『ミステリマガジン』2021年9月号No.748【躍進する華文ミステリ/ハヤカワ文庫JA総解説ミステリ篇PART1】

『ミステリマガジン』2021年9月号No.748【躍進する華文ミステリ/ハヤカワ文庫JA総解説ミステリ篇PART1】

「推理クイズじゃない「小説」としてのミステリを書きたい――紫金陳《ズー・ジンチェン》氏Q&A」行舟文化・企画構成/阿井幸作訳
 『悪童たち』がハヤカワ・ミステリ文庫から刊行、ドラマ『バッド・キッズ 隠秘之罪』がWOWOWで放映。あらすじや菊池篤氏によるレビューを読むかぎりでは、話題性だけでなく内容も面白そうです。

「『悪童たち』レビュー――あまりに残酷な、少年たちのひと夏のモラトリアム」菊池篤
 

「猫の犠牲」柳荐棉《リゥ・ジエンミエン》/阿井幸作訳(猫的牺牲,柳荐棉,2018)★★★★☆
 ――刑事の喬飛航は最大のピンチに直面していた。「酷い別れ方をした元恋人と捜査中に出くわす」という状況の対処法を、警察学校では教えてくれなかった。事件のあった団地に聞き込みに行くと、ドアを開けたのは梁雪だった。あのときの記憶が甦った。「こんな軟弱な奴に警察官なんか務まらない!」。ゴミ出し以外では数ヵ月外に出ていないため何も見ていないと、梁雪は言った。「そうですか、ありがとうございます」「コーヒーでも飲んでいかれたら? その事件って連続猫殺しと関係あるんでしょ?」「外に出ていないのにどうして知っているんだ?」「出前を取っているから。配達員って情報通なの。じゃあ説明して。真相がわかるかもしれない」猫がバラバラにされてビニール袋に入れて捨てられる事件が三件続き、今回ついに人が殺された。手口は同じだ。奇妙なことに一匹の猫の右前足だけが見つかっていない。

 華斯比という評論家(?)が主催する第一回華斯比推理小説賞受賞作。1997年生。陸秋槎『文学少女対数学少女』に刺激を受けたと書かれてある通り、Sっ気のある女性が探偵役を務めます。鶏丁「涙を載せた弾丸」も似たような探偵役でしたし、日本のアニメか何かの影響なのでしょうか。ホームズとワトソン以来の関係と言われればそれまでですが。謎解き自体は事件の時系列や容疑者のアリバイを議論する古くさいとも言えるものなのですが、喬飛航が愛想を尽かされた理由や梁雪が引き籠もっている理由など、事件以外の謎もあるため退屈な感じはしません。猫の前脚や、犯人の伏線など、執筆当時はまだ新人に近いと思うのですが手練れた印象を受けます。「ビニール袋から死体のような肉塊はみ出していて、よく見ると人間の手足だと分かり、」という文章は前後関係の理屈がおかしいように思います。
 

「涙を載せた弾丸」鶏丁《ジー・ディン》(孫沁文《スン・チンウェン》)/阿井幸作訳(载着眼泪的子弹,鸡丁(孙沁文),2011)★★★★☆
 ――手記1 地下室の扉が開いた。私と阿成が足を踏み入れると、懐中電灯の光が白骨を照らした。どうしてこんな所に? 小さな穴が頭部を貫通していた。後ろの壁面には銃弾がめり込んでいる。これは射殺事件だ。……警察署に森空幼という十九歳の女性が訪ねて来た。「先日脳溢血で亡くなった父の日記です」。鍵のかかった地下室で白骨を発見し、壁には銃弾がめり込んでいたが、現場からは凶器となった銃は見つからなかったという内容だ。俺は彼女の父親・森鬱がリフォームをおこなっていた、ホテル経営者の汪泰を訪ねたが、汪泰は捜査を拒んだ。……手記2 私たちが白骨を見つけたことを雇い主の汪泰に言うと、口止め料。仕事に出掛けた母が青ざめた表情で帰ってきたことがあった。母は話そうとしなかったが、祖父がしつこく聞いてようやく喋ったようだ。「おじいちゃんはお母さんをいじめた奴に責任を取らせに行く」それが祖父との最後の会話だった。……森鬱の新たな日記は見つからなかったという。森鬱と一緒に仕事をしていたというアルバイトは行方不明のままだ。

