高めています。こういう事件を起こす人の、“俺って他人と違うんだ”感を描いていると思えばリアルなのでしょうか。
 

「水牛群」津原泰水(1999)★★★★☆
 ――この一週間で三時間も眠れず、五日も六日も固形物を口にしていない。蕎麦屋でビールを飲んで眠ってしまったらしい。伯爵が部屋に入ってきた。「お暇ですか」「お暇です。無職です」「出かけましょう。一種の都市伝説ですね、特定の晩、宿泊客が幸福を得られるという」。ホテルの料理屋でビールを飲んで伯爵を待った。「水牛になさいますか」どこかで会ったような男である。顔を向けたが男の姿はなく、代わりに板前姿の小男が笑っていた。「水牛のお客様で」「どうやって食うんだ」「うちで出してるのは尾鰭のとこだけですけどね。参りましょうか」「どこに」「湖ですけど」「あそこに水牛が?」

 猿渡を主人公にした幽明志怪シリーズの一篇。なぜなのかわからないままに恐怖と不眠と食欲不振に苦しめられている主人公の苦悩を読み進めていくと、水牛の尾鰭という突拍子もないものが飛び出してきて、あっさりと別の世界に引き込まれてしまいました。それでいながら決して荒唐無稽なわけではなく、不当な馘首であったり子ども時代の思い出であったりといった現実に根ざしていることが明らかになります。小説なんだから事実をそのまま書かないよ、と小説家の伯爵が話している通り、事実に基づく幻覚が小説として昇華された作品でもあるのでしょう。
 

「厠牡丹」福澤徹三(2000)★★☆☆☆
 ――「夜ひとりで厠にいるとき、牡丹の花の折れるところを想像してはいけません」。昼過ぎから読んだ本が面白くない。用足しに厠に立ったところで、不意に牡丹の話を思い出した。急に玄関の戸を叩く音がした。「早く開けろ。きょうは呑んでないんだ」「家をおまちがえでではないんですか」「自分の父親によくそんなことがいえるな」「あなたは父親じゃない。うちに金目のものはない、帰ってくれ」。作家になりたがっていたが才能のなかった父は、ある朝、庭に倒れて冷たくなっていた。

 印象的な書き出しですが、厠や牡丹である必然性がないように思います。そして他者=自分だったという、よくある形へと落ち着きます。
 

「海馬」川上弘美(2001)★★★☆☆
 ――海から上がって、もうずいぶんになる。主人は会社役員である。今の主人に私が譲り渡されたのは、三十年ほど前だったか。子供は四人いる。主人は帰りが遅い。前の主人は毎日家にいる職業だった。画家だったのである。画家の前の主人は大学教授で、その前は商人だった。海から出たのは、誘われたからだ。男は漁師だったが、魚を採ることより女を漁ることのほうが性にあっているような男だった。次の主人には輪をはめられ杭につながれた。

 著者が川上弘美なので当然怪奇小説ではなく幻想小説です。タイトルにこそ海馬とありますが、およそタツノオトシゴでもアシカでもセイウチでもありそうにありません。「殺到」と書かれているからには群体なのでしょうか。
 

「乞食《ほいと》柱」岩井志麻子(2001)★★☆☆☆
 ――明治の岡山の民家には、土間に一本だけ立った「乞食柱」と呼ばれる柱があった。乞食は入り口から三尺だけ、家の中に入ることを許された。数えで十六になった冬、サトは熱病に倒れた。サトは夢で見た蛇のことを婆やんに話した。「うちのサトはトウビョウ様のお使いになりました」。トウビョウ様とは広い地域で信仰された蛇の神様のことである。「男を知ったら拝む力は半分になるど。男のもんがっこに入ったら、蛇の頭が入ったんとおんなじことじゃ。抜けん」

 いかにも著者らしい土着と下半身の話。信仰の対象である蛇(の頭)=亀頭、乞食《ほいと》=女陰《ほと》とすることで、乞食に性的暴行を受けた話がきれいに繋がっていました。
 

