『怪談撲滅委員会 幽霊の正体見たり枯尾花』黒史郎(角川ホラー文庫)★☆☆☆☆

 存在しない幽霊を退治するのではなく、実際に害を及ぼしている怪談を撲滅する――こうしたあらすじとタイトルだけ見たなら、怪談を自然現象として解体したり科学的に解明したりする話だと思ってしまいますが……。

 実際のところは違います。

 幽霊は「幻覚」だそうです。なのでそれを消すためには、幽霊のいる場所に大きな縫いぐるみを置いて見えなくします。あかいちゃんちゃんこに言い返して言い負かします。

 ……くだらない。

 結局のところ幽霊が実在するか実在しないのかという設定の違いはあれど、やってることは幽霊退治のようなものです。しかし実在しない以上は物理攻撃もできないので(自分に対する)心理攻撃に終始します。ようするに「幽霊なんていないと思い込ませる」。

 ある意味で正しいとも言えますが、こういうことをやるのなら、もっともっとキャラを立ててもっともっとハッタリを利かせてくれなくちゃ面白くありません。

 超ド級の怖がり・大神澪は、事情により七不思議ならぬ“21の怪談”がある白首第四高校に入学してしまった。友達も作らず怪談を避ける日々を過ごしていたが、突然、破天荒な不良・雲英の脅しにより、「怪談撲滅委員会」――有害な怪談の撲滅を目指す組織の一員となることに。早速、“あかいちゃんちゃんこ”が出ると噂のトイレに連れていかれ……!? 超怖がり少女と不良青年が学校の怪談を“口撃”する、前代未聞の学園ホラー!(カバーあらすじ)

  

『シャーロック・ノート 学園裁判と密室の謎』円居挽(新潮文庫nex)★★★☆☆

 探偵士が社会的に認められている世界を舞台に、探偵養成学校に通う少年・成《なる》が遭遇する三つの事件が収録されています。

 一話目は新入生に紛れこんだ特待生(特究生)をさがす……というか、特究生を当てる推理ゲーム。

 二話目は成がいかにして学園に入学することになったかの前日譚。

 三話目は、二話目の犯人との一騎打ち、が描かれていました。

 円居挽らしいディベート・ミステリで、二転三転というよりはロジックをゴロゴロ転がしてゆく過程を楽しみました。

 なぜか黒死館や鬼貫警部が登場します。

 あからさまにシリーズものの序盤なので、投げっぱなしのネタが多々存在しています。

 剣峰成《つるみね・なる》は退屈していた。都内屈指の進学校にもかかわらず、クラスメイトは凡庸な生徒ばかり。目指す高みには到底たどり着けそうにない……。そんな成の前に現れた少女、太刀杜《たちもり》からん。彼女との出会いをきっかけに、成は鷹司《たかつか》高校の真の姿を目の当たりにする。論理と論理をぶつけ合う学園裁判。殺人と暗号。連続密室爆破事件と犯人。若き才能が放つ、青春×本格ミステリの新機軸。(カバーあらすじ)

  

『幻想と怪奇』3【平井呈一と西洋怪談の愉しみ】(新紀元社)

「夢と嵐の海 平井呈一訳に導かれて」佐野史郎

「A Map of Nowhere 03:マッケン「眩しい光」のカルディ島」藤原ヨウコウ

平井呈一のマッケン」南條竹則
 

「消えた心臓」M・R・ジェイムズ/平井呈一(Lost Hearts,M. R. James,1904)★★★☆☆
 ――スティーヴァン少年は親と子ほども年齢のへだたった実の従兄アブニー氏に引き取られた。その晩、少年は不思議な夢を見た。寝室のある二階の廊下のはずれに使用していない浴室があり、扉のガラス越しに中を覗くと、浴槽のなかにだれか横たわって、怪しい微笑をたたえていた。

 この話自体、読むのは初めてです。「縉紳雑誌」と訳された言葉の原文が気になって確認してみると、何のことはない「the Gentleman's Magazine」でした。じわじわと盛り上げて盛り上げて、肝心の場面は書かずに、メモの引用と簡単な事実の報告だけで済ますのですが、それだけにタイトルにもなっている「消えた心臓」のイメージが尾を引きます。
 