 密室ものばかり書いている「中国のディクスン・カー」とのこと。復讐者の殺害方法は確かにバカミスですし、病死に見せかけるのに犯人が現場にいてはリスクが大きいわりに、そのくせ特殊な凶器なのですぐに足がついてしまいました。密室の白骨の謎は奇跡的な偶然の効果によるもので、こうした偶然による謎の発生のセンスはカーというよりも島田荘司を連想させます。ただのミスリードかと思わせておいて、歪んだ愛情によるもう一つの悲劇を用意しているところに手抜かりはありません。大学生の夏時が探偵を務めるシリーズだそうですが、刑事の王による捜査が大部分を占め、夏時はあまり登場しません。
 

「次に来る!「ミステリネイティブ」世代の華文推理作家」菊池篤・荒岸来穂
 八〇年代後半以降生まれの作家から、本号掲載の鶏丁と、もうひとり時晨が紹介されています。鶏丁による赫子飛シリーズの2016年以降の作品「ローレンツの審判」「空から物を落とすな」は倒叙もの。読みたい。ほかに本号掲載の夏時シリーズと、安縝シリーズがあるそうです。

 「中国のカー」鶏丁に対し、時晨は「中国のクイーン」。その称号に相応しい肖晨シリーズのほか、「刑事でも法医学者でもない死体のプロ」を主人公にした納棺師探偵・閻小夜シリーズと、「新本格オマージュの色合いが強い」不可能犯罪ものの陳爝シリーズがあるそうです。時晨の作品は今のところ邦訳なし(?)でしょうか。
 

「華文ミステリ新刊ガイド」
 邦訳書の新刊案内。陸秋槎『文学少女対数学少女』、島田荘司選・稲村文吾訳『日華ミステリーアンソロジー』、紀蔚然『台北プライベートアイ』。
 

「華流ミステリ・ドラマレビュー」
 紫金陳原作の『バッド・キッズ 隠秘之罪』と『ロング・ナイト 沈黙的真相』。どちらもWOWOWで放映予定。『紳士探偵L 〜魔都・上海の事件簿〜』は、「ミステリ的な精度よりキャラの軽妙な掛け合いと派手なアクションで魅せる作品」とのこと。
 

「ハヤカワ文庫JA総解説 ミステリ篇 PART1」霜月蒼・他
 刊行点数があまりにも少なくてびっくりします。1995年スタートの沢崎シリーズが紹介されたあとは、ミステリも漫画もやたらと時代がかった作品が続き、そうこうしているうちに2010年の機龍警察シリーズがあり、PART2に続きます。
 

コナン・ドイル再考――ホームズ物語から見る“国民的作家”の軌跡」日暮雅通
 ホームズではなくドイルにスポットを当てた講演。作家の伝記的事実には興味がない方なので、初めて知ったエピソードも結構ありました。
 

「これからミステリ好きになる予定のみんなに読破してほしい100選(3)日常の謎」斜線堂有紀
 

「おやじの細腕新訳まくり(23)」田口俊

「この上なく誠実なお追従」ドナルド・E・ウェストレイク/田口俊樹訳(The Sincerest of Flattery,Donald E. Westlake,1966)>★★★★☆
 ――四十二歳で肥りぎみのアルバート・フィールディイングは岩窟居住者である。高層住宅に住む人々のことだ。夫妻は八年住んでいた。何事もなければ寿命が訪れるまで住みつづけることになっていただろう。宝くじが当たったりせず、泣きじゃくる離婚した女と出会ったりしなければ。宝くじは床屋ですすめられて買った。買ったことすら忘れていた。そのあいだにエレヴェーターでむせび泣く女性と一緒になったのである。思わず声をかけ、部屋まで送っていった。そのことも忘れていた。そのあいだに宝くじが当たるのである。そのとき初めて宝くじのことを知った妻は、当選金を持って逃げるつもりだったのだろうと夫を責めた。

