『雨の日も神様と相撲を』城平京(講談社タイガ)★★★★☆

 相撲好きの両親に育てられながらも、体格に恵まれなかった逢沢文季は、両親の死後、母方の叔父に引き取られ、中三の春から米どころの田舎で暮らすことになる。相撲とは縁が切れたつもりだった……。ところがその村は、相撲好きのカエルを神様と祀る、相撲の盛んな土地だった。その年の村祭りの相撲大会で優勝した者の作る米には、豊作と美味が約束されるのだという。小柄ゆえに観察眼と技能と理論を磨いていた文季は、一躍クラスの注目の的となる。かんなぎの家系・遠泉家の長女であり、六十歳になった際には「カエル様の花嫁」になる定めの真夏は、そんな文季に目を留め、相談をもちかけた。それはカエル様のなかに紛れこんだ外来種のカエルに、在来のカエルが相撲で勝てるように助言して欲しいという、奇天烈なものだった。だが目の前でカエルが相撲を取っているのは疑いようがなかった。一方そのころ村境の林でトランク詰めの女性の遺体が見つかり、刑事の叔父は捜査に忙しかった。

 城平京による、三冊目の小説作品です。

 これまでに刊行された『名探偵に薔薇を』『虚構推理』『雨の日も神様と相撲を』の三冊を読むと、著者の小説には一つの特徴があることに気づきます。

 いずれの作品も、事件の外から探偵していたはずの探偵が、実は事件そのものに組み込まれていた存在だったという構図が見られるのです。探偵という存在や探偵するという行為が、なにも安全を約束された特権的なものではなく、作中で起こる出来事と無関係なものではありえないという、現実の世界では至極当たり前のことが、城平作品でも当たり前に(というよりは固執的に)繰り返されています。

 こうしてみると、有名な型のバリエーションだと思われるデビュー作『名探偵に薔薇を』も、実のところは型が最初にあったのではなく、探偵が事件に組み込まれるという構図が先にあって、それに最適な肉付けとしてあの型が選ばれたということだったのではないかと思えてきます。

 探偵と現実との関わりに著者がこだわる理由はわかりません。都市伝説という増殖する言葉を扱った『虚構推理』は、すでにこのタイプの極北にして至高、これ以上のものは著者にもなかなか書けないでしょう。

 本書『雨の日も神様と相撲を』には、殺人事件も出てくるものの添えもの的な扱いで、メインはカエルの相撲勝負。ところがこの相撲描写が的確でめっぽう面白く、格闘技小説としても出色の出来栄えとなっていました。相撲に興味がなくても読み入ってしまうどころか、格闘技小説やアクション描写に興味がなくても引き込まれてしまうほど、アクションと解説のバランスがほどよく、こんなところで著者の新たな才能が発揮されるとは思いませんでした。

 おかしな因襲のはびこる(閉鎖的ではない)村という舞台設定は、ミステリ読者には惹かれるものがありました。

 「頼みがある。相撲を教えてくれないか?」神様がそう言った。子供の頃から相撲漬けの生活を送ってきた僕が転校したド田舎。そこは何と、相撲好きのカエルの神様が崇められている村だった! 村を治める一族の娘・真夏と、喋るカエルに出会った僕は、知恵と知識を見込まれ、外来種のカエルとの相撲勝負を手助けすることに。同時に、隣村で死体が発見され、もつれ合った事件は思わぬ方向へ!?(カバーあらすじ)
 

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『ナイトランド・クォータリー』vol.18【想像界の生物相】

「Night Land Gallery 国立民族博物館・特別展「驚異と怪異――想像界の生きものたち」」

「マンタム選 想像界の生き物図鑑」

塹壕からの「準創造」――『トールキン 旅のはじまり』」岡和田晃

「開田祐治インタビュー ノイズの中から生まれるイメージ」

「マンドラゴラ売りの口上」イブン・ダニヤール/岡和田晃訳/藤原ヨウコウ画(夜の国の幻視録 その2)
 

