『骸骨 ジェローム・K・ジェローム幻想奇譚』ジェローム・K・ジェローム/中野善夫訳(国書刊行会)★★★☆☆

『骸骨 ジェローム・K・ジェローム幻想奇譚』ジェローム・K・ジェローム/中野善夫訳(国書刊行会

「食後の夜話」(Told After Supper,Jerome Klapka Jerome,1891)★★★☆☆
 ――クリスマス・イヴのことだった。僕たちは夕食を終え、煙草を吸いながら話をしていた。どういうわけか幽霊の話題になり、お互いに幽霊物語を披露しあっていた。ドクターの次にクームズ氏が話をした。――義理の弟、パーキンズのことは知っているね。引っ越し先には、守銭奴の金が隠されたままになっていると噂されていた。ある晩、弟が眠れずにいると、ベッドの足許に小柄な老人の姿があった。すぐに、埋蔵金の話と守銭奴の老人のことが頭に浮かんだ。「隠し場所を教えに来たんだ」と弟は考えた。ところが幽霊が向かった場所に金はなかった。

 著者のイメージ通りのユーモアあふれる幽霊譚。クリスマス・ストーリーであること自体を執拗にエクスキューズする前口上からして可笑しくて仕方ありません。クリスマス・イヴの食後の団欒という額縁形式で、テディ・ビフルズ、クームズ氏、語り手、三つの幽霊譚を中心として構成されています。
 

「ダンスのお相手」(The Dancing Partner,1893)★★★☆☆
 ――『舞踏会には踊りに行くんだから、ダンスの相手に求めることは、私をしっかり支えて、私よりも先に飽きたりしないことだけ』『じゃああなたには発条仕掛けの人形がいいんじゃない?』。ガイベルという名の機械職人が、娘たちの会話を耳にして、機械仕掛けのダンサーを作りあげた。パーティーで踊るカップルたちは一組、また一組と疲れて脱落していき、踊っているのは人形とアネッテだけになった。

 アンデルセン「あかいくつ」のような、踊り続ける悲劇です。決定的な場面を描かないのは、当時の小説のマナーであるだけのような気もしますが、描けないほど凄惨なのではないかという想像を掻き立てる効果を上げているのも事実です。短篇集『Novel Notes』の第十一章とのこと。
 

「骸骨」(The Skelton,1892)★★★☆☆
 ――過ちを犯した男が逃げて、もう一人の男がそれを追った。当時、旅行者というのは少なかったから、追跡も簡単だった。過ちを犯された男が過ちを犯した男の横に立ったとき、好機が到来した男は心臓発作を起こし、死んで崩れ落ちた。過ちを犯した男は立ち上がり、神に感謝して外に出た。それから何年も経って、この男は科学の世界で著名な人物になった。実験室の骸骨の標本がばらばらになってしまっため、新しいのを購入した。仕事をしようとしたが、にやにや笑う顔の空っぽの眼窩が自分を引き寄せようとしているかのように思えてならなかった。

 因縁部分が記号的であることに驚きます。男が科学者になったというのも、骸骨を存在させるためだけの設定のようですし、すべてが首についた細い指の跡という怪異のために存在しているようです。『Novel Notes』第五章。
 

「ディック・ダンカーマンの猫」(Dick Dunkerman's Cat,1897)★★★☆☆
 ――リチャード・ダンカーマンと私は幼なじみで、同窓生だった。その頃、私は恋に落ちていて、その話を誰かにしたくて仕方がなかったのである。「愛とか、他のちょっと繊細な問題を、このピラミッズの前で話してみたらどうかな」とディックが言った。「その忌々しい猫に何の関係があるんだ」「自殺を考えていたとき、ドアを開けたら、そいつが入ってきた。人間を相手にしているかのように話しかけるようになって、いろんな相談をした。成功したこの前の脚本は共著のように思っているくらいだ」

 座敷童ならぬ座敷猫の話。
 

「蛇」(The Snake,1892)★★★☆☆
 ――妻は蛇の姿を少しでも見ただけで、蒼白になって躰から力が抜けてしまうのだった。男の方にはまったく怖いものなんかなかったから、それが理解できなかったし、苛立っていた。ある日の夕方のことだった。羚羊狩りから馬で家に戻るとき、木の枝からぶら下がっていた錦蛇《パイソン》が地面に落ちて草地の中を逃げていこうとしていた。ライフルに弾を込めて蛇を撃ち殺した。そのとき、この死んだ爬虫類を使って生きている蛇に対する妻の恐怖心を治してやれるんじゃないかと思いついた。死んだ蛇に、書斎の床を張っているような恰好を取らせ、読みかけの本を持ってきてくれるよう妻に頼んだ。

