「針と針すれちがふとき幽かなるためらひありて時計のたましひ」水原紫苑

 この短歌は尻切れとんぼです。〈針と針がすれ違うときためらいがあって、時計の魂……〉。いったい「時計のたましひ」がどうなったというのでしょう? 時計の魂が抜けてしまった。時計の魂の存在を詠み人が感じた。……

 そもそも時計の針というのは、長針も短針も秒針も、すべて同じ方向に動いています。そのため、針が針を追い越すことはあっても、「すれちがふ」ことはありません。時計の針と針が「すれちがふ」のは、時がねじれたとき――ねじれを生み出した張本人は、時計――「時計のたましひ」でしょう。

 時を歪ませる瞬間に、自分が行おうとしている事実の恐ろしさに気づいてためらったのでしょうか。あるいは上の絵のような光景も思い浮かびました。すれ違う際に、どちら側に避けようかためらった挙句に、同じ方向に避けようとしてぶつかりそうになった通行人です。水原紫苑の短歌にこんなユーモラスな解釈はあまり似合いませんが。

 さて。この歌も下世話に考えてみれば、「時計のたましひ」とは電池ということになるでしょうから、この歌は電池が切れかかって針がピクピク動いているのを見て、電池を取り替えなくっちゃ、と思った歌ということになってしまいます。〈針と針がすれ違うときためらいがあって、時計の魂を取り替えなくっちゃ〉です。これはこれで面白い、なんて思ってしまいますが。

びあんか・うたうら
水原 紫〓著
雁書館 (2002.6)
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星の肉体―水原紫苑エッセー集『星の肉体』に所収の自選二百首中に掲載。
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