 特集タイトルの想像界とは、国立民族博物館特別展から採られたようですが、例えば「架空の生物」とか「モンスター」とは何が違うのか、ご大層な用語を用いているわりには、少なくともグラビアページに掲載されていたのは“どこかで見たことのある”ようなものばかりでした。
 

「大空の恐怖」アーサー・コナン・ドイル/田村美佐子訳(The Horror of the Heights,Arthur Conan Doyle,1913)★★★★☆
 ――これは行方不明になったジョイス=アームストロングが残した手記の断片である。飛行士たちの不可解な事故が頻発していた。有り得ない垂直上昇や、首のない死体……。雨が降り出した。厚い雲を抜け、ほっとした瞬間だった。わたしはクラゲのようなものの群れのただ中にいた。紫がかった蒸気のかたまりがふわふわとおりてきて、獲物を狙う猛禽さながらに追いかけてきた。

 『ドイル傑作集3 恐怖編』にも収録されている作品の新訳です。古いタイプの小説らしく手記の出所にこだわっているわりには、手記自体の成立に信憑性がない(なんで最後の瞬間にわざわざ操縦席でメモする余裕があるのか……)のが興醒めでしたが、空や海といった人類の力の及ばぬ世界に存在している未知の生物というモノには怖いながらもロマンがあります。ことさらに人を襲うモンスターではなく、ただそこに存在している生き物のところに人間が紛れ込んでしまっただけというところに、魅力を感じます。
 

「【ブックガイド】眩惑と驚異のメタテクスト空間へようこそ」岡和田晃

クルディスタンの異邦人」E・ホフマン・プライス/岡和田晃(The Stranger from Kuldistan,E. Hoffmann Price,1925)★☆☆☆☆
 ――「邪悪なものを崇める寺院に、どうして祭壇や磔刑像があるのです?」異邦人がたずねた。「司祭によってサタン崇拝者の不倶戴天の敵キリストをパンに受肉させ、黒ミサで聖体を穢すのです」七十七名の信徒は頭を垂れた。高司祭はサタンを呼び出す呪文を唱え始めた。

 黒ミサの光景があまりに古くさいうえに、本気なのかと目を疑いたくなるようなイエスとサタンのバトルが始まってしまいました。。。
 

「マレクの復活」ポール・ヘインズ/岡和田晃(Malik Rising,Paul Haines,2005)★★★★☆
 ――タウルスは試験管を私たちの前に置いた。「これが“それ”なんだよ」注射器を試験管に挿入し、不透明な液体を吸わせた。「さあ、誰が最初にやる?」。これは信念の問題だ――私より強い信念の持ち主はいない。私は天使になるんだ。私は袖をまくりあげた。「子どもたちよ、雑踏に入り込め」

 マレクとは語り手の男性の名前であると同時に、恐らくは天使の語源になったヘブライ語の「Malach(Malakh) 伝令」を意味するのでしょう。復活した天使は、確かによからぬものを伝播しに行くようです。
 

能楽「土蜘蛛」――日常と地続きの怪異の恐ろしさ」待兼音二郎

「【ブックガイド】双角の預言者、あるいは錬金術師の父祖――山中由里子アレクサンドロス変相』を素描する」岡和田晃
 

「ガーヤト・アルハキーム」仁木稔

「アンソロジーに花束を(1)謎の物語」安田均
 

「レオポルトシュタット街のゴーレム」タラ・イザベラ・バートン/待兼音二郎(The Golem of Leopoldstadt,Tara Isabella Burton,2014)★★★★☆
 ――父は臨終の床にあった。兄のコルネリウスは聖別された存在で、生き延びた男の子だった。ナチスの暴虐が始まったときにも、将校夫人の母性本能をくすぐり逃れられたという。神はクララを選ばなかった。土人形づくりだけが彼女の特技だった。

 聖書からの引用が多く、理解したとは言いがたい。捏造された神話を暴き、復讐する神の裁きに自らを重ねる姿は、聖書と伝説の形を借りた、虐げられた少女によるイマジナリーフレンドの具現化のようでもあります。
 