 悪戯心が招いた悲劇。『Novel Notes』第七章の後半部分。「押し潰された血塗れの塊」というのがよくわからないのですが、「死よりも危険の方が怖く、恐怖よりも宿命に直面する方が簡単な女性の一人だった」妻が、自らを押し潰すような死を選んだということでしょうか? 人ならざるモノとの異類婚姻譚でもないでしょうし。
 

「ウィブリイの霊」(Whibley's Spirit,1897)★★★☆☆
 ――それはウィブリイを熱愛しているようだったし、ウィブリイもそれが誰よりも好きだった。個人的には霊には関心がないが、その話題に対して心を閉ざすつもりはない。それは、ウィブリイが買った古い飾り棚についてきた。最初はまったく害もなく、話をしたとしても「はい」と「いいえ」だけだった。そのうち霊は勢いがつき、皆に話しまくった。Cで始まる通りに住む男に気をつけた方がいいとか、教会が三つある海辺の町を訪問すると怪我をさせられるとか言っては、トラブルを引き起こした。

 如何様にも解釈できる曖昧なサインを都合よく読み取って痛い目を見るという、心霊主義を諷刺したような内容でした。
 

「新ユートピア(The New Utopia,1891)★★★☆☆
 ――目覚めると、私はガラスのケースの中に横になっていた。知的な顔をした紳士が私に気づいた。「今は何世紀ですか」「二十九世紀だ。千年くらい眠っていたことになるね」「あの、世界はすっかりよくなったんですか」「ああ、そのとおり」町を歩いている人々は皆、そっくりに見えた。「双子ばかりなのか。みんなそっくりに見える」「ああ、髪の色は黒って決まってる」「どうして」「どうして? 今はすべての人間が平等だっていうことを理解したと思っていたがね」

 諷刺としては素朴なものですが、現実には多数派ではなく少数派によってこのディストピアが実現されつつあることはさすがに見通せなかったようです。
 

「人生の教え」(The Lesson,1916)★★☆☆☆
 ――彼に初めて会ったのは、蒸気船の上だった。「大陸で休暇を楽しもうというのかな」と男が質問してきた。「ええ」「オランダは魅力的な小国だ。二週間もあれば十分だろう。私はオランダ系ユダヤ人なんだ」「イギリス人のような英語をお話しになりますね」「他に五、六箇国語をうまく話せる」。その後、彼のことは忘れていた。スイスから手紙を受け取るまでは。彼は死の床についていた。「私が死んだら読んでもらいたい手紙がある」。手紙には、彼が死んだ山小屋を空けたままにしておいてくれと書いてあった。

 転生の話だそうです。
 

「海の都」(The City of the Sea,1897)★★☆☆☆
 ――町の住人たちはデーン人を見ると門を開いて云った。「かつて我らは互いに戦った。だが今は平和な間柄だ。今は中に入って、ともに楽しもう」。しかし、デーン人のハーファゲルは応えて云った。「もてなしには感謝する。しかし、我らの剣に残る染みはまだ新しい。外で我らを野営させてくれ。こちらの若者たちには忘れるための時間が必要なのだ」。だが聖者である大修道院長の勧めもあり、デーン人とサクソン人は並んで宴の席に臨み、横になって眠った。そのとき町に邪な声が聞こえた。邪な声が住人を圧倒し、男たちはデーン人に襲いかかった。

 歴史物。
 

「チャールズとミヴァンウェイの話」(The Materialisation of Charles and Mivanway,1896)――死んだと思われていた人が生きているのを見て幽霊だと思ってしまう話。
 

「牧場小屋《セター》の女」
 

「人影《シルエット》」(Silhouettes,1893)――黒づくしの土地に住む黒い人々の道理の通じなさや、四つん這いの人々など、不気味さでは随一でした。
 

「二本杉の館」
 

「四階に来た男」
 

「ニコラス・スナイダーズの魂、あるいはザンダムの守銭奴
 

「奏でのフィドル
 

ブルターニュのマルヴィーナ」

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