『きみはいい子』中脇初枝(ポプラ文庫)★★★☆☆

 2015年の映画化カバー版を購入。正確に言うとカバーではなく、カバーのように書籍全体を覆う大きさの帯が本来のカバーの上にかぶせられていました。こういうのは最近多いですね。

「サンタさんの来ない家」★★★★☆
 ――その子はいつも給食をおかわりしていたのに、やせっぽっちだった。それなのにおかしいことに気づけなかった。そのころ、ぼくのクラスは崩壊しそうになっていた。教師二年目のぼくには余裕がなく、いじめや野次を止めることもできなかった。

 親から虐待されている児童に直接焦点を当てるのではなく、経験の少ない新米教師の空回りを通して描いています。威圧的にコントロールするのではなく、心を通わせて交流することの難しさには共感できました。
 

「べっぴんさん」★★★☆☆
 ――あやめが何か失敗をするたび、あたしはわらう。笑顔を顔に貼りつけて。あたしはママになって嘘が上手になった。百回もガラガラを落とされても笑っているはなちゃんママだって、家に帰ればはなちゃんをひっぱたくんでしょ。

 虐待の問題を、虐待する側から描いた作品です。虐待者も子どものころ親から虐待されていたことも多いというデータもあるように、語り手もまた子どものころに親から虐待を受けていました。虐待が明らかになるきっかけや、虐待をしていた語り手に対する救いなどが、安易ではありますが、何よりも恐ろしいのは虐待している語り手に共感してしまいそうになる語りの巧さでしょう。
 

「うそつき」★★★☆☆
 ――優介が生まれたとき、妻の実家に電話で知らせたら、四月ばかだと思われたことがあった。そんな優介が五年生になった夏、転校生のだいちゃんが遊びに来るようになった。だいちゃんはうそつきだという。まま母がごはんを食べさせてくれないんだって。

 第一話の岡野先生のことが客観的に語られていました。本書で描かれるのは、よその家の子どものこととあって、前二話ほどつっこんだ内容ではありません。「うそ」をSOSとして発信するというのはよく知られたところですが、けれど「うそ」を真実と信じてくれる人のところを拠り所とするというのは新鮮な着眼点でした。
 

「こんにちは、さようなら」★★★☆☆
 ――もうこんなに年を取ってしまった。毎年春になると新一年生が帰り道に玄関ベルを押すいたずらをする。先生に謝られて、わたしの方が申し訳なかった。「おかえりなさい」と声をかけると、その子は「こんにちは、さようなら」とあいさつをしてくれる。いつもと違ってうつむいているので声をかけると、「かぎ、おとしました」という。

 子どもの問題がテーマの作品集かと思いながら読んでいたら、突然ボケ老人の話になって、子どもにかぎらず家族の話なのかな?と思っていたのですが、やっぱり子どもの問題だとわかる仕掛けになっていました。ボケ老人だなんて思ってすみません。
 

「うばすて山」★★★☆☆
 ――「わるいんだけど、三日だけでいいから、おかあさんを預かってくれない?」みわが電話で言った。認知症になった母親は、ぜんぶ忘れてるから大丈夫、と。妹のために、がまんして、預かることにする。何もかも忘れてしまうなんて。わたしのことも忘れてしまうなんて。わたしのこと、あんなに虐待したくせに。

 児童虐待というと被害者が子どもであるのだから、子どもの問題、だと短絡的に考えてしまっていましたが、当たり前のはなし、子どもは成長するのですね。そして被害にあった記憶は消えない。それでも見つけられた、母親とのしあわせな思い出。そんなのは間違いなくきれい事だけれど、虐待されていないわたしのような人間なら、そうしたことを思い出せるくらいの余裕は持ちたいと感じました。
 

  

『現代華文推理系列 第一集』稲村文吾訳(kindle)★★☆☆☆

 中国&台湾のミステリ作家の作品四篇が収録されています。水天一色の作品が目当てでした。単品でも購入できるのですが、未知の作家の作品も読みたいので短篇集を読みました。
 

「人体博物館殺人事件」御手洗熊猫(人体博物館謀殺案,御手洗熊猫,2008)★★☆☆☆
 ――人体博物館に招待された医師、マジシャン、漫画家、モデル、推理作家。やがて怪盗梅澤から予告状が届く。展示されているファラオの黄金仮面を頂戴する……。翌日、ガラスドームから仮面は消え、水で満たされたドーム内には死体が……。名探偵・御手洗濁が事件に挑む。

