『絞首人の一ダース』デイヴィッド・アリグザンダー/定木大介訳(論創社)★★★☆☆

 『Hangman's Dozen』David Alexander,1961年。

 ミステリを書くために犯罪学を学んだ(しかも成績は最優秀)という経歴が面白い。ホントかよ。よくも悪くもB級である。アンソロジーや雑誌で一篇ずつ読めば面白いが、まとめて読むとちょっとダレるタイプ。手練れの職人芸でもなければ奇想というほどのアイデアマンでもないのが弱い。

「タルタヴァルに行った男」(The Man Who Went to Taltavul's)★★★☆☆
 ――私が“いつも泣いている男”に出会ったのは〈バーナビーズ〉だった。私は靴墨を買い、学校が終わると客を探していた。靴磨きの御用はありませんかと丁重に訊いてみた。「俺は悪人なんだ。俺に近づいちゃ駄目だ」言い終えたとき、彼の肩は震えていた。

 タルタヴァルというどことなく異世界めいた単語が、やがて現実世界に着地する展開が見事。作者は額縁の体裁を取って、“あり得たかもしれない物語”を紡ぐ。老人による、少年のころの思い出話という語りが、ほどよく色褪せほどよく生き生きとした雰囲気をうまく醸し出している。
 

「優しい修道士」(The Gentlest of the Brothers)★★☆☆☆
 ――助修士ケヴィン・マッカーティが妹の訃報に接したのは、神学校の茂みを剪定しているときだった。ローズはみずからの命を絶つという大罪を犯してしまったのだ。ケヴィンは妹を舞台女優だと信じて疑わずにいた。だが妹は“踊り子”だった。物好きにもローリー・オバノンを愛して、捨てられたのだ。

 基本的に著者の短篇は意外でも何でもない(予想がつく)話が多い。それでもストーリーテリングやしみじみとした余韻で読ませるものもあるのだが、本篇などはアイデア倒れの感があり。
 

「空気にひそむ何か」(Something in the Air)★★★★☆
 ――何かにおう。秘密警察のバルドにとって、それは明白なものだった。反逆者、地下組織の構成員、国家の敵。バルドがいまいるのは東側だった。鉄のカーテンに接する小さな衛星国。この国のいたるところで彼は〈マック〉のにおいを嗅ぎつけ、その粛清に努めてきた。

 あ。うまい。SFの趣向だよね。常人の目には見えない共通項をつなげる目を著者は持っているのだ。これがあれと同じ趣向だとは思いも寄りませんでした。読み返してみれば一ページ目からあからさまに書かれているんですねえ。
 

「そして三日目に」(And on the Third Day)★★★☆☆
 ――ミス・メアリー・ケイトは頭が少しばかりおかしかった。黒人使用人のジョンじいさんも少々頭のネジが緩んでいるという噂である。「お嬢さん。イースタアの贈り物に、燕尾服をいただけねえでしょうか? お嬢さんはほしいもんがあんなさるだかね?」「赤ちゃんがほしいわ」

 イースターの話で“三日目”とくるからどんな話かと思ったら、こんな話でした。めずらしくオチのない話なので、著者のうまさを味わうにはいいかもしれない。まあこれを読んで著者の作品が好きになるとは思えないけど。基本的にオチ意外の、雰囲気とか心理の綾とかの微妙な感触を描き出すのがうまい作家。
 

「悪の顔」(Face of Evil)★★★☆☆
 ――「警察の者です、ファーガソンさん。犯人の顔を見たとおっしゃいましたね?「あれは――あれは悪の顔だった」「たとえば若かったとか、丸顔だったとか?」「敬虔な人間なら誰しも神の顔を見たことがあります。だからと言って、神の顔を言い表すことができますか?」

 先に書いたとおり、著者はフィニッシング・ストロークが下手。その点に関してはあからさまに見え見えである。が、全篇を覆う暗〜い雰囲気が不思議な魅力を醸し出している。
 

「アンクル・トム」(Uncle Tom)★★★☆☆
 ――ワシントンにある連邦最高裁判所の偉い判事さんたちが出した例の判決のことは聞いてると思う。これからはアメリカのどこでも黒人と白人は同じ学校に通うべしっていうあれさ。まあどっちみち、ぼくの毎日が急にがらっと変わるわけじゃない。ところがじっちゃんはぶつぶつ文句を言うんだ。

 面白い。トムじいちゃんの気持自体はなるほどわからないでもない。しかしその気持ゆえに起こす行動がほとんど奇想の域に達している。書き方を変えればチェスタトンぽい作品になっていたかもしれない。
 

