『紙魚の手帖』vol.11
『いさなとり』(1)熊倉献
――代々ハンターの家系のぼくは、将来、普通に暮らしたかった……。
『春と盆暗』『生花甘いかしょっぱいか』『ブランクスペース』の熊倉献による新連載。ハンターが獲物になってしまう普通じゃなさと、ポテトサラダに醤油をかける普通じゃなさを、どちらも「変わってる」の一言で結びつけてしまうところんい、シュールな軽やかさを感じます。
「未完成月光」北山猛邦
「予備校チューターの事件日誌 「容疑者は生徒」」京橋史織 ★★☆☆☆
――「被疑者として事情聴取を受けると、警察官採用試験には通りませんか?」生徒からの質問に、予備校チューター月島文香は呆気に取られた。「俺、空き巣犯だと疑われてるみたいで」というのが有岡の説明だった。体力作りのためにアルバイト先の周辺をウォーキングしていたのを、不審人物だと通報されたという。だがその時間には有岡が予備校で自習していたことは文香も証言できた。しかしその話を聞いた同僚の真田は、有岡の話に違和感を覚えた。有岡は何かを隠しているのではないか……。
フツーに犯罪者なのには笑いました。とはいえ一方的な正義感と片想いによる行動力は10代らしいと言えるでしょう。空き巣犯を推理するのではなく、有岡が何を隠しているのかを解き明かすのをメインにすることで、飽くまで日常の謎のテイストが保たれています。そしてそうした有岡の行動の結果が、偶然とは言え空き巣犯を特定することに繫がっていて、一般人が犯罪を解決するという構図としてよく出来ていると感じました。
「無間牢」浅ノ宮遼/眞庵 ☆☆☆☆☆
――看護師である小生のところに搬送されてきたとき、水無千妃路には両腕がなかった。にもかかわらず身体的にはきわめて安定した状態が保たれていた。水無夫婦が営むペンションの隣人が朝のジョギング中に、意識不明の千妃路を抱えて立ち尽くす夫の朱一に出くわし、救急車を呼んだのである。すぐにふたつのことが判明する。千妃路は声帯を灼かれていた。そして胃ろうだった。千妃路は〈全感覚喪失症〉の末期患者だった。約一か月後、朱一が怪死を遂げた。何らかの理由でペンションの階段から転落し、はく製の亀の甲羅に頭を打ちつけたようだった。全感覚喪失症の患者は、末期になると死を望む。だがその症状ゆえ意思確認ができず、延命を中止できない。そこで規定されたのが、延命中止を表明する方法だ。ひとつは発声によるもの。ひとつは両手をひろげるポーズである。声帯を灼かれ、両腕を切断された千妃路からは、延命を中止させようとする意図が窺えた。
いくら新人にしても文章が下手くそで、そのくせ身の丈に合わない「小生」文体なのだから目も当てられません。観念的な動機を支えるだけの説得力もなく、ましてや架空の病気に架空の宗教では何でもありです。言葉でただ「怖い怖い」と書かれても恐ろしさを感じることなど出来ません。
「名刺は語らない Calling Card」久青玩具堂 ★☆☆☆☆
――俺は雨宿りのため『るそう園』という喫茶店に入った。喧噪から切り離された場所で、カップから立ち上る香気に、マスターの紳士的な物腰。文学的だ……。うっとりしかけたところで、平板な声でコーヒーが置かれた。マスターではない、俺と同じ年頃の女の子だった。鈴の音とともにマスターより少し年上の男が入ってきて、常連客に愚痴り始めた。探偵事務所を営む戸村の名刺が悪用され、能戸という社員のことを聞き込みしているやつがいるらしく、能戸の会社からクレームが入ったという。新デザインの名刺を入手できた者のうち怪しいのは三人いた。能戸に仕事のミスを押しつけられた下請け会社の社員。能戸のライバルであり、能戸の元恋人と付き合っている同僚。散歩中に能戸に邪険にされた犬好きの老人。
『まるで名探偵のような 雑居ビルの事件ノート』より第一話先行掲載。連作短篇集の一篇なのですべて読まないことには断言はできませんが、少なくともこの一篇を読むかぎりでは、高校生が喫茶店の常連客の話を盗み聞きするという設定は無意味で不必要で不自然なだけでした。二部構成になっていて二部で探偵の回想が入るのも冗長なだけで何の効果も上げておらず、とにかく無駄が多い小説でした。【自信家の能戸が、恋敵の存在と老人からの非難によって自信をなくし、自分の評判を確かめようと変装して自分について聞き込みをした】という動機と犯行(?)にも、あまり説得力がありません。
「矜恃の期限」大和浩則 ★☆☆☆☆
――公民館の介護講座に参加した立石早矢香という少女が、福祉課の小紀に相談があるという。今年の七月に父親の立石慶介が介護ベッドの柵に首を挟まれ窒息死したのだが、遺品を整理したところ本棚に隠されていた現金がなくなっていた。家族以外で部屋に入ったのはヘルパーの相沢だけだ。本人にたずねたが知らないと突っぱねられた。介護講座の講師に相沢の名前を見つけ、改めて問いただしたのだがやはり否定された。
本書収録の新人さんのなかでは文章も小説もいちばん上手でした。ただ、この手の作品にありがちなように、理屈をすっ飛ばして人情ものになってしまうんですよね。結果、そこに共感できる人間にしか響かなくなっています。親身な介護員だからこそ家族同様に【介護殺人】に踏み切るほど入れ込んでしまうのでしょう。けれど【家族(娘)に弱った姿を見せたくない】というのはともかく、ヘルパーを何人も変えた慶介の心情がピンと来ません。そのうえ介護ミステリにこだわったためか、介護用品を使ったアリバイトリックという荒唐無稽なものまで飛び出して作品のバランスを大きく崩していました。
「海食崖」ピーター・スワンソン/務台夏子訳(The Sea Cliff,Peter Swanson,2018)★★☆☆☆
――「やめたほうがいいよ」とは言ったものの、夫のロバートとその親友のトミーが真夜中に高さ百フィートの断崖を登ろうとするのは変わらないとわかっていた。夏の終わりに一緒に週末を過ごすのは、ロバートとトミーの毎年の恒例行事であり、ふたりはありとあらゆることで競い合った。トミーは休暇のたびに違うお相手を連れてきた。わたしたちが初めてパーティーで出会ったとき、わたしが最初に関心を持ったのはロバートではなくトミーだった。トミーにはガールフレンドがいて、別れたころには、わたしとロバートはベッドをともにするようになっていた。
欲しいものを手に入れるのに随分と長い年月がかかりました。
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