 タイトルの「この上なく誠実なお追従」とは「模倣」のことだと本文に書かれてあります。いったい何を模倣するのかというと、旧邦題「窓」、つまり『裏窓』なわけです。突如として襲った中年夫婦のクライシスというあるあるを、宝くじ当選という角度から転がしてゆくのが面白いところです。
 

「書評など」
◆華文ミステリ特集でも紹介されていた紀蔚然『台北プライベートアイ』。タイトルからわかる通り、台湾のハードボイルド。

ナチス親衛隊特別捜査官という偽の身分証で逃げようとするも殺人事件に巻き込まれたユダヤ人の古書店主が、特別捜査官ではないとばれないように謎を解かねばならない、という設定が面白そうな、アレックス・ベール『狼たちの城』

道尾秀介『雷神』は、「数々のダブルミーニングは、アガサ・クリスティーの『五匹の子豚』を想起させるほど」と絶賛。

芦沢央『神の悪手』は将棋を題材にした作品で、「芦沢央は山田風太郎泡坂妻夫連城三紀彦に連なる書き手なのだという思いを著者は強くした」と、こちらも大絶賛。恩田陸『薔薇のなかの蛇』は理瀬シリーズ最新作。米澤穂信『黒牢城』は、荒木村重黒田官兵衛による歴史ミステリ。

◆コミックからは泰三子『ハコヅメ〜交番女子の逆襲〜』。ミステリという意識はなかったけれど、確かに警官が主人公でした。
 

「迷宮解体新書(123)皆川博子」村上貴史
 ミステリマガジンに連載していた『インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー』
 

「ミステリ・ヴォイスUK(126)藍色のひまわり」松下祥子

「Dr.向井のアメリカ解剖室(114)名セリフの謎」向井万起男

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 ミステリマガジン 2021年9月号 

『〔少女庭国〕』矢部崇(ハヤカワ文庫JA)★☆☆☆☆

『〔少女庭国〕』矢部崇(ハヤカワ文庫JA

 2014年初刊。

 中カッコでくくられた意味深なタイトル。

 一ページ目をめくれば、予想外に古風な文体にフランクな表現と著者独自の言い回しが混ざった、癖のある奇妙な文章が飛び込んで来ます。

 あらすじにもある、「卒業試験を実施する。ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の数をmとする時、n-m=1とせよ」という貼り紙から、サバイバルものだろうと思いきや、まったくそうはなりません。

 本書は「少女庭国」と「少女庭国補遺」の二部からなり、第一部「少女庭国」は部屋で目覚めた仁科羊歯子がドアを開けてゆき計十三人集まった――というだけのおはなしで、それからどうなるというものではありません。アイデアだけで終わってしまったような内容なのですが、実際のところ危機に瀕した女子中学生が集まっても案外こんなものなのかもしれません。死があまり現実感のあるものとして描かれていませんでした。

 第二部「少女庭国補遺」になり、多少なりとも物語に起伏が生まれ、状況が身近に迫って来るようになりました。無数の少女たちがどのように対応したかが番号順に綴られてゆき、年代や部屋の異なるグループによって生き残るための試行錯誤が繰り返された結果、遂には文明までが生まれてしまいます。各自が各様に考えて殺害したり自殺したり生者を決めたり出口を求めて前に進んだり反対に後ろに戻ったりと行動してゆくのがそれなりに面白いですし、平和になって死が遠ざかると「みんな偽物だ」的なのが現れちゃうのも実際にありそうなことです。

 無限に存在する少女たちと部屋の構造、少女たちが集められた目的、少女たちが目覚めるシステムのからくり、これらが明示されることは最後までありません。陳腐な連想ですが、神だか何かによってこの世に放り出された人間そのもののようです。実際のところ実存主義的な不条理に直面しているという点では同じでしょう。

