『四つの署名』アーサー・コナン・ドイル/延原謙訳(新潮文庫)★★★☆☆

 『The Sign of Four』Arthur Conan Doyle,1890年。

 ホームズもの第二作です。事件そのものや推理そのものは『緋色の研究』同様、まださして面白いものではありません。異国趣味や怪奇趣味という、その後の作品にも見られる特徴が顔を出しています。

 特筆すべきはまだ他人行儀だった『緋色の研究』とは違い、ホームズとワトスンの会話にバディものらしいやり取りがすでに見られる点でした。有名な「あとに残ったものが、たとえどんなに信じがたくても……」のほか、「僕のやりかたはよく知っているはずじゃないか」といった台詞からは、『緋色』ではなく『冒険』以降の二人の距離感が感じられます。

 本書のもう一つの特徴は、終盤で繰り広げられる、船を用いたアクションシーンです。第一短編集のタイトルが『冒険』というくらいですし、ホームズ物語には冒険要素も少なからずあるとはいえ、ここまで派手なチェイスはホームズ譚中でも群を抜いていると思います。トンガのことは子どものころ読んだときには恐ろしかった記憶があるのですが、読み返してみるとそれほどではないどころか、むしろ存在感もさほどなくてびっくりしました。

 曖昧な記憶では、本書も『緋色』同様、後半が回想となっている二部構成だと覚えていたのですが、過去篇は回想シーンではなく犯人の告白という形が取られていました。復讐といういわば大義名分(?)のある『緋色』であれば客観的な物語形式も相応しいでしょうが、本書の犯人は情状酌量の余地のないクズなので、身勝手な犯人自身による主観的な語りの方が確かに相応しいと思えます。

 ある日、ベーカー街を訪れた若く美しい婦人。父がインドの連隊から帰国したまま消息を断って十年になるが、この数年、きまった日に高価な真珠が送られてくるという……。ホームズ達が真珠の所有者を捜し当てた時、無限の富をもつこの男は殺され、そこには“四つの署名”が――インド王族秘蔵の宝石箱をめぐってテムズ河に繰り広げられる追跡劇! ホームズ物語の2作目にあたる長編。(あらすじ)
 

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『J・G・バラード短編全集1 時の声』柳下毅一郎監修(東京創元社)★★★★☆

 アメリカで刊行された短篇全集の邦訳版らしいです。「プリマ・ベラドンナ」「時間都市」「スターズのアトリエ5号」は創元SF文庫『時間都市』(→感想)の宇野利泰訳で読んでいました。
 

「序文」J・G・バラード

「序文」マーティン・エイミス

「プリマ・ベラドンナ浅倉久志(Prima Belladonna,1956)★★★★☆
 ――歌姫のジェインが歌う草花《コーロ・フローラ》店を訪れると、最大二十四オクターヴの音域を持つアラクニッド蘭が歌い始めた。

 記念すべきデビュー作。一見するとミスマッチとも思えるような、歌う花という幻想的なイメージと西部劇のような自立した登場人物の相性がいいことに驚きます。
 

エスケープメント」山田和子(Escapement,1956)★★★☆☆
 ――僕とヘレンがテレビの前でクロスワードと繕い物をしていたとき、テレビの芝居が同じシーンを繰り返したことに気づいた。それが何度も繰り返される。

 同じ時間が何度もループするという発想に、その間隔が徐々に狭まってくるというサスペンスが盛り込まれることで、いま読んでも古くささを感じさせません。
 

「集中都市」中村融(The Concentration City(初出タイトルBuild-Up, New Worlds),1967)★★★☆☆
 ――Mは飛行する夢を見た。実現させるためには広く自由な空間が必要だった。だが土地の値段は高く、都市ではつねに再開発が続けられていた。はたして都市に果てはあるのか――。

 何らかの事情により文明崩壊後に再開発された管理都市らしき場所を舞台に、空を飛ぶという人類のロマンを語った作品で、空間を時間の譬喩で説明する登場人物の理屈がユニークで面白いうえに、実際にうねりゆがむ旅を主人公が経験するところにもロマンがありました。
 

「ヴィーナスはほほえむ」浅倉久志(Vinus Smiles(初出タイトルMobile),1957)★★★★☆
 ――ヴァーミリオン・サンズの中心にある広場のために造られた音響彫刻は、お披露目式の場で不快な音を立てて撤去されると、音を鳴らしたまま植物のように大きく成長していった。