「謎のクリーオール事件」小泉八雲平井呈一(A Creole Mystery、Lafcadio Hearn,1880)★★★☆☆
 ――その女主人と女中は、ハヴァーナからつれだって来たのだった。女主人は雛には珍しい蛇のような美人で、女中の目つきは睨まれたらなにもかも焼きつくしてしまうようなだった。たまに客が訪ねてくることがあったが、たいがい顔いろの冴えないスペイン語を話す男たちであった。とかくするうち色の浅黒い外国人の訪ねてくる度数が頻繁になってきた。

 新聞記者時代のコラムより。いつの時代も余所者は怪しく思えてしまうもので、1880年ならなおのことだったのでしょう。「スペイン語」や「カタロニア語」とあるところを「どこの言葉とも知れない言葉」とでもすれば、完全に怪奇小説になるでしょう。
 

「眩しい光」アーサー・マッケン/平井呈一(The Dazzling Light,Arthur Machen,1915)★★★☆☆
 ――今次の戦争も今や伝説の多産の母である。一九一四年八月十六日のことだった。スミス少尉がパイプを吹かしていると、朝日が修道院の窓にピカリとあたった。次の瞬間スミスはその場にいながら全然べつの田舎の風景を見ていた。「甲冑《よろいかぶと》をつけた何千何万という人間が行進して行くんです。そのまた甲冑が千差万別でね。……」

 これが平井節というもので、甲冑云々というところだけ読んでいると日本の話なのだと勘違いしてしまいそうになりました。
 

「池の子たち」アーサー・マッケン/平井呈一(The Children of the Pool,Arthur Machen,1936)★★★☆☆
 ――二年前の夏、わたしはウエールズ国境に近い郷里の郡の旧友のところを泊り歩いていた。ある日、由緒ありげな農家に足を運んでみると、そこには久しく会わなかった旧知ジェイムズ・ロバーツがいた。「二た晩前のことだが、森をぬけて小川へ出る道を歩いて行ったんだ。すると『ロバーツ!』と、ぼくの名を呼ぶ声がする。若い女の子のような声なんだよ。ぼくは飛び上がり、一目散に家へ戻ってこの部屋に閉じこもった」「森のなかを歩いているのを見た女の子と友達が、脅かしてやろうとたくらんだんだよ」「もう隠しだてしないが、二十五年前ロンドンへ出た時分、おれは黒い落し穴にはまりこんでしまったのさ」

 過去の不祥事も忘れたころに、物々しい雰囲気の環境が引き金となって、何かやらかしたという記憶だけが爆発的に増幅されて、ありもしない声を聞くという、超自然とも違う、フロイト的解釈とも違う、ある意味では至極あたりまえの結論にむしろ意外性がありました。周囲から隠された不気味な池やウエールズ語などの恐怖を後押しする道具立てに、何とも言えない嫌な気持を掻き立てられます。
 

平井呈一とその時代」紀田順一郎
 紀田氏が平井呈一の名を初めて知ったのは、『魔人ドラキュラ』の訳者としてであるらしいと知り、わたしの場合は何だったろうと思い返してみましたがはっきりしません。初めて平井訳に接したのは恐らく『吸血鬼ドラキュラ』のはずだけれど、訳者名を意識してはいなかったと思うので、『恐怖の愉しみ』『怪奇小説傑作集』あたりの編訳者としてでしょうか。

 永井荷風偽書事件はこれまでにもそれについて書かれた文章を読んでいますが、いまいち全容がわかりません。少なくとも擁護者の文章を読んでさえ、平井呈一が一方的に悪いように感じてしまいます。そんなかか『四畳半襖の下張』に絡んで、「平井に容疑を覆いかぶせようとするか、少なくとも世の関心を平井へと転嫁させようという意図がなかったとはいえまい」という紀田氏のコメントがしっくりきました。
 

「これで怖くなかったら、木戸銭はお返しする――平井呈一訳『吸血鬼ドラキュラ』考」下楠昌哉
 現在でこそ他社から別人による翻訳も出ているものの、それでも日本人にとっての『ドラキュラ』とは飽くまで平井呈一訳なのだと気づかされます。原文ではジョナサン・ハーカーはヒーローでも何でもない情けない人物なのだそう。創元の平井訳からカットされた冒頭の断り書きに言及し、本書が「パニックに陥った人々が慌てて書いた文書の集合体」だという説明も、平井訳でしか『ドラキュラ』を知らない人間にはありがたい指摘です。
 

「〈東西怪奇実話〉企画編纂夜話 もしくは平亭本の奇縁」東雅夫
 なるほど創元推理文庫から近刊予定の『世界怪奇実話集』『日本怪奇実話集』で成立したんですね。平井呈一編『世界怪奇実話集』をまるごと一冊取り込んだ、二冊で一つのアンソロジーだと言えそうです。
 