 女子という存在がそもそも、既にしてグループによって一つの世界を作っているんですよね。

 架空の国の成立史、というわけでもなく、第一部にしても第二部にしても著者は掘り下げずに書き飛ばしてしまうので、全体を通してあらすじだけ読んだような気分でした。

 卒業式会場に向かっていた中3の仁科羊歯子は、気づくと暗い部屋で目覚めた。隣に続くドアには貼り紙が。“下記の通り卒業試験を実施する。ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n-m=1とせよ”。ドアを開けると同じく寝ていた女性徒が目覚め、やがて人数は13人に。不条理な試験に、彼女たちは……。中3女子は無限に目覚め、中3女子は無限に増えてゆく。これは、女子だけの果てしない物語。(カバーあらすじ)

  

『ありふれた祈り』ウィリアム・ケント・クルーガー/宇佐川晶子訳(早川書房ポケミス1890)★★★★☆

『ありふれた祈り』ウィリアム・ケント・クルーガー/宇佐川晶子訳(早川書房ポケミス1890)

 『Ordinary Grace』William Kent Kruger,2013年。

 少年がある日を境に直面せざるを得ない現実を描いたという点では、同じポケミスの『フリント船長がまだいい人だったころ』を思い出させます。あちらは身近な人が悪を選んでしまう状況を、そして語り手の少年自身が悪人になるかならざるかの選択を迫られる話でした。

 対して本書ではそういった語り手自身の意思が運命を左右する決断場面はありません。さすがに十三歳ではまだ子ども過ぎて、なすすべもなく大人の言いなりだったり逆に大人が助けてくれたりが精一杯だからです。語り手を含めた絶望に陥った人間がどのように立ち直れるのか――それがタイトルに込められた思いなのでしょう。

 大人になったフランク・ドラムは四十年前の出来事を回想します。すべてはボビー・コール少年が機関車に轢かれた事件が始まりでした。その痛ましい事故を、事件だと疑う者もいました。フランクと吃音のある弟のジェイクは、父親の言いつけに背いて現場に出かけ、死体の前で立っているインディアンを見つけます。フランクとジェイクはインディアンのことを警察には言えず、行き倒れとして処理されました。葬儀はフランクの父親である牧師のネイサンがおこないました。姉のアリエルは母から美しさと音楽的才能を受け継いでおり、母親の元婚約者で世界的作曲家のエミール・ブラントから教わって、来年にはジュリアード音楽院に進学予定でした。それが突然、地元に残りたいと言い出したのです……。

 物語のペースは非常にゆるやかで、多くは少年の目を通した世界に費やされます。地元のガキ大将との対立、父親の戦時中の部下との友情、柄の悪い警察官との腐れ縁、夜中に家を抜け出す姉、目の見えない音楽家との交流、耳の聞こえない少女とジェイクの友情、誰が誰を好きで誰を嫌いか――ミネソタ州の田舎町のことが手に取れるようで、現実には存在しないこの町のことが好きにならざるを得ません。『地球最後の男』や『トワイライト・ゾーン』やケネディミネソタ・ツインズといった小道具の使い方がうまく、時代の空気や子どもたちの様子も伝わってくるようです。おそらくアメリカ人なら作中で触れられているテレビ番組にもそれぞれ何らかの親しみなり連想なりをするのでしょう。

 だからこそ、中盤以降で語り手たちを襲う残酷な出来事には呆然となりました。事件をきっかけに、それまでは隠されていたものが明るみに出てきてしまいます。インディアンへの差別、救わぬ神を頼る者への不信、地元名家への恨み、名家の庶民に対する蔑み、短絡的な疑いと怒り。親しい者の死と容疑者への疑心暗鬼があるままの状態では、素直に悲しむことも悼むことも怒ることも出来ず、何かに当たるしかないのは致し方のないことなのでしょう。

 正直なところ、「ありふれた祈り」というタイトルの意味する場面は、無神論者のわたしには理解できません。日常を取り戻すためにはありふれた日常に触れることがきっかけになるという解釈で済むだけのことを、なにも祈りや奇跡を持ち出さなくてもいいのではないかと思ってしまいました。

 厳しいことを言うのには理由があって、フランク少年が都合のいい場面で何でもかんでも簡単に盗み聞き出来すぎで、語り手が真実を知る方法にもう少し工夫があるべきでは?と、作者の安易な姿勢にうんざりしていたからです。

 その“奇跡”にしてからが、ジェイクが吃音という設定があってこそで、そのための吃音設定なのかと興醒めしてしまった面もありました。そう思ってしまうと、吃音、兎唇、盲目、聾と自閉、戦争の傷、ホモ、インディアン……障害とマイノリティのオンパレードも嘘くさく感じられてしまいます。

 最終的に犯人が明らかになってみると、このなかのいくつかは事件に対する推測や真相にとって不可欠のものであることがわかりますが、読んでいる最中の不信感を吹き飛ばすほどのカタルシスは得られませんでした。

 父親の戦争中の事情は最後まではっきりと語られることはありませんでしたが、少年の日のフランクが聞くのを拒んでしまった以上、たとえ続編やスピンオフがあろうとももはや語られることはないのでしょう。フランクたちの行動が遠因となって登場人物の一人が死に至ってしまうのですが、それに対する罪悪感が不自然なほどあまり描かれていなくて、やっぱり肉親でなければ他人事なのかな?ともやもやした感じが残りました。それどころじゃない、というのが事実なのでしょうけれど。

 すごくいい作品なのに、そうしたさまざまな理由から完璧には一歩及ばない、そんな作品でした。

 著者の名前は初耳でしたが、既に講談社からコーク・オコナーが主人公のシリーズものが何冊も出ているそうです。

 訳者はさすが女性というべきかファッション関係の訳語も難なく訳しているのですが、男物でもボクサーショーツという言い方をするものかとそこだけは疑問に感じました。

 あの夏のすべての死は、ひとりの子供の死ではじまった――。1961年、ミネソタ州の田舎町で穏やかな牧師の父と芸術家肌の母、音楽の才能がある姉、聡明な弟とともに暮らす13歳の少年フランク。だが、ごく平凡だった日々は、思いがけない悲劇によって一転する。家族それぞれが打ちのめされもがくうちに、フランクはそれまで知らずにいた秘密や後悔に満ちた大人の世界を垣間見るが……。少年の人生を変えた忘れがたいひと夏を描く、切なさと苦さに満ちた傑作ミステリ。アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞受賞作!(裏表紙あらすじ)

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『ピクニック・アット・ハンギングロック』ジョーン・リンジー/井上里訳(創元推理文庫)★★★★★

『ピクニック・アット・ハンギングロック』ジョーン・リンジー井上里訳(創元推理文庫

 『Picnic At Hanging Rock』Joan Lindsay,1967年。

 カルト的人気の名作映画の原作、初の邦訳ということですが、映画自体が1975年作で本邦公開が1986年とかなり昔のことなので、本書で初めて作品自体を知りました。映画版は『いまを生きる』の監督なんですね。男女の違いはあれど全寮制の学院が舞台なところは一緒です。

 むしろ今ごろになって邦訳されたのはラッキーでした。古い翻訳ではなく新しい文章で読めるのだから。

 作中ではボッティチェリの天使に似ていると書かれていますが、おそらくボッティチェリのヴィーナスのことなのでしょう、表紙に描かれたミランダの姿が印象的です。

 バレンタインで賑わう全寮制の女学院。ピクニックに出かけた生徒たちのうち、四人がハンギングロックまで足を伸ばしました。誰からも好かれているミランダ、美しいアーマ、聡明なマリオン、ちびで金魚の糞のイーディス。やがて頂上付近にある石柱の前までたどり着くと、眠気に襲われ、ふらふらと前に進んでそのまま戻りませんでした。結局三人の生徒と一人の教師が足跡もなく忽然と姿を消してしまいます。

 実のところ逃げ帰った一人と助かった一人のほかは、すぐに物語からは退場してしまうことになるのですが、にもかかわらず誰もが忘れがたい存在感を残しています。それは冒頭のバレンタインやピクニックの会話であったり、失踪後に思い出として語られるからであったりするのですが、総じてエピソードの一つ一つに筆が立っていました。

 ミランダに一目惚れしたイギリス人貴族青年マイケルはたった一度だけ見たミランダのことを時折思い出すだけなのですが、美男美女同士でアーマとの仲を噂されたり御者のアルバートと新しい生き方を目指したりするなかでそこだけ過去に囚われているからこそ、ブロンドの少女の面影がいつまでも読者にも強い印象を与えています。

 本書には生き別れた孤児の兄妹が出てきて、互いにそうとは知らぬままなのですが、そんな二人を繋いでいるのが、妹がパンジーを好きだったという要所要所で語られるエピソードです。そのパンジー好きを最後に駄目押しする場面で枕としてミランダがユリの話をしていたことを庭師に思い出させることで、一つの場面で孤児兄妹の繋がりとミランダの思い出を同時に語っているのが、本当に上手いと思います。

 終盤で不幸に見舞われる教師兄妹のエピソードなど、通常であればただの不幸な事故でしかありませんが、一連の流れに組み込まれることで不思議な暗合のような効果がもたらされていました。

 象徴的な場面には事欠きません。ピクニック中にいっせいに時計が止まってしまうのが最初の不穏な場面でした。真面目でエキセントリックな教師が下着姿で走っているのは、もはやホラーと言ってもいいでしょう。アーマが学院に戻って来たときの生徒たちの集団ヒステリーもおぞましさに溢れていました。見えていた、とは修辞上の表現に過ぎないのか、少女たちには本当に見えていたのか。

 マイケルが引き合わされる令嬢ミス・スタックなど脇役もいいところなのですが、シャンパンボトルのような細い脚という描写ひとつだけで他のキャラクターに匹敵する印象を刻んでいるのだからたいしたものです。

 完成稿からは削除された最終章によれば、すべての崩壊のきっかけとなった失踪事件の真相は超常的なものだったようですが、最終章が削除されたことにより、すべては事故と狂気と偶然とヒステリーで説明がつけられなくもなくなり、よりさまざまな憶測と解釈が可能になりました。

 とはいえ失踪事件の真相がどうあれ、その後に起こったことのいくつかは、当事者たちが避けようと思えば避けられただろうと思えます。少なくともアップルヤード校長がもう少し冷静で視野の広い人間だったならば、事件の悪評による学院の散解は避けられないまでも結末が悲劇的な崩壊という形を取ることはなかったのではないでしょうか。

 失踪と悲劇に気を取られてしまいますが、幸せになっている人間もいますし、そこらへんのバランスが実話っぽさを高めているのでしょうね。

 あの日は絶好のピクニック日和だった。アップルヤード学院の生徒たちは、馬車でハンギングロックの麓に向けて出発した。だが、楽しいはずのピクニックは暗転。巨礫を近くで見ようと足をのばした4人の少女と、教師ひとりが消えてしまったのだ。何があったのかもわからぬまま、事件を契機に、学院ではすべての歯車が狂いはじめる。カルト的人気を博した同名の映画原作、本邦初訳。(カバーあらすじ)

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『首のない女』クレイトン・ロースン/白須清美訳/山口雅也製作総指揮(原書房 海外ミステリ叢書〈奇想天外の本棚〉)★★☆☆☆

『首のない女』クレイトン・ロースン/白須清美訳/山口雅也製作総指揮(原書房 海外ミステリ叢書〈奇想天外の本棚〉)

 『The Headless Lady』Clayton Rawson,1940年。

 ロースンは大好きな作家で、長らく創元推理文庫版が絶版のまま復刊もされずにいたので、今回の新訳は嬉しかったのですが、久しぶりに読んだロースンは、びっくりするほど下手くそでした……。

