「Apples」(1954『The White Wand』より)
――「ティムおじさん、ティムおじさん!」ルパートの声がした。「りんごがほしいんだ」木をゆすってみたけれど、まだ熟していないりんごは落ちては来なかった。「一か月もすれば熟すよ」「今ほしいんだい!」ルパートはだだをこねた。年月が経ち、りんごの木は年老いたが、ルパートは大きくなった。友人たちと庭でトランプをしていた。みなが帰ったあと、暗闇でつまずいてりんごの木にぶつかると、りんごの実がばらばらと落ちてきた。かじってみたけれど食えたものじゃなかった。ティムが声をかけたけれど、ルパートは何も言わなかった。
その子にとってはりんごが世界でいちばん重要だったときもあったのに。美味しいかどうかが問題なのじゃない。ただほしいからほしいのだ。ルパートはこのときまで、自分が昔あれほどりんごをほしがったことも、りんごの木があることすらも忘れていたと思う。きっと一気にあのころが甦ってきたはず。あれほどほしかったりんごは美味しくなんかなかったけれど。あのころを思い出して懐かしかったり、翻って自分がどんなふうに生きてきたか思い出して悲しかったり、りんごひとつでなんだか切なくなる。
「Night Fears」(初出1924,短篇集1948『The Travelling Grave』より)
――石炭の火桶はお洒落だったけれど、夜警にとってそんなことはどうでもよかった。暖かいかどうかが重要だった。気づくと誰かが外の柵に座っていた。詰め所のすぐそばだ。どうして足音に気づかなかったのだろう。声をかけたが答えはなかった。外は寒いから暖まるように言っても、振り向きもしない。ようやく口をきいてからも背中を向けたままだった。「この仕事は好きかい? 給料は? 子どもが大きくなったらやっていけなくなるだろう。昼間ねむるのは難しいだろう。子どもと会う時間もない。奥さんとも会えないんじゃないか」夜警は混乱していた。―以下ネタバレにつき伏せ字―首に巻いていたハンカチをゆるめ、ポケットのナイフをまさぐった。火桶だけが友だちだった……。しばらくあとで、柵に座っていた男が振り返り、夜警の死体を眺めた。死者の招きを思い出したかのように火桶に手をかざした。やがて道を渡って小径に入った。戻ってこないところをみると、そこに住んでいるのだろう。
こわい。物語の半ばあたりから、これはドッペルゲンガー譚だろうなあと当たりをつけたのだけれど、ちょっと違ったようです。しかし作者は最後になってもそれを明らかにしてくれません。むしろ喪黒福造とかジェームズ・ハリスみたいなやつなのかもしれない。悪魔ですな。こういう胸にもやもやが残る怖さは苦手です。なんて嫌なことを考えるんだ、この作者は。
『怪奇小説の世紀3 夜の怪』に西崎憲訳が収録されています。
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