『いま見てはいけない デュ・モーリア傑作集』ダフネ・デュ・モーリア/務台夏子訳(創元推理文庫)★★★★☆

 『Don't Look Now and Other Stories』Daphne du Maurier,1971年。

 解説にも紹介文にもいっさい説明がありませんが、むかし三笠書房から出ていた『真夜中すぎでなく』の新訳版という位置づけになるようです。
 

「いま見てはいけない」(Don't Look Now,1966)★★★★★
 ――「おい、いま見ちゃいけないよ。向こうのテーブルにいる老嬢ふたりは、ヨーロッパを見物中の犯罪者なんだ」ジョンは妻に言った。ローラはナプキンを落として取るふりをしてうしろを見やった。「老嬢なんかじゃないわ。女装した男の双子よ」いつものゲームが復活した。いつか、娘を亡くした傷も癒えてくれるだろう。双子の片割れを尾けてトイレから戻ったローラは何だかおかしかった。「あのふたりには見えるんですって。クリスティンはいまも一緒なのよ」

 異国情緒漂うヴェネツィアの街を舞台に、ごっこ遊びと霊能力者という死んだ子どもをめぐるきな臭さと、裏通りで夜中に聞こえた叫び声と走り去る子どもという犯罪の匂い。立ち込める水と闇の匂いのなか、異国で正気を失いかけている妻に、一人敢然と立ち向かう夫――という構図は、思いも寄らぬ事実のせいで反転、というよりも、まったくわけがわからなくなります。そうしたすべてが明らかになる最後の一ページでは、信じる信じないということを越えた衝撃が、しかもすべての出来事に説明をつけて幕を下ろします。
 

「真夜中になる前に」(Not Alter Midnight,1971)★★★☆☆
 ――わたしは趣味の絵を描きにクレタ島へと向かったが、海の見える宿はすべてふさがっており、一つだけ空いていたバンガローでは宿泊客が二週間前に溺死していた。「泳ぐなら真夜中になる前にしな」アメリカの富豪だという下品な男が声をあげた。後日見かけたところによると、補聴器をつけた妻と二人、海に潜って何かを引き上げているらしい。

 俗物につかまって休暇が台無しになるのは嫌なものです。溺死やメモといった前の宿泊客の影や、要所要所で口にされる「真夜中になる前に」という言葉が、当初から不吉な兆しをあおってはいますが、少なくとも前半までは不安を感じるのは俗物による人的な被害の方でした。それが一転、冒頭で示唆されていたとはいえ、古代の呪いに取り憑かれて終わるのが、それこそ不意打ち騙し討ち。嫌な気分です。
 

「ボーダーライン」(A Border-Line Case,1971)★★★★☆
 ――病状に不安があるなら父を置いていくことなど考えられない。だがシーラは今度の公演で主役をやらないか、と言われていた。シーラはシザーリオのしぐさをまねた。「ああ、まさか……ジニー……なんてことだ!」父はそれっきり事切れた。失意に沈んで、シーラは父と死ぬ前に眺めていたアルバムを見ていた。結婚式で付き添いを務めたニック。どうして疎遠になってしまったのだろう? ボーダーラインだったから、と父は言っていた。昇進の候補にしてやれなくて恨んでいるだろうな……。シーラはニックに会いに行くことにした。

 大義も倫理もない、自分が楽しければそれでいいというだけの悪戯を好む、悪童がそのまま大人になったかのような人間、ニック・バリー中佐。その世界に迷い込んだ人間は、異分子ならば当初のシーラのように不安と恐怖を覚え、賛同者ならば共感と魅力を覚えます。ただし所詮はニックにとって、周りの世界や人間など、悪戯の駒に過ぎません。一緒になって悪戯をするのは楽しいものです。自分がされる側の人間だと気づくまでは……。
 

「十字架の道」(The Way of the Cross,1971)★★★★★
 ――「みんな知ってる? 今日はニサンの十三日なんですよ。イエスと弟子たちが〈最後の晩餐〉を食べた日なんです」少年が思ったような効果は上がらなかった。この子は何を言っているんだ? むしろむっとしているようだった。翌日は全員でツアーに出かけた。イエスが病人を癒した〈ベテスダの池〉は下水施設の一部に過ぎなかった。泣き叫ぶ女の子が池に連れて行かれたが、奇跡は起こらなかった。

 急遽ツアーの代理を務めることとなった引率のバブコック牧師、上流意識に凝り固まったメイスン退役大佐夫妻と知識をひけらかす孫ロビン、女たらしのジム・フォスターと妻ケイト、夜の生活がうまく行っていない新婚のスミス夫妻、ブレットフォード牧師の尻を追っかけているミス・ディーン……個性的な面子による巡礼ツアーの旅は、それだけで下世話な興味に事欠かず面白く、ミス・ディーンの事故から始まるクライマックスの人混みにしてからが、何かが起こりそうな緊迫感に満ちていながら、実際に起こるのは牧師の○○○○という脱○もとい脱力ものです。そんな悲喜劇にふさわしく、結びのロビンの一言も気が利いています。
 

「第六の力」(The Break Through,1966)★★★☆☆
 ――わたしはエレクトロニクス社から、上司の旧友マクリーンの研究施設に出向することになった。爆発のコントロール。犬を操作する呼び出し音。幼い子ども――特に発達障害の子どもの操作することができる。人はみな、未開発のエネルギー源を内に秘めている。そのエネルギーは解放されると、爆発や犬を操作した機械と同じように働く……。

 魂のようなものを電気信号的に保存するという点だけ見ればごくありきたりのSFですが、ポスターガイスト現象も超音波による犬笛もみんなそれで説明してしまうところがユニークでした。

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