『天来の美酒/消えちゃった』A・E・コッパード/南條竹則訳(光文社古典新訳文庫)

「消えちゃった」(Gone Away,1935)★★★★★
 ――三人の男女がスピードの速い自動車に乗って、フランスを旅していた。ジョン・ラヴェナムと妻のメアリー、友人のアンソンという三人連れで。メアリーが地図を見ながらたずねた。「どのくらい走ったの、ジョン?」ジョンはスピード計をチラと見やると……「九……千……マイルだ!」「馬鹿言わないで」

 あまりにも結末が印象的すぎる作品のため、結末以外はほとんど忘れていたのですが、どんどん上がってゆくスピードメーター、おかしな標識、天変地異らしき風景などなど、明らかに「ここではないところ」に向かってしまっているような雰囲気ぷんぷんの作品でした。最後にラヴェナムが広告を見て思わず笑っちゃう気持はよくわかりますし、それが事情を知らない警察から見ると「ああ、この人はやっぱり……」となるところまでは、典型的な『幻の女』なのに――やっぱりこの結末は凄すぎます。邦題は平井呈一の功績ですね。
 

「天来の美酒」(Jove's Nectar,1937)★★★★★
 ――地元の新聞に、ポール・ラッチワースという自分の名前が印刷してあるのを見た時には、驚いた。可哀相に、親父は亡くなったにちがいない! こうして彼は屋敷のほんの一部分を使って住み、しばらくすると酒蔵を覗いてみた。一本味見してみた。美味かった。素晴らしい毎日だった。難点は、ベティおばさんに払う年金のために、いつも金欠だったことだ。

 この置いてけぼり感がコッパードです。数に限りのある美味い酒を所有しながらも、酒自体には執着しないところが潔くてまたいっそう美味そう。「Jove's(神の)」という言葉に、「この世ならぬ美味さの」と「神のご加護のある」という二つの意味がかけられてます。
 

「ロッキーと差配人」(Rockie and the Baillif,1939)★★★★☆
 ――この前ロッキーが笛を持ってトリニティ・フェアに行ったとき、牛が流行り病にかかりだしたところだった。ロッキーは道々ずっと笛を吹いていた。土蛍が光っていた。「ほうい、世界の不思議だ!」「家に帰れ!」農場の差配人が言った。「おれ、牛の病気、治せるぜ」呪文だの魔法だの、長々と話しだした……。

 現実と幻想が地続きのコッパードらしい、とぼけた魔法が笑いを誘います。儀式→動物→木の実→紙切れ……という手順は譲れないんですね。回りくどい(^^;。いくつかのタイプがあるコッパード作品のうち、これは民話風に分類される作品です。「うすのろサイモン」と同じくイノセントな白痴の物語でもあります。「ロッキーの魔法」の邦題で旧訳あり。
 

「マーティンじいさん」(Old Martin,1925)★★★★☆
 ――バーノヴァーの男が三人も死んだ。こう立てつづけに死ぬと、こわいくらいだった。しかし、連中は本当に「眠って」いるんだろうか? マーティンじいさんは疑問に思った。

 最後に埋められた者は死者たちの奴隷になるという迷信を信じるじいさんが、虐げられる姪モニカの幽霊を目にしたために、何とかしてモニカを「最後の埋葬者」ではなくしようとする、繰り返しの(ちょっと黒い)ユーモアの物語です。
 

「ダンキー・フィットロウ」(Dunky Fitlow,1933)★★★☆☆
 ――ダンキー・フィットロウと一緒になろうなんて、正気の女なら考えるはずがない。あんたは醜男だと女たちは言った。あんたは怠け者だからね、と女たちは言った。そうなると、残るは駱駝みたいな顔の女だけになっちまった。

 「いろんな種類の真実」がある。わたしにはこの真実はよくわからない。
 

暦博士(The Almanac Man,1928)★★★★★
 ――昔々、暦をつくる男が住んでいた。ジョーゼフ・スウィートアップル博士だ。ところが、今年は世界がもうじき終わりになるというんだ。ムーアじいさんという悪魔みたいな鬼のたくらみだった。

 たぶんこの世ではないどこか。暦業者ではなく暦を司っているお方。悪魔みたいな老人でも鬼みたいな老人でもなく悪魔みたいな鬼。――なのかどうかもさだかではありません。思いっきり普通の町っぽいし。世界の終わりにたどり着けちゃうし。そしてまったく意味のわからないオチ(^_^)。
 