「トカビの夜」朱川湊人(2003)★☆☆☆☆
 ――東京から大阪に来て移り住んだのは文化住宅だった。一番奥にはチュンジとチェンホという朝鮮人の兄弟が住んでいた。チュンジは私より二つ年上で直情型の性格だった。弟のチェンホはか細く、体に重大な障害があって外で走り回って遊ぶことが出来なかった。私が持っていた怪獣図鑑を貸したのが交流の始まりだった。チェンホは翌年の八月にこの世を去った。その数週間前、私は罪を犯していた。近所の子供たちと一緒になって、チェンホを差別し、いじめたのだ。

 著者の作品はどれも薄味のジェントル・ゴースト・ストーリーです。
 

「蛇と虹」恩田陸(2005)★★★☆☆
 ――ああ、ねえさん、血のような夕陽が沈むわ。あたしたち、あんな色、生涯で二度しか見ていない。可愛いいもうと、あんたはいったい何の話をしているの。冗談も休み休みお言い。あんたの目にはくすんだ紗の布がかかっているようね。あんたが言うのはいつのこと。ねえさんが撃った、あの黒い犬がまだ元気だったあの日ではないの。もしかして、ねえさんは別のものを撃とうとしていたのではないかしら。銃声なんか聞こえなかった。黒い犬なんか床に寝そべっていなかった。そうでしょう、可愛いいもうと。

 幻想や怪異に見えたものが視点や描写をずらしただけのごく当たり前の光景だったと考えれば、ポースト「大暗号」などの系譜でしょうか。前世と胎内で見た胎児の記憶。
 

「お狐様の話」浅田次郎(2006)★☆☆☆☆
 ――おじいちゃんの験力を頼って、お狐憑きがよくやってきた、と伯母は言った。その女の子はまるでフランス人形のようだった。少女は「かな」と名乗った。夕刻になると雉や狐ではない遠吠えが聞こえてきた。狗神が鳥獣の声を真似ているのだと教えられていた。森の中でその声を聞いた途端、香奈の相が変わり、嗄れた声で言った。「狗は嫌いじゃ」。お狐の仕業だった。

 狐憑きの話。
 

「水神」森見登美彦(2006)★★★☆☆
 ――これから語るのは祖父の通夜の日の出来事である。五年前のことになる。「今夜遅くに、芳蓮堂が来るそうだ。親父からの預かり物を持ってくる」孝二郎伯父が言った。芳蓮堂が持ってくる家宝に、私は少し興味を抱いた。晩酌をしながら待つことになった。「親父は水みたいにすいすい呑んでたなあ」と弘一郎伯父が言った。祖父は酒豪であった。樋口家の開祖は琵琶湖疏水のポンプの整備を手伝っていたようである。その開祖が掘り出した宝なのではないか。

 どこかしら人とは違う祖父が遺した宝物を巡る話ということもあって、どことなく『百鬼夜行抄』を連想しました。悪鬼や人の手によるものではない自然現象のような怪異はまさに神というタイトルに相応しいスケールでした。
 

「帰去来の井戸」光原百合(2006)★☆☆☆☆
 ――この春頃から伯母の体調は思わしくないようだ。由布は大学三年になって時間割にも余裕がでてきたところで、店の手伝いを引き受けた。開店時間にはまだ早いのだが、常連の一人、浜中がやってきた。「実はお別れの挨拶に来たんじゃ。茨城で所帯を持った息子が家を建てるけえ、そろそろ一緒に暮らさんかと言うとくれた」「常連の皆さんには何も言うてなかったんですね」「しんみりしちゃあたまらんけえの」

 この人もジェントルな感じの話ばかりの印象です。
 

「六山の夜」綾辻行人(2006)★★☆☆☆
 ――八月十六日。今日はいわゆる「五山の送り火」の日だ。「よろしければ十六日、おいでになりますか。病院の屋上を開放しますので」一週間前、深泥丘病院の石倉医師からそんなお誘いを受けた。「このあたりから五山全部が見えるのは貴重ですね」。描かれる文字や図形は決まっている。「人」「永」「火」「目」「虫虫」。今年の送り火は六山で、六山めに描かれる文字はその年によっていろいろで決まっていないという。

