『ミステリマガジン』2024年3月号No.763【繚乱たる華文ミステリ】

『ミステリマガジン』2024年3月号No.763【繚乱たる華文ミステリ】

「風船男」陳浩基《チャン・ホーケイ》/よしだかおり訳(氣球人,陳浩基,2011)★★★★☆
 ――五年前、金のクソじじいがオレの望み通りに、風船のように顔をパンパンに膨らませて死んだ。皮膚に直接触れて脳内の念を獲物の身体に送ると、相手の身体をコントロールできるようだ。効果を遅らせることもできた。以来『風船男』の名で揉め事を片付ける仕事を請け負ってきた。今日の仕事は少々厄介だった。裏社会の親分から、娘を弄んだ洪という男を片付けるよう依頼された。面倒なことに、「このクソったれを何も残らないように」『爆発』させて殺せと言ってきた。オレは洪の勤める銀行に融資を受けに行くふりをして、洪が金庫に一人でいるときに爆発するようにした。ところが帰る間際に銀行強盗に押し入られ身動きが取れなくなった。洪が爆発するまであと三十四分……。

 香港の作家。風船男シリーズの第0作。設定こそ特殊なものの、この第0作に関しては、自分が仕掛けた爆弾と一緒に閉じ込められてしまった状況からの脱出というオーソドックスなサスペンスでした。そしてこうした脱出サスペンスの形にすることで、【入れ替わり殺人】という犯人側の目論見から読者の目を逸らすことにも成功しています。
 

「鞠球《まりだま》奇案・撃鞠《ポロ》篇」遠寧《ユェンニン》/山田俊訳(大唐狄公案番外篇 击鞠,远宁,2010)★☆☆☆☆
 ――狄仁傑は撃鞠競技場に来ていた。試合中に馬が暴れ、あわや大惨事となるところだった。チーム隊長の楊駢の陰険な視線を、狄公は見逃さなかった。観戦していた老人によれば、ここでは二年前にも嫌な出来事が起こっていた。落馬した騎手が馬に踏み殺されたのだ。世話係が毒を与えていたことがわかったが、その少年は直後に自殺していた。踏み殺された男の親友・斉驥は、不正を調査していた親友が謀殺されたのだと狄公に訴えた。狄公は暴れた馬が舞馬だったことを突き止めた。そして事件の日に太鼓を叩いたのは楊駢だった。だが楊駢。

 中国の作家。コピーライトが行舟文化なので、「華文ミステリ招待席」の番外編の模様。狄公案が好きだった著者が書いた狄仁傑もの。ロバート・ファン・ヒューリックの狄判事シリーズも楽しめなかったし、どうもわたしにはこの狄判事の魅力というのがよくわかりません。
 

「紫金陳の「犯罪事件」叙事」戦玉氷《ジャン・ユーシュイ》/山田俊訳(战玉冰)
 ――紫金陳の推理小説は探偵の視点からではなく「犯罪者」の視点から描かれることが多く、そこに作者の正義に対する「イメージ」のあり様が描かれている。探偵と犯罪者の知能戦において、小説は専門知識に関する「イメージ」と固執に満ちている。それが即ち「高知能犯罪」である。その一方、現場物証や監視カメラ映像などの「事実理性」よりも「論理的理性」により多くの信頼を置く。即ち「推理之王」が「無証之罪」を暴くものである。この二重の意味で、紫金陳の「社会派」推理小説は実は社会性を否定し、非現実性に傾斜するものであり、伝統的意味での「本格派」トリックや「不可能犯罪」を追求するものではなく、遊戯性と虚構性の創作の範疇に入るものである。また、紫金陳は小説の読み易さを追求し、「小説」を「物語」に降格させることで、文学的複雑性を一部損なっている。

 評論。原題はおそか発表年も不明、書き下ろしなのかどうかすらわからない。著者の読みは恐らくジャン・ユーピンであり、本誌のルビは氷を水と読み違えているものと思しい。そもそも紫金陳の作品を読んだこともないうえに、同じ言葉が使われていても社会的背景や文学的背景を踏まえた中国の用法と日本の用法に齟齬があるようで、ピンと来ません。
 

「紫金陳ミステリ未訳作品ガイド」

『検察官の遺言』紫金陳《ズージンチェン》/大久保洋子(长夜难明,紫金陈,2017)
 ――スーツケースから発見された検察官の遺体。それは、中国現体制の恐るべきタブーを暴く――(袖惹句)

 〈推理之王〉シリーズ第3作の冒頭掲載。第2作が『悪童たち』で、第1作は未訳。著者名の読みは「ズージン・チェン」とも「ズー・ジンチェン」とも定まってないらしい。取り調べで殺人を認めながら、裁判で一転して否定して無理矢理自白させられたと訴えるのは、明らかに問題提起が目的っぽいので、では何を訴えたいのか――がポイントでしょうか。社会派ミステリだそうです。
 

「紫金陳インタヴュー」
 

「地図で見る両京十五日」

『両京十五日Ⅰ 凶兆』馬伯庸《マー・ボーヨン》/齊藤正高・泊功訳(两京十五日,马伯庸,2020)
 ――命を狙われた父親を救うため、皇太子は南京から北京へと決死行を開始する!(袖惹句)

 ポケミス2000番記念作品の冒頭掲載。
 

『楽園こそ探偵の偏在(1)愛情』斜線堂有紀
 『楽園とは探偵の不在なり』のスピンオフ連載。連作短篇と書かれているので、単独で読んでもよさそうな気もしますが、『不在なり』を未読なので安全策を取っておくことに。

「迷宮解体新書(138)藤つかさ」村上貴史
 

「書評など」
青崎有吾『地雷グリコ』は、ゲームや子どもの遊びにルールをプラスして「複雑かつ先が読めない対戦を演出している」という発想に惹かれます。

横関大『戦国女刑事』は、歴史上の人物がモデルとなった女尊男卑社会のパラレルワールドが警察が舞台の連作短篇集。これだけ聞くと色物のようですが、「すべて趣向の凝らされた倒叙ミステリ」

◆復刊・新訳レビューでは、ハヤカワ・ジュニア・ミステリのクリスティーポアロのクリスマス』『クリスマス・プディングの冒険』もフォロー。完訳だからジュニア・ミステリからクリスティー文庫行きも可能なのか。
 

「おやじの細腕新訳まくり(33)」

「鞄の中の猫の奇妙な恐怖」ドロシイ・セイヤーズ田口俊樹訳(The Fantastic Horror of The Cat in The Bag,Dorothy L. Sayers,1926)★★★☆☆
 ――バイク乗りが猛スピードで曲がりくねった道を走っていた。〈ノートン〉に乗っている男が振り向いて、〈スコット〉に乗った追っ手を煽るように手を振った。交通整理に当たっていた巡査がふたりに気づいてバイクを止めた。「おまえが鞄を落としたから追っかけてきたんだぞ」という〈スコット〉に、〈ノートン〉も言い返した。「それはおれのじゃない。見たこともない」。なおも言い争ううち、鞄の角が濡れて染み出しているのに〈スコット〉ウォルターズが気づいた。女性の頭部だった。「おれじゃない!」〈ノートン〉シンプキンズが叫んだ。そのとき背後から声がした。「お巡りさん、荷台に鞄を乗せたバイクを見かけなかっただろうか?」宝石入りの鞄を盗まれたピーター卿だった。

 ピーター卿もの。『ピーター卿の遺体検分記』にも「瓢箪から出た駒をめぐる途方もなき怪談」の邦題で収録されています。その訳者・井伊順彦氏の解説によるとタイトルは「意外な代物」の意であり、「ふつうは buy a cat in the bag という成句で用いられる。よく調べもしないで(好ましくない)品物を買うの意だ。」と書かれてありますが、『ランダムハウス』によれば「buy a cat in the bag」は米語のようだし、『研究社新英和』等にも載っている「猫を袋に入れて豚だと言って売ろうとしたが, 猫がとび出てきたとの故事から」「the cat is out of the bag」で「秘密が漏れる」が由来のタイトルだと考えた方がしっくり来ます。
 バイクによるチェイスという意外と映像的な導入に驚きました。とは言え物理トリックが大好きだった著者のことですから、絵的なセンスというのはもともと持っていたのかもしれません。ホームズの時代からよくある取り違えものですが、よりにもよって探偵自身が自分のものを盗まれるというのは、犯人にとってはお気の毒さまとしか言いようがありません。

 

「赤い旗」グレゴリー・ファリス/中山宥訳(Red Flag,Gregory Fallis,2022)★★★★☆
 ――ポーターは〈カップビーン・コーヒーショップ〉の常連客だ。いつからか盗み聞きが面白くなっていた。今は若い母親が娘の話をしている。「ソフィーが心配なの。あの子、蟻に餌をやってるのよ」。経理士のビアードが店に入ってきた。グラディス・リプトンというクライアントには義理の息子マークがいて、銃乱射事件に関わるのではないかと心配しているという。被害者としてではなく――。ポーターは脇役として出演していた『名弁護士マーシャ・マディソン』が打ち切りになったあと、オーディションの順番待ちをしていた。そこに人種差別主義者が侵入して銃を乱射した。ポーターも腕を撃たれ、割れた瓶で顔を切った。銃撃事件の被害者と話をすれば、息子にもいい影響が出るのではないかというのが義母の言い分だった。ポーターはマークと話をしてみたが、マークの考えは変わらないようだった。ポーターは警察にも相談したが、現時点でマークを阻止する手だてはないという。特にレッド・フラッグ法のないミシガン州では――。

 カフェで聞こえてくる世間話の内容が、そのまま闇を抱えた青年の問題とも重なり、また中盤ではその世間話が爆発のトリガーにもなるなど、一つの要素に複数の機能を持たせる点はよく出来ています。なにも銃規制に限らず、事件が起こるまでは警察は何もしてくれないというのは日本でも同じです。そこで一歩踏み込んだのと引き替えに、主人公は心地よい居場所を失いました。果たして自分の行動は正しかったのかどうか、答えは永遠に出ないのでしょう。ERPO(通称レッド・フラッグ法)とは作中の刑事の言によれば、「自己もしくは他者に対し差し迫った危険をはらんでいる兆候――いわば〝赤い旗《レッド・フラッグ》〟――を示した場合、その人物から一時的に銃を取り上げることができる法律」とのこと。
 

 [amazon で見る]
 ミステリマガジン 2024年3月号 


防犯カメラ