「去りし王国の姫君」(The Princess of Kingdom Gone,1926)★★★☆☆
 ――ずっと昔、一人の姫君が小さな王国を治めていた。ある日、池からあがった時、たくさんの深紅の花びらが白い肌にまとわりついているのに気づいた。「どこから流れて来たんでしょう?」ある日歩いていると、「望河亭」という家から若者が出て来た。

 ナーシッサス(ナルキッソス)という名を持つ臣民への片思い。「過ぎ去った王国の女王」の邦題で旧訳あり。
 

「ソロモンの受難」(The Martyrdom of Solomon,1928)★★★★★
 ――何年も前のことだが、きわめつきの変わり者がいた。独り言――ではなく、目に見えぬ存在たちと話をしていた。「わしは半分イカレとるぞ。気をつけろ、ハッハッ! わしは人の死を“意図する”ことだってできる」

 オカルトっぽい題材なのに全然怖くないのが不思議なところ。信じる信じないは別として、普通の物語のパターンであれば悪魔か何かに術返しされちゃって――というところに落ち着くと思うんですが、「何とも変なことを信じ込む人がいるもの」で、怖いはずの話がいい話を経てとぼけた話に。
 

「レイヴン牧師」(Father Raven,1944)★★★★★
 ――レイヴン牧師はお人好しで、みんなから愛されていた。気がつくと、レイヴン牧師は信徒たちの先頭に立って行進していた。全員が「楽園」への道を歩いていた。

 この「突然――何がどうなったのやら、後先もわからないし、じつに妙な具合だったのだが、ともかく一瞬のうちにすべてが変わって、気がつくと、レイヴン牧師は(中略)「楽園」への道を歩いていた」という読者を置き去りにする軽みこそ、コッパードの真骨頂です。
 

「おそろしい料理人」(A Devil of Cook,1939)★★★☆☆
 ――フローレンスは口汚く奥様を侮辱した。ジョリー夫人はそれで、この女にすっかり愛想をつかしてしまった。「あなたはクビよ!」料理番は不敵にもこう言い放った。「それについては大旦那様とお話しさせてもらいます!」

 ファンタジーではありませんが、茸について一家言持ってたり、ダンスシーンがあったり、「取りに行く」というメモを残して立ち去ったり(嫌な奴(^_^;)、独特のおかしな不思議さは変わりません。
 

「天国の鐘を鳴らせ」(Ring the Bells of Heaven,1935)
 自選集ですでに読んでいたので今回はパス。
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「Fine Feathers」(『Silver Circus』1928)

 というわけでついでに久しぶりにコッパードを読んだ。これは第六短篇集『銀色のサーカス』収録。

 田舎が舞台の人生悲喜こもごももの。

 一張羅のスーツを買って着るのが夢といういっぷう変わったこだわりを持つ男が主人公。父親の後を継いで庭師になるのを嫌がり事務員に憧れるというところに、何か屈折したコンプレックスのようなものを感じます。いつまで経っても買わないので母親からせっつかれたときの言い訳が、「着る機会がないから」。それでもとうとう購入しても、なかなか着ないのでまたせっつかれます。そのうち、なぜ教会に行かないんだ、という話になるのですが、そこで母親の言った台詞が笑えます。「あたしが教会に行くのは、牧師さんを元気づけるためさ」。これには息子も呆れかえってまた言い合いになるのですが、ここでまた息子が売り言葉に買い言葉という感じで、「俺が死んだらスーツを着せて埋葬してくれ」というからまた言い合いに。そんなこんなでいつしか中年になってしまうのですが、そんなある日、地主の娘から舞踏会に誘われます。とうとうスーツを着る機会が訪れた、と思うのも束の間、「お客さんが多くて大変だから、信頼できる人に執事の手伝いを頼みたくて」と言われてしまいます……。
 

「Ninepenny Flute」(『Ninepenny Flute』1937)

