『ありふれた祈り』ウィリアム・ケント・クルーガー/宇佐川晶子訳(早川書房ポケミス1890)★★★★☆

『ありふれた祈り』ウィリアム・ケント・クルーガー/宇佐川晶子訳(早川書房ポケミス1890)

 『Ordinary Grace』William Kent Kruger,2013年。

 少年がある日を境に直面せざるを得ない現実を描いたという点では、同じポケミスの『フリント船長がまだいい人だったころ』を思い出させます。あちらは身近な人が悪を選んでしまう状況を、そして語り手の少年自身が悪人になるかならざるかの選択を迫られる話でした。

 対して本書ではそういった語り手自身の意思が運命を左右する決断場面はありません。さすがに十三歳ではまだ子ども過ぎて、なすすべもなく大人の言いなりだったり逆に大人が助けてくれたりが精一杯だからです。語り手を含めた絶望に陥った人間がどのように立ち直れるのか――それがタイトルに込められた思いなのでしょう。

 大人になったフランク・ドラムは四十年前の出来事を回想します。すべてはボビー・コール少年が機関車に轢かれた事件が始まりでした。その痛ましい事故を、事件だと疑う者もいました。フランクと吃音のある弟のジェイクは、父親の言いつけに背いて現場に出かけ、死体の前で立っているインディアンを見つけます。フランクとジェイクはインディアンのことを警察には言えず、行き倒れとして処理されました。葬儀はフランクの父親である牧師のネイサンがおこないました。姉のアリエルは母から美しさと音楽的才能を受け継いでおり、母親の元婚約者で世界的作曲家のエミール・ブラントから教わって、来年にはジュリアード音楽院に進学予定でした。それが突然、地元に残りたいと言い出したのです……。

 物語のペースは非常にゆるやかで、多くは少年の目を通した世界に費やされます。地元のガキ大将との対立、父親の戦時中の部下との友情、柄の悪い警察官との腐れ縁、夜中に家を抜け出す姉、目の見えない音楽家との交流、耳の聞こえない少女とジェイクの友情、誰が誰を好きで誰を嫌いか――ミネソタ州の田舎町のことが手に取れるようで、現実には存在しないこの町のことが好きにならざるを得ません。『地球最後の男』や『トワイライト・ゾーン』やケネディミネソタ・ツインズといった小道具の使い方がうまく、時代の空気や子どもたちの様子も伝わってくるようです。おそらくアメリカ人なら作中で触れられているテレビ番組にもそれぞれ何らかの親しみなり連想なりをするのでしょう。

 だからこそ、中盤以降で語り手たちを襲う残酷な出来事には呆然となりました。事件をきっかけに、それまでは隠されていたものが明るみに出てきてしまいます。インディアンへの差別、救わぬ神を頼る者への不信、地元名家への恨み、名家の庶民に対する蔑み、短絡的な疑いと怒り。親しい者の死と容疑者への疑心暗鬼があるままの状態では、素直に悲しむことも悼むことも怒ることも出来ず、何かに当たるしかないのは致し方のないことなのでしょう。

 正直なところ、「ありふれた祈り」というタイトルの意味する場面は、無神論者のわたしには理解できません。日常を取り戻すためにはありふれた日常に触れることがきっかけになるという解釈で済むだけのことを、なにも祈りや奇跡を持ち出さなくてもいいのではないかと思ってしまいました。

 厳しいことを言うのには理由があって、フランク少年が都合のいい場面で何でもかんでも簡単に盗み聞き出来すぎで、語り手が真実を知る方法にもう少し工夫があるべきでは?と、作者の安易な姿勢にうんざりしていたからです。

 その“奇跡”にしてからが、ジェイクが吃音という設定があってこそで、そのための吃音設定なのかと興醒めしてしまった面もありました。そう思ってしまうと、吃音、兎唇、盲目、聾と自閉、戦争の傷、ホモ、インディアン……障害とマイノリティのオンパレードも嘘くさく感じられてしまいます。

 最終的に犯人が明らかになってみると、このなかのいくつかは事件に対する推測や真相にとって不可欠のものであることがわかりますが、読んでいる最中の不信感を吹き飛ばすほどのカタルシスは得られませんでした。

 父親の戦争中の事情は最後まではっきりと語られることはありませんでしたが、少年の日のフランクが聞くのを拒んでしまった以上、たとえ続編やスピンオフがあろうとももはや語られることはないのでしょう。フランクたちの行動が遠因となって登場人物の一人が死に至ってしまうのですが、それに対する罪悪感が不自然なほどあまり描かれていなくて、やっぱり肉親でなければ他人事なのかな?ともやもやした感じが残りました。それどころじゃない、というのが事実なのでしょうけれど。

 すごくいい作品なのに、そうしたさまざまな理由から完璧には一歩及ばない、そんな作品でした。

 著者の名前は初耳でしたが、既に講談社からコーク・オコナーが主人公のシリーズものが何冊も出ているそうです。

 訳者はさすが女性というべきかファッション関係の訳語も難なく訳しているのですが、男物でもボクサーショーツという言い方をするものかとそこだけは疑問に感じました。

 あの夏のすべての死は、ひとりの子供の死ではじまった――。1961年、ミネソタ州の田舎町で穏やかな牧師の父と芸術家肌の母、音楽の才能がある姉、聡明な弟とともに暮らす13歳の少年フランク。だが、ごく平凡だった日々は、思いがけない悲劇によって一転する。家族それぞれが打ちのめされもがくうちに、フランクはそれまで知らずにいた秘密や後悔に満ちた大人の世界を垣間見るが……。少年の人生を変えた忘れがたいひと夏を描く、切なさと苦さに満ちた傑作ミステリ。アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞受賞作!(裏表紙あらすじ)

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