平井呈一年譜の作成を終えて」荒俣宏
 今秋刊行予定の平井呈一年譜の成果の一部が披露されています。「伝記」ではなく「年譜」なんですね。
 

タペストリーの間」ウォルター・スコット和邇桃子訳(The Tapestried Chamber,Sir Walter Scott,1828)★★☆☆☆
 ――ブラウン将軍が西部地方を旅行中、見ごたえのありそうな名城を見つけてみると、旧友ウッドヴィル卿の城であった。旧交を温めた翌日、将軍は朝から散歩に出て、早馬での出立を命じられたから失礼すると言い出した。事情をただすウッドヴィル卿に、将軍は昨夜部屋で起こった出来事を話した。絹ドレスのきぬずれとハイヒールの足音で目を覚まし、老女らしいその後ろ姿が振り向くと……。

 剛の者が肝試しをして痛い目を見る話はよくありますが、豪胆なのを勝手に期待されて事実を伝えられないまま一方的に幽霊部屋に泊まらされ、友情も破綻するというのがユニークでした。
 

「五尋の深みに」アリグザンダー・ウールコット/植草昌実訳(Alexander Woollcott,Full Fathom Five,1929)★★☆☆☆
 ――二十世紀も始め頃の話、二人の姉妹が乗った車が故障してしまいました。月明かりの下で目につくのは、明かりも灯さぬ木造のぼろ家ばかり。姉妹は車から毛布を取ってきて、床で寝むことにしました。横になっているうちに、暖炉の前に、ありもしない火で濡れた衣服を乾かそうとしているかのように立つ、男の姿を目にしたのです。海から上がってきたのか、水滴がしたたっています。

 いま読むと怪談そのものの出来云々よりも、伝言ゲームのように都市伝説が作られてゆく過程を記したかのような《後記》に面白さを感じました。次の「コート」と共に、平井呈一が『THE HORROR』第二号で「MY TWELVE NIGHTS」の一篇に選んでいた作品とのこと。
 

「コート」A・E・D・スミス/野村芳夫(The Coat,A. E. D. Smith,1934)★★☆☆☆
 ――わたしは職場の連中から変人だと思われていた。せっかくの休暇に自転車旅行を選んでびしょ濡れになり、ようやく荒れはてた家に足を踏み入れた。古い薪が大量に見つけ、戻ろうとしたところでふと立ち止まった。厚く積もった埃の上を誰かが駆け上がって何かを引きずったような跡がついていた。その跡をたどると、古い虫食いコートがコート掛けに掛かっていた。

 怨念が物に宿るという話はよくありますが、倒したと思った相手がふたたび甦ってくるのは、さり気ない描写とはいえさすがに恐ろしかったです。
 

「幻のニーナ」F・マリオン・クローフォード/遠藤裕子訳(The Doll's Ghost,F. Marion Crawford,1896)★★☆☆☆
 ――グウェンドリン嬢が階段から落ちて壊れてしまった人形のニーナが修理に出された。ドールドクターのパックラー氏はひと目でニーナに恋をした。ニーナは見事に修繕されたが、パックラー氏は別れを惜しむあまり自分の手で引き渡すのに忍びなく、遅い時間だというのに娘のエルスに届けに行かせた。エルスはなかなか戻ってこない。心配するパックラー氏の耳に、「パ・パ」という声が聞こえ、ニーナの姿が現れた。

 大事にされた人形による報恩譚ですが、パックラー氏の愛情がさほど詳細に描かれているわけでもなく、恩返しに説得力を感じません。
 

「屋根裏部屋の声」A・M・バレイジ/植草昌実訳(The Attic,A. M. Burrage,1926)★★★☆☆
 ――フォーブスは旧友テルフォードに招かれて屋敷を訪れた。「どうも陰気くさいな」というのが第一印象だった。客間に向かう途中、屋根のほうから子供が怯えて泣く声がする。「故障した煙突の通風帽さ」とテルフォードは笑った。だが夜になって眠ろうとするフォーブスの耳には、通風帽の音には思えなかった。学校の休み中に滞在しに来たテルフォードの義弟デレクも、何かを感じたのか無断で立ち去ってしまった。

