『幽』怪談文学賞優秀賞受賞作。
本誌の選考会で、鏡花だ戯作だ寺山修司だと騒がれていたので俄然興味をひかれました。
どれどれと思いながら一読。のっけからまさに鏡花。ここまで鏡花だとは思わなかった。わくわくしながら読み始める。
デートクラブのビラ配り。これにまず感心。現代を――平成の世を鏡花の文体でちゃんと構築できるんだと嬉しくなってしまいました。そのまま最後まで行ってくれればよかったんだけど、残念なことに途中からはさすがに平成とは言い難くなっちゃうんですよね。せいぜい昭和後期か。
別に現代を鏡花文体で描くのが主眼という作品ではないので、瑕瑾ではないのだけれど。
鏡花作品のすごいところは、怪異と日常をまったく同じ距離感で描くところです。主人公が怖い体験をした。次の行ではすでに、それが怪異だ、ということが事実として書かれてる。現在の普通の小説であれば、たとえホラーでもそれなりの世界設定やら作品内リアリズムやら怪異であると断定するための手続きやらが必要になるはず(余談だけど、だからわたしは手続きを無視した『リング』のような作品が好きじゃありません)。
鏡花だから、昔の作品だから――許されるんだ、と思っていました。でも書く人が書けば、鏡花流も現在でもちゃんと有効なのです。幽霊や千里眼がぱっと現われ、現われた途端に事実になる。
一行で世界を構築する力を持っているとも言えるわけで、とてつもない文章力です。ただ、わたしには判断がつかないのが、鏡花というバックグラウンドがあるから納得してしまうのか、鏡花を未読の人でも同じように納得させられてしまうのか。
文体だけではなく、例えば同僚の顔が妹の顔に見えたのがけちのつき始め――なんて導入も鏡花風。春昼の舞台はアングラ芝居に化け、黒髪の妖女が火事を引き起こす。
これだけ鏡花の匂いがぷんぷんなのに、鼻につかないだけでもたいしたものです。こういうのを自家薬籠中というのだろうな。完全に自分のものにしてしまっています。
噂話レベルの下世話なエピソードの群れが、独特の文体で連ねられるので、意外なことにとても読みやすくポンポン先に読み進められます。そうこうしているうちに気づけばクライマックス。遥か彼方で危機に陥った恋人のアングラ芝居を「幽霊」に導かれて墓場の壁穴から覗き見るという、冷静に考えれば尋常ならあり得ないような無茶苦茶な設定なのですが、すでにすっかり著者の術中にはまっているので何が起ころうとも進むだけ。
文字どおりからくり仕掛けの大人の遊園地を覗いているようで、贅沢な作り物の嘘にたっぷり浸って楽しめました。単なる鏡花の亜流じゃないのを証明しているのが、アングラ芝居のドタバタです。芝居というよりからくりサーカス。演じられた異形たちが舞い踊るフリークス小屋。
最後にそれなりの決着がつくのがむしろ意外なほどでした。
わたし的には大満足なのだけれど、万人向けのベストセラータイプではないだろうから、大賞ではなく優秀賞という政治的判断(?)は妥当なところでしょう。
風俗店でチラシ配りのアルバイトをしている済《わたる》は、谷中の墓地で和服姿の美しい女性に出会う。幽霊と思い逃げ出した済だが、その美しさが頭から離れない。かつてそこでは心中事件があり五重塔が焼失したのだという。ある日、千駄木の居酒屋で出会った男から、“のぞき”の技を伝授された済が見たものは――(帯裏あらすじより)
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