『私にふさわしいホテル』柚木麻子(新潮文庫)★★★★☆

 売れない作家が自力で栄光を切り開いてゆく奮戦記です。

 コンプレックスをバネに成長してゆく、というのは、『けむたい後輩』や『早稲女、女、男』にも見られるけれど、本書の主人公・加代子ほど上昇志向が強くて逆境にならないと力を発揮できない人間ではありませんでした。

 逆境にならないと力を発揮できないのに、物語の始まった時点ですでにデビューしているんです、それからあっさり大手新人賞を獲っちゃうんです、ベストセラーも出しちゃうんです、作品を絶賛されちゃうんです。

 そんなにあっさり成功してしまったら、執筆の動機がなくなっちゃうのでは……? ご安心ください。加代子の上昇志向はただものではありません。

 さらには、渡辺淳一を髣髴とさせる不倫小説の大家・東十条宗典という、公私にわたるライバルもいます。才能も美貌も話題性も持った後輩に嫉妬します。飽くまで縁の下の力持ちであり自分の手を汚さない編集者に嫉妬します。溜飲を下げるためには手段どころか対象すら選びません。子どもや同時受賞者は関係ないでしょう。。。(^^;

 多少ご都合主義なのはいなめませんが、いかにして状況を打破するのか――をめぐる知恵比べの小説でもありました。第二話「私にふさわしいデビュー」は驚きです。そこまでしちゃうんですね。。。まあ〈そこまで〉というのなら、第四話「私にふさわしい聖夜」や第五話「私にふさわしいトロフィー」はもっとすごいのですが。

 上を目指してはいるもののポジティブでは決してなく、加代子が燃やしているのはどちらかといえば黒い炎です。それでいて読後感は悪くなく、むしろ爽快ですらあるのは、単純明快なのとふっきれたところに好感を抱いてしまうからでしょう。

 あの「山の上ホテル」から始まる、欲望と肯定に満ちた作品でした。

 文学新人賞を受賞した加代子は、憧れの〈小説家〉になれる……はずだったが、同時受賞者は元・人気アイドル。すべての注目をかっさらわれて二年半、依頼もないのに「山の上ホテル」に自腹でカンヅメになった加代子を、大学時代の先輩・遠藤が訪ねてくる。大手出版社に勤める遠藤から、上の階で大御所作家・東十条宗典が執筆中と聞き――。文学史上最も不遇な新人作家の激闘開始!(カバーあらすじ)
 

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『黒いダイヤモンド』ジュール・ヴェルヌ/新庄嘉章訳(文遊社)★★★☆☆

 『Les Indes noires』Jules Verne,1877年。

 かつて〈黒いインド〉と呼ばれ炭坑町として栄えた、スコットランド地方。そんな炭鉱町のひとつアーバーフォイルでは十年前に石炭を掘り尽くし、今では廃坑となっていた。ところが技師のジェームズ・スターの許に、今でも炭坑に暮らしている元坑夫サイモン・フォードから手紙が届く。『重大な話があるのでお越し下さい』。ところがその直後に、『来るな』という無署名の警告が――。却って興味を惹かれたスターは、サイモンの招きに応じてアーバーフォイルに出かけた。サイモンの息子ハリーが出迎えてくれた。サイモンの用件は、新しい鉱脈を発見したという話だった。さっそくスターたちは炭坑に降りて調査を始める。ところが、どこかから石が落とされ、ランプの火が消され、暗闇のなか手探りで入口に戻ったものの、あるはずの場所に入口はなくなっていた……。

 地下の洞窟というと、名作『地底旅行』を連想してしまいますし、新しい鉱脈を確かめに行くところまでは確かに、そうした探検冒険ものの趣があるのですが、全体としてはどちらかといえばサスペンス小説とロマンス小説の味がまさっていたと思います。

 姿を見せない敵の正体と目的とは? そもそも敵なのか味方なのか? それ以前に人間なのか人ならざるものなのか? こうした謎の真相は、しかしながらお世辞にも満足のいくものではありませんでした。

 そうはいっても、新しい鉱脈の洞窟が発見されるまでは洞窟を発見されないための邪魔、発見されてからは娘が嫁に取られないための邪魔――と、前半と後半でほとんど別の話からなる二つの物語を、狂人が守りたいものによって一つの物語につなぎあわせたのは、ヴェルヌの物語作りの上手さのしからしめるところでしょう。

 今も炭坑で暮らす根っからの炭坑夫一家、幼いころに攫われて陽の光を見たことのない美少女、それを守るように寄り添う大白梟、など、人の心をくすぐるキャラクターにもすぐれていました。
 

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『修道師と死』メシャ・セリモヴィッチ/三谷惠子訳(松籟社 東欧の想像力10)★★★★☆