 ハリー・ダニングから九ペンスでフルートを買った。ひびが入っているけど音は出るから大丈夫って言われたんだ。スクレイズさんのバンドに入れてもらった。ぼくらは演奏をした。楽譜は読めないけど、聖歌隊にいたから音感はある。なのにスクレイズさんは言ったんだ。「半音ずれている。ひびが入っているじゃないか」大丈夫って言ってたのに! 楽器を買うお金はなかった。あるとき教会に連れて行かれると、軍の楽隊が壮大な葬儀をしていた。すごかった! 音楽が好きだと聞いて、軍曹が楽隊に誘ってくれた。ラッパを試した。吹けなかった。フルートを試した。吹けなかった。「若すぎるんだよ」ぼくはがっかりして家に帰った。途中で兵隊が酔っぱらって道行く人にからんでいた。「俺は世界一強いんだ! 誰かかかってこい!」人混みのなかにはダミーもいた。ダミーは唖で聾だった。でも兵隊はそのことを知らない。とうとう怒り出して、ダミーを殴り始めた。血塗れになったダミーをみんなしてパブに運んだ。パブにはアーサー・ラークがいた。アーサーは客室清掃係だ。事情を聞いたアーサーは兵隊の一人をぶん殴り、みんなでもう一人の後を追った。警官がいたので事情を話すと、居場所を教えてくれた。警官はもちろん逮捕しようとしたけれど、アーサーは止めたんだ。「その代わり、これから起こることは見なかったことにしてくれませんか?」アーサーは兵隊にパンチを浴びせた。そんなことがあってから、ぼくは音楽をあきらめた。オーボエを見せてくれた人もいたけれど、高すぎる。第一ぼくには吹けないだろう。だから音楽はあきらめて、兎を一匹買った。ぼくにボクシングという自己防衛を教えてくれた人に贈るためだ。

 ながながとあらすじを書いてしまいましたが、それというのもファンタジー要素のないコッパード作品のなかでは、今まで読んだなかで一番好きな作品だからです。上記あらすじには太っちょのおばさんの話を紹介しましたが、ほかにも「パパ、ママ」の合図でドラムを練習させたりとか、マウスピースを新しくすればちゃんと音が出ると言いくるめられて変えたらますますひどくなったとか、細部が面白いんです。コッパードは少年のあこがれを描くのが上手いですし、わりと寂しい印象の強いコッパード作品のなかではハートウォーミングなところも胸に迫ります。コッパード自身が子どものころに父親を亡くしたからでしょうか、この作品でも母親の姿がずいぶんと目立っています。
 

「The Watercress Girl」(『Fishmonger's Fidlle』1925)

 メアリ・マクドゥウォルが法廷に入ってきた。敵の顔、エリザベス・プラントニーの顔に酸をかけたのだ。こちらにはメアリがいて、向こうにはフランク・アパダンがいた。メアリは父親と二人暮らし。母はいない。誰だったのかも知らない。父と二人、仲むつまじく幸せに暮らしていた。そこに、フランクが現れた。フランクは週に何度もクレソンを買いに来た。メアリにとって初めての恋だったし、フランクも熱烈に求婚した。だがメアリは求婚を受け入れなかった。子どもができたのは、フランクの足が遠のいたころだった。死産だった。やがて、フランクがエリザベスと結婚するという話を聞いた。五百ポンドの持参金付。エリザベスを狙ったわけじゃなかった。フランクにかけるつもりだったのに、いざとなるとできなくなった。だけど手に持った壜は、どこかに放り投げずにはいられなかった……。メアリは六か月の刑を受けた。――釈放されたころ、フランクはメアリに会いに行こうとしていた。エリザベスとの結婚は破棄された。エリザベスは外にも出ずにつねにヴェールをかぶっている。もう結婚しようとする男はいないだろう。フランクはメアリに復讐するつもりだった。目には目を、歯には歯を。ところが窓から見えたのは、無邪気なメアリの姿だった。ずっと忘れていた情熱的なあのころの。「出てって」メアリが言った。「いつ結婚するの?」「結婚はしない」「どうして? 結婚しなさいよ!」「いやだ。いっそ死んじまいたい!」「卑怯者。むしろあたしが死ねばよかったのよ」それを聞いて、フランクがポケットから壜を取り出した。「あたしにかける気?」「できないよ」壜の中身を庭に空けた。二人ともしばらく無言だった。「フランク、話があるの……」メアリは赤ん坊の話をした。「ぼくは父親だったのか! 知ってさえいたら――」「知っていたとしたら? どうせ何もできなかったでしょ」「どうして知らせてくれなかったんだ?」「あなたが来てくれなかったんじゃない。こんな話を手紙に書けると思う? 来てくれさえすれば、話すことだってできたのに」……「どんな赤ん坊だった?」「とても小さかった」「髪の色は?」「黒」「目の色は?」「開かなかったの」……「メアリ、子どもはいくらでも作れる。結婚しよう」「出てって。今忙しいから。お菓子を焼いてるの」「一つくれないか」「二つあげるわ」「これは君の代わりだ」そう言ってポケットに入れた。「もう一つはあたしからよ」メアリが言った。「もう一つくれないか」「何のため?」「ぼくら二人のあいだにために」二人は戸口に移動した。「おやすみ」メアリはキスを拒まなかった。「明日も来るよ」「だめ。もう来ないで」「ぼくには来る権利がある」――彼はその通りにした、と結ぶべきだろう。

 タイトルに惹かれて(「クレソンっ子」)読んだのですが、びっくりしました。こんな話も書くんですね。傷害事件が扱われています。だけど結局、エリザベスは救われないままなんですよね。メインで描かれているのが不器用な男女の純粋な恋愛という図式は変わらないので、そこの違和感がいっそう際立ちました。こんな話にどうやって結末をつけるんだろうとはらはらしながら読んでいたのに、え〜っ。。。

 さらにびっくりすることに、この作品は1972年にイギリスで映像化されているようです。『Country Matters(田舎の事件?)』というテレビシリーズの一篇。コッパードに相応しいシリーズ名だなあと思ったら、ほかにも「The Higgler」だとか「The Black Dog」だとかいうタイトルが……。youtubeで裁判シーンだけちょこっと見ることができたのですが、やはり裁判シーンだけだと全然コッパードっぽくありません。
 

「Christine's Letrer」(『The Fields of Mustard』1926)

 クリスティーンは怒っていた。カフェでいちばん魅力的なウェイトレスだ。レジの女の子から手紙を渡されたのだ。夫からの手紙だった。とても長く、何枚もあった。早く読みたいのに注文が入る。クリスティーンは夫のもとを飛び出してカフェで働いていた。

 「どうして出ていってしまったんだ? 君がいないとぼくは水から出た魚だ。さよならも言わず、けんかもせず、行ってしまうなんて。近所の人たちに何て説明すればいいんだ? いっそ結婚しなけりゃよかった。母がすすめるからだ。ぼくが誰かと結婚したら、とても愛していた素敵な人がいたって言うつもりだよ。クリスティーン、君が思い出してくれたなら、ぼくは君の心で歌う鳥だ」

 卑怯者! 結婚しなけりゃよかった? 母がすすめた? クリスティーンは手紙を丸めてトイレに流した。レジの女の子が呼んでいる。「二ペンスちょうだい」「二ペンス?」「切手代が足りなかったから、立て替えといたの」「払わなくてよかったのに――知らない人からだったわ」

 手紙が気になりながらも、営業中なので断片的にしか読めなかったり注文が入ってお客さんとやりとりしたり雨が降ってお客さんがどっと増えたりカフェの窓の店名を眺めたり……現実にありそうな、そんなコラージュされた風景がよかったです。

 窓に描かれた店名が左右反転して、しかもいくつか文字が落ちていたり、細かいところも上手です。

 問題の手紙は……ほんっとに長くて困りものです。ほとんど改行もなく四ページ分。困った夫だなあ。。。
 

「Doe」(『Dunky Fitlow』1933)

 教区牧師のドウのところに、旧友のロウファントが訪ねてきた。しばらく過ごしたあとで、ロウファントは自分の半生を語り始めた……おばのもとで育ったこと、リジー・リーという女中のこと、おばが亡くなったこと、……。
 

「The Third Prize」(『Silver Circus』1928)

 ネイバスとロビンズはアマチュアのランナーだった。チャンピオンではなかったが、走るのが好きだったのだ。あるとき都会のレースに出てみることにした。ロビンズが三位に入賞した。喜んでいると、チェンバーズという奴がからんできた。一位になりたくないかい? 二位の奴らをチクってやればあんたが一位になれるぞ。ふざけるな! 怒って相手にしないロビンズだった。表彰が始まった。「三位、バランタイン!」――? 戸惑うネイバスだったが、ロビンズはネイバスの帽子を借りて深々とかぶり、賞金を受け取った。その後、二人は女の子たちとカフェで一休みしたが、ふとロビンズが席を外した。戻ってきたロビンズの手には賞金が握られていた……。三位のロビンズだが賞金を貰っていないと委員会に名乗ったのだ。ショックを受けるネイバス。――間違ったのは委員会だ、選手だってチェンバーズのような奴といかさましてるのさ。それがロビンズの言い分だった。だが宿の前まで来ると、そのチェンバーズが大声でわめいていた。目の前には盲目の乞食たち。「こいつらを見てくれ……!」ロビンズは賞金の一ポンドをかごのなかに落とした。

 自身も優れたランナーだったコッパードによる、レースがらみの作品です。とはいえスポーツ小説というわけではなく、ほかの作品同様に良心とかそういった問題に焦点が当てられています。
 

「The Little Mistress」(『Fishmonger's Fiddle』1925)

 「彼」からの手紙を女中に盗み見られたことでハーパー夫妻は元の鞘におさまります。


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