『難破船』スティーヴンスン&オズボーン/駒月雅子訳(ポケミス1771)★★★★☆

 イギリスの軍艦が、南洋ミッドウェイ沖で座礁したフライング・スカッド号の生存者たちを救助して、サンフランシスコに入港した。パリで知り合った芸術家肌のラウドン・ドッドと実業家ジム・ピンカートンは、財宝を積んでいると噂されるこの難破船の権利を、競売で競り合ったすえ高値で落札する。(中略)次々に湧き起こる謎と座礁の意外な真実――文豪スティーヴンスンの今なお色褪せない“幻”の海洋冒険小説(裏表紙粗筋より)

◆本書は大きく三つのパートに分かれています。その一、芸術家志望だった語り手の若かりし頃のフランス遊行。その二、パリで知り合ったジムと始めた投資会社を軌道に乗せ、難破船を購入するまでの顛末。その三、難破船乗組員による回想。このうち第三部が「海洋冒険小説」に当たります。第一部は快男児の一代記みたいな話だし、第二部は経済サスペンス・犯罪サスペンスといった趣。「海洋冒険小説」部分は全体の四分の一弱ですが、それはそれでじゅうぶんに面白い作品でした。

 たとえばこんなところ。「どうしてもボーイを見つける必要があった。そこで回れ右して、階段を慎重に数えながら地上へ戻っていった。五つ、六つ、七つまで数えたが、まだボーイはいない。だんだん嫌気がさしてきたので、自分の部屋に近いことだし、もう寝ることにした。八つ、九つ、十、十一、十二、十三と階段を昇った。私の部屋の開けておいたドアはボーイと彼の揺れるろうそくの炎と同様、どこかへ行ってしまったらしい。私はその建物がどんなに高くても六階までしかないことを思い出し、そうすると(ごく普通に計算すれば)自分は屋上三階にいることになると気づいた。」(P.37)

 「スチーヴンソンという人は辻待の馬車を見てさえ、そこに一種のロマンスを見出す人ですから」という夏目漱石のことばどおりの神秘的な場面です。ところが実はこのシーン、内容にあんまり関係ないんですよね(^^;。それは確かにこの謎めいたシーンが間接的なきっかけとなって、生涯の親友ジム・ピンカートンに出会うわけですから、大事といえば大事だしインパクトはあるのだけれど、この幻想は何だったのか、謎の女性は何者だったのか、そんなこととは無関係に物語は進んでゆきます。でもこういうところが面白い。

 著者はエピローグで、探偵小説は面白いんだけど唐突すぎるから、物語が徐々に展開して登場人物が前もって紹介されていれば、突発性は薄まって謎は人生にあり、てなことになるんじゃないかと述べています。

 というわけで、紹介部分が小説の三分の一近くを占める異色の冒険小説になりました。語り手が出会う人と仲良くしたり喧嘩したりする場面をそのたびごとに描写したり、ジムの奥さんの小言が長々と続いたり、いらないといえばいらないような場面が読んでいて微笑ましい。昔の小説はこういうところがいい。余裕があるというか。語り手を勝手に著名芸術家に祭り上げたり、「なぜフランスのブランデーを飲むの? 同じラベルの酒があるのに」というキャッチコピーで商売を始めたり、商売上手というか腕白坊主というか、思い立ったら型のジム・ピンカートンが、読んでいて親近感を感じました。著者のもくろみ大成功というところですね。

 悪徳弁護士のベアレスや、謎の人物カーシューまでが、実はいい人だった、というのはご愛敬。じっくり書き込んだおかげで、登場人物みんな味のある好人物になってしまいました。

 さて難破船の競りが始まってからは怒濤のサスペンスと相成ります。なにゆえただの難破船の値が釣り上がるのか? 競売者の目的は? 正体は? 高値の正体に見当をつけたラウドンとジムは腹を決めて高額落札。多額の借金をして難破船の“お宝”目指して船を出します。さぁようやく『宝島』です。実は船を出すまでがまた長いんですが(^^)。どうやって借金するかとか、どうやって船長を雇うかとか、競売の競争相手の目的と正体は何か、とか盛り沢山です。

 たどり着いた難破船で明らかになる真相、さらなる事実を求めて元乗組員を追うラウドン……そして元乗組員の回想。ここからが「血塗られた漂流と掠奪の物語」です。言うほど元乗組員に同情すべき余地があるのかな……? どうもイギリスの階級意識からくる差別がありそうだな……と思うのは深読みしすぎなのかな……? とかもやもや考えてしまいましたが。それはともかく、冒険小説を期待していた読者ならここがいちばん読みどころ。船旅、腐った船(!)、難破、救助、サバイバル。ホームズもの長篇の第二部とか「グロリア・スコット号」なんかが好きな人にお薦め。

◆「スコットランドのすばらしい言い回しを借りれば、私は月光に飛び立った。要するに夜逃げだ。」(P.76)という文章にほほう。スコットランドではそう言うのですね。

駒月雅子氏という訳者の方は、プロの翻訳家なのか研究者なのか知りませんが、読んでいてちょっと気になる。

 原文でおそらく「“×××”said he./“×××”answered the other.」となっていると思われる部分を、「『×××』と彼は言った。/『×××』ともう一方が答えた。」と訳してます。訳者の方針なのでしょうけれど、でも「もう一方」はないだろうに……。わたしも訳し初めのころは素直に「もう一人」とか「相手」とか直訳していましたが。いきなり「もう一方の男」とか書かれていたから、話相手のほかにもう一人相手方がいるのかと思ってしまいました。

 「ゲーテ」もね……。教養はないけれど本好きの登場人物がゲーテ作『若きウェルテルの悩み』について話すシーン(P.272)。「このゴーイースとは誰ですか?」「“ゴーイースによる”とだけ書かれているので、おやと思いました」。わたしもおやと思いましたよ。おそらく「ゴーイース」とは「Goetheゲーテ)」のでたらめ英語読みなわけですよね。でも「ゴーイース」とだけ書かれてそれがゲーテのことだとすぐにわかる日本人読者がはたして何人いるか。註釈をつけないのも方針だというのならそれでもいいです。でも仮に“by ゴーイース”と原文にあったら、普通なら「ゴーイース作」と訳すのでは。「“ゴーイース作”とだけ書かれているので、おやと思いました」。これならまだしも「ゴーイース」=作者、であるからして、「ゴーイース」=「ゲーテ」だとすんなりわかると思うのですが。

 他人のあらほどよく気がつく――ので重箱の隅をつつくようなことを書いてしまいましたが、全体的にとても読みやすかったです。
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難破船
ロバート・ルイス・スティーヴンスン著 / ロイド・オズボーン著 / 駒月 雅子訳
早川書房 (2005.6)
ISBN : 4150017719
価格 : ¥1,470
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