 サーカスネタ、隠語ネタ、思わせぶり――ぽこぽこと出てくる登場人物がそうしたどうでもいい会話を入れ替わり立ち替わりしてゆくので退屈きわまりません。上手くいっていたならテンポのよい会話と場面展開となるはずなのですが、展開が早いわりに無駄話が長すぎました。

 グレート・マーリニが経営する〈奇術の店〉に、ひとりの女性がやってきた。彼女は「首のない女」の奇術に使う装置をどうしても買いたいという。女性の謎めいた行動に好奇心をかき立てられたマーリニは、友人の作家ロス・ハートとともに彼女のあとを追う。やがて、大ハンナム合同サーカスへとたどり着いたふたりを待っていたのは、団長のハンナム少佐の事故死の知らせだった。だが、その死には不審なところがあった……。少佐の死は事故か殺人か。「首のない女」とは誰なのか。呼び込みの口上、綱渡りに空中ブランコ、剣呑みに透視術にいかさまトランプ――華やかなサーカスの裏で渦巻く策謀に、奇術師探偵マーリニが挑み、窮地に立たされる。奇術師作家ロースンの仕掛ける大胆な詐術に驚愕せよ! 不可能犯罪の巨匠ロースンの最高傑作が、今ここに新訳でよみがえる!(カバーあらすじ)

 はじめのうちは首のない女という舞台奇術の道具がどんなものなのかさっぱりわからなかったのですが、どうやら胴体を切断して首と胴体のあいだに何もないように見えるマジックの、首から上がないように見えるバージョンのようです。

 前半はかなり退屈です。事故死ではありえない状況で見つかった自動車事故死体も、サーカス団員の転落事故も、何かを必死で隠そうとしている団長の娘も、誰がどんな人物でどんな状況なのか説明も掘り下げもないまま書かれてゆくので、誰がどうでもいいとしか思えないのです。象のパニックにしてももっと盛り上げればいいのにさらっとしていて場面転換が下手すぎます。

 ようやく面白くなるのは、象使いの過去が明らかになるところでした。これまではどうでもいい人たちだった登場人物に、ようやくどろどろした緊迫感を感じることができました。対立構造はやっぱり盛り上がります。

 そこから先はマーリニの脱出劇という喜劇あり、マーリニが巻き込まれた事件の全容が明らかになり、一気に解決篇へとなだれ込みます。

 ロースンが下手なりに上手いところは、序盤の隠語ネタもただの無意味なペダントリーではなかったところだったり、ただのサービス精神に思えるマーリニの脱出劇もその逮捕劇のどたばたによって真犯人の行動が制限されたりと、きちんと意味を持たせているところですね。小説としての見せ方が下手くそなだけで。

 ただ、意味を持たせるといえば、首のない女の装置は現実的には意味がないのではないでしょうか。【ネタバレ*1】ためとはいえ、舞台以外で結局サングラスをしているのなら無意味なような……。う~ん、ただ単にサングラスをしている変な人、ではなく、常にサングラスをしている変わり者の劇団員の一員ということに意味があるのかなあ。

 すべて終わってみれば、マーリニは事件の一部を裏から見ていたことがわかります。それだと序盤が退屈なのは仕方ない気もします。突っ込んだことを書いてしまうと表の構図が明らかになりかねませんし。尻すぼみ感の多いロースン作品にしては、序盤が退屈で徐々に面白くなってゆくという珍しい読後感でした。【※ネタバレ*2

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 首のない女 


 

 

 

*1顔を隠す

*2殺された恐喝犯の弁護士が金を持って逃亡、恋人とともにかつて在籍していたサーカスに身を寄せる。弁護士は道化師の白塗りの下に隠れ、恋人は顔のない女として顔を隠した――というのが表の事件。自動車事故殺人その他の事件は、金ほしさに弁護士カップルを追う探偵が、うっかり殺人とその隠蔽を重ねた結果

 


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