 彫刻製作者のロレイン・ドレクセルが憎めない悪党という感じで、最初から最後まで手玉に取られている語り手とヴァーミリオン・サンズの住人たちには、思わず笑ってしまいながらも同情を禁じ得ません。
 

「マンホール69」増田まもる(Manhole 69,1957)★★☆☆☆
 ――外科手術により睡眠が不要になる実験に参加した被験者たち。擬似的な死である眠りが取り除かれれば、精神をもっとまともなものに方向づけられると考えたが……。

 効果的な結果ばかりかと思われた新技術に、副作用があったという、わりとありがちな内容でした。
 

「トラック12」山田和子(Track 12,1958)★★★☆☆
 ――シェリンガムはさまざまな音を録音して、マクステッドにクイズを出していた。「これは何の音かな?」今宵の本当の主題であるはずのスーザンのことはまだひとことも口にされていない。

 嫉妬の表し方がものすごくねちっこく、明らかに完全な変態なのですが、突き抜けすぎているせいで気持ち悪さよりもコントのキャラみたいな馴染み感を感じました。
 

「待ち受ける場所」柳下毅一郎(The Waiting Grounds,1959)★★★★☆
 ――タリスは何もない惑星ムーラク天文台で任期2年の仕事を15年務めてきた。後任のクウェインは、タリスが何かを待っていたのではないかと考えた。消息を絶った地質学者がまだ生きていると考えているのか――? その地質学者が大量の聖書を仕入れていたと知り、さらに疑惑は深まった。

 宇宙人による高度な古代文明という『ムー』あたりでお馴染みの系譜に連なるオカルトですが、場所は宇宙のフロンティア、現れたのはバラードらしい内面世界の話です。
 

「最後の秒読み」中村融(Now: Zero,1959)★★★★☆
 ――どういう経緯でわたしがこの途方もない力を見つけたのか、おわかりだろうか。わたしはランキンという上司のせいで昇進できずにいた。毎晩帰宅するとランキンの悪行を物語の形式で書き連ねるようになり、最後には階段から落として殺すことにした。

 漫画『デスノート』とフレドリック・ブラウンのあの作品を足したような内容です。同タイプとはいえ、個人的な恨みを経てその後、最後にはきちんと「読者」に広げている分、比べるならこちらの方が出来がよいと思います。
 

「音響清掃」吉田誠一訳(The Sound-Sweep,1960)★★★★☆
 ――建物を破壊する恐れのある音響のかすを掃除する市の音響清掃係であるマンゴンは、超音波音楽の台頭により落ちぶれたプリマドンナのマダム・ジョコンダの許で働いていた。唖者のマンゴンは、復活を夢見るジョコンダを崇拝していた。

 音響清掃と超音波音楽という何だかよくわからないものが存在する世界を背景にした、『サンセット大通り』にふさわしく、バラードには珍しく(?)、世俗を生きる人間の人間くさい感情が露わに描かれていました。
 

「恐怖地帯」増田まもる(Zone of Terror,1960)★★★☆☆
 ――巨大脳シミュレーターの回路のプログラミングに不眠不休で取り組んだせいで神経衰弱に瀕していたラーセンは、二、三か月の保養を取った。だが保養先でラーセンが目にしたのは、胴体の透けた男の姿だった。

 脳神経的に解釈されたドッペルゲンガー譚ですが、最後に第三者の目にも見えるようになってしまったのは、やりすぎで興醒めでした。
 

「時間都市」山田和子(Chronopolis,1960)★★★☆☆
 ――ニューマンの公判が始まろうとしていた……時計が禁じられている世界で偶然から時計を手に入れたコンラッド少年は、ひそかに授業の時間を計っているところを教師のステイシーに見つかってしまった。

 時間に縛られた社会というと現代社会の諷刺を連想しますが、現代どころかさらに一歩先を行った未来が舞台です。オチは時計つながりではありますが、テーマとは直接的な関係がありませんでした。
 

「時の声」伊藤典夫(The Voices of Time,1960)★★★★★
 ――自殺したホイットビイはプールの底に奇怪な溝を残していた。神経科医のパワーズは、そのことが忘れられない。パワーズは突然変異したさまざまな動植物を収集していた。あるヒマワリは時を見る。周囲のものが年をへているほど、その新陳代謝は緩慢になるのだった。

 時を見る植物、沈黙の体、「リボ核酸の鋳型が摩滅しかけ、原形質に署名を書きこむインクが薄くなってきた」といった退化論、それに基づく不眠手術、天文台のカードに書かれた謎めいた数字、等々、それ自体が魅力的なガジェットにあふれています。
 

ゴダードの最後の世界」山田順子(The Last World of Mr. Goddard,1960)★★★☆☆
 ――デパート一階フロア主任のゴダードは、家に帰ると金庫を開けて書類箱を取り出した。書類箱の中は精巧に造られたこの街のミニチュアだった。

 作り物と現実がリンクするというよくある設定ながら、途中に不条理小説のような展開が用意されているところにアクセントがありました。
 

「スターズのスタジオ5号」浅倉久志(Studio 5, The Stars,1961)★★★★☆
 ――オーロラ・デイとは何者だったのか。機械で詩を作るのが当たり前になった時代に、人間の手で詩を作ろうとしていた。わたしの編纂する雑誌に自作の詩を送りつけ、没になっても諦めなかった。

 ヴァーミリオン・サンズもの。こうしてまとめて読んでみると、超音波音楽とか時間都市とか人工詩とか、アイデア自体は陳腐なのに、ロマンがあって、こういうところがほかのファンタジーとは頭一つ抜けています。
 

「深淵」中村融(Deep End,1961)★★★☆☆
 ――熱前線が引いて晩になると、ホリデイは町に行った。若い連中は入植地からいなくなってしまった。地球に残っているのはいずれホリデイぐらいのものになるだろう。

 ほかの人にはわからない象徴を何かを求めて叶わず落胆するというのはいかにも文学的なテーマでした。
 

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 J・G・バラード短編全集1 時の声 

『緋色の研究』アーサー・コナン・ドイル/延原謙訳(新潮文庫)★★☆☆☆

 『A Study in Scarlet』Arthur Conan Doyle,1887年。

 記念すべきシャーロック・ホームズもの第一作です。かなり久々に読み返しました。

 一。死体を棒で叩いていることや、例の「アフガニスタン」発言や、のちのホームズものでも見られる芝居がかった犯人逮捕など、ハッタリの効いた見せ場については読み返してみてもやはり名場面です。

 二。一方、ホームズのキャラクターや推理はあまり魅力的とは言えません。偏った知識や自信過剰な発言など、“愛すべき”とまでは言えないただの変人止まりです。ただし、まだそれほど親しくないワトソンの目を通していることを考えると、これはこれで語り手の内面に忠実なホームズ描写なのでしょう。死体の表情から殺人の状況を推理するくだりなどはいくら何でもトンデモでした。

 三。それから、いくら何でも警察が間抜けすぎて驚きました。探偵能力でホームズより劣るというのではなく、そもそも何も考えず初めに目に飛び込んできた手がかり(だと自分が思うもの)から想像をふくらませるという、探偵とは別ジャンルの存在です。

 四。第二部の回想部分では、秘密結社めいた描かれ方をしたモルモン教団の、死刑宣告の場面の恐怖感が、何といっても秀逸です。似たような死刑宣告はのちの短篇にもありましたね。ジェファソン・ホープによる逃亡~復讐の場面は、伝奇小説ふうでもあり、もっともっと長く濃く書かれてあるのを読みたかったです。

 第一部はいま読むとかなり間延びしていますし、ホームズのキャラもまだそこまで魅力的ではありませんが、読むのを避けては通れない作品です。

 文学の知識――皆無、哲学の知識――皆無。毒物に通暁し、古今の犯罪を知悉し、ヴァイオリンを巧みに奏する特異な人物シャーロック・ホームズが初めて世に出た、探偵小説の記念碑的作品。ワトスンとホームズの出会いから、空家で発見された外傷のないアメリカ人の死体、そして第二の死体の発見……と、息つく間もなく事件が展開し、ホームズの超人的な推理力が発揮される。(カバーあらすじ)
 