「ヴンダーカンマーの時代とモンスター映画の間 ゴーレム編」深泰勉

「三宅陽一郎インタビュー AIは人間の幽霊を見るか」徳島正肇・文
 

「山の中へ、母なる古齢の森の中へ」クリスチャン・ライリー/大和田始(Into the Mountains with Mother Old Glowth,Christian Riley,2015)★★★☆☆
 ――ケヴィンはトレイルに沿って歩き出した。二週間一人で山の上で過ごしたいという欲求を妻のヴァネッサは理解できなかった。そのうえバックパッカーの殺人事件があったところだ。ケヴィンは一日目を乗り切った。そrはトレイルを百メートル戻ったところからやってきた。樹木を引き裂く大きな音、土と石を掻き回す深い音、数分にわたってつづく呻き。爆風と、それに伴って運ばれた堆肥の臭い、そして他の……血糊?

 生贄を求める太古の地母神のような禁忌に触れはするものの、どうも夫婦仲もうまくいっていないようですし、崩壊は来たるべきして来たようです。
 

「台湾土俗ホラーが怖い!」加藤浩志
 

「リトル・マーメイドたち」アンジェラ・スラッター/徳岡正肇訳(The Little Mermaid,Angela Slatter,2017)★★★★☆
 ――私の母も選択をした。大海の片隅にあるこの昏い洞窟に棲む老いたる海の魔女を訪れ、己の運命を完璧に塗り替えた。最初の望みを叶えるために子を為す力を魔女に差し出していた母は、再び魔女の元を訪れ、「何でも与える」ことを約束した。母は双子を産んだ。母が死んだあと、王国の統治権は一ヶ月ごとに私と妹の間を往復した。けれど海の魔女から書状が届き、母は彼女に借りがあり、私たちはそれを返す必要があると記されていた。

 人魚姫をモチーフに、ギブ・アンド・テイクの原理原則が受け継がれてゆきます。身勝手な願いを残したまま勝ち逃げした母と、残された負の遺産を引き継がねばならない子。要領よく立ち回って利益を得た妹と、負債を背負わされた姉。二通りの対比が描かれます。そして子は為さぬとも負の遺産だけは残し続けていくようです。
 

「「DOOM」――怪物と踊るビデオゲームの快楽」徳岡正肇

「ヴンダーカンマーの時代とモンスター映画の間 人魚編」深泰勉

「【新刊紹介】石神茉莉『蒼い琥珀と無限の迷宮』」深泰勉

「バリ、ダイビング・ポイントの怪」友成純一

「書斎の中のもの」ウィリアム・ミークル/渡辺健一郎訳
 カーナッキもの。

「バリのレヤック」友成純一

「一休葛籠」朝松健

「怪物のアイデンティティ――鳥の王「ロプロプ」のうつろう形象」松島梨恵

「【ブックガイド】「人間ならざるもの」が未来と過去を相対化する」岡和田晃

「【ブックガイド】想像界の生物相を探究するために」岡和田晃
 

「ラミアとクロミス卿」M・ジョン・ハリスン/大和田始(The Lamia and Lord Cromis,M. John Harrison,1971)★★☆☆☆
 ――〈八獣〉のうちの一匹だという噂の〈獣〉を仕留めにやって来たクロミス卿は、女の不吉な予言も気にせず、カーンと小人とともに道を進んだ。

 かつてサンリオSF文庫で出ていた同じ〈ヴィリコニウム〉シリーズの長篇『パステル都市』は傑作らしいのですが、この短篇を読んでも面白さはよくわかりませんでした。
 

  

『ベスト・ストーリーズI ぴょんぴょんウサギ球』若島正編(早川書房)★★★★☆

 年代順の『ニューヨーカー』傑作集全3巻の第一巻になります。
 

「ぴょんぴょんウサギ球」リング・ラードナー/森慎一郎訳(Br'er Rabbit Ball,Ring Lardner,1930)★★☆☆☆
 ――最近は孫たちを野球場に連れ出しても、ただ黙々とお色気小説を読んでいる。試合に使われている公式球とやらには、昔と同じ成分が同じ割合で入っているという。昔ならナイルズ高校二軍チームのバットボーイにさえなれないようなやつらが、「強打者」連中と呼ばれているのだ。

 一応は野球についてのエッセイですが、もはや内容はどうでもよく、悪口のセンスと語り口を楽しむべき作品ですが、言い回しがくどくどしくて好きになれませんでした。
 

「深夜考」ドロシー・パーカー岸本佐知子(The Little Hours,Dorothy Parker,1933)★★★★★
 ――はて。私を囲んでいるこの黒い物質は何? まさか生きたまま埋葬されたとか? いや、そうじゃない。真夜中に目が覚めたのだ。ゆうべは宵のうちに本を読んで、それから寝床についたのだ。読書――そう、世に名高きこの悪習。それについてラ・ロシュフコーが上手いことを言っている……。

 岸本佐知子の名訳に乗せて、のっけから笑わせてくれます。夜中に目が覚めて、眠れなくなったらどうするか――。こんなに山ほど考えてたんじゃそりゃ眠れないだろうと思いますが、誰もが納得する(?)機知に富んだ解決策が用意されていました。
 

ウルグアイの世界制覇」E・B・ホワイト/柴田元幸(The Supremacy of Uruguay,E. B. White,1933)★★★★☆
 ――街頭集会で歌っていたラブソング歌手のとてつもなく大きい声の轟きが、カサブランカ氏の体に鋭く突き刺さった。あんなにソフトな甘い声を少し増幅しただけでたがが外れてしまうのなら、もっとずっと大きな音をもっとずっと増幅したら、何だってできるのではないか?

 プロパガンダを扱ったパロディ。世界征服はしたけれど……。
 

「破風荘の怪事件(手に汗握る懐かしの連載小説、一話完結)」ジョン・コリア/若島正(The Gables Mystery,John Collier,1934)★★★★☆
 ――「ハーバート、これ、あなたのボタン?」「どこで見つけた?」「メイドのベッド脇の敷物の上よ」「だとすると、珍しいことがあるものだな。カササギが拾って――」「しらばっくれないで、ハーバート」

 扶桑社文庫から出ているコリア短篇集『予期せぬ結末1 ミッドナイト・ブルー』に「ボタンの謎」(植草昌実訳)の邦題で収録。
 

「人はなぜ笑うのか――そもそもほんとに笑うのか?(結論出しましょう、ミスタ・イーストマン)」ロバート・ベンチリー柴田元幸(Why We Laugh? - Or De We? (Let's Get This Thing Settled, Mr. Eastman,Robert Benchley,1937)★★☆☆☆
 ――笑いとはすべて、くしゃみの代用としての反射運動にすぎない。私たちが本当にやりたいのはくしゃみなのだが、それがつねに可能とは限らないので、代わりに笑うのである。

 まじめ(ふう)に笑いを考察したエッセイ。
 

「いかにもいかめしく」ジョン・オハラ/片岡義男(Graven Image,John O'Hara,1943)★★★★☆
 ――次官はハーヴァードで同期だったチャールズ・ブラウニングとホテルのレストラン席に座った。「チャールズ、きみから手紙をもらって驚いたよ。職のことなんだよね。なぜ私のところへ来たのかな」「わかってるはずじゃないか。こんな単純な話もわからない人が、いまの地位にいるわけない」

 編集部の解説によれば、「出自の差、そしてそれに対する二人の意識」ということですが、そういうのは抜きにしても、腹の探り合いと見栄の張り合いが生み出す緊張感とユーモアが恐ろしくも楽しい一篇です。
 

「雑草」メアリー・マッカーシー谷崎由依(The Weeds,Mary McCarthy,1944)★★★★☆
 ――ペチュニアが咲いたら離婚しよう。そう思ったら、喜びの感情が込みあげた。いびつな長方形の土地に植えた花の種はゆがんでいる。来年こそは、きっと。そう思ってから、愕然とする。来年こそは、もちろん、わたしはここにはいない。

 普遍的な女と男の(あるいは妻と夫の)わかりあえなさを、妻が心の拠り所としている花壇に託した作品。
 

「世界が闇に包まれたとき」シャーリイ・ジャクスン/谷崎由依(When Things Get Dark,Shirley Jackson,1944)★★★★☆
 ――「あなたには現在、友人の助けを必要とされていますね」。ミセス・ガーデンは手紙を読み返し、差出人のミセス・ホープに会いに行った。ミセス・ホープには偶然バスで会い、親切にしてもらったのだ。「ご相談があるんです。結婚してまだ間もないのに、赤ちゃんが生まれるんです。まだ夫と一緒に愉しんだりしていたいのに……」

 ジャクスン短篇集『なんでもない一日』に「おつらいときには」(市田泉訳)の邦題で収録。
 

「ホームズさん、あれは巨大な犬の足跡でした!」エドマンド・ウィルソン/佐々木徹訳("Mr. Holmes, They Were the Footprints of Giantic Hound!",Edmund Wilson,1945)★★★★☆
 ――実は推理小説について考えるようになって以来、時々シャーロック・ホームズを読んでいる。今日流行の推理作家とはちがい、シャーロック・ホームズの物語は卑しからぬレベルの文学作品なのだ。その理由は想像力と文体にある。

 毒舌というイメージがあったのだけれど、ホームズには好意的。こういう切り口でのホームズ論は、当時としては新鮮だったのかな。
 

「飲んだくれ」フランク・オコナー/桃尾美佳訳(The Drankard,Frank O'Connor,1948)★★★★☆
 ――レモネードを飲んでしまっても、まだ喉が渇いていた。父さんは背を向けている。黒ビールはどんな味がするのだろうという好奇心がむくむくと湧いてきた。ぐいっと大きく飲みほしてみたら、黒ビールのおいしさがわかってきた。まるで体を離れた自分が空中から自分を見つめているみたいな気分になれる。

 父親についてパブにやって来た子どもが飲んべえの父親の監督役を引き受けようとした。つい一口飲んでみたら酔っ払ってしまった。母親から感謝されたというオチ。――ただこれだけの他愛ない内容なのに、作品そのものや登場人物が生き生きと輝いて見えるのは、文体なのか観察眼なのか、いずれにしても著者だからこそだというのだけはわかります。
 

「先生のお気に入り」ジェイムズ・サーバー柴田元幸(Theacher's Pet,James Thurber,1949)★★★☆☆
 ――ケルビーはスティーヴンソン家のパーティに行きたくなかった。スティーヴンソンを見ていると、子どもの頃のことを思い出してしまう。先生のお気に入りだったケルビーは、「典型的な砲丸投げ選手」だったレナードから何かといじめられていた。

 フルバックフルバックのまま――人生の負け犬が吠えることができたのは、所詮そういうときでしかないようです。本作を読めばわかるとおり、それは他人から思われているのとは違う理由、違う事情ではあるのですが……。実際に報道されるような事件の裏に、こうした事情があるのかもしれないと思うと、何だか物悲しくなってきます。
 

「梯子」V・S・プリチェット/桃尾美佳訳(The Ladder,V. S. Pritchett,1949)★★★★★
 ――あの夏のことは覚えている。学校から帰省したところ、母親はいなくなって、おまけに家の階段もなくなっていた。「階段はどこ?」笑い声を聞いて二階から声が返ってきた。父の秘書ミス・リチャーズ、もとい父のふたり目の奥さんだ。私が梯子を上り下りしていると、「なんて脚かしら、大人になってきたわね」大きなお世話というものだ!

 人間なんて昔とそう変わるものじゃない――とはいっても、多感な少女を描いてまるっきり現代作品と遜色のない普遍性を得ているのは、やはりすごいことだと思います。ふたり並ぶと父親が小さく見えることにショックを受けたり、父親が家を改装した理由について穿った見方をしたり、秘書だったときのてきぱきした姿とのギャップを冷静に観察していたりと、大人と子どもの中間である十五歳という年齢の少女を、大人びさせすぎもせず幼くさせすぎもせず過不足なく、リアルに描ききっています。
 