「デビュー戦」(First Case)★★★★☆
 ――ミス・ベティは大昔に恋人だったウィンストン・ナイトが弁護に立つ裁判を、それまで一度も傍聴したことがなかった。その息子ウィンストン・ナイト・ジュニアが、このほど裁判所から殺人事件公判の弁護人に指名された。彼に会わなければ。だって彼はわたしの息子かもしれなかったんだから。

 最後の一行は余計だなあ。こういう見え見えのあからさまなことを書いちゃうところがB級なのである。もうちょっと我慢すれば凄みのある作品になったのにもったいない。ただし、法律家くんとオールド・ミスの心理の綾はなかなか見事で胸に来る。
 

「向こうのやつら」(The Other Ones)★★☆☆☆
 ――僕は仕事をしくじった。殺すことになっていたのは長官じゃない。大統領だ。それで、僕は逃げている。ヘッドライトをつけたとたん、目の前に骸骨が浮かび上がった。僕はあわててハンドルを切り、崖崩れ――それで一巻の終わりだった。目を覚ますと、男が見下ろしていた。「俺はジェシー・ジェイムズだ」

 ん? なんでこの二人なの? 特にこの二人である必然性を含んだ伏線なんてなかったような。まあ特定の人からは永遠に恨まれていると言えばそうだろうけど、そんな人ほかにもいくらでもいるだろうに。シリアスめの話が多いなかで、珍しくユーモア味のある作品。
 

「かかし」Scarecrow)★★★☆☆
 ――「ジェフ・パーディのじいさんがくたばったぞ!」「つまり、マーサがあの偏屈じいさんを殺したってことかね?」「そうじゃない。ただ、もう一週間になるらしい。“かかし”のマーサが言うには、酔っぱらって川に落ちたんだと」

 「そして三日目に」にも出てくる保安官が登場するが、とりたててつながりはない。やはり最後の一文が余計。読んでる側もわかってはいるけどはっきり書かれてないところがいいんだよ。最後まで思わせぶりなままで終わらせてくれよ。まあ人の心の機微をわからない若造の物語だと捉えればこういう終わり方もありか。
 

「見知らぬ男」(A Stranger in the Night)★★★☆☆
 ――改札口から現れたその男を見て思わず恐怖を覚えたのはなぜか、マーシャは自分でも説明がつかなかった。男がこちらに向かってやってきた。駄目だ。これ以上は逃げられない。

 いい話……なのかな……? ヒステリー女ものが大嫌いな人間としては、読み終えてから冷静に思い返してみるとうんざりしてしまったんだけども。
 

「愛に不可能はない」(Love Will Find a Way)★★★☆☆
 ――リンダが不貞をはたらいたという証拠はどこにもないが、それでも男友だちとの噂が絶えなかった。まさか山登りをすることになろうとは夢にも思わなかった。だがリンダとガイドを二人きりにさせるわけにはいかない。

 本人の一人称というのが珍しいような気もするが、やっぱりちょっと構成がゆるい。訳のせいかな。最後に至ってもケラーには敬語で話をさせるべきなんだろうか? もっと親しげであった方がプロット的にすっきりすると思うんだけど。違うか。そこはどうでもよくて、勘所は頑迷な夫と臨機応変な妻ってところなのか。まあそうであったところで、だいたい日記のはずがいつの間にかただの一人称になってるし。こういう話だけに、語り手が嫌な奴なので安心できる。
 

「蛇どもがやってくる」(Run from the Snakes)★★★☆☆
 ――そこには四人の男女がいた。睡魔に襲われている若い母親。肉づきのいい幼女。宦官のように薄気味悪い柔和さを身につけたはげ頭の男。そして、浮浪者のカーニー。母親が眠ったのを見ると、はげ頭の男が幼女に近づいていった。

 また頭の悪い女の話である。母親が眠ってしまったことにはちゃんと理由を与えているのに、女の子の頭の悪さには何の説明もない。ということはこの子は本当に頭が悪いのだ。ヤなガキ。犯罪サスペンスにアル中の禁断症状サスペンスをからめたところが風変わり。
 

「雨がやむとき」(When the Rain Stops)★★★★☆
 ――ミスター・ティベッツはきまって雨の日にやってくる。ミスター・ティベッツは恐ろしい相手だった。シャーロットはもう二十八歳だし、一児の母でもあるが、それでもやはり怖かった。誰かに話したことはない。実際にはいもしない小男が恐ろしいなどと打ち明ければ、頭がおかしいと思われるのがオチだ。

 「見知らぬ男」と同趣向の話だが、子どものころ見た架空の小男を今も見続ける大人、という設定のおかげで、ぐっと説得力が増している。雨の日に……という設定も雰囲気があっていい。
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