『錬金術師の密室』紺野天龍(ハヤカワ文庫JA)★★☆☆☆

錬金術師の密室』紺野天龍(ハヤカワ文庫JA)

 異世界ミステリかと思ってたらラノベでした。

 ラノベでもいいんですけどね。密度のない薄っぺらいタイプのラノベです。

 まだ何も始まってもない段階からいきなり「アワン前哨基地へ、アスタルト王立軍情報局長のヘンリィ・ヴァーヴィル中将は冬の嵐のように突然やって来た」とか書かれても失笑してしまいます。こんな文章の羅列が平板に続くので読めたものではありません。

 キャラが立っているならまだ読めるのですが、「きみが……エミリアちゃん……? だって……きみは……男だろう……?」「男ですね。その、家庭の事情で女性名を付けられただけで(以下略)」のような、何十年前のラノベだよ、というような掛け合いばかりでうんざりします。

 魂の錬成に成功した錬金術師が、ホムンクルスとともに密室内で殺害されるという事件が起き、主人公の錬金術師と変成術師のコンビが自らの容疑を晴らすために真犯人を捜します。犯人はなぜ身許が特定されるような変成術を使ったのか、ダストシュートと反射炉のダクトしかない部屋からどのように逃げ出したのか――というのが謎で、真相自体は錬金術が存在する世界に古典的な入れ換えトリックをアレンジしたもので、意外としっかりしたものでした【※ネタバレ*1】。

 魂の錬成に成功したという見せかけの真相と、成功していなかったという真相の二段構えがあったりと、つまらない前半と比べて後半の詰め込み具合がアンバランスです。

 主人公の二人が、これからシリーズものになりそうな過去を持っていますが、錬金術が存在する世界という設定を活かしたミステリをこれから二つも三つも書く……のでしょうか。

 アスタルト王国軍務省錬金術対策室室長にして自らも錬金術師のテレサパラケルススと青年軍人エミリアは、水上蒸気都市トリスメギストスへ赴いた。大企業メルクリウス擁する錬金術師フェルディナント三世が不老不死を実現し、その神秘公開式が開かれるというのだ。だが式前夜、三世の死体が三重密室で発見され……世界最高の錬金術師はなぜ、いかにして死んだのか? 鮮やかな論理が冴え渡るファンタジー×ミステリ長篇。(カバーあらすじ)

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*1 研究施設に幽閉されていた錬金術師が、事前にホムンクルスAに自らの魂を移し替え、浮浪者を影武者にして過ごしていた。やがて小型のホムンクルスBにさらに魂を移し替え、ホムンクルスAの抜け殻と影武者を殺して、自らの殺害事件を演出し、ダストシュートから脱出する。

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『猟人日記』戸川昌子(講談社文庫コレクション大衆文学館)★★★★☆

猟人日記戸川昌子講談社文庫コレクション大衆文学館)

 乱歩賞受賞作『大いなる幻影』と第二作『猟人日記』の合本より、未読の『猟人日記』を読みました。

 キーパンチャーB・G尾花けい子は、バーで知り合った低音が魅力の男と一夜限りの関係を持ったあと、妊娠を知って身を投げます。けい子の姉・常子は、死んだ妹が身籠っていたことを警察に知らされ大きなショックを受けました。

 やがて常子と同じく鼻の横にホクロのある女がバーに現れ、低い声の男について聞き込みを始めます。

 一方、低音の男・本田一郎はナンパした女との情事を記録につけて『猟人日記』と名づけていました。妻が奇形児を産んでからというもの、妻相手にはどうしても役に立たない身体になっていたのでした。本田は新聞を読んで、かつて関係を持った尾花けい子が自殺したことを知りますが、気にせず外国人のふりをして女を漁り続けます。ところが今度は別の女が絞殺され……。

 身に覚えのない被害者が次々と殺されてゆくところや、章題が「第一の獲物」「第二の獲物」となっているところなどは、ウールリッチ『黒衣の花嫁』へのオマージュでしょう。この時点で気になる点は二つ。けい子は被害者ではなく、むしろ自分から誘っているくらいなのですから、復讐はお門違いであること。本田ではなく本田が関係した女が殺されるのも、復讐にしては不可解です。

 こうして本田は罠に嵌められていると気づきながらも理由も黒幕もわからないまま絡めとられてゆきます。これはもちろん『歯と爪』で、海外名作へのオマージュと換骨奪胎は見事です。

 ここまでで半分。後半からは弁護士による独自の捜査が始まります。

 ミステリとしては残念なことに、真犯人の見当は付いてしまいます。でもそのおかげで、本田を罠に嵌めるために無関係の人間を殺したのか――という『ABC』的な嫌悪感は薄らいでいます。人殺しには違いないとはいえ、復讐ではあったわけで。

 戸川昌子らしい、性と愛に満ちた佳作でした。

 作品解題によるとスコット・トゥロー推定無罪』が本書と同じネタを扱っているそうです。『推定無罪』は判事が勝手に裁判を終わらせた話だったようなところしか覚えていませんが、どんなトリックでしたっけ?

 似ているといえば、猟人日記というアイテムからは、フィリピン買春の校長先生を連想しました。こんな変態が現実にいるもの(どころか一枚も二枚も上手)なんですね。

 巻末エッセイは戸川安宣氏。同じ苗字というネタから入って、後半は本当にただ戸川姓の歴史を綴っているだけというトンデモない内容でした。解説じゃなくてエッセイだからいいのかな……。

 「人と作品」は関口苑生氏。大半が戸川昌子本人のエッセイからの引用だけという、こちらも無茶苦茶な内容。「人と作品」だから著者について綴ること自体はいいのですが、解説の書きづらい作家なのでしょうか。

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『消えた犬と野原の魔法』フィリパ・ピアス作/ヘレン・クレイグ絵/さくまゆみこ訳(徳間書店)★★★☆☆

『消えた犬と野原の魔法』フィリパ・ピアス作/ヘレン・クレイグ絵/さくまゆみこ訳(徳間書店

 『A Finder's Magic』Philippa Pearce,2008年。

 フィリパ・ピアスの遺作です。挿絵は娘婿の母親が担当し、主人公の名前ティルは孫のナットとウィルから採られています。そして物語の結びでは、この物語が二人の著者を思わせる登場人物によって書かれたティルの物語(つまりフィリパとヘレンによるナットとウィルの物語)だったということが明らかになるように、家族の物語でした。

 飼い犬のベスがいなくなったティルは、突然現れた怪しげな老人の助けを借りて、動物の声を聞きながらベスの行方を捜してゆきます。魔女のようだと怖がっていたおばあさんにも、ベスを見かけなかったかと勇気を出してたずねます。

 犬といえば『まぼろしの小さい犬』、謎解きは『ハヤ号セイ川をいく』、そして老婆……のように著者の集大成といった趣がありました。

 ただしとてもあっさりとしています。老人の正体もなぜそういうことが起こったのかも、ただそういうものだと受け入れるしかありません。せっかくのベスの名前の由来も、どれだけベスのことを大事に思っているかというエピソードがないと感動も半減してしまいます。

 恐らく見つけ屋というのは、ものをなくしたと思ったらひょんなところから出てきた――という出来事を具現化した存在なのでしょう。明らかに人外のものでありながら決して万能ではなく、モノを介してしか動物と会話することが出来ないというのがいいですね。もちろんそれは動物がしゃべるというあまりに嘘くさいファンタジーを嫌ったというだけのことなのかもしれません。けれどもしかしたら、誰かがいなくなってもモノには何かが残るのだ、ということなのでは――と考えるのは、遺作だということから来る思い込みでしょうか。

 犬のベスが、ある日、どこかへ行ってしまいました。ティルはかなしい気もちで眠りにつき、次の朝早く、家の外に出てみました。すると、庭の木戸のところにきみょうなおじいさんがあらわれて、言いました。

 「わしは見つけるのが得意でな。おまえさんががんばってさがすなら、手伝ってやるぞ」いつもベスと散歩に行っていた、二人のおばあさんが住む野原まで、おじいさんといっしょに行ってみると、次々にふしぎなことがおこり……?

 物語の名手フィリパ・ピアスが遺した最後の作品に、人気絵本画家ヘレン・クレイグが絵をつけました。ピアスとクレイグが、「共通の孫」たちのために作った、美しいお話です。(カバー袖あらすじ)

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『オルレアンの少女《おとめ》』シルレル/佐藤通次訳(岩波文庫)★★★★☆

『オルレアンの少女《おとめ》』シルレル/佐藤通次訳(岩波文庫

 『Die Jungfrau von Orleans』Friedrich Schiller,1801年。

 『ヴィルヘルム・テル』のシラーによる、戯曲ジャンヌ・ダルクです。

 百年戦争で劣勢のフランス、豪農アルクのチボーは、娘のジャンヌが玉座に坐っている夢を見た。戦乱が始まる前に娘たちを結婚させようとしていたチボーだったが、農夫がもらってきた兜を見たジャンヌは、神の声を聞いて戦に赴く。もはや諦めて覚悟を決めていた太子(のちのシャルル七世)たちのもとに、フランス軍勝利の報せが飛び込んで来る。突如現れた一人の少女が旗を奪って陣頭に立つと戦局が変わったのだという。その後ジャンヌはマリヤの描かれた旗を持ち、出会ったイギリス人は全員殺すと誓ったが、戦場で相対した敵将ライオネルに一目惚れしてしまい……。

 あらすじからだとどんな人間くさいジャンヌなのかと思いましたが、むしろジャンヌの聖性は揺るぎないものとして描かれていました。信仰に疑いを持たぬがゆえに、神との誓いを破って敵を殺せなかったことを神への裏切りだと感じ、もはや神の使いとして戦う資格はないと思い詰めてしまう、その真っ直ぐさこそが、ジャンヌの魅力でしょう。