ヘミングウェイの横顔――「さあ、皆さんのご意見はいかがですか?」リリアン・ロス/木原善彦(Profile: How Do You Like It Now?, Gentlemen?,Lillian Ross,1950)★★☆☆☆
 ――飛行機でハバナから到着した日、ヘミングウェイは時間に追われているように見えなかった。「この人、ヒコーキで、ずっと、本、読んでた」インディアンの口調を真似る中にも、やはり中西部訛りが聞き取れた。

 解説によれば「ニュージャーナリズム」の先駆けだそうですが、いま読むと珍しくもない密着インタビューの切り貼りです。
 

「この国の六フィート」ナディン・ゴーディマー/中村和恵(Six Feet of the Country,Nadine Gordimer,1953)★★★★☆
 ――「この子は誰だ?」具合が悪い人間がいると言われてボーイたちの小屋にいたのは、ペトラスの弟の不法移民だった。伝染病の恐れもあるため検死を頼み、埋葬されたあとで、ペトラスが遺体を引き取りたいと言い出した。

 アパルトヘイトが存在していたころの南アフリカ共和国が舞台の作品です。ここに描かれている出来事を読んでいると不条理な笑いのようなものがこみ上げてきますが、こういう世界が実在した(している)と考えると愕然とします。
 

「救命具」アーウィン・ショー/佐々木徹訳(Instrument of Salvation,Irwin Shaw,1954)★★★★☆
 ――女優をしていたインゲは、若い頃にドイツで会ったことのあるヴィネク氏とパーティで再会した。その見栄、ドイツ人らしさ、誘いを断ったら劇場の支援を断られたことを思い出し、インゲは苦々しく感じていた。そのせいでインゲの家族はアメリカに渡ったのだった。

 過去のたった一場面が引き起こした運命の流れと、人としての勝敗が、鮮やかに描写されています。ここに描かれているような見栄と自尊心は、ヴィネク氏に特有のものというよりも、男全般に当てはまることのようにも感じます。確かに偶然からインゲたちは命を救われた形になってはいますが、結末でインゲが取った行動は、だからというよりはインゲひいては女の男あしらいの上手さによるものなのでしょう。
 

「シェイディ・ヒルのこそこそ泥棒」ジョン・チーヴァー/森慎一郎訳(The Housebreaker of Shady Hill,1956)★★★★☆
 ――親分の命令だったが上司にクビを伝えることができずに、私は独り立ちすることを決めた。だがオフィスを借りてもお金がない。とうとうウォーバートン夫妻の家に忍び込み、カールの財布を拝借してしまった。

 出来心と罪悪感と泥棒への誘惑。けれど悲愴感はなく、小市民の小市民なりの開き直ったかのような余裕にはユーモアすら感じさせます。家族や会社とちょっとトラブっちゃってね、、、というだけの何くわぬ顔をしているそこらのサラリーマンにも、こんな裏の顔があるのかもと考えると楽しくなってきます。
 

「楢の木と斧」エリザベス・ハードウィック/古屋美登里訳(The Oak and the Axe,Elizabeth Hardwick,1956)★★★☆☆
 ――クララは「厳密に言えば」という言葉を好む、女性誌の料理担当編集者だった。離婚してから一年ほど経って、クララはヘンリーと出会った。ヘンリーの過去や、「ちょっとした短いもの」を書いたことがあるのが、魅力的に映った。初めて部屋を訪れたとき、その薄汚さと暗さに衝撃を受けた。

 絵に描いたようなダメンズ好きに、微笑ましさすら感じてしまいます。
 

パルテノペレベッカ・ウェスト/藤井光訳(Parthenope,Rebecca West,1959)★★★★★
 ――発端は伯父がアリス・ダレルの館を訪問したことだった。そばには提督の館があり、庭にはギリシア風の名前をつけられた美しい姉妹たちがいた。提督は娘たちを急いで嫁にやってしまったのだが、娘たちは年に一回こうして集まっているのだという。あるとき伯父は大伯母から預かった手紙をパルテノペ嬢に届けに行った。

 ギリシア風の名前に相応しいとも言える悲劇の家系の、一輪の花の数奇な運命。そんな女性に恋した伯父さんは、まるで伝説のなかに紛れこんでしまった現代人であるかのようです。
 