 ペンネームからもわかるとおり著者は御手洗潔シリーズのファンなのでしょう。島田荘司の名も見えます。舞台も日本で、登場人物が日本のミステリゆかりの名前になっています。視点が定まらず読みづらく、トリックも小細工しすぎてほとんど意味不明でしたし、消去法もまるで説得力がありませんでしたし、動機もあまりにも弱すぎました。中国ミステリはまだまだ途上にあるようです。
 

「おれみたいな奴が」水天一(我這様的人,水天一色,2008/2009)★★★☆☆
 ――研究所の老靳は卑屈な老人だった。パーティでは意地汚く、研究所の備品は失敬し、子どもの頃はいじめられっ子で今は妻の尻に敷かれている。息子が結婚することになり、嫌々ながら社宅の抽選に応募した。ある日、日曜日に出勤してみると、同じ苗字の大研究家・靳がいた。

 島田荘司監修〈アジア本格リーグ〉のなかでも出色だった『蝶の夢 乱神館記』の著者による短篇です。殺人を犯したあとに探偵小説(論)で勉強するという、どう考えても周回遅れな発想が、犯人の駄目人間ぶりを強調しているとはいえ、犯行から何からあまりにも頭が悪すぎて、ミステリとしての驚きや面白さはありません。しかしながら地に落ちるためだけに生まれてきたかのような徹底した駄目人間の描写には、悪人というわけでもないのにここまで嫌悪・蔑み・不快を感じさせる登場人物が書けるものかと、呆然とします。――が、読後感は最低で、イヤミス中のイヤミスでした。
 

「バドミントンコートの亡霊」林斯諺(羽球場的亡霊,林斯諺,2004)★☆☆☆☆
 ――哲学者探偵・林若平は警察の張から事件の相談を受けた。師範学院の鍵の掛かった体育館バドミントンコートのなかから、絞殺された女子学生が発見された。三角形に並べられたシャトルに囲まれて……。管理人が遺書を残して自殺し、事件は解決したかに思えたが……。

 古い時代の安楽椅子探偵ミステリです。長々と関係者の情報とアリバイを列挙してゆくスタイルは正直言って退屈でしたし、計画的なわりには運任せとも言える密室トリックも労力が多いわりにはしょぼくれていました。
 

「犯罪の赤い糸」寵物先生(犯罪紅線,寵物先生,2007)★★☆☆☆
 ――男女の小指を赤い糸で結ぶと二人は一緒になるそうですよ。でも私達のはそんなロマンティックじゃなく、十年前に起きた犯罪なんです。クラブに勤めていた私はお客さん葵にふられて泣いていました……。翠は出来心から葵の息子を攫ってしまった……。一方、近所に住む程は葵に復讐しようとしていた……。

 長篇『虚擬街頭漂流記』の邦訳があります。弱者二人が計画した復讐が交差して……という錯覚を利用した作品ですが、日本ではこの手の作品が多産されているのでさほど驚きはありませんし、あまりスマートな出来ではありません。語り手の夫婦の正体に至っては驚きでも何でもなく、トリックのためのトリックという感じでした。
 

  

『殊能将之未発表短篇集』殊能将之(講談社)★★★★☆

 生前講談社編集部に送っていた「再発見」された短篇三篇に、知人宛ての日記/私小説で没後メフィストに掲載された一篇を加えたものです。
 

「犬がこわい」★★★★☆
 ――世の中の人間は、犬がこわい人間がいることを理解していないらしい。そうでなければ住宅地の真ん中で犬を放し飼いにしようと考えるわけがない。たぶん、二日ほど前に引っ越してきた、光島とかいう男の飼い犬だ。半崎は迂回して家に帰った。次の日はわざわざ裏通りを通ったというのに、待ちぶせしていたように、裏手の通りに犬がいた。

 デビュー後に初代担当者に送っていたミステリ作品。犬嫌いの主人公と住人とのトラブルから始まり、主人公と妻や年頃の娘との日常を交えながら、犬と住人との親密とはいえない関係が浮かび上がってきます。主人公と世間を対置しているように見せておいて、一つのことに二つの側面を持たせる手際が見事です。
 

「鬼ごっこ★★★★☆
 ――とうとう高木を見つけたぞ。黒川から電話を受けた北沢と安原が出向くと、ヤクザの黒川は拳銃と日本刀を用意していた。黒川がバールでアパートの錠を壊そうとした。驚いて顔を出した隣の住人を、黒川はバールで横殴りにする。高木は窓から逃げ出し、軽自動車のドライバーを半殺しにして車を出した。

