『ゲームの王国』(上・下)小川哲(ハヤカワ文庫JA)★★★★★

『ゲームの王国』(上・下)小川哲(ハヤカワ文庫JA)★★★★★

 2017年親本刊行。

 政治家や警官の腐敗と共産主義者への弾圧が著しい1956年のカンボジア。高校の歴史科教師サロト・サルは、革命組織を新たに作り直そうとしていた。同じころ、郵便局員ニュオン・ヒンは、タクシー運転手ティヌーから赤ん坊を押しつけられ、ソリヤと名づけて大切に育てていた。だがソリヤが八歳になった1964年、ティヌーが共産主義者として逮捕され、ヒンもまた罪をでっちあげられる。ソリヤがサロト・サルの子である可能性をヒンの口から聞いた潜入捜査官によって、かろうじてソリヤだけがよそへ逃がされる。

 1964年、貧村ロベーブレソンの農民スウ・サムに次男が生まれた。最初に発した言葉が「水浴び《ムイタック》」であり、異常なまでに清潔にこだわったため、子どもはムイタックと呼ばれ、気味悪がられた。ムイタックが四歳になった1968年、サムの弟フオンが村に戻ってきた。共産主義者のフオンはティヌー逮捕時にどうにか逃げ延びてきたのだ。

 数年後。ソリヤの恩人とムイタックの姉の結婚式の日、ソリヤとムイタックが出会ったその日にクメール・ルージュの革命が成功し、ポル・ポトによる虐殺が始まる……。

 ロベーブレソンの住民は個性的です。天才児ムイタックをはじめとして、恐らくは発達障害を持つ〈輪ゴム〉や、土を食べ土と会話して土壌を利き分けられる〈泥〉、精霊に声を奪われていた〈鉄板〉など、南米マジック・リアリズムのようでした。ソリヤもまた、人の噓を見抜く(本人によれば「真実を見抜く」)才能を持っていることがわかります。

 マジック・リアリズムがもっとも発揮されるのは、〈泥〉による戦闘シーンです。土と会話できる〈泥〉がその才能を発揮し、有り得ないことが現実に起こっているのか妄想なのかも怪しいなか、けれど結果だけは現実に残されていました。超人ハルクのように、怒りによって理性をなくして超人的な力を発揮した、と考えるのが穏当(?)な考え方でしょうか。

 そんな田舎にも革命の波は確実に押し寄せます。フオンは痛々しいほどの理想の持ち主で、当初は「賢い=共産主義」という偏った考えを信じ、クメール・ルージュの噓に気づいてからも人の善に基づいて改革を起こそうとするなど、本質的に無邪気な人なのでしょう。

 一方で革命や思想とは無縁なサムは、みずからの信じるところに基づいてムイタックを認めていたりするなど、単なる惰性ではなくそれなりの理由によって伝統が機能していて、田舎には田舎のルールがあることがわかります。

 新政府側は史実のポルポト同様に理想と言うにも幼稚な愚かしい行為を続けてゆきます。革命がうまくいっていないのは「内部に革命を邪魔する勢力がいるからだ」(上p.315)。「オンカー指導部はその原因のひとつが内部のスパイにあると考えていて」(上p.340)。思想に限らずこういう人は現実にけっこういますね。自分の間違いを認められない――というより、自分が間違っている可能性を考えることが本当に出来ない面倒臭い人たち。

 けれどそんなポル・ポト打倒を目指すソリヤやムイタックもまた、みずからのルールに縛られて犠牲を生み出してしまうという点で、ポル・ポトたちと何ら変わりはありませんでした。

 下巻になると時代はあっと言う間に飛び越え2023年。ポル・ポトはとっくに失脚し、ソリヤがカンボジアの首相を目指していました。

 遡ること20年前の2003年、教授となり脳波の研究をしていたムイタックは、脳波ゲームを開発しているロベーブレソン出身のアルンと出会います。

 相変わらず理想を目指しているソリヤに対し、ムイタックはもはや脳波とゲームの研究に打ち込んでいるだけのように見えます。果たして脳波が結果ではなく脳波を起点として偽の記憶に作用することがわかり……

 腐敗しているカンボジアだからこそ、改めてルールを敷衍する余地があるのでしょう(下p.277)けれど、「ソリヤは『ゲームの王国』をカンボジアで実現しようとしている。(中略)私は『ゲームの王国』におけるゲームの定義は、間違っていると思っている」(下p.232)ように、ソリヤは相変わらず平和のために人殺しを厭わぬまま、ムイタックとはすれ違うばかりです。

 家族を殺したソリヤを絶対に許さないと決意していたはずのそのムイタックの方は、下巻に入ってからは研究とゲーム開発に勤しんでいて、いったい何を目指しているのか真意は見えません。ようやく下巻p.405以降になってからソリヤの娘の口から真意を指摘され、すべてが繋がっていたことがわかります。なるほど長々と脳波の講義の様子を描いていたりしたのも、一つにはそうしたSF的な狙いのためだったのですね。

 上巻には異能なロベーブレソン住民が何人も登場しましたが、下巻にも性的興奮で不正を見抜くテレビマンや、ヘモグロビン医師や、何しに登場したんだかよくわからないことになってる殺し屋など、おかしな人物に事欠きません。

 疑われたら不機嫌になればいい(下p.343)というのは現実に於いて一部の女性の得意技ですが、それが元警察長官のラディーが殺し屋に言う台詞なのが可笑しかったです。

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