 『Derviš i smrt』Meša Selimović,1966年。

 弟のハルンが逮捕された修道師アフメド・ヌルディンは、後援者の老人を訪れた。老人の娘が語るには、卑しい結婚をした弟ハサンのことを父親は勘当したがっているから、ハサンのほうから縁を切るように説得してほしいという。アフメドは、弟のことを交換条件にできないかと考える。ある夜、警備兵に追われた人間が敷地内に入ってきたのを目撃したアフメドは、助けることも匿うこともできないが、庭の奥に小屋があるとだけ逃亡者に伝えて、翌日、村人に事情を説明する。村人は警備兵に密告したが、アフメドは自分には責任はないと考える。その後、アフメドはハサンから弟ハルンが逮捕された理由を聞く。判事の書記だったハルンは、見てはならない調書を見てしまったのだ。ハルンをさらって匿うのなら協力すると言いだすハサンに対し、しかしアフメドは「正義」や「神」を理由に、尻込みする。アフメドは宗務局長に会いに行くが、興味を持ってはもらえなかった。やがて知らされる弟の死。アフメドは見知らぬ男たちに幽閉され、釈放される。

 アフメドはことあるごとに自分の行動に際して正義や神を引き合いに出していますが、実のところはただの言い訳に過ぎず、アフメドが臆病な小心者であり事なかれ主義者なのは、作品の端々から読み取ることができます。逃亡者を見て見ぬふりするのも然り、道で兵士と遭遇してしまったとき然り。宗務局長との会話も、好意的に見れば正面からぶつかるのではなく計画的に誘導しようとしているようにも受け取れますが、結局のところは問題を先送りにしているだけというのが本当のところでしょう。

 要するに、アフメドにとっては、神や宗教という格好の言い訳が用意されているのですね。卑俗な例にしてしまえば、妻が――、上司が――、政治が――、というようなものでしょう。ということは、実は本書は、事なかれ主義の日本人にこそぴったりの作品(?)かもしれません。

 戦争中、敵と味方双方に食事を与えたために母親を殺された少年ムラ=ユーフスをアフメドは引き取っていた。コーラン書写の才能がある少年を、ハサンは可愛いがり、三人の関係は良好に見えたが――ハルンを密告したのがムラ=ユーフスだったことが判明する。ムラ=ユーフスは自殺を図り、アフメドは憎しみに燃える。金細工師ハジ=シナヌーディンの息子が帝都で出世したという報せを聞いたアフメドは、なぜかそれを父親には知らせなかった。翌日、アフメドはムラ=ユーフスを脅迫する。ハジ=シナヌーディンを脱獄の共犯のかどで密告せよ。連行されるハジ=シナヌーディンらに向かって、何くわぬ顔で感動的な演説をおこなうアフメド。さらにはハサンの姉に接触し、夫である判事の心証を悪くしようと企む。

 弟ハルンの墓(と思われる辺り)から遺骨を持ち帰り、改めて自分の憎しみの感情を確認したアフメドが感じる一言、「私にとって、血にまみれた記憶になった。生きている間は、ただの弟だったのに。」が強烈です。

 しかしアフメドが変わったかといえばそんなこともなく、相変わらずハジ=シナヌーディンの息子の出世を知らせるか知らせないか優柔不断で言い訳ばかり。結果的にはその決断(優柔不断)が、翌日のハジ=シナヌーディン密告につながるわけですが、それを無意識裡にも考えての行動だったかどうかは怪しいところです。

 やがて暴動が起こり、ハジ=シナヌーディンは救出され、判事は殺され、ことの発端がアフメドだと知られることもなく、アフメドは次の判事の任をまかされる。ところがハサンが使っていた外国人にスパイ疑惑が浮かび上がり、アフメドは友人を取るか自分のみの安全を取るかの二者択一を迫られる。

 復讐に燃えた事なかれ主義者の、何と俗物な着地点でしょう。まさに俗物以外の何ものでもありません。悩んでいるふりごっこ、もここまで徹底できれば立派なものでしょう。信仰や民族や復讐という言い訳が用意されている分、アフメドのような人間には生きやすかったのかもしれませんね。自分の死ぬ日の朝が明けたことを告げる雄鶏に怯えるラストシーンが印象的でした。
 

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「NARROW WORLD」澤和佳、「ワールドエンドの童」平ショウジ、『リボーンの棋士』4

good!アフタヌーン』2019年10月号(講談社

亜人」72「限界」桜井画門
 立ち去った佐藤に、這い上がってきたカイ。予想もつかない展開が待ち受けていました。

「ワールドエンドの童」平ショウジ
 ――「だるいなあ、生きてくの。缶詰飽きたな、一年以上食べてるし」そのとき橋の方から音が聞こえた。「生き残り……?」。人間に私欲のために監禁されていた座敷童の女は人間を信じなかった。だが生き残りの男は自分以外にも生き残りがいたことを無邪気に喜び、座敷童に話しかけ続けた。

