『死刑執行人の苦悩』大塚公子(角川文庫)★☆☆☆☆
前書きも何もなくいきなり本文が始まります。なぜ本書を書くにいたったのかという動機も何もないため、スタートから取り残されてしまいました。
取り残されたところに、死刑執行が秘密裡におこなわれるのは「本音のところで恥じているからである」という謎理論が自明のものとして進められていったり、小学生女児暴行殺人犯の生い立ちや境遇に同情した刑務官というどう考えても共感しづらい例を最初に持ってきたりと、見るからに構成に難があります。
しかも本書に書かれている苦悩の大半は死刑執行人特有のものではなく、強いて言うなら刑務官の苦悩でしょう。それも囚人の境遇に同情したり、懲罰によって人が変わってしまったことを憂いたり、囚人のなまりが母親と一緒だったから懐かしくなったりと、人情に訴えるのでは死刑反対も賛成も感情論のぶつかり合いでしかなくなってしまいます。しかも正直なところこれらの苦悩は誰にでもできる想像の範囲内ですし。
思っていたのと違ったのは、執行人の役割でした。踏み板から落ちてきてぶらぶらと揺れている死刑囚の死体をしっかりと支えるのも仕事だったとは。よりによって首吊りですから、グロテスクさに耐えられないことは当然に考えられます。
一方で親本が1988年の発行なので現在は社会の状況も変わっています。刑務官をやめたくてもやめられないという話がありましたが、三十年以上前と比べれば恐らく、転職も普通のことになっています。とはいえ刑務官だとあるいは資格も手に職もなく、家族持ちが収入を維持したまま転職するのはやはり難しいのでしょうか。
あとがきに至って、ようやく本書(というか死刑関係の著作)執筆のきっかけが明らかにされました。著者の小学校時代の同級生が死刑判決を受けたのだそうです。なんと個人的な――と思っていたら、その同級生とは口をきいたことがないと書かれてずっこけました。小学校の同じクラスなのに口をきいたことがないというのは、昔の大学級だとそんなものなのかな。
このあとがきというのがとんでもないしろもので、「交通事故で何人殺そうと、『あいつを死刑にしろ!!』と叫ばないのはなぜなのか。(中略)交通事故では死刑にならないと知っているからである。」「殺人事件にも交通事故なみに賠償金が支払われたら、もっと死刑に対しての考え方がちがってくるのではないか、と思う。」という、賛否以前に論理展開にまったくついていけない眩暈のするようなものでした。
死刑囚や死刑執行人の様子を紹介したドキュメント部分はともかく、ところどころで顔を出す著者の主義主張がお粗末すぎました。
世間の人々は、裁判で死刑が確定するところまでしか死刑について知ることはない。確定後の生まれ変わった人間性を知らないのだ。それは、日本の死刑制度が密行主義の中に閉じこめられているからである。(本文より)「なぜ殺さなければならないのか」……。執行という名の下に、首にロープをかけ、レバーを引く刑務官と、ゼロ番区と呼ばれる舎房でその日を待つ死刑囚。徹底した取材を基に、あらためて死刑制度を問う衝撃のドキュメント!(カバーあらすじ)
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