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『S-Fマガジン』2019年10月号No.735【神林長平デビュー四十周年記念特集/ジーン・ウルフ追悼特集】

「鮮やかな賭け」神林長平
 四十周年記念、書き下ろし読み切り。

「選考文――評者・神林長平の見出した才能」伴名練
 

『137機動旅団 新・航空宇宙軍史』谷甲州
 こちらも四十周年記念の長篇一挙掲載。
 

『SFのある文学誌(66)佐藤春夫――幻想するノンシャランな視線」長山靖生
 長山靖生が編集している彩流社のシリーズは、装画もモダンでお洒落なのですが、判型が大きくて読みづらいのと価格が高めなのが難点です。
 

「書評など」
◆アニメ『彼方のアストラ』、宮部みゆき『さよならの儀式』、澤村伊智『ファミリーランド』、劉慈欣『三体』、ハーラン・エリスン編『危険なヴィジョン〔完全版〕』など。
 

ジーン・ウルフ追悼特集」

ユニコーンが愛した女」ジーン・ウルフ柳下毅一郎(The Woman the Unicorn Loved,Gene Wolfe,1981)★★★☆☆
 ――ユニコーンが逃げ出した。若い娘がパンを持ってユニコーンに近づいた。「殺される」そう思ったが、ユニコーンはパンをかじって娘の首筋に鼻を押しつけた。警察が武装ヘリから催涙ガスを撒布し、ユニコーンはまたどこかへ逃げ出してしまった。

 2000年12月号掲載作の再録。人間の空想には限界があるというのはよく言われる話で、新しい動物を作ろうとしても神話の世界の生き物の似姿になってしまうあたりはまだしも、その生き物の行動パターンまで既に詩に歌われているのが可笑しい。それでも馬は馬であって、処女以外は殺すというのは所詮伝説でしかありませんでした。
 

「浜辺のキャビン」ジーン・ウルフ村上博基(A Cabin on the Coast,Gene Wolfe,1984)★★★★☆
 ――ティムはコテージに戻り、マットで足を拭いた。リッシーはもう起きてベッドにすわっていた。「出発だ。リノまでほんの五百マイル。あしたの朝には結婚できる」。つぎの朝、目覚めるとひとりだった。警官に届けたが海で流されたのなら生きている可能性は低いと言われた。ティムは沖にある船を目指した。リッシーはそこにいるという確信があった。

 1986年2月号掲載作の再録。婚約者との会話を通して、末っ子のティムにはどうやら父親との確執があるらしきことがわかってくるものの、突如として怪奇小説の世界に変わってしまうので戸惑ってしまったのですが、最後にはきちんと父親との話に戻って来ました。この手の人ならざるものの約束は、嘘はつかないがズルをすると決まっているようです。
 

「太陽を釣り針にかけた少年」ジーン・ウルフ中村融(The Boy who hooked the Sun,Gene Wolfe,1985)★★★☆☆
 ――八日目、ひとりの少年が釣り糸を海に投じた。八日目の太陽はちょうど昇るところで、餌に食いついた。少年は釣り竿をぐいっと引いて、釣り針を引っかけ、にんまりした。太陽は一日じゅうのたうち、跳ねまわった。村の男がいった。「太陽を放してやれ。太陽が疲れはてたら、冬が来て花が残らず萎れてしまう。太陽をたぐり寄せたら旱魃が来て運河が干あがってしまう。釣り糸を切れ」。しかし少年は笑っただけだった。

 冬至に合わせて発行された限定版の小冊子に掲載された作品で、冬が来ることの由来譚になっています。
 

「金色の都、遠くにありて(前篇)」ジーン・ウルフ酒井昭伸(Golden City Far,Gene Wolfe,2004)
 ――少年は夜ごと異世界に旅する夢を見ていた。かれがそこで彼方に見たのは、黄金の都だった(袖コピー)

 後篇は10月発売の次号に掲載。
 

ジーン・ウルフ一問一答」ジェイスン・ポンティン/中野善夫訳
 「(チェスタトンの)魅力は、話がどこへ向かおうとも議論を厭わないところだろうか」というのには、なんだか笑ってしまいました。
 

