「追われる女」シンシア・アスキス/西崎憲訳(The Follower,Cynthia Mary Evelyn Charteris Asquith)★★★★☆
――入院中のミード夫人は強迫的に心を占めている問題について主治医に相談していた。主治医は、有名な精神分析医ストーン医師に診察してもらうことにした。ドアがノックされ、「アルコールランプでしくじりましてね。とうぶんこのマスクをつけなきゃならんのです」。
最初の一ページ目からどんな話なのかわかってしまうが、飽きの来ない老舗の味ともいうべきか、定番パターンを定番通りに料理した危なげない作品。こういうのは下手に小細工すると失敗するのです。
「空地」メアリ・E・ウィルキンズ‐フリーマン/倉阪鬼一郎訳(The Vacant Lot,Mary Eleanor Wilkins-Freeman)★★★★☆
――タウンゼント一家が引っ越したのは法外な安値の家だった。ある日、洗濯物を干しに行った女中が部屋に飛び込んできた。「空地に、誰か……服が……影だけが……」
因縁の辻褄があってないんじゃないかと思うんだけど、まあ目をつぶろう。典型的な幽霊屋敷ものである。正体を現わさずに怪異だけが次々に起こり、やがて……というのも定番パターンだが、これが怖い。人間に危害が及んではいないんだよね。ただただ怪しい出来事がまわりで起こるだけ。モンスター小説でもモダンホラーでもなく、これが怪談でしょ。というべき独特の怖さ。
「告解室にて」アメリア・B・エドワーズ/倉阪鬼一郎訳(In the Confessional,Amelia Ann Blanford Edwards)★★★☆☆
――あれは十八年前のことだ。旅の半ばでラインフェルテンの町に出くわし、宿屋を探したが見つからない。濠の向こうに教会がぽつんと建っていた。何の気なしに告解室を開けると、蒼ざめた顔の牧師が座っていた。
極悪だったため天国にも行けず、悪魔に悪戯したため地獄にも行けずに、永遠にこの世をさまよい続ける亡霊というのを知ったのは水木しげるの妖怪図鑑でだった。わたしはこの手の怪物が苦手だ。幽霊のように実体を持たない怪異や、吸血鬼や狼男のように実体を持つ動物種族的モンスターなら問題ないのだが。恐怖というのも一緒で、「あー怖かった」とひと息つけるのは怖いけど心地よい。どっちつかずにもやもやしたまんまなのが一番心臓に悪い。
「黄色い壁紙」シャーロット・パーキンズ・ギルマン/西崎憲訳(The Yellow Wallpaper,Charlotte Perkins Stetson Gilman)★★★★★
――夫のジョンは医者だ。旅行やよい空気や運動といったことを考え、治るまで仕事は忘れなければならないと言う。でも、わたしは性にあった仕事や興奮や気晴らしこそが、健康のために必要だと感じている。こんなにひどい壁紙は見たことがない。
ビジュアルと精神の両方から打撃を与えるとんでもない一篇。巻末鼎談にあった「改行の仕方が怖い」という訳者のことばに納得。ただ、精神的な恐怖だけなら、あるいはよくできたニューロティック・ホラーどまりだったかもしれない(それだけでも充分に精神の均衡を破壊するに足る、とんでもなく怖い傑作なのだが)。この作品がすごいのは、それに加えて『座敷女』を連想させるビジュアルの怖さです。このセンスはただごとではない。
「名誉の幽霊」パメラ・ハンスフォード・ジョンソン/南條竹則訳(The Ghost of Honour,Pamela Hansford Johnson)★★★★☆
――「ここには幽霊が出ます。悪さはしないようです。時には楽しませてくれますの。魚の骨が喉に刺さって亡くなったんです。『わしはこの屋敷が倒れるまで現れ続ける。ただし生ける者の目が我が姿を見ることはないであろう』と言い遺したそうです」
住人の言うように、「悪さはしない」し「楽しませてくれる」幽霊の物語。本来なら怪談に“オチ”という言葉は似合わないが、これはやっぱり“ショッキングなラスト”などではなくてぴしっと締まった“オチ”でしょう。これも一つのパターンになっている定番だけど、最後までこのパターンだと気づかせずに読ませる作品って意外と少ないかも。少なくともわたしは気づかなかったゾ。
「証拠の性質」メイ・シンクレア/南條竹則訳(The Nature of the Evidence,May Sinclair)★★☆☆☆
――マーストンとロザモンドは愛し合っていた。その話をしたのは新婚旅行のときだったらしい。もしわたしが死んだら、再婚するにしても、それなりの女とするのよ。不釣り合いな女と結婚したら、そんなのには耐えられないわ。
メイ・シンクレアは『恐怖の愉しみ』所収の「希望荘」もこんな話だったな。幽霊性愛譚。
「蛇岩」ディルク夫人/西崎憲訳(The Serpent's Head,Emilia Frances Strong Pattison Dilke)★★☆☆☆
――北海のとある土地のことでございます。そこには城がございました。城には母娘が二人で暮らしておりました。蛇岩といわれる大岩のあたりに飛び込んで泳ぐ娘の姿を見ることができました。
こういう秘境ものっぽい作品は好きじゃない。骨格だけ取り出せば「奥さんが気が狂う話」となって、「黄色い壁紙」と変わらないはずなんだけど、そこに因縁をからめて改行のないこってりした文体で書くからどろどろした話になってる。
「冷たい抱擁」メアリ・エリザベス・ブラッドン/倉阪鬼一郎訳(The Cold Embrace,Mary Elizabeth Braddon)★★★☆☆
――青年はゲルトルートと愛を誓った。だが青年のわがままな心のなかでは、愛情は見る影もなくすり切れてしまった。青年はイタリアに旅立ち、婚約の日どりが過ぎても戻っては来なかった。
最後のシーンが「赤い靴」みたいな感じでよいんですよね。この物語はもうそれに尽きます。
「荒地道の事件」E&H・ヘロン/西崎憲訳(The Story of the Moor Road,Hesketh Prichard母子)★★★★☆
――一週間ほど前でした。帰り際に採石場跡を通りかかると、反対側の土手の葦の茂みに、男が一人立っているのが見えました。男はこちらを見ていました。近づくと男の咳が聞こえ、急にすべるように動き出すと見えなくなりました。砂の上に足跡はありませんでした。
本書のなかでは毛色の変わったゴースト・ハントもの。心霊探偵フラックスマン・ローものの一篇とのこと。端正・味わい深い・静かな恐怖……そんな言葉が似合う英国怪談にあってはやはり異色です。「心霊探偵」という言葉どおり、怪談というよりは探偵ホームズの流れを汲む作品なのかもしれない。スポーツマンシップにのっとった狩猟としての探偵小説。
「故障」マージョリー・ボウエン/倉阪鬼一郎訳(The Breakdown,Marjorie Bowen)★★★★☆
――鉄道は故障していた。マードックは歩く肚をかため、闇の中へ飛び出した。あの素敵な肖像画を見るのが楽しみだった。あとどれくらいあるだろう。歩いても歩いても人家は見えない。こんなに人気のない土地だとは思わなかった。
しんしんと冷え込む夜のちょっと暖かいお話。怪談ズレしてる人なら、マードックが願い事を唱えた時点で「あ〜やっちゃったね〜」と思うはず。そして予想通りの展開……。ところがラスト。いや見事。
「郊外の妖精物語」キャサリン・マンスフィールド/西崎憲訳(Suburban Fairy Tale,Katherine Mansfield)★★★★☆
――B氏とB夫人は丸々と太っていた。ああ、しかし小さなBは、そんな体格の親たちが期待するような子供ではなかった。年齢にしては小さく、爪は豆粒ほどだった。「うわあ、見て、雀がものすごくたくさん降りてきたよ」
怪談集にマンスフィールド?と思ってしまうが、読み終えてみればまぎれもないマンスフィールド作品でした。繊細すぎるがゆえにこの世では生きていられない子どもを描いた素晴らしい小品。――ということでいいんですよね? 「妖精物語」だなんてタイトルだから、もしや『竹取物語』みたいに、初めから人間ではなく妖精だったのかとも思ったけれど。
「宿無しサンディ」リデル夫人/倉阪鬼一郎訳(Sandy the Tinker,Mrs. J. H. Riddell)★★★☆☆
――牧師はこうたずねた。夢を信じますか? 気持のよい夕暮れでした。心底驚いたことに、抜き身を手にした男が小道に立っていました。そこで、わきに寄って草地に足を踏み入れると、男が立ちふさがったのです。「お前は勝手に俺の土地に入ってきた。もう戻れない」
悪魔との契約という、(古典的な英国怪談集のなかにあっては)これまた毛色の変わった一篇。信仰心の篤い牧師の後悔と、それを笑い飛ばす皮肉屋で現実的な新聞屋の対比が見事。現実に怪異を信じてはいなくても、ついつい物語内での約束事としての怪異は受け入れてしまいがちだが、百物語の会のような入れ子構造にすることで、あくまで「お話」ですよということに気づかせてくれる構成が面白い。
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