『どこにもない国 現代アメリカ幻想小説集』柴田元幸編訳(松柏社)★★★★★

「地下堂の査察」エリック・マコーマック(Inspecting the Vaults,Eric McCormack)★★★★☆
 ――ここでは「地下堂」という呼び方が好まれる。絶対に地下堂の居住者に話しかけない。査察すること。そうしなければ生きのびる自信もない。私が格子越しに観察するこの男は、北の地に住んでいた名家の、最後の生き残りである。

 増田まもる『隠し部屋を査察して』bk1amazon]のタイトルで東京創元社から短篇集が刊行されていて、そちらが初読でした。短篇集『隠し部屋を査察して』を読んだときに、わたしは「うそんこ博物誌」という言葉を使ったけれど、読み返してみると本篇もまさにその系統の作品でした。ボルヘスが架空の書物の粗筋や書評を書いたように、査察官がいわば架空のファイルを読み上げる。ボルヘスが書物という形式にのみこだわって限定した可能性を、マコーマックは人生や世界にまで押し広げた。
 

「“Do You Love Me?”」ピーター・ケアリー(Do You Love Me?,Peter Carely)★★★★★
 ――非物質化する人々が増え始めた。「人類が神だ。人類が何かを必要としなくなったら、それは消えるのだ。愛されない人間は消える。そういうことだ」と父は言った。

 こんなにストレートに愛情について問いかける作品なんてあったろうか。描かれているのは人類愛とでもいうべき、恋愛よりも本質的な愛情のはずなんだけれど、「愛してる?」という問いかけが、ぺらぺらのラブストーリーのセリフよりもそらぞらしい。愛は目的ではなく行為なのだ。
 

「どこ行くの、どこ行ってたの?」ジョイス・キャロル・オーツ(Where Are You Going, Where Have You Been?,Joyce Carol Oates)★★★★☆
 ――彼女の名前はコニー。年上の子たちがたむろしているドライブイン・レストランに行くことも多かった。二、三メートル先に誰かの顔がちらっと見えた。コンバーチブルに乗った男の子だった。

 ジョイス・キャロル・オーツはグロテスクな感情を具現化するのが本当にうまい。本篇でも、加害者をまるで化物のように(というか、むしろ化物として)描くことで、傍若無人なグロテスクさが何倍にも不気味にふくれあがっています。

 ほんとはこういうエグイのよりも、もっと幻想的な話の方が好きなんだけれど、オーツの短篇が邦訳されるだけでもありがたい。
 

「失われた物語たちの墓」ウィリアム・T・ヴォルマン(The Grave of Lost Stories,William T. Vollmann)★★★☆☆
 ――失われた物語たちの墓には昼も夜もなく、水に浮かぶ油滴のごとき蛍光を放つ微粒子が貫き通る、測り知れぬ暗闇があるばかり。ああ、ミスター・ポー、この国には夢見るために生きる人たちの居場所はないのですね?

 ポー作品をコラージュしてポーに捧げたオマージュ。もしやポーの頭の中ってこんなふうになってたの?と妄想を思いめぐらせられるのが楽しい。
 

「見えないショッピング・モール」ケン・カルファス(Invisible Malls,Ken Kalfus)★★★★☆
 ――帝国中を旅して回るなかで訪れたもろもろの屋内ショッピング・モールの様子をマルコ・ポーロが事細かに述べるとき、語ることすべてをフビライ汗が信じているわけではない。彼の地を出るとモニカに到着いたします。

 イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』[bk1amazon]のパロディだそうです。『見えない都市』は未読ですが、一見して何かのパロディだということはすぐにわかるので無問題。わたしはむしろ、ダンセイニの「倫敦の話」を連想しました。あるいは本書にも収録されているマコーマック作品のいくつかを。架空の“ショッピング・モール”を語るというよりは、今現実にあるショッピング・モールを異化してしまうような作品。幻想的ではなくギャグっぽく書けば清水義範筒井康隆になるとでもいえばいいだろうか。
 

「魔法」レベッカ・ブラウン(An Enchantment,Rebecca Brown)★★★★★
 ――私は女王様なのだ、あなたは選ばれた者の一人になれてものすごく運がいいのだと彼女は言った。彼女はどこかよそから、正装した姿でやって来た。面頬のついた兜をかぶり、兜には羽根飾りがついていた。

 鎧に身を固めた女王様というと、『風の谷のナウシカ』のクシャナを思い出す。『体の贈り物』や『家庭の医学』のレベッカ・ブラウンによる作品だと思えば、これはDVと介護の物語にしか見えなくなるし、同性愛を描いていることからは自伝的小説かとも勘ぐりたくなる。嬉々として献身と服従に我が身を投げ出す“愛という魔法”が、いつどこともしれない世界を舞台に幻想的に描かれます。
 

「雪人間」スティーヴン・ミルハウザーSnowman,Steven Millhauser)★★★★★
 ――ある晴れた朝に目を覚まし、窓から下を見ると、裏庭が消えていた。代わってそこには目もくらむ真白い海があった。雪が降ったのだ。午後になると雪人間の姿を認め始めた。そんじょそこらの雪だるまとはわけが違っていた。

 大人たちは登場しない。子どもと、住民が作った“雪人間”だけ。真っ白い箱庭のなかで、誰にもじゃまされずに遊ぶ子どもたちだけの世界。そこには野暮なことを言う人など一人もいない。(姿は見えないけれど)誰もが雪人間造りに精を出す。本篇ほど「『どこにもない国』は『どこにでもある国』でもある」という言葉にふさわしい作品はないでしょう。子どもの心の中にだけある(とはすなわち誰の心の中にもかつては必ずあった)夢のような世界。
 

「下層土」ニコルソン・ベイカー(Subsoil,Nicholson Baker)★★★☆☆
 ――初期の砕土機に関する調査のため、農業史家ナイルは博物館へもういちど足を運んだ。宿屋のクローゼットを開けると、古いミスター・ポテトヘッドが一セット。

 ニコルソン・ベイカーというから『中二階』なんかのような小説なのかと思っていたら、わりとまとも(?)な話でした。訳者あとがきによれば「スティーヴン・キングにけなされて腹を立て、キングばりの恐怖小説を書いてやろうと思って書いた」作品だそうです。なるほど。でもまあジャガイモ一個から妄想をふくらましてゆく話だと思えば、これもまるまんまニコルソン・ベイカーです。
 

「ザ・ホルトラクケリー・リンク(The Hortlak,Kelly Link)★★★★☆
 ――終夜営業のコンビニは、何でも揃った一個の有機体だった。チャーリーは出勤途中に犬を乗せて車で通りかかった。ゾンビたちはガラクタを置いて意味の通らない言葉を残していった。

 『S-Fマガジン』2006年6月号で読んでいたので再読になります。『S-Fマガジン』2006年10月号掲載の「しばしの沈黙」の感想には「現実とファンタジーの境界がすっかり溶け合ってしまう話を書くのが、ケリー・リンクはほんとうにうまい」と書きましたが、これもまったくそのとおり、「現実とファンタジー」を「この世とあの世」に置き換えれば本篇になります。トルコ語と英語(日本語)の対訳がいたるところに挿入されていて、それがトルコ語なんかわからない人間にとっては呪文のように見えるわけです。で、そのわけのわからない呪文が理解できる言葉に翻訳されているものだから、死者の言葉・死者の論理すらももしかすると理解できるんじゃないかと錯覚してしまうし(実際作中人物もそう思ってしまいます)。事実は、この世の現実すらも理解するのは難しいのに。
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