『暗闇にレンズ』高山羽根子(東京創元社)★★★☆☆

『暗闇にレンズ』高山羽根子東京創元社

 現代を舞台に監視カメラの死角で自撮りする女子学生二人が、やがて「エンバーミング」の映像を撮り始める「Side A」。

 明治時代に始まり現代にまで連なる、カメラと映画に関わる嘉納一族の歴史をひもとく「Side B」。

 この二つのパートが交互に語られ、やがて一つにつながるという、ある意味で定番の構成が取られています。

 この「Side B」が大河小説のようで読みごたえがありました。

 遊廓「夢幻楼」の娘・照は、幼なじみの銀吉と遊んで帰る途上、これまで撮影してもらったことのある静止画写真とは違う活動写真の撮影現場に遭遇します。長じた照はフランスの撮影スタジオに留学し、現地で技術を学びます。やがて母親からの一通の手紙で、銀吉との婚約と、仲のよかった芸妓が幼子を残して死んだことを告げられます。未知江という名の幼子を養子として引き取り、銀吉と三人でパリで暮らすことになった照ですが、母の死をきっかけに帰国し、時代の波に巻き込まれてゆくのでした。物語のバトンは照から未知江、そして未知江の娘ひかりへと渡されてゆきます。そうして未知江の孫娘で現代の「Side A」とつながると、感慨もひとしおでした。

 これだけなら映像にまつわる一族の一代記なのですが、映写トラックやカメラ爆弾のような映像による戦争兵器や、映像を見て目から血が出たという噂など、創元SF短編賞出身らしい非現実的な要素がそこかしこに顔を出し、物語は一族から世界へと拡散してゆきます。

 本書に於いて日本に最初に映写機を持ち込んだのは武器商人でした。映像兵器そのものを別としても、本書には武器としての映像という考え方が至るところに現れています。無論、現実の歴史でも科学の発展は戦争と不可分ではありました。「Side A」の語り手は、「私たちが、今かろうじて持つことを許されている数少ない武器の中で、一番強力なものはレンズだ」と語ります。ひかりの友人は、「人が、使った、最初の道具は、武器ではなかったのかもしれない/(中略)遊ぶためのものを、最初に作ったんじゃないか(中略)/……それがたまたま、やっつけるための武器になってしまっただけの話で」と呟きます。

 拡散してしまった物語は、「Side A」語り手の、「(事故や犯罪や災害の映像を見て)“まるで映画みたい”ってことに後ろめたさがあるのは、なんでなんだろう」という問いかけと答えによって幕を閉じました。レンズ=武器という発想を陳腐なものにしないために、映像兵器という有り得ない存在は必要だったのかもしれません。しれませんが、うまくまとまりきらず取っ散らかっているように感じました。

 高校生の「わたし」は親友の「彼女」と監視カメラだらけの街を歩き、携帯端末の小さなレンズをかざして世界を切り取る。かつて「わたし」の母や、祖母や、曾祖母たちがしてきたのと同じように。その昔から、レンズがうつした世界の一部は、あるときには教育や娯楽のために、またあるときには兵器として戦争や弾圧のために用いられてきた――。(帯あらすじ)

   [amazon で見る]
単行本暗闇にレンズ  文庫暗闇にレンズ(文庫版) 


防犯カメラ