『偽のデュー警部』ピーター・ラヴゼイ/中村保男訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)
『The False Inspector Dew』Peter Lovesey,1982年。
かのクリッペン医師を逮捕したことで知られたウォルター・デュー警部。そんなウォルター・デューの偽名を使って乗り込んだ豪華客船で殺人事件が起こり、偽のデュー警部は本物と勘違いされて事件を捜査することに……そんな程度のあらすじだけは知っていました。
ところが実際に読んでみると、そんな簡単なあらすじではくくれない内容でした。
まずは魚雷に攻撃されて沈没するルシタニア号から幕を開けます。1915年の出来事です。そのルシタニア号の生き残りの一人が、偽のデュー警部ことウォルター・バラノーフ。当時はサーカス芸人でしたが、女優のリディアと結婚して1921年現在は歯科医として成功しています。
歯科医が愛人と協力して邪魔な妻を殺す計画を立てる――そんな話だと思っていたのですが、そうしたクライム・ストーリーにすらなかなかなりそうにありません。というのも愛人枠のアルマというのが実は愛人でも何でもなく、思い込みから一方的にウォルターに熱を上げる男性経験のないストーカーなのです。ここからどうなったら二人で妻を殺そうという話になるのか見当も付きません。
けれど女優としてまた一花咲かせるために知り合いのチャップリンを頼ってアメリカに渡るという計画を自分勝手に推し進めるリディアに対し、温厚なウォルターも気持が揺らぎます。そんないわば弱みにつけ込むような形でいよいよアルマはウォルターを籠絡します。
斯くしてアメリカ行きの豪華客船モーリタニア号に乗り込むリディアを追って、偽名で乗り込んだウォルターがリディアを殺して海に捨てたあと、密航していたアルマがリディアに成り代わる……という計画が立てられました。
モーリタニア号には個性的な船客たち。
トランプいかさま師のゴードン、ゴードンに協力する掏摸の少女ポピー、娘を金持ちと結婚させることしか考えていないマージョリー、そんな親心を知ってか知らずか男には興味がなさそうなバーバラ、バーバラの大学の友人である百万長者の息子ポール、アルマにちょっかいをかけるお調子者のセールスマン・ジョニー。
まんまとリディアを殺したはずでしたが……なぜか別の殺人事件が起こり、ウォルターがデュー警部として捜査するはめになってしまいます。
ここからのユーモアが冴えていました。捜査のことなんてわからないので、何も言えずにいると、相手が勝手にしゃべってくれます。何も考えずに無神経な質問をしたところ、激昂した相手が思わぬ事実を口走ってくれます。相手の名前を何度も間違えたり、英語のわからないオペラ歌手に事情聴取に行ったらサインをねだられたのだと間違えられたりといった古典的なギャグもまぶされています。
あまりにも天然なウォルターですが、そんな素直さゆえでしょうか、集まった情報からあっさり核心を突くような鋭さも見せます。そして第二の事件も起こり……。
遂に解決編。すべては早い段階で書かれてあったのですね。伏線といい動機といい、全篇に漂うユーモアとは裏腹にしっかりした謎解きものでした。他の乗客からすればただの(?)殺人事件なのですが、読者からすればもう一つの、そして不慮の殺人事件ということもあり、すっかり手玉に取られてしまいました。
謎解き以外にも読み所がたくさんあり、ポールとバーバラのラブコメもあれば、いつ偽物だとばれるのかとヒヤヒヤものでしたし、当初の計画はどうなっちゃったの……と思っていたらそこもしっかり回収されていました。
花屋の店員の恋の相手は歯科医だった。歯科医の妻は女優で、彼女は喜劇王チャップリンを頼ってアメリカに渡ると言い出した。二人の恋を実らせるには、この妻を豪華客船上から海へ突き落とすことだ。偽名を使い、完全犯罪を胸に乗船した二人だったが……やがて起こった意外な殺人に、船上に登場した偽の名警部が調査を開始する。英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー受賞。本格ミステリ黄金時代の香り豊かな新趣向の傑作!(カバーあらすじ)
[amazon で見る]