ジーン・ウルフ主要著作リスト・解題〔増補改訂版〕」柳下毅一郎・編集部編
 こんなに未訳作があるとは思いませんでした。訳されることはあるのかな。。。
 

「乱視読者の小説千一夜(63)島博士とウルフ」若島正
 二年前に定年退職し、現在もウルフの読書会をおこなっているそうです。
 

「西田藍の海外SF再入門(26)静かな哀しみ『書架の探偵』」
 

「劉慈欣『三体』刊行記念 大森望×藤井太洋トークイベント採録
 ヒューゴー賞を受賞してから中国でもSF自体の地位が上がったようです。内容はというと「なにがとび出してくるのかわからないというビックリ箱」「バカSF」「超トンデモSF」という言葉が飛び交い、書評欄では鏡明氏が「無理が幾つも出てくるのだが、それらのものから感じられるのはSFの原初的な力、センス・オブ・ワンダーと呼ばれるものに近い」と書いていて、何らかの力強いところがあるのはよくわかりました。
 

大森望の新SF観光局(69)小川隆さんのこと」
 

「『なめらかな世界と、その敵』刊行記念 伴名練総解説」
 SF短篇集刊行に合わせての小特集。12篇のうち年刊SF傑作選に収録された短篇が5篇もあり、そのうち4篇が短篇集に収録されるようです。百合特集に掲載の「彼岸花」はいまいちだった記憶があるのですが、気になる作家ではあります。
 

「『さよならの儀式』(河出書房新社)刊行記念 宮部みゆきインタビュウ」
 なるほど近年になって『NOVA』で意識的にSF短篇を書いていたようです。
 

  

『ミステリーズ!』vol.96【特集 怪奇・幻想小説の新しい地平】

「私の一冊 シャーリイ・ジャクスン『丘の屋敷』」澤村伊智

「怪奇・幻想小説の新しい地平」

「騒擾博士」西崎憲

「感応グラン=ギニョル」空木春宵

「トーテンレーベンの三博士」アレクサンダー・レルネット=ホレーニア/垂野創一郎(Die Heiligen Drei Könige von Totenleben,Alexander Lernet-Holenia,1935)★★★☆☆
 ――三十年戦争フランス軍総司令官テュレンヌ元帥は、ある突飛な決意をかため、公現祭の日(東方の三博士の来賓を祝う日、一月六日)に低マイン地方に姿を見せた。三博士の衣装を着て村まで行くと、同じく三博士の扮装をした二人の男がいた。スウェーデン軍の総司令官と神聖ローマ帝国軍の総司令官だった。「誰にも邪魔されず相談したかった。この恰好を見れば、誰もが公現祭の扮装をしていると思うだろう」

 幼子の誕生によって三博士に心の平和がもたらされ、ちょっとした暗合とささやかな安らぎが余韻を残します。
 

「対談 恩田陸×東雅夫 「怪奇小説の時代」」
 デビュー当時のことや、怪奇小説との出会い、『幽』連載、『平成怪奇小説傑作集』など。
 

「〈奇妙な味〉随想 熊の掌会」南條竹則

怪奇小説翻訳概況」高橋一太
 個々の解説よりも少しでも多くのタイトルを紹介しようという意図が窺えます。
 

「怪奇・幻想小説の装丁を語る」柳川貴代
 創元推理文庫でもお馴染みの装丁家インタビュー。『山尾悠子作品集成』や『アンドロギュノスの裔』も手がけていたのですね。
 

「「探偵小説万歳《ヴィーヴ・ル・ロマン・ポリシエ》!」――ポール・アルテ氏を迎えて」芦辺拓
 

「翻訳ミステリ四十年 (第1回)今さらながら軽ハードボイルド」松坂健・新保博久
 新潮文庫が文庫オリジナルでミステリを出したのが衝撃だった、という『シャードー81』の思い出はともかく、その後は「軽ハードボイルド」の諸作についてですらなく、ただただ定義を巡るとりとめのない会話だけで終わってしまいました。
 

「嗜好機械の事件簿(15)地獄の手毬唄」喜国雅彦

  


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