 住人たちが何も感じてもいないし不都合もないのに、やたらと幽霊屋敷だと大ごとにしたがフォーブスがうざったくて参りました。実際のところ幽霊は確かに存在していたわけですが、何の実害もないんですよね。過去におこなわれていた事実が恐ろしいものだった【※当時学校だった屋敷の教師による生徒虐待】ということと、霊感のある人間がそれを目撃してしまうというだけで。しかも日本的な感覚ならば、真実を訴えようとしていた被害者生徒が成仏しておしまいとなるのですが、これは事実が暴露されておしまいという即物的な内容でした。そうした感覚の違いが興味深かったです。
 

「ベールの女」E・F・ベンスン/圷香織訳(The Woman in the Veil,E. F. Benson,1928)★★★☆☆
 ――ホテルの窓からほんの二ヤードほどのところに女が立っていることに気づいた。目は飛び出し、口をだらりと開け、顔は黒ずんでいる。ラウンジに出るとドアマンが鍵をかけ終えたところだった。「まだ外にご婦人がいたが」「いいえ、到着した方はいません」ドアマンは困惑したように窓の外に目をやった。

 かなりオーソドックスな幽霊譚で、恨みによって化けて出るという心霊譚ふうの理由づけは、むしろ(悪い意味で)現代的といってもいいでしょう。
 

「白い蛾」シンシア・アスキス/大友香奈子訳(The White Moth,Cynthia Asquith,1947)★★★★★
 ――出張から帰ってくると出版社は新人の少女詩人の話で盛り上がっていた。今度ばかりは詩が官能小説なみに売れているのだ。翌日、出版社のパーティが開かれたが、みんなはイヴリン・ドーンに失望していた。がっしりしたからだつきの、鈍重そうな娘が、表情にパニックを募らせている。厳しい質問にさらされていた少女に向かって、わたしは部屋が暑いという話題を選んだ。それが息抜きとなったようで、少女はわたしに打ち解けてくれた。いつまで経っても二作目の原稿が送られてこないことに社長が業を煮やし、わたしはイヴリン・ドーン――というより本名のジョイス・レッグ――の家を訪れた。「あれがまた起こらなかったの」見せる作品は何もないと少女は答えた。

 さまざまな思いが絡み合った名作です。怪異の核となっているのは、叶わなかった詩人という望みを果たそうとする少女の思いなのですが、取り憑いたのは詩人になりたくない少女だったというのが哀し過ぎます。にもかかわらず、望まぬ親の希望を押しつけられるという要素はどちらの少女にも共通しているというのが何とも言えない気持にさせられます。そしてまた、優れた詩作が世に出ないというのは芸術の面から言えば悲劇というほかないことを考えると、ジョイスにも完全に同情しきれないところもあります。
 

「非聖遺物」M・P・デア/伊東晶子訳(Unholy Relics,M. P. Dare,1947)★☆☆☆☆
 ――ぼくと幼馴染みのグランヴィルは独身者ふたりで平和に暮らしている。数年前のこと、アルビジョア十字軍について研究をしていたぼくたちは、これまでにない資料に行きあたった。トゥルーズのマンスン神父は旅行案内書には載っていない情報を授けてくれた。サン・セルナン大聖堂には素晴らしい聖遺物のコレクションがあり、イングランドの聖人の遺物もあるという。大聖堂に見学におとずれたぼくは、ふと出来心を起こして聖人の骨をイングランドに持ち帰ろうという気になったが、地下に閉じ込められてしまい、妖術師が豚の血で邪悪な霊を呼び出そうとしたという言い伝えを思い出して怖くなった。

 怪異としては見るべきところはなく、ただひたすら腐った死体が起き上がってくるだけです。そうして死体と一緒にダンスを踊り続けるというスラップスティックが繰り広げられる珍品でした。
 

「ミスター・ケッチャム」マイクル・チスレット/植草昌実訳(Meeting Mr. Ketcham,Michael Chislett,1997)★★★☆☆
 ――道に迷ったと認めざるをえない。標識の先には円形古墳が盛り上がっていた。「ねえ、ケヴィン、見にいってみない?」フューシャが言った。「望むところさ」ケヴィンも車から降りて塚まで歩いた。「ここは国じゅうの古墳とレイラインでつながっている。ドルイドたちはよく知っていた」フューシャが言った。車に戻ると虫の群れが運転の邪魔になった。やがて蠅の群をかき分けるようにして人影が現れた。「そこで何が起きたか、誰も夢にも思いますまい」「昔――何千年も前に」「いえいえ、そんなに昔のことではなく、二、三百年前のことです」

 M・R・ジェイムズ研究誌にこつこつと作品を発表している非職業作家で、本作もジェイムズへのオマージュだそうですが、湧き出る蠅や絞首刑の生々しさからはジェイムズ流の正統派怪奇小説よりもスプラッタなモダンホラーを感じます。いつの間にか異なる世界に迷い込んでしまったという点は、グロテスクになった『ミステリーゾーン』といった趣もありました。
 

「ジャスパーはそこにいる」ラムジー・キャンベル/夏来健次(Just Behind You,Ramsey Campbell,2005)★★★★☆
 ――教師の仕事を守るためとはいえ、校長の息子ジャックの誕生パーティーに息子のトムと共に参加したのを後悔していた。ジャックは無作法な子どもで、プレゼントの包装紙を投げ捨て、ケーキにツバを吐き、取り巻きたちと示し合わせてトムに恥を掻かせようとしていた。かくれんぼでトムが鬼になったとき、ぼくはジャスパーのことを思い出していた。嫌われ者のジャスパーを一人残して〈だるまさんがころんだ〉をしている最中、体育館の屋根に隠れていたジャスパーが屋根から落ちて死んだのだった。誕生パーティーの料理は何ものかに残らず齧り取られていた……。

 欧米の作品にときどき登場する、異常なほどの悪意を持った子どもというのは何なんでしょうね。日本のいじめっ子とはまた異質に感じます。馬鹿親と悪童に対して何も出来ない雇われ人の苦悩が、自分の子ども時代に身近にいた悪童の記憶と重なることで、精神的に追い詰められて爆発してしまうまでの過程が巧みに描かれています。そう仕向けたのはかつての悪童ジャスパーの霊であり、直接的な行為ではなく自分からするよう仕向けるところに尋常ではない悪意を感じます。無論、語り手の妄想という可能性は最後まで残されています。
 

「闇に叫べば」ジェマ・ファイルズ/安原和見訳(Halloo,Gemma Files,2018)★★☆☆☆
 ――闇のなかの声、それはそんなふうに始まる。ねえ、聞いてる? わたし――。冬は一日じゅう眠っていたい。母から電話がかかってきて、挨拶もなしで切り出した。「学生が家賃を踏み倒して逃げちゃって、だからあんた、あんたの彼女といっしょに見てきてよ。車持ってるんでしょ」。祖母はその家で死んだ。以前キッチンのドアを蹴って穴をあけたことを思い出した。

 少女時代に犯した罪の自意識に苛まれる話ですが、母親も毒親だというのが事態を複雑にしています。
 

「シンシア・アスキス編 怪奇小説アンソロジー総目次」『幻想と怪奇』編集部編
 『淑やかな悪夢』の著者表記が「シンシア・アスキス他」となっているのと、平井呈一による翻訳があるのとで、名前はけっこう知られていると思うのですが、意外と邦訳は少なく、アンソロジーも抄訳一冊を除けば翻訳されていないというのは意外でした。
 

  

『冬雷』遠田潤子(東京創元社)★★★★☆

 真琴のことが好きだった夏目代助は、愛美がストーカーの果てに自殺したことを愛美の兄・龍から今でも恨まれていた。行方不明だった義弟の千田翔一郎の死体が発見され、代助はかつての養父たちの住む町に戻って来た。愛美とのことで町ではあらぬ噂を立てられ、千田家からも絶縁されていた代助は、翔一郎に最後の別れをさせてもらうこともできなかった。

 鷹匠の家の者(代助)と神社の者(真琴)とは一緒になれない。そんな大時代的な町が舞台になっているのですが、現代が舞台であるにもかかわらず、そうした前時代的で因習のはびこった町の描写に違和感を感じさせません。横溝正史作品のようなどろどろした異世界(?)の村を設定しなくとも、こういう世界を描けるんですね。

 中盤は過去パート。如何にして破滅が訪れたかが描かれています。噂や思い込みや共同体の損得勘定だけで動く日常生活もさることながら、中学から高校に上がっても人間関係は変わらない、なんて細かいところに田舎のいやらしさのリアリティを感じます。

 そして舞台は再び現代に。翔一郎を殺したのは誰か? 不自然な愛美の日記と遺書に隠されているのは? 愛美の真琴への態度が変わったのはなぜか?――

 明らかになる真相は、これまでのせっかくの現実らしさをぶち壊すような、どろどろ系の事実でした。人一人の尊厳どころか命よりも、共同体の安定を望もうとