『ミステリマガジン』2023年3月号No.757【ジョルジュ・シムノンの世界】

『ミステリマガジン』2023年3月号No.757【ジョルジュ・シムノンの世界】

 なぜか『メグレと若い女の死』の新訳が刊行予定だったのは、なるほど映画化されたからでした。次いで『サン・フォリアン寺院の首吊人』、『メグレと超高級ホテルの地階』も新訳刊行予定。『超高級ホテルの地階』というタイトルは初耳でしたが、それもそのはず邦訳は雑誌掲載のみだったようです。

シムノン、大いに語る」聞き手:ジャック・ランツマン/長島良三(1967)
 1990年3月号に掲載されたものの再録。庶民に関心を持った小説家はフランスではシムノンがはじめて、文学専業で食っていけるのは十人程度、セックスのすばらしさ、『受胎調節』、等々、フランス特有のものだったり時代によるものだったり、いずれにしてもシムノンの考えがよくわかり、「大いに語る」というタイトルに偽りはありません。
 

ジョルジュ・シムノン作品の魅力」瀬名秀明
 翻訳ミステリーシンジケートで「シムノンを読む」を連載中の著者によるエッセイ。今も昔もシムノン評価が微妙であることを、「人間の持つ閉鎖性が人間を宿命的な破滅へと追い込んでゆく、これがシムノンのノンシリーズ作品の普遍的な構図」であり、「このシムノン独特のテーマ性こそ、コミュニティの絆によって支えられているジャンル読者の信念(コアビリーフ)と根本的に相容れない」というところに求めたところに、全作読破を目指している著者ならではの着眼点がありました。それにしても毎度のことながら著者はエッセイが上手い。「私はシムノンの~好きだ」で畳みかける終盤には、メグレシリーズを読み返したくなる魅力がありました。
 

「メグレと寡黙な人間観察者たち〜ジョルジュ・シムノンの映像世界〜」小山正

「車椅子の頑固者」ジョルジュ・シムノン/平岡敦訳(L'Invalide à la Tête de Bois,Georges Simemon,1952/1990)★★★★☆
 ――リリは窓の外の男に気づいて眉をひそめた。ほかのホームレスと違うのはひと目でわかった。たっぷり十分ほどして、ドアを叩く音がした。「警視さんはいらっしゃいますか?」「入れ、カミュ!」。アパルトマンに来る連中のなかには、情報屋もいるし、デュクロのおかげで更生できたと感謝する者もいる。それでもまだ父のことが心配だった。七年前、司法警察局を退職したデュクロを、一発の銃弾が襲った。以来半身不随で車椅子に乗っている。犯人は不明だった。だからリリは男のあとをつけた。橋にさしかかる辺りで、パンクするような音が響いた。男が両手で胸を押さえて倒れた。リリは目撃したことは話さず、デュクロにたずねた。「あのカミュて、まっとうな人なの?」「島流しさ。二十年」。男は二十年間、流刑地にいた。そしてデュクロはおよそ二十年前、自分が死刑台に送った罪人の娘を養女として引き取った。そのことに関係はあるだろうか? 夕食の後、リリはデュクロが新聞に書き込んだメモを見つけ、メモに書かれたバーに電話をかけた。

 アメリカのテレビシリーズ用に書かれたものの、結局ドラマ化はされずに発表もされなかったようです。作品自体もこの2作目で途絶しています。1作目は「モンマルトルの歌姫」として邦訳されていますが現時点では未読。どうやら1作目では明らかにされていなかったリリとデュクロの養子関係やデュクロの車椅子生活に関する事情が、この2作目で明らかにされているようです。動けない元警視に代わって、若い養娘が勝手に動き回るのは、テレビを意識したものでしょうか。窓の外の男に気づいて、ホームレスっぽくないと気にする導入こそメグレものを思わせますが、そこから先はかなり動きがありました。最低限の会話しか交わさないのにお互い信頼し合っている親子関係もいいですし、潜入捜査のため濃い化粧をしていたのをうげっとなるラストシーンもお茶目です。トランスやラポワントという名前が登場するのはただのファンサービスでしょうか。若いラポワントはここでも若いのが可笑しい。
 

「メグレと消えたミニアチュア」ジョルジュ・シムノン矢野浩三郎(Le Notaire de Châteaufeuf,Georges Simenon,1944)★★☆☆☆
 ――「お休みのところをお邪魔して相済みません。シャトーヌフの公証人をしているモットと申すものです」客は機械的な微笑を浮かべた。「三人の娘がいます。十六歳のエミリェンヌ、十九のアルマンド、二十三のクロティルド。アルマンドだけが婚約して、来月結婚する予定になっていたのですが。娘たちには最大限の自由を与えてきました。男に財産がないからといって結婚に反対するつもりはないんです。ジェラール・ドナヴァンが文なしの絵描きであっても。ところが、わたしは骨董の蒐集マニアなんですが、それが先月、週に二、三度も盗難にあったのです。料理女と亭主の庭師は長年いっしょに暮していますし、女中を観察してみたところ盗みはできないと判断しました。主任事務官と部下の事務官にも嫌疑はかけられません。そうなるとジェラール・ドナヴァンしかいません。家にお越しいただきたいのですが、犯人を警戒させないために、有名なメグレ警視として紹介するわけにはいかないのです」

 1973年3月号掲載作の再録。明らかに前後関係のおかしいセリフや文章が多々あり、原文由来なら仕方ないものの、そうでないなら再録ではなく新訳して欲しかったところです。身内を疑っていることを知られないように身分を隠して潜入したはずだったのに、誰も彼もがメグレの正体を知っているのには笑ってしまいました。どう考えても放っておけばいいところを部外者が介入することで悲劇にしかならない展開を、回避できたのも含めて、若い男たちが二人ともいい人だから救われました。
 

「猟犬」ジョルジュ・シム/瀬名秀明(Le Chien-Loup,Georges Sim,1926)★★★☆☆
 ――それは猟犬ではなかった。たんなる犬に過ぎなかった。ディアンヌという名前は可愛らしすぎるのでピックと名づけた。パリ郊外の小さな家で夫人と暮らすペリヨン氏は番犬がほしかったのだ。ピックは凶暴な番犬に見えた。だが飼い始めて二週間経ったが、吠える声さえ聞いていない。しかし近所の人たちは誰もが恐れた。これは間違いなくピックの唇が短すぎて牙が半分見えてしまうせいだ。ついにある夜、犬が唸った。ペリヨン夫人がその声を聞いた。「早く起きて。誰かが家に入ってきてるわ……」

 最初期の掌篇。見た目だけが怖いピックと、泥棒に怯え戦うペリヨン氏のコンビが哀愁を誘います。
 

「モンパルナス ポーズ六態」ジョルジュ・シム/瀬名秀明(Montparnasse en six séances de posé,Georges Sim,1926)★★☆☆☆
 ――「友だちが紹介してくれました。モデルを探しているって。それで……服を脱いだ方がいいですか?……モデルははじめてなんです……」彼女は十五分もの間、衝立の裏から出てこなかった。ついに出てくるとよちよちと歩く。ポーズをつけるために画家は彼女の身体をあちこち触っている。ポーレットは身を震わせる。一時間が過ぎた。さらに一時間。自分がヌードだと思い出すこともなく。退屈だ。画家が描き終わると、彼女はカンバスの絵をこっそりと見た。「わたしのお腹はこんなかな」「もちろん。あなたのお腹は可愛らしい!」

 画家とモデルを描いた六篇。これはホントにスケッチという感じで、どれもこれもドラマがなさ過ぎました。
 

シムノンの犯罪小説・ノワール小説について」編集部
 シムノンの《ロマン・デュール》と呼ばれる小説は「主流文学作品と捉えられている面が強く、そのためミステリファンにとっては読まなくてもいいものとして見逃されてきた」ため、「犯罪小説やノワール小説の色が強い」「ミステリファンに響くであろう」未邦訳作品が三作紹介されています。ミステリじゃないから読まないって人はそもそもシムノン自体を読まないんじゃないかと思うのですが、それはそれとして紹介されている三作『Le Train de Venise』『Feux Rouges』『La Prison』はどれも面白そうです。
 

「おやじの細腕新訳まくり(29)」

「自販機食堂《オートマット》の殺人」コーネル・ウールリッチ田口俊樹訳(Murder at the Automat,Cornell Woolrich,1937)★★★☆☆
 ――午前零時四十分前、ネルソンは同僚刑事のサレッキーと共に回転ドアを抜けた。テーブルの前で死んだ男が椅子に座っていた。「たぶん自殺ですよ。顎に唾液の跡が残っていて、食べかけのサンドウィッチがくっついている」救急医が言った。被害者と同じテーブルで相席していた客から状況を聞いたが、誰にもサンドウィッチに毒を入れることは出来そうになかった。被害者の名はレオ・アヴラム。靴の中に千ドル隠していた。ネルソンが被害者のアパートに行くと、電球がなかった。筋金入りの守銭奴らしい。「ご主人が亡くなりました」ネルソンがミセス・アヴラムに告げると、娘が恐る恐る部屋に入ってきた。「あの人、死んだの、ママ?――だったらこれ使えるのね?」少女の手には電球があった。ネルソンは胸を衝かれた。事件から四十八時間後、現場から立ち去っていた客の一人が見つかった。アレグザンダー・ヒル。薬のセールスマンだった。それを知った警部と差列記ーが嬉しそうな声をあげた。

 旧題「簡易食堂の殺人」。サスペンスではなく謎解きもので、ウールリッチの謎解きものにしてはよくできています。自販機食堂という舞台と吝嗇の被害者という設定をきっちり活かしてありました。警察が堂々と違法取り調べをしていてそれが悪いことという感じでもないのが時代を感じさせます。それにしても刑事を殺してごまかせるわけもなく、犯人の「頭がおかしい」という評価は妥当なものなのでしょう。子どもたちが可哀相でした。
 

「Dr. 向井のアメリカ解剖室(123)翻訳について私が常日頃思っていること(下)」向井万起男
 ヘミングウェイ老人と海』のマノーリンは少年か二十二歳以上か、という話。
 

「華文ミステリ招待席(9)」

「山間の別荘」余索/阿井幸作訳(山間別墅,余索,2019)★★★☆☆
 ――「先生の書いた『山間の別荘』は実体験を基にしたそうですが、その体験をお話ししていただけないでしょうか」「じゃあ、この原稿を読んでみますか? あの出来事の直後、メモ代わりに書いたものです」……私が雨風に打たれて逃げ込んだ別荘には、先客が二人いた。だが電話は通じず、地すべりで外にも出られない。やがて同じ目に遭った四人目の客が来たが、この別荘の主人は不在らしい。散らかったリビングが気になり、ほかの部屋も確認してみることになった。巨漢、面長、私、長髪の女性の四人は、まず二階を見てみることにした。地下室に泥棒が隠れていて忍び出る可能性も考え、巨漢が踊り場で見張りに残った。二階には誰もいず、踊り場も異常はなかったため、私たちは地下室に向かった。ドアを押すと、椅子に縛られて胸をナイフで刺された死体があった。強盗殺人に見えたが、巨漢が異を唱えた。そう見せかけているだけではないのか――。

 テキストの信頼性を意識した作中作だったり、椅子の跡や破られた写真や散らばった本から事件の起きた順番を推理したり、隠蔽工作の機会や四人の到着順から犯人を割り出したりと、日本の新本格以後を踏まえたであろう作品でした。これまでの連載作では犯人の行動や探偵役の推理に不自然だったり無理筋だったりを感じたものも多かったのですが、これは割りと手堅くよく出来ていると感じました。解説によると兼業作家で作品数はあまり多くないようです。検索しても、デビュー作「午夜短信」が本名(?)の黄正安名義だったことくらいしかわかりませんでした。著者名はユーソーと読むのでしょうか。
 

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 ミステリマガジン 2023年3月号 

『紙魚の手帖』vol.08 2022 DECSEMBER【読切特集「冠婚葬祭」】

紙魚の手帖』vol.08 2022 DECSEMBER【読切特集「冠婚葬祭」】

「倫敦スコーンの謎」米澤穂信 ★★★☆☆
 ――小佐内さんからメッセージが届いた。〈スコーンを見ます〉。放課後、小佐内さんに先導されて喫茶店に向かった。「それで、何があったの」「スコーンがおいしくなかったの」調理実習で作ったスコーンが生焼けだった。手順のどこにもミスはなかった。おいしいものになるはずだったのに、どうしてだかおいしくなかった。「それで、失敗の原因を突き止めてどうするの」「問題があるの。ひとつ。スコーンは沢海さんって女子が一人で作った。ふたつ。失敗の原因を書いて提出しないといけない。みっつ。失敗したスコーンは沢海さんが作ったんだから、ふつうに書けば沢海さんが失敗したってレポートになる……新しいクラスでの人間関係がちょっと困ったことになるかも」クラスの中で波風を立てたくない。小佐内さんの願いはとても小市民的で、僕たちはそうあるためにこそ互恵関係を結んでいる。

 小市民シリーズ最新作。手順通りに作ったはずのスコーンがなぜ生焼けになったのかという謎を、調理実習班メンバーの性格を手がかりに解き明かします。小佐内さんが失敗の原因を突き止めたい理由が理由なので、原因がわかった時点で事件は解決、関係者の動機などは想像のままです。
 

「矢吹駆連作の舞台裏」笠井潔
 『ミステリマガジン』のインタビューと比べると本当に舞台裏というか、どうでもいいような細かいことまで明らかにされています。
 

「刑事何森 エターナル」丸山正樹 ★★☆☆☆
 ――ラブホテルで高齢男性が刺し殺された。近隣の飲食店でも悪質な客として有名で、金に物を言わせてパパ活を繰り返していたという。現場から若い女が逃げるのが防犯カメラに記録されていた。事件前夜に「トワ」という女性と知り合っている。「パパさん募集。生きがいはラッソン! 大人は3からお願いします」。ラッソンという言葉の意味は不明だ。捜査の過程で被害者が窒息プレイを強要していたらしいことが判明し、事件は首を絞められたトワによる正当防衛もしくは過剰防衛の可能性が出てきた。防犯カメラに写っていた服装の購入先から、トワの身許が割れたが、地元の人間は口を揃えて地味な女性だったと証言した。何がきっかけで派手な恰好をしだしたのだろう。聞き込みを続けた結果、ホストクラブの客の一人が、トワの写真に見覚えのあることがわかった。

 『デフ・ヴォイス』という気持ち悪い作品からは想像できない警察小説で驚きました。ただ、ことさらに専門用語を使っているところとか、最後にいい話風にうまくまとめようとするところなど、そこここで気持ち悪さが顔を出していました。素材を昇華させずに生のまま出す傾向のある作家です。
 

「翻訳のはなし(6) 声が大事なんです」市田
 作品の声とかいう譬喩的な意味ではなく、声優をイメージして音読しているという話でした。
 

「ぼくたちが選んだ(6)当代きっての本好き三人がとっておきの短編を紹介。今回で最終回です」北村薫有栖川有栖宮部みゆき
 最終回だからか好き勝手にしています。有栖川氏は未発表原稿を紹介し、宮部氏は今さらながらにクーンツです。
 

「オークの心臓集まるところ」サラ・ピンスカー/市田泉訳(Where Oaken Hearts Do Gather,Sarah Pinsker,2021)★★★☆☆
 ――優しきウィリアムは肉屋の息子から奪った/娘の心を思いのままに/あの橋の下で会いたいと誘った/オークの心臓集まるところで//「行かないで」とエレンの姉さん二人/「月明かりの下、男に会ったりしたら/ろくなことにはならない/オークの心臓集まるところで」……//ペンシルバニア大学教授のライデル博士は本バラッドの起源を突き止めようとしている。「肉屋の息子から奪った《ロブド・ザ・ブッチャーズ・サン》」は「ロバート・ブッチャーの息子」と解するべきだと仮説を立てた。ロバート・ブッチャーという老齢の事務弁護士がゴールという村に住んでいて、1770年代に絞首刑賛成の投書を行っている。10月にはゴールを訪れる予定だ――ヘンリーマーティン > そのロバート・ブッチャーには絞首刑になった息子がいたのか? 理由は?――ハングザDJ > 歴史家のカーク女史とやり取りしている。――ヘンリーマーティン/エレンと姉たちは運命の三女神を表している――ダイナマム > ――バロウボーイがこれを拡大解釈とマークしました――

 古いバラッドを巡るフォーラムだか掲示板だかのやり取りを模しています。ただの思いつきを何でもかんでも投稿する人や、それをしたり顔でツッコミ警察のようにいちいち指摘する人など、いかにもそれらしいやり取りが続いています。吸血鬼めいた内容のこのバラッドにもモデルがあるらしく、現地に調査に行ったフィールドワーカーが行方をくらまして……という展開は王道です。作中の参考リストのアドレスをたどると、著者がこのバラッドを歌っているユーチューブに繫がります。
 

「INTERVIEW 期待の新人 荻堂顕 『ループ・オブ・ザ・コード』」
 あらすじはあまり面白そうではないし、「令和版の『虐殺器官』をやろうと思ってます」という発言には痛たたたた……という感じでしたが、「伊藤計劃さんのファンだからこそ、「伊藤計劃以後」という言葉を含む、彼が望まなかったであろう消費の仕方に疑問を感じていました」という言葉には膝を打ち、「そのキャッチフレーズに惹かれない編集者はいないだろうと考えていました」という狙いに納得しました。

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 紙魚の手帖 08 

『星降り山荘の殺人』倉知淳(講談社文庫)★★☆☆☆

『星降り山荘の殺人』倉知淳講談社文庫)

 各章の冒頭に著者の説明書きがあり、それが一種の読者への挑戦のようになっていました。ここに伏線があります、とか、この人は犯人ではありません、とか。そして当然のごとく、それが【ネタバレ*1】にもなっていました【※ネタバレ*2】。こうしたメタ的なところで騙してやろうというのが、いかにも新本格らしくて面白い。

 星園による条件ごとの消去法の推理は圧巻でした――途中までは。六つ目の条件『行動』で、犯人がヤカンの警報装置を不発だと気づかせたかったのはなぜか、という推理に至って、いたずらに複雑になり且つ説得力がありませんでした。この条件で犯人からはずれる人物はほかの条件でも犯人からはずれるのだから、敢えて複雑な項目を立てる必要はなかったと思うのですが。

 【ネタバレ*3】というのが真相なので、星園の推理(の一部)自体に無理があるのは当然ではあるのですが、だからこそ無理なくスマートにしてほしかったところです。

 肝心の真相にしても、ミステリーサークルが作られた理由がお粗末すぎて話になりませんでした。真相が捨て推理よりもひどいというのは一番がっかりするパターンです。【※ネタバレ*4

 動機も投げ遣りだし、狂気の描き方も安っぽいし、ちゃんと最後まで気を抜かずに書いてもらいたいです。とはいえ著者が倉知淳なので、これは投げ遣りというよりもギャグのつもりなんでしょう。【※ネタバレ*5

 雪に閉ざされた山荘。ある夜、そこに集められたUFO研究家、スターウォッチャー、売れっ子女流作家など、一癖も二癖もある人物たち。交通が遮断され、電気も電話も通じていない陸の孤島で次々と起きる殺人事件……。果たして犯人は誰なのか!? あくまでもフェアに、読者に真っ向勝負を挑む本格長編推理。(カバーあらすじ)

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 星降り山荘の殺人 




 

 

 

*1 叙述トリック

*2 「探偵役」が麻子ではなく星園だと誤認させる。

*3 犯人が探偵役を演じて、ほかの人間を犯人に仕立て上げるために偽のロジックを築いた

*4 犯人・星園は自身のコテージのピッケルを凶器に使い、現場の壁に掛けられたピッケルと入れ替えようとしたが、ピッケルの形が違ったため、壁の煤跡にずれが生じてしまう。そこで煤跡自体を消すために外の雪を集めてヤカンで沸かして水で煤を拭き取った。その雪の跡がミステリーサークルのような円状だった。※壁に煤跡があるのは暖房が薪ストーブだったため。

*5 星園は事務所社長のホモ愛人だった。事務所社長がリゾート会社社長に脅されていたためリゾート会社社長を殺害した。探偵役の麻子に犯人だと暴かれた星園は、冷静なキャラをかなぐり捨てて「ブス」など貧弱な語彙の罵倒を始めた。

『不安な童話』恩田陸(新潮文庫)★★★★☆

『不安な童話』恩田陸新潮文庫

 二十五年前に夭逝した画家で童話作家の高槻倫子の展覧会。語り手の万由子は絵を見て既視感を覚え、自分が刺し殺される幻覚を見て気を失ってしまいます。

 絵を見て知らないはずの記憶が甦ってくるという、クリスティを髣髴とさせるような導入にたちまち引き込まれます。

 やがて万由子の前に現れた倫子の息子・秒が、万由子は倫子の生まれ変わりだと告げるのですが、その理由というのが、倫子は万由子が見た幻覚の通りにハサミで刺し殺されたのだ……というものでした。

 これを荒唐無稽で終わらせないのが、失せ物捜しが得意という第六感のようなものが実際に存在している世界だというエピソードで、果たして本当にデジャヴや生まれ変わりなのか、それとも何らかのトリックが存在するのか、どちらもあり得そうなまま話は進んでゆきます。

 生まれ変わりが真実なら、倫子を殺した犯人の顔も思い出せるのでは……という期待と恐れも持ちつつ、万由子と秒は倫子の遺言に従って四幅の絵を四人の関係者に届けに行きます。

 この四人の容疑者とも言える人々が絵を見て激昂したり元愛人の噂があったりと怪しさ満点なうえに、四人と会い始めた途端に万由子のもとに手を引けと脅迫電話がかかってきたりと、不穏な空気は濃くなってゆきます。

 一応のところはデジャヴと生まれ変わりと、倫子殺害犯と、倫子が絵を遺した動機というのが大きな謎とは言えるのですが、普通の推理小説と違うのは、三分の二くらいでようやく倫子の死の状況が詳しく紹介されるところです。関係者が死の状況を意図的に隠したためという事情はあるにはせよ、それまで死んだ状況もわからないままだったということに気づいて愕然としました。

 こういう話は真相に拍子抜けすることも多いのでさして期待していなかったのですが、超常的な謎を扱った作品にしてはすっきりしていました。登場人物たちがそれぞれの思惑で行動を起こした結果さまざまなことが起こったものの、そうした肉をそぎ落としてみれば倫子殺害事件自体はシンプルなものです。探偵役もいるにはいるのですがあまり存在感がないので、出しゃばらずに作品世界の雰囲気を壊していませんでした。【※ネタバレ*1

 私は知っている、このハサミで刺し殺されるのだ――。強烈な既視感に襲われ、女流画家・高槻倫子の遺作展で意識を失った古橋万由子。彼女はその息子から「25年前に殺された母の生まれ変わり」と告げられる。時に、溢れるように広がる他人の記憶。そして発見される倫子の遺書、そこに隠されたメッセージとは……。犯人は誰なのか、その謎が明らかになる時、禁断の事実が浮かび上がる。(カバーあらすじ)