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 緋色の研究 

『棺のない死体』クレイトン・ロースン/田中西二郎訳(創元推理文庫)★★★☆☆

 『No Coffin for the Corpse』Clayton Rawson,1942年。

 ロースンというと結末がしょぼい記憶があったのだけれど、読み返してみるとけっこう面白かった。確かに派手なトリックがない分しょぼく感じてしまうとは思うけれど。

 死を恐れ死後の世界の研究をさせている大富豪ダドリ・ウルフの許に、FBIを名乗る男が失脚もののネタを持って現れます。強請られたウルフが怒りのあまり男を殴りつけると、男はそのまま倒れてしまいました。居合わせたハガード医師が脈を取ったところ、男は死んでいました。ウルフはスキャンダルを恐れて男を松林に埋め、口裏を合わせさせます。ロス・ハートはウルフの娘ケイとの結婚を許してもらおうとして、マーリニは舞台のスポンサーになってもらおうとして、二人がウルフ邸を訪れたところ、目の前で幽霊騒ぎが持ち上がります。二人を含めた目撃者の目の前に顔と手が浮かび上がり、警報装置を作動させもせず消えたのです。どうやらウルフたちは幽霊の正体を知っているようでしたが……。その後もウルフ邸ではボート番の失踪、拳銃の紛失、といった事件が起こり、独自に調査を続けるハートたちが、ウルフが必死で隠そうとしている書斎に入り込んだところ、銃声が聞こえ――。

 確かに古い探偵小説を読み慣れた人間であれば、幽霊がある人物の部屋で消えた時点でその人物が怪しいと感づいてしまうでしょうし、終盤でどんでん返しに思わせておいてどんでんせずという構成は尻すぼみ感を覚えさせてしまいます。

 しかしながら、古典的な奇術トリック(=浅い呼吸による仮死)と密室・不可能犯罪もののバリエーション(=被害者はみずから墓に入ったが共犯者に裏切られた)を組み合わせて「何度でも甦る男」を演出する手際にはやはり手慣れたものがありました。

 書斎に忍び込んだロス・ハートが縛られて海で溺れさせられそうになる理由にも、錯誤が巧みに用いられていますし(=犯人が共犯者である「死なない男」を殺そうとしたが暗闇のなかで間違えた)、死なない男が事故死したトリック(=車のボンネットに入れたドライ・アイスで意識朦朧)も、「死なない男」の能力を考えれば皮肉ですし、消えた煙草の火から真相を導き出すマーリニの推理も冴えていました。

 トリックでびっくり!だとか、読み終えてカタルシス!とかいうのを過度に期待しなければ、わたしがロースン好きなのを差し引いても、なかなかの佳作だと思いました。

 強大な権力を有する実業家ウルフには、死を異常に恐れる一面があった。怪しい男の来訪をきっかけに彼の周囲では怪異現象が続発し、ついにはウルフ自身が不可能状況下で殺害される! 何度死んでも生き返る“死なない男”の存在が不気味な影を投げかける、奇術師探偵マーリニが手がけた最大の難事件。カーと並ぶ密室本格派の名手が、二重三重の仕掛けを駆使した謎解き推理長編!(カバーあらすじ)
 

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 棺のない死体
 

『緑のカプセルの謎』ジョン・ディクスン・カー/三角和代訳(創元推理文庫)★★★☆☆

 『The Problem of the Green Capsule』John Dickson Carr,1939年。

 目撃者の証言の信憑性を題材にした作品で、人間の目が信用できないと主張する素人心理学者がそのテストの寸劇の最中に毒殺されてしまうという事件が起こります。観客たちは騙されないようにと鵜の目鷹の目でいたのに、証言が食い違うという不思議な出来事が起こりますが、実はこれ、発案者が初めから観客を騙そうとしていたという、いわばズルです。そして映画撮影機《シネカメラ》という真実以外は映しようのない目撃物にさえ漂う違和感。ズルと現実との齟齬が真相を照らす鍵になっていました。決定的な場面にあのマザーグースを用いる著者のセンスが心憎い。派手なところはありませんが、見えているように思えたものがまったく違った意味を持ってくるという点で、ミステリらしさが直球で味わえる作品でした。

 小さな町の菓子店の商品に、毒入りチョコレート・ボンボンがまぜられ、死者が出るという惨事が発生した。一方で村の実業家が、みずからが提案した心理学的なテストの寸劇の最中に殺害される。透明人間のような風体の人物に、青酸入りの緑のカプセルを飲ませられて――。食いちがう証言。事件を記録していた映画撮影機《シネカメラ》の謎。そしてフェル博士の毒殺講義。不朽の名作が新訳で登場。(カバーあらすじ)
 

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