 著者の怪談特有の「……」や「――」の多用や、京極堂の関口みたいなうじうじ妄想系の主人公には相変わらずついていけません。文体だけでなく結末までもが「……」です。
 

「歌舞伎」我妻俊樹(2007)★★★☆☆
 ――子供の頃、砂場で古い乾電池を拾ったことがある。砂に埋めて家に帰り、翌日掘り返そうとしたが見つからなかった。そういえば兄貴、昔公園で乾電池拾ったよねえ。帰省した折、弟が突然そんなことを言い出す。いつも持ち歩いてたじゃない、ポケットに入れて。私の記憶とは食い違う。弟によれば、こわれたラジオに私の乾電池を入れたときだけ息を吹き返したという。ロシアかどこか外国語の放送が日本の歌舞伎みたいに聞こえたというのだ。

 てのひら怪談。「いやな寒気だけを感じた」という結びの文章がぴったり来ます。記憶が食い違っていただけだったはずなのに、世界が歪んでしまったようなずれが生じていました。
 

「軍馬の帰還」勝山海百合(2007)★☆☆☆☆
 ――「まっこ、けえってきた」一緒に寝ている末の息子が体を起こし、「おらえのアオ、けってきたよな音する」と言った。馬は二年前に軍に徴用された。「そんなわけねえべ。まっと寝ろ」そう言った途端、離れの馬小屋で、前肢で柵を蹴る音がした。「アオ!」息子が馬小屋に駆け出した。それにしてもよく生きて……馬小屋はいつものように空だった。「さっきまでハ居だのに……」息子が小さく呟き、泣き出した。

 てのひら怪談。この時期、方言で書かれた作品をやたらと評価する流れがあって、食傷した記憶があります。実際、著者は方言に頼らずとも勝負できる作家なので、ほかの作品を収録すべきだったと思います。
 

「芙蓉蟹」田辺青蛙(2007)★☆☆☆☆
 ――芙蓉の花を蟹が食べている。美味いのかい? 蟹は私の問いには答えないで、ぷつん、ぷつん、と赤い鋏で花びらを口に運び消化している。旅のお方ですか? 花の間から籠一杯の蟹を手にした赤い毛足の猿が現れた。にやりと笑った猿の歯が、どうして血に濡れているのかばかり考えてしまう。

 てのひら怪談。芙蓉を食う蟹という組み合わせこそ非凡ですが、あとは猿蟹合戦と自分が食われるというよくある要素に終わっています。
 

「鳥とファフロッキーズ現象について」山白朝子(2007)★★★★☆
 ――屋根にひっかかっていたのは全身が黒色の巨大な鳥らしい。回復して飛べるようになるまで面倒を見ることにした。寝そべってテレビを見ていてチャンネルを変えたいときのことだ。鳥が嘴でリモコンをくわえ、つきだした。「……ありがとう」そんなことが何度もあった。三年が経過し、私が高校三年生になったとき、家に侵入した人物に拳銃で撃たれて父が死んだ。二月になると父の兄が家をおとずれた。遺産管理についてだった。私はこの人が嫌いだった。伯父が帰った翌朝、窓のそこから音が聞こえた。見覚えのある指輪を見て伯父の中指だと気づいた。黒い翼が月の上をよぎった。

 乙一の別名義。幻想小説のような雰囲気でありながら、最後はきっちりホラーに着地します。ミステリ要素もありました。黒い巨鳥の正体自体は不明なままなのですが、読み終えてからそのことに気づきました。謎の鳥という存在を凌駕するストーリーテリングということなのでしょう。かつて手当てまでして助けた鳥を、共存のためと言い訳して傷つける場面には胸が痛みます。恐らく鳥には裏切られたという感覚がなく、本能的な行動であるらしいところが却って痛ましい。

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