 もはや自分の知っている娘とは別人となってしまったジャンヌを父親が告発すると、ジャンヌを信じる人々が、ジャンヌ自身の煮え切らない態度により、一人また一人と離れていってしまう場面は、一人去るたびに「まだ間に合う――」と祈るように思いながら読んでいました。歴史なんて変わるわけもないのに。

 黒色の騎士という謎めいた存在が予言めいたことを告げて去っているので、いっそうのこと避けられぬ悲劇を予感させます。

 ところがここから、ちょっとしたアレンジどころではないほど史実とは大きく異なる展開が起こります。

 同じく悲劇ではありながらも、捕まって火刑に処されてしまうという運命ではなく、聖女として死ぬ運命を著者はジャンヌのために用意していました。シラーの美意識の賜物でしょう、何よりも崇高なジャンヌでした。

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『偽のデュー警部』ピーター・ラヴゼイ/中村保男訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)★★★★★

『偽のデュー警部』ピーター・ラヴゼイ/中村保男訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 『The False Inspector Dew』Peter Lovesey,1982年。

 かのクリッペン医師を逮捕したことで知られたウォルター・デュー警部。そんなウォルター・デューの偽名を使って乗り込んだ豪華客船で殺人事件が起こり、偽のデュー警部は本物と勘違いされて事件を捜査することに……そんな程度のあらすじだけは知っていました。

 ところが実際に読んでみると、そんな簡単なあらすじではくくれない内容でした。

 まずは魚雷に攻撃されて沈没するルシタニア号から幕を開けます。1915年の出来事です。そのルシタニア号の生き残りの一人が、偽のデュー警部ことウォルター・バラノーフ。当時はサーカス芸人でしたが、女優のリディアと結婚して1921年現在は歯科医として成功しています。

 歯科医が愛人と協力して邪魔な妻を殺す計画を立てる――そんな話だと思っていたのですが、そうしたクライム・ストーリーにすらなかなかなりそうにありません。というのも愛人枠のアルマというのが実は愛人でも何でもなく、思い込みから一方的にウォルターに熱を上げる男性経験のないストーカーなのです。ここからどうなったら二人で妻を殺そうという話になるのか見当も付きません。

 けれど女優としてまた一花咲かせるために知り合いのチャップリンを頼ってアメリカに渡るという計画を自分勝手に推し進めるリディアに対し、温厚なウォルターも気持が揺らぎます。そんないわば弱みにつけ込むような形でいよいよアルマはウォルターを籠絡します。

 斯くしてアメリカ行きの豪華客船モーリタニア号に乗り込むリディアを追って、偽名で乗り込んだウォルターがリディアを殺して海に捨てたあと、密航していたアルマがリディアに成り代わる……という計画が立てられました。

 モーリタニア号には個性的な船客たち。

 トランプいかさま師のゴードン、ゴードンに協力する掏摸の少女ポピー、娘を金持ちと結婚させることしか考えていないマージョリー、そんな親心を知ってか知らずか男には興味がなさそうなバーバラ、バーバラの大学の友人である百万長者の息子ポール、アルマにちょっかいをかけるお調子者のセールスマン・ジョニー。

 まんまとリディアを殺したはずでしたが……なぜか別の殺人事件が起こり、ウォルターがデュー警部として捜査するはめになってしまいます。

 ここからのユーモアが冴えていました。捜査のことなんてわからないので、何も言えずにいると、相手が勝手にしゃべってくれます。何も考えずに無神経な質問をしたところ、激昂した相手が思わぬ事実を口走ってくれます。相手の名前を何度も間違えたり、英語のわからないオペラ歌手に事情聴取に行ったらサインをねだられたのだと間違えられたりといった古典的なギャグもまぶされています。

 あまりにも天然なウォルターですが、そんな素直さゆえでしょうか、集まった情報からあっさり核心を突くような鋭さも見せます。そして第二の事件も起こり……。

 遂に解決編。すべては早い段階で書かれてあったのですね。伏線といい動機といい、全篇に漂うユーモアとは裏腹にしっかりした謎解きものでした。他の乗客からすればただの(?)殺人事件なのですが、読者からすればもう一つの、そして不慮の殺人事件ということもあり、すっかり手玉に取られてしまいました。

 謎解き以外にも読み所がたくさんあり、ポールとバーバラのラブコメもあれば、いつ偽物だとばれるのかとヒヤヒヤものでしたし、当初の計画はどうなっちゃったの……と思っていたらそこもしっかり回収されていました。

 花屋の店員の恋の相手は歯科医だった。歯科医の妻は女優で、彼女は喜劇王チャップリンを頼ってアメリカに渡ると言い出した。二人の恋を実らせるには、この妻を豪華客船上から海へ突き落とすことだ。偽名を使い、完全犯罪を胸に乗船した二人だったが……やがて起こった意外な殺人に、船上に登場した偽の名警部が調査を開始する。英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー受賞。本格ミステリ黄金時代の香り豊かな新趣向の傑作!(カバーあらすじ)

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