 第9回四季賞新人戦。「Live For EVA」の著者。ペンネームが「ふんころがし」から「平ショウジ」に変更されています。終末と、人外の友情。これは「Live For EVA」と一緒なので、著者の得意とするところなのでしょう。座敷童の能力を「おみくじ」という形にしたのはわかりやすい。
 

「NARROW WORLD」澤和佳
 ――誰からも恐れられる高二の立花だったが、道でぶつかった小柄な高校生に投げ飛ばされてしまう。相手が同じ高校の柔道部員だと知った立花は、殴り込みをかけるが敢えなく返り討ちに遭ってしまう。なかば強引に柔道部の練習に付き合わされることになった立花だが、いつまで経ってもやり返すことはできずにいた。

 四季賞2019夏のコンテスト幸村誠特別賞受賞作。アメコミみたいなこの絵でギャグをやるセンスが面白いし、そうかと思えばきっちり青春ものになっているのも可笑しい。
 

『リボーンの棋士』(4)鍋倉夫(小学館ビッグ・スピリッツ・コミックス)
 アマ竜皇戦決勝戦。相手は将棋ソフトで勉強を重ねてきた中学生。敵役(?)だったアマ名人の片桐が、進路に悩む中学生に対して自分の経験をもとに真摯に答えるのはいい場面でした。ライバルが魅力的な作品は面白いというのは真理ですものね。

 照れながら「安住さんがやめたら――」と口にする森さんが可愛いのですが、森さんが安住にはっきり気があるそぶりを見せたのは初めてのような気がします。
 

 kindle版 ・ 書籍版 

『雨の日も神様と相撲を』城平京(講談社タイガ)★★★★☆

 相撲好きの両親に育てられながらも、体格に恵まれなかった逢沢文季は、両親の死後、母方の叔父に引き取られ、中三の春から米どころの田舎で暮らすことになる。相撲とは縁が切れたつもりだった……。ところがその村は、相撲好きのカエルを神様と祀る、相撲の盛んな土地だった。その年の村祭りの相撲大会で優勝した者の作る米には、豊作と美味が約束されるのだという。小柄ゆえに観察眼と技能と理論を磨いていた文季は、一躍クラスの注目の的となる。かんなぎの家系・遠泉家の長女であり、六十歳になった際には「カエル様の花嫁」になる定めの真夏は、そんな文季に目を留め、相談をもちかけた。それはカエル様のなかに紛れこんだ外来種のカエルに、在来のカエルが相撲で勝てるように助言して欲しいという、奇天烈なものだった。だが目の前でカエルが相撲を取っているのは疑いようがなかった。一方そのころ村境の林でトランク詰めの女性の遺体が見つかり、刑事の叔父は捜査に忙しかった。

 城平京による、三冊目の小説作品です。

 これまでに刊行された『名探偵に薔薇を』『虚構推理』『雨の日も神様と相撲を』の三冊を読むと、著者の小説には一つの特徴があることに気づきます。

 いずれの作品も、事件の外から探偵していたはずの探偵が、実は事件そのものに組み込まれていた存在だったという構図が見られるのです。探偵という存在や探偵するという行為が、なにも安全を約束された特権的なものではなく、作中で起こる出来事と無関係なものではありえないという、現実の世界では至極当たり前のことが、城平作品でも当たり前に(というよりは固執的に)繰り返されています。

 こうしてみると、有名な型のバリエーションだと思われるデビュー作『名探偵に薔薇を』も、実のところは型が最初にあったのではなく、探偵が事件に組み込まれるという構図が先にあって、それに最適な肉付けとしてあの型が選ばれたということだったのではないかと思えてきます。

 探偵と現実との関わりに著者がこだわる理由はわかりません。都市伝説という増殖する言葉を扱った『虚構推理』は、すでにこのタイプの極北にして至高、これ以上のものは著者にもなかなか書けないでしょう。

 本書『雨の日も神様と相撲を』には、殺人事件も出てくるものの添えもの的な扱いで、メインはカエルの相撲勝負。ところがこの相撲描写が的確でめっぽう面白く、格闘技小説としても出色の出来栄えとなっていました。相撲に興味がなくても読み入ってしまうどころか、格闘技小説やアクション描写に興味がなくても引き込まれてしまうほど、アクションと解説のバランスがほどよく、こんなところで著者の新たな才能が発揮されるとは思いませんでした。

 おかしな因襲のはびこる(閉鎖的ではない)村という舞台設定は、ミステリ読者には惹かれるものがありました。

 「頼みがある。相撲を教えてくれないか?」神様がそう言った。子供の頃から相撲漬けの生活を送ってきた僕が転校したド田舎。そこは何と、相撲好きのカエルの神様が崇められている村だった! 村を治める一族の娘・真夏と、喋るカエルに出会った僕は、知恵と知識を見込まれ、外来種のカエルとの相撲勝負を手助けすることに。同時に、隣村で死体が発見され、もつれ合った事件は思わぬ方向へ!?(カバーあらすじ)
 

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