『怪盗ニック全仕事1』エドワード・D・ホック/木村二郎訳(創元推理文庫)★★★☆☆

 怪盗ニックのシリーズはこれまでハヤカワ文庫のオリジナル編集で出されていましたが、ハヤカワ版に未収録の作品も含めて全作品を年代順に網羅しようという試みの、第一集です。邦題が「〜を盗め」に統一されました。
 

「斑の虎を盗め」(The Theft of the Clouded Tiger,Edward D. Hoch,1966)★★☆☆☆
 ――動物園から斑の虎を盗んでほしい。中東の王子なら大金をはたいて買うほど珍しいものだ。三日後の月曜日の朝にやってほしい……。依頼を受けたニック・ヴェルヴェットは、一味の金髪娘と一緒に動物園に下見に行った。

 シリーズ第一作。盗み方がスマートではないし、斑の虎という盗みの対象もさほど魅力がないし、何より盗んでほしい動機がありきたりすぎて、フリーのディレッタントかつコンサルタント泥棒という設定だけが特異な一篇でした。まだ「価値のないものを盗む」という設定は存在していません。
 

「プールの水を盗め」(The Theft from the Onyx Pool,1967)★★★★★
 ――「ニック・ヴェルヴェットでしょ? プールの水を盗んでほしいの」「いつでも栓を抜けますよ」「やっていただけるの?」ドレスを着たアッシャー・デュモントがたずねた。おばの前夫であるTVプロデューサー、サム・フィッツパトリック家のプールから水を盗み出してほしい。「水をほしがる理由は何です?」「これはビジネスよ。あなたにとって理由なんて重要じゃないはずよ」

 二作目にして、価値のないものが盗みの対象になりました。盗みの対象の突拍子もなさ、スマートでユーモアある盗み方、依頼人が水をほしがる理由の意外性のある真相、全篇を覆うはったりの大きさ痛快さ……ニック・ヴェルヴェットものの面白さを決定づけた作品だと思います。
 

「おもちゃのネズミを盗め」(The Theft of the Toy Mouse,1968)★★★☆☆
 ――『同封の小切手はおもちゃのネズミを盗んでいただくための手数料である。パリのスタジオで撮影中の映画の小道具だ……J・オーキッド』差出人の住所はない。だから報酬を返金することはできないし、任務を果たさないまま金を受け取っておくこともできない。

 依頼が郵便だったということ、(今回の場合はおもちゃのネズミ自体が目的ではなかったわけですが)真の狙いがどこにあるのかということ、それがニックのホテルの部屋に○○が現れる急展開から明らかになる一連の流れに、面白さが凝縮されていました。
 

「真鍮の文字を盗め」(The Theft of the Brazen Letters,1968)★★★★☆
 ――ウェストンは頭の切れる警官だ。仕方がない。ニックは双眼鏡で覗かれているのは承知のうえで、SATOMEX社のビルディングに薬品をたらした。四十七分後、真鍮製のSとEとXの文字が川に落ちた。

 これまでは「変わったもの」としか明言されていなかった盗みの対象に、初めて「価値のないもの」が加わりました。盗みの目的が盗んだものではなく残されたものにあることははっきりしているのですが(それでも盗んだものもきっちり確認しておくのがさすがプロフェッショナルです)、それに一ひねりある真相が見事でした(ちゃんと伏線もあります)。
 

「邪悪な劇場切符を盗め」(The Theft of the Wicked Tickets,1969)★★★★☆
 ――ロスコー・フェインと会ったのはヨットの上だった。「『ウィキッド』という芝居がある。息子のビルがプロデューサーなんだ。切符売場から切符をすべて盗んでもらいたい」「どうして息子さんのショウの邪魔をするんですか?」「邪魔にはならない。『ウィキッド』は六月に終わってしまったんだ」

 公演が終わっても売られている切符と、それを盗む理由、といった謎は魅力的ですが、単刀直入に当事者に「なぜそんなことを?」と聞いて回るのでは面白くない――と思っていたら、「ニックは泥棒だが、探偵ではない」という文章が。ハハハ(^^;。それはさておき、一つ目の解決もスケールの大きさが魅力ですし、最終的な解決もトリッキーでした。
 

「聖なる音楽を盗め」(Dead Man's Song, 英題 Theft of the Sacred Music,1969)★★★★☆
 ――「ここから離れた中西部の町に有名な外科医が住んでおります。ドクター・エルキンが次の土曜日に弾く教会のオルガンを盗んでほしいんです。或個人的な理由で、その演奏を中止させる必要がありますの」

 依頼こそ盗みの対象は「オルガン」でしたが、実際に盗んだのは「音」「音楽」というのが洒落ています。その理由というのが「風が吹けば桶屋が儲かる」的で、これはこれで面白く、ニックの推論もあながち飛躍とは言えません。
 

「弱小野球チームを盗め」(The Theft of the Meager Beavers,1969)★★★☆☆
 ――大の野球ファンである大統領のトラス将軍のために、大リーグのプロ野球チームを誘拐して、将軍自らが鍛えて指導しているハバリ共和国の代表チームと試合をさせてほしい。今回の仕事は三万ドルの手数料に値する。

 舞台がアメリカで、依頼人が「キューバからはそう遠くない」架空の国の人間なので、盗みの対象が野球チームであることに何の違和感も感じませんでしたが、実は野球チームであることが重大な意味を持つ、奇妙な論理を持つ架空の国のおはなしでした。盗み方は飛行機ごとハイジャックするという平凡なものですが、もちろんこの作品の興味はそこにありません。
 