 メフィスト編集部に請われて送ったデビュー前の作品。ひたすら人を殺しまくって執拗に対象者を追いかけるノワール作品です。一応オチらしいものはついていますが、これはもう罪悪感などこれっぽっちもない北沢たちの行動を堪能すべきでしょう。余計な夾雑物がないぶん、残酷なわりに嫌悪感は抱かずにすみます。
 

「精霊もどし」★★★☆☆
 ――妻を亡くした広永から頼みがあると言われて家を訪れると、死んだ妻を復活させるための儀式をおこなうのに、人が必要なのだという。死者が復活するわけもない……だが目の前には真理子さんがいた。それなのに、どうして肝心の広永には見えないんだ?

 同じくデビュー前の作品。魔法のランプや三つの願いや降霊術――うまい話には裏がある……のバリエーションです。巻き込まれた宮脇こそ災難ですが、単なるアイデアストーリーというよりも、妻を亡くした男の狂おしい想いを際立たせることに一役買っているように思います。
 

ハサミ男の秘密の日記」★★★☆☆
 ――書店に出かけたらメフィストが平積みになっていた。殊能将之が投稿した『ハサミ男』がどうなったか気になっていた。「メフィスト賞!」と書いてある。しかし受賞したならどうして受賞通知が来なかったのだろう? 続きを読んでみたら驚いた。「作者がつかまりません! 電話はつながらないし、電報も住所不明で戻ってきました……」

 磯達雄氏に送られた文章。『ハサミ男』受賞から出版にいたるまでの経緯が、面白おかしく綴られています。作家の伝記的事実にはあまり興味がないのですが、これではまるでバカ家族みたいでほっこりしました。その一方で、SF界に身を置いていた立場からミステリ界の狂騒をチクリとしている批評眼も披露されていました。
 

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『まぼろしの小さい犬』フィリパ・ピアス/猪熊葉子訳(岩波書店)★★★☆☆

 『A Dog So Small』Philippa Pearce,1962年。

 誕生日の贈り物におじいさんから犬をもらえるのを楽しみにしていたベンだったが、届いたのは一枚の犬の絵だった。おばあさんの大切にしていた絵――とはいえ、本物の犬ではない。その絵の裏に書かれた「チキチト チワワ」とは、スペイン語で「とても小さな チワワ」という意味だという。どうしても犬を飼いたいベンの目に、いつしか小さな犬の姿が見えるようになる。目をつぶればその犬に会える……。ベンはその小犬と行動するようになる――。

 子どもの空想もの、といって片づけてしまうには、あまりにも夢がありません。読んでいるあいだ、ベンと一緒に空想にワクワクするのではなく、ベンを憐れんでしまいました。

 どれほど犬を楽しみにしていたとはいえ、おばあさんやおじいさんも優しさに溢れ、家族にも恵まれているのに、妄想に逃げ込んでしまうなんて。

 ベンに対し距離感を置いた感想をいだいてしまうのは、この作品の持つ現実との距離感のためだと思います。

 ベンの空想に現れるチキチトは、所詮現実には存在しません。目をつむっていてもどこへでも連れていってくれるわけではありません。けれどベンにはそのことがわからず、ついには一家で引っ越すことにもなります。

 これは家族に理解があって犬を飼うためというよりも、完全に病気療養でしょう。最後に現実の犬と向き合い、ベンはようやく正常に戻った、と言えますが、ひどくビターな作品でした。
 

  

『ばけねこのおよめさん』大海赫(復刊ドットコム)★★★★☆

 風に飛ばされた帽子は、ばけねこの頭の上に乗ってしまいました。帽子を返してほしければ、お嫁さんになれ、と脅すばけねこに、トコは「うまく化けたところを見せてくれたら」と答えました。

 傑作『ビビをみた!』の著者による絵本です。ばけねことトコの愛らしくも不気味なぎょろ目が印象的ですが、それ以外にも画面に登場するあらゆるものが生きているのが不思議な世界に説得力を持たせています。きばっていた太陽は次の場面ではやる気がなさそうです(^^;。太陽や風船に顔があるのはまだわたしの想像の範囲内ですが、雲(?)でしょうか画面上部を覆う天に目があったり、飛行機に目があったりするところは、さすが作家の想像力だと思いました。

 文章ページの天地を走っているトコとばけねこの百面相の帯がかなり可愛いです。
 

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