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*1 万由子のデジャヴは前世の記憶ではなく、事件を目撃した姉のうわごとを聞いて刷り込まれたものだった。四人の一人と不倫していた倫子が別れを切り出され、子どもが邪魔だからだと思い込んで我が子を殺そうとして、返り討ちにされたのが真相。嫉妬した秒の恋人や、秒につらい記憶を取り戻させまいとした実の父親や、記憶を取り戻してから関係者に自分のしたことがばれたと勘違いした秒たちが、それぞれ脅迫や放火や殺人未遂をやらかしたため事件が複雑になった。

*2 

*3 

『死刑執行人の苦悩』大塚公子(角川文庫)★☆☆☆☆

『死刑執行人の苦悩』大塚公子(角川文庫)★☆☆☆☆

 前書きも何もなくいきなり本文が始まります。なぜ本書を書くにいたったのかという動機も何もないため、スタートから取り残されてしまいました。

 取り残されたところに、死刑執行が秘密裡におこなわれるのは「本音のところで恥じているからである」という謎理論が自明のものとして進められていったり、小学生女児暴行殺人犯の生い立ちや境遇に同情した刑務官というどう考えても共感しづらい例を最初に持ってきたりと、見るからに構成に難があります。

 しかも本書に書かれている苦悩の大半は死刑執行人特有のものではなく、強いて言うなら刑務官の苦悩でしょう。それも囚人の境遇に同情したり、懲罰によって人が変わってしまったことを憂いたり、囚人のなまりが母親と一緒だったから懐かしくなったりと、人情に訴えるのでは死刑反対も賛成も感情論のぶつかり合いでしかなくなってしまいます。しかも正直なところこれらの苦悩は誰にでもできる想像の範囲内ですし。

 思っていたのと違ったのは、執行人の役割でした。踏み板から落ちてきてぶらぶらと揺れている死刑囚の死体をしっかりと支えるのも仕事だったとは。よりによって首吊りですから、グロテスクさに耐えられないことは当然に考えられます。

 一方で親本が1988年の発行なので現在は社会の状況も変わっています。刑務官をやめたくてもやめられないという話がありましたが、三十年以上前と比べれば恐らく、転職も普通のことになっています。とはいえ刑務官だとあるいは資格も手に職もなく、家族持ちが収入を維持したまま転職するのはやはり難しいのでしょうか。

 あとがきに至って、ようやく本書(というか死刑関係の著作)執筆のきっかけが明らかにされました。著者の小学校時代の同級生が死刑判決を受けたのだそうです。なんと個人的な――と思っていたら、その同級生とは口をきいたことがないと書かれてずっこけました。小学校の同じクラスなのに口をきいたことがないというのは、昔の大学級だとそんなものなのかな。

 このあとがきというのがとんでもないしろもので、「交通事故で何人殺そうと、『あいつを死刑にしろ!!』と叫ばないのはなぜなのか。(中略)交通事故では死刑にならないと知っているからである。」「殺人事件にも交通事故なみに賠償金が支払われたら、もっと死刑に対しての考え方がちがってくるのではないか、と思う。」という、賛否以前に論理展開にまったくついていけない眩暈のするようなものでした。

 死刑囚や死刑執行人の様子を紹介したドキュメント部分はともかく、ところどころで顔を出す著者の主義主張がお粗末すぎました。

 世間の人々は、裁判で死刑が確定するところまでしか死刑について知ることはない。確定後の生まれ変わった人間性を知らないのだ。それは、日本の死刑制度が密行主義の中に閉じこめられているからである。(本文より)「なぜ殺さなければならないのか」……。執行という名の下に、首にロープをかけ、レバーを引く刑務官と、ゼロ番区と呼ばれる舎房でその日を待つ死刑囚。徹底した取材を基に、あらためて死刑制度を問う衝撃のドキュメント!(カバーあらすじ)

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