「シルヴァー湖の怪獣を盗め」(Theft of the Silver Lake Serpent,1970)★★★☆☆
 ――「大海蛇を盗めますかね?」アール・クラウダーが尋ねた。「存在しないものは盗めませんね」「それが存在するんですよ。わたしはゴールデン湖の畔にリゾート・ホテルを所有しているのですが、シルヴァー湖で大海蛇が目撃されてからというもの、旅行客はみんなあっちへ行くんですよ!」

 これまでの作品とは違い、怪獣の正体自体が謎になっています。謎解きであると同時に、現実の怪獣に対する著者なりの解答にもなっているのだと思うのですが、個人的には面白い解答だと感じました。【※ライバルホテルのオーナーが集客のための話題作りに、緑色に塗ったラクダを泳がせたところ、目撃者はそれを自分の見たいものに変換して理解した
 

「笑うライオン像を盗め」(The Theft of the Laughing Lions,1970)★☆☆☆☆
 ――ラムストンが経営する〈キャピタル・クラブ〉は六つの都市に出現し、あと十二の店が開店する予定だ。テーブルの上にある石膏のライオン像を盗み出してほしい。一つで済むかもしれないし、あとから別のライオン像が必要になるかもしれない。ラン・ブルースターはそう言った。

 盗み方、盗む真の動機、その後の展開、どれを取っても上出来とは言いかねる出来栄えでした。特におかしな人情でまとめた(まとまっていない)人間関係にはため息が出ました。
 

「囚人のカレンダーを盗め」(The Theft of the Coco Loot, 英題Theft of the Convict's Callendar,1970)★★★★☆
 ――オドネルが刑務所に収容される原因となったのは、本当に「海賊」行為であった。二人の共犯者とクルーザーで豪華ヨットを襲い、宝石類を盗んだのだ。だがヨットの警備員に発砲され、共犯者は海に落ち、オドネルも島々をまわったすえに逮捕された。宝石は身につけておらず、仲間と一緒に海に落ちたと言い張ったが……。

 刑務所のなかにいる囚人から外にいる人間に宝の在処を伝える暗号もの。囚人がカレンダーに×印をつけて刑期を数え上げるというベタな囚人生活に暗号が隠されていました。ほとんど運任せな盗み方にしてまでさえ、この趣向がやりたかったのだろうと思います。暗号自体は単純明快、そのものズバリですらありました。
 

「青い回転木馬を盗め」(The Theft of the Blue Horse,1970)★★★★☆
 ――冬季休業の二日前、カルティエという町にあるダン・デフォーのメリーゴーラウンドから青い木馬を盗んでほしい。それがピーター・ファウルズの依頼だった。現場に赴いたニックは、殴り倒されていたデフォーを発見する。

 盗みの目的が盗品とは別のものにある作品はここまでにもいくつかありましたが、この作品では単なる目くらましではなく、「それである」ことに説得力がありました。
 

「恐竜の尻尾を盗め」(The Theft of the Dinosaur's Tail,1971)★★☆☆☆
 ――馬術競技会場で出会った狩猟世話役のフレイダー・キンケイドは、ニックが泥棒であることを知っていた。「博物館からティラノサウルスの尻尾の骨格標本を盗んでほしい。尻尾だけでいいんだ」

 これだけ作品があれば似通ったものがあるのは仕方がないですし、「盗み自体は目くらまし」という事実をニック自身が疑ってみたうえでのバリエーションだという点も考慮すべきですが、「またか……」という印象は否めません。発想としては「獄中のルパン」に連なるものですね。
 

陪審団を盗め」(The Theft of the Satin Jury,1971)★★★☆☆
 ――夫の愛人を決闘で撃ち殺した容疑で裁判に掛けられているヘレン・サテン。ホイップルの依頼は、その裁判の陪審団を盗んでほしいというものだった。

 依頼の裏に隠された盗みの真の目的をさぐる話が多いなか、この作品の肝は、名探偵のひとことによる意外な真相の暴露にありました。といってもこれが謎解きミステリだったなら簡単すぎる類のもので、ニック・ヴェルヴェットものの一篇だったからこそ効果をあげているのでしょう。
 

「革張りの柩を盗め」(The Theft of the Leather Coffin,1971)★★☆☆☆
 ――「柩を盗んでほしい」「中に遺体の入った柩ですか?」「たまたまそうなっているが、遺体は重要じゃない。金曜の葬儀の前に、柩がほしいんだ」死んだのはテキサスの大物牧畜業者チェイス・ドルトンだった。ニックは知り合いのふりをして葬儀に参加したが、その目の前で武装したメキシコ人が柩を奪っていった。

 第11話「青い回転木馬を盗め」の二番煎じですが、策を弄した者が依頼人とは別の人間であったり、人物の入れ替えトリックが用いられていたりと、あちらよりも複雑な作りになっています。……が、二番煎じだというマイナスの印象のほうが強く残りました。
 

「七羽の大鴉を盗め」(The Theft of the Seven Ravens,1972)★★☆☆☆
 ――ゴラ国の大統領がイギリス訪問にあたり、ゴラの象徴である七羽の大鴉を女王陛下に献上する。それが盗まれるのを阻止してほしい。それがイギリス政府筋からの依頼だった。翌日動物園に鳥を見に行ったニックのもとに、七羽の大鴉を盗んでほしいというアイルランド女性が現れた。

 趣向を変えて「盗んでほしい」ではなく「盗むのを阻止してほしい」という依頼です。もちろんそれにはきちんと理由がありました。結果的には「盗んでほしい」と「盗むのを阻止してほしい」という二つの依頼を同時に受けることになり、どうやってそれを実現するのかが見どころです(というほど冴えたアイデアではありませんが)。後半はスリラーっぽくなってました。

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