『幻影の牙』戸川昌子(双葉文庫)★☆☆☆☆

『幻影の牙』戸川昌子双葉文庫

 1970年初刊。

 ミステリではなく経済小説でした。詐欺師でもある漁色家の男が美容院業界に狙いをつけて、狙った女と金をモノにしようとするという話なのですが、びっくりするほどつまらない内容でした。

 この手の話の常として女があっさりモノになるので駆け引きも何もなく、そっち方面でのストーリーの起伏は期待できません。では詐欺方面はどうかというと、これも常に女とセットで話が進んでゆくのでげんなりしてしまいました。かといってエロさもたいして無いですし。お筆先とかいう、股の間に筆を挟んで予言をする巫女が出て来るあたりは、馬鹿らしいというよりは著者らしい奇想というべきでしょうか。

 天才的詐欺師・瀬木山雄二が狙いをつけた獲物は、美貌と豊満な肉体の美容師たち。美容師組合の親睦旅行にもぐり込んだ瀬木山は、まんまと最初の獲物を陥落させる。次なるターゲットは大手美容学校の女校長だ。色と欲との二股道を、舌先三寸でおしわたる痛快無比の網渡り人生! 事能は意外な展開をみせるが、この男、少しもあわてず網を広げる!?(カバーあらすじ)

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『黒いアリバイ』ウィリアム・アイリッシュ/稲葉明雄訳(創元推理文庫)★★★★☆

『黒いアリバイ』ウィリアム・アイリッシュ稲葉明雄訳(創元推理文庫

 『Black Alibi』Cornell Woolrich,1942年。

 『黒衣の花嫁』『黒いカーテン』に続く〈ブラックもの〉の第三作です。

 目次が被害者名になっており、『黒衣の花嫁』『喪服のランデヴー』等と同じく一つの章で一人が死ぬという短篇が積み重ねられた構成になっていました。

 こういう何番煎じかに加えて、逃げ出した黒豹が人を襲うというB級臭ただようストーリーなので、あまり気乗りせぬまま読み進めてゆきました。

 けれどそこはウールリッチ。

 被害者名が章題になっている以上、殺されることは読者にもわかっているんです。にもかかわらず、ウールリッチはすぐに悲劇を起こすことなく被害者の恐怖心を何段階かに分けてじっくり描いています。で、それがまったく焦れったくはありません。焦れったくないどころか、どうしてこんなにバレバレなのに息づまるサスペンスが生まれるのかと思うほどに濃密なサスペンスを感じられました。

 襲われ方も趣向を凝らしています。

 第一の被害者テレサの最期はあまりにも残酷で、サスペンスどころかホラーと言っていいでしょう。直接的な描写がないのは、当然ながら犯人を見せないためでもあるのですが、ドア一枚隔てて音だけで表される恐怖には想像力を掻き立てられますし、すぐそこにいるのに助けられない絶望感は並々ならぬものがありました。

 絶望感といえば第二の被害者コンチータも相当なものでした。一度は助かりながらも、結局は毒牙に掛かってしまいます。二度も恐怖を味わわなくてはならなかったなんて、あまりにもひどすぎます。

 第三の被害者クロクロは当たり前の幸せを夢見る娼婦で、いかにもウールリッチらしい都会に汚れたけなげな少女として描かれています。新聞が黒豹失踪を冗談めかして記事にしたこともあって黒豹の恐怖よりも不吉な占いの結果に怯えているところや、どん底からすくいあげてくれるための大金をさがしに夜の町へ戻ってゆくところや、前向きでロマンチックな最期など、第一・第二の被害者にも増して印象深い人物でした。

 南米を巡業中の女優キキ・ウォーカーの宣伝の一環として黒豹を連れ歩こうとして、そもそもの原因を作ったマネージャーのマニングが探偵役を務めます。犯人が豹にしては残虐すぎる点、被害者が若い女性ばかりな点に不審を抱いたマニングは、取り合おうとしない警察に頼ることをやめ、第四の事件のあとは独自に動き出します。

 ここから先はわやくちゃでした。無茶すぎる囮捜査、唐突なロマンス、突拍子もない犯人像。快楽殺人なのはまあいいですよ、犯人がなかなか捕まらなかった理由もまあわかります、逃亡した豹を隠れ蓑に犯行を重ねようというのも納得はできます――が、なりきる必要がありますか……。ウールリッチにとっての狂人像がそういうイメージなのか、昔のホラー映画のノリなのか、あるいは南米を舞台にしたのはそういうこともありそうな雰囲気を出したつもりなのか。もともとB級っぽかったのがB級で終わったという意味では正しい終わり方です。

 タイトルの『黒いアリバイ』の意味がわかりませんでした。第一章「アリバイ」と最終章「黒いアリバイ」の章題にもなっていますが、どちらもいわゆる「現場不在証明《アリバイ》」とは関係なさそうです。第三の事件のあとで黒豹の飼い主のアリバイが問題にされますが、それがタイトルになるとも思えません。辞書によれば「alibi」には「口実・言い訳」の意味もありますが、それでも意味が通じません。黒豹のアリバイ(=犯行現場にいたのは黒豹なのかどうか)ということかなあ?

 女優の旅興行の宣伝のため連れてこられた黒豹が、衆人環視のなか逃げ出して姿をくらました。やがて、ずたずたに引き裂かれた娘の死骸がひとつ、またひとつ──。美しい犠牲者を求めて彷徨する黒い獣を追って警察は奔走するが、その行方は杳として知れない。だが本件の示すあまりに残虐な獣性に、ある疑惑が浮かび……。サスペンスの巨匠による《ブラック》ものを代表する傑作!(カバーあらすじ)

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『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ トム・ストッパードIII』トム・ストッパード/小川絵梨子訳(ハヤカワ演劇文庫42)★★★☆☆

『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ トム・ストッパードIII』トム・ストッパード/小川絵梨子訳(ハヤカワ演劇文庫42)

 『Rosencrantz and Guildenstern are dead』Tom Stoppard,1966年。

 シェイクスピアの本篇ではハムレットの陰謀(?)の犠牲になる二人を主役にした不条理劇。もともとが事情もわからぬまま叔父王に呼ばれてハムレットの狂気の原因を探るものの、ハムレットに勝手に裏切者扱いされて殺されるという散々な役どころです。

 ローゼンクランツ自身が自分の名前を把握していなかったり、叔父が王位を継ぐという不自然な事実にツッコミを入れたりといった、デコボココンビによるボケとツッコミ(というかボケでツッコミ)によって進んでゆくのですが、間や抑揚のない文字だけでは、残念ながら面白くも何ともありませんでした。

 ことあるごとに登場する芝居一座も、舞台で見たならば、「またおまえか!」という笑いを引き起こすのでしょうけれど。

 芝居に現実を持ち込み、死を演じる芝居一座は、「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者」「この世は一つの世界、誰もが役を演じなくてはならない舞台」そのものでもあり、佯狂ハムレットの裏返しでもあるのでしょう。

 コインの裏表ですら偶然ではなく予め演者によってコントロールされていたように、誰もが誰か(何か)に転がされているようです。コインのトリックをおこなうのが登場人物一おバカなローゼンクランツだからこそ皮肉が際立ちます。

 「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」。シェークスピアの『ハムレット』の終幕、こんな一言で片付けられてしまう憐れな脇役の二人。本作は、ハムレットの学友であるが故に、玉座争いに巻き込まれ、死すべき運命に流される彼らの運命を描く。果たして「筋書き」通りの行く末なのか……。イギリス最高峰と称される劇作家、トム・ストッパードの出世作が気鋭の演出家・小川絵梨子の新訳で甦る。(カバーあらすじ)

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 ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ トム・ストッパードⅢ 

『猟犬』ヨルン・リーエル・ホルスト/猪股和夫訳(早川書房 ポケミス1892)★★★☆☆

『猟犬』ヨルン・リーエル・ホルスト猪股和夫訳(早川書房 ポケミス1892)

 『Jakthundene』Jørn Lier Horst,2012年。

 ポケミスでは2作目となるノルウェーの作品で、ドイツ語からの重訳です。スウェーデンと違ってノルウェー語翻訳者って育っていないのかな。

 17年前の誘拐殺人事件の容疑者が釈放され、証拠の捏造で訴えられる――とだけ聞くと、主人公が何かの陰謀に巻き込まれて罠に嵌められたのかとも思えますが、そうではなく、捏造は実際におこなわれており、当時捜査の責任者だった主人公が代表して訴えられたということでした。

 捏造の動機は明らかなので、いきおい捏造したのは誰なのかを見つけるのが、主人公であるヴェスティングの目的になります。改めて考えてみても真犯人はやはり逮捕された男に間違いないという直感には変わりありません。

 一方、新聞社に勤めるヴェスティングの娘リーネは、発生したばかりの撲殺事件の被害者宅を警察に先んじていち早く見つけ、犯人らしき男に襲われるという事件に遭います。

 小説ですから当然のこと、このあと二つの事件は一つにつながってゆくのですが、停職中の警官が過去の事件を洗い直し、新聞記者が独自に現在の事件を調査するという構成なので、警察小説というよりは私立探偵もののようです。どちらも警察とは距離を置いているからこそ、事件に新たな光を当てられるということでしょうか。もっともヴェスティングは停職中とはいえ警察のコネを使いまくってはいるのですが。

 親子ともども真実のために他人を踏みにじるゲスな職業という点では共通しているのも面白いし、互いに情報を共有しあってコンプライアンスがガバガバなのもご愛敬です。

 ヴェスティングには身の覚えがないとはいえ、思うところはあります。

 当時の捜査官に別の誘拐事件の被害者の親族がいて、そのせいで精神的に参っていたためその捜査官のことを信頼しきれないという不信感があります。

 煙草に付着したDNAという証拠の出現によって、その他の可能性や事実関係の検証がなおざりになってしまったという反省もあります。

 要するに何一つ信用できないというていたらくなわけですが、結局のところどちらの事件も犯人の方から動いてくれたのが解決の近道になるように、意外と構成は雑です。不審な捜査官の神出鬼没ぶりや尾行した容疑者の行動などのレッドヘリングにしても、取って付けたような感や投げっぱなしの感は否めません。

 けれど元監察官のようなカッコイイじいさんのキャラクターや、次々と先へ進む読みやすい展開など、重苦しいはずの内容のわりには読んでいて楽しい作品でした。

 17年前の誘拐殺人事件で容疑者有罪の決め手となった証拠は偽造されていた。捜査を指揮した刑事ヴィスティングは責任を問われて停職処分を受ける。自分の知らないところで何が行なわれたのか? そして真犯人は誰なのか? 世間から白眼視されるなか、新聞記者の娘リーネに助けられながら、ヴィスティングはひとり真相を追う。しかしそのとき、新たな事件が起きていた……。北欧ミステリの最高峰「ガラスの鍵」賞をはじめ、マルティン・ベック賞、ゴールデン・リボルバー賞の三冠に輝いたノルウェーの傑作警察小説(裏表紙あらすじ)

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 猟犬 

『パリ警視庁迷宮捜査班』ソフィー・エナフ/山本知子・川口明百美訳(早川書房ポケミス1943)★★★★☆

『パリ警視庁迷宮捜査班』ソフィー・エナフ/山本知子・川口明百美訳(早川書房ポケミス1943)

 『Poulets grillés』Sophie HÉNAFF,2015年。

 裏表紙のあらすじには「「フランスの『特捜部Q』」と評される」と書かれていますが、どこでそう評されているのか、本当にそう評されているのかは不明です。

 個人的には本書の方が何倍も面白く読めました。『特捜部Q』は二作目三作目で既にワンパターンでマンネリに陥っていましたし、お洒落な(つもりの)会話がうざったく感じていたので。

 原題『Poulets grillés』は直訳すれば「焼き鶏」ですが、恐らく俗語で「駄目デカたち」「信用を失った警官たち」だと思われます。

 その名の通り、過剰防衛で処分されたアンヌ・カペスタン警視正が担当を任されたのは、馘首には出来ない問題児たちばかりを集めた部署でした。

 相棒が死傷してばかりなため死神と呼ばれる、不吉な13を名に持つトレズ警部補。小説家として成功したために警察にはネタ探しと話相手を求めに復職したロジエール警部。偏見から更迭された、カペスタンの発砲事件を調査した元監察官室のルブルトン警視。酒飲みのメルロ警部。賭博好きのエヴラール警部補。マスコミや噂に独自のつてを持つオルシーニ警部。パトカーですっ飛ばすために警察に入ったレヴィッツ巡査部長。コンピュータの天才、けれどそれ以外は無能なダクス警部補。

 正直なところ、本当に役に立つのか、ただの無能なんじゃないのか、と読んでいる最中には思ってしまうような連中もいます。それでも事件が解決するまでには一人一箇所は必ず見せ場が用意され、全員が協力してみごと迷宮入り事件を解決に導きます。『特攻野郎Aチーム』や『七人の侍』やバトル漫画の世界ですね。単純にわくわくしてしまいます、こういうの。いや、レヴィッツは役に立ってるのかな(^^? 笑ったのは、死神トレズ警部補の活躍です。死神という噂を最大限に利用して犯人にプレッシャーを掛けるのには、クライマックスの真剣な場面なのにもかかわらず思わず笑みがこぼれてしまいました。

 特別班の面々が迷宮入りの資料のなかから選び出したのは、麻薬密売と二件の殺人事件でした。一件の殺人は、殺害後に身だしなみを整えられた老婆の事件で、強盗にしては不可解な点が多すぎます。もう一件は船員射殺事件で、犯人はプロの殺し屋と思われるような手際のよいものでした。

 何年も前の事件をほじくり返すわけですから、当然ながら関係者も非協力的で、手がかりらしきものも本当に手がかりなのかどうかもわかりません。

 密売事件の件で警察局長に疑いの目を向けるカペスタンでしたが、やがてすべてに説明のつく形で真相が明らかになりまあす。ちょっと出来すぎという気もしますが、部下をうまく使うという意味では上司の鑑だと言えないこともないでしょう。

 特別班のメンバーが魅力的なのはもちろんですが、身勝手な犯人にすら同情の念を起こさせるあたり、著者の人間に向ける眼差しは優しいものなのでしょう。現地では三作目まで出版されているそうなので、続きの邦訳にも期待したいところです。

 ところで訳者の名前は「あゆみ」と読むんですね。恐らく百合の「ゆ」なんでしょうが、DQNネームだなあ。。。

 六カ月の停職から復帰したパリ警視庁警視正のアンヌ・カペスタンは、新結成された特別捜査班を率いることを命じられる。しかし、あてがわれたオフィスは古いビルの一角。集められたメンバーは、売れっ子警察小説家(兼警部)、大酒飲み、組んだ相手が次々事故に遭う不運の持ち主など、警視庁の厄介者ばかり。アンヌは彼らとともに、二十年前と八年前に起きたふたつの未解決殺人事件の捜査を始めるが、落ちこぼれ刑事たちの仕事ぶりはいかに……「フランスの『特捜部Q』」と評されるコミカル・サスペンス、開幕!(裏表紙あらすじ)

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