「血の兄弟」(Blood Brother,Charles Beaumont,1963)★★★☆☆
――「先生、私は死ねないんです」「最初から話してみてください」「そんな悠長なことできますか。このマントを月一回クリーニングに出すのがやっとなのに」「そのことですが、なぜマントを着ているのですか?」「マントなしの吸血鬼なんかいますか!」
吸血鬼の悩み、というと、陽の下に出られないとか血液が高いとかがすぐ思い浮かびますが、この作品の主人公氏は、精神的な悩みで精神分析医にかかってしまいました。そしてその顛末も――極めて人間的なものでした。
「とむらいの唄」(Mourning Song,1963)★★★★★
――肩に鴉をとめ、二つの目があるところは空っぽで、いつもギターを背負っていた。ソロモン老人はとむらいの唄を歌い出した。ソロモンは死を嗅ぎあてられる。シュライバーさんの顔から血の気が失せ、奥さんが泣きだした。
さまよう死神、染みつく伝承、死への諦観、迷信の打破……固着した共同体の殻を破る新しい芽を描いた文芸よりの作品のように見えて、実のところはまぎれもない〈予期せぬ結末〉の作品でした。
「トロイメライ」(Träumerei,1956)★★★☆☆
――「あの若者は電気椅子で焼かれることになるのか」「手は尽くした。減刑はされないだろう。どうした?」「今日の午後、面会を許されたんだ。あの言葉は忘れられん。『あんたがたはおれの夢のなかの人物なんだよ――』」
アリスや神話でおなじみのアイデアを、アイデアだけで終わらせずに最後まで描ききった点、特筆すべき作品でした。
「悪魔が来たりて――?」(The Devil, You Say?,1951)★★★☆☆
――親父が死んで途方に暮れていた。新聞がこんな田舎で何の役に立つんだ。閉鎖することにしよう。そのとき咳払いが聞こえた。老人が立っていた。「父上との取引を完了させようじゃないか」翌日、玄関に新聞が配られていた。無料贈呈号「市長夫人、カバの子を出産」。
のちに『ミステリーゾーン』でも映像化されることになる、著者のデビュー作。悪魔のおふざけが本当に馬鹿馬鹿しくて楽しそうです。悪魔との契約といえば、どのように裏を掻くか(実際『ミステリーゾーン』第二話「魅入られた男」もそういう話でした)というのが一つの見どころですが、裏をかいたつもりでも、人によって重要なものは異なるのでした。初めから映像化を意識していたかのような、絵が浮かぶラストが秀逸です。
「幽霊の3/3」(Three Thirds of a Ghost,1960)★★★★☆
――時は一八××年、道に迷ったF卿は、遠からぬところに見える城館を目指した。T男爵は外見に似合わず思いやり深くF卿を迎え入れた。テーブルには美しい女性が座っていた。T男爵夫人の美貌を思うと、男爵の話も耳に入らぬほどであった。
文章もわざと古くささを出すようにしている古びた感じの幽霊譚。擬古典というよりはパロディなのでしょう。実際、どんだけ色魔なんだと苦笑したくもなりました。
「秘密結社SPOL」(Gentleman, Be Seated,1960)★★★☆☆
――「消防士が赤いサスペンダーをつけているわけは?」「ズボンが落ちるから」ドアが開いて、キンケイドは顔を黒塗りにした男のあとから中に入った。「我々は非合法秘密結社のものです。笑いを保存しようとしているのです」
笑いを禁じられた世界――というのが譬喩なのか事実なのか判然としませんが、それもそのはず……でした。日本だとドリフなどに置き換えて読めばよいのかもしれません。
「殺人者たち」(The Murderers,1955)★★★☆☆
――「どうかな?」「なにが?」「人を殺すのが、さ」「殺したいやつでもいるのか?」「動機なんかないさ」ロナルドとハーバートは、たまたま歩いてきた年配の男に声をかけた。「こんばんは。泊まる場所がないのならいらっしゃいませんか」
第一短編集『残酷な童話』所収「人を殺そうとする者は」の別バージョン。若者が偽悪ぶりたがるのはいつの時代のどこの世界も同じことですが、因果応報にしても痛すぎる結果が待ち受けていました。
「フリッチェン」(Fritzchen,1953)★★★★☆
――息子のルーサーが水のなかから小さな生き物をつかまえてきた。小さな足をもぞもぞと動かしている。「フリッチェンはおれが見つけたんだ。とうちゃんのじゃない」クジラと牛虻のあいのこのようなその生物を檻に入れて高く売りつけようとペルドー氏は考えた。オウムベスが落ちて死んでいるのが見つかった。
途中まではグロテスクなだけのクリーチャー譚に見えていたのですが、子どもの身勝手さが爆発する予想外の展開から、あとは一気に絶望的なラストが待ち受けていました。恐怖の種類でいえば「怪奇」が漂っていただけに、一変して「戦慄」が襲い来る場面の怖さには並々ならぬものがありました。
「集合場所」(Place of Meeting,1954)★★★★☆
――大男のジム・クロウナーはたこのある分厚い手を叩いた。「全員揃ったな。アンディ、シアトルの状況は?」「全員、死亡していました」「ミス・アヴァキン、中東に生きている者は?」「誰もいませんでした」
何とも反応に困ってしまう珍作・怪作です。担当地区ごとに生存者を確認してゆく点呼からは、寂寥感ただよういかにも終末ものらしい様子が伝わってきますが、さてその真相は――となると、いや、素晴らしいのですが、シリアスでありながら「オチ」と呼びたくなるような要素も含まれていました。
「エレジー」(Elegy,1957)★★★☆☆
――戦争を逃れて地球からロケットで飛び立ったウェッバー船長は、どの宙図にも載っていない小惑星で、地球そっくりの光景を目の当たりにした。そこにはグレイプールと名乗る老人がいた。
この作品も『ミステリーゾーン』で「平和の園」として映像化されています。時間を追って「その」過程が描かれ、最後にすべてのものがピタッと止まる演出には、なるほど映像化されたものを見てみたいと思わせます。
「変身処置」(Beautiful People,1952)★★★☆☆
――「メアリー、君くらいの年齢の子は思いもよらぬことを考えるものです。鏡を見る。周りの人を見る。自分も変身処置を受けたいと思うようになりますよ。年を取って皮膚がたるみ、眠らなければならない身体のままでいたいというのですか?」
お隣の国では自主的な均一化が絵空事ではないようで、リアルに怖い。この作品も『ミステリーゾーン』「ある改造」で映像化。
「老人と森」(Something in the earth,1963)★★★★☆
――老人は部屋に入ると両手を握りしめた。「あの山並みまでも、やつらは消してしまうんだ。川を埋め、草原を引きはがし、都市に変えてきた。ここもそうなっていいのか?」
開発に反対する老人……それだけでは終わりませんでした。一発ネタのような豪快さを持ちながら、これしかない説得力も持ち合わせています。
「終油の秘蹟」(Last Rites,1955)★★★★☆
――説教を聞いてくれるのはドノヴァンくらいだ。コートニー神父はドノヴァンの家の門を押し開けた。「医者は?」「あんたが医者さ。私を救えるのは神父さんだけだ」「どうすれば救えるのです?」「神学の問題です。サイエンス・フィクションを読んだことがあると話してくれたな」
ベタな話をケレンなく書けるだけの地力のある人です。話の勘どころがSFネタにあるのではなく、神父の心理的葛藤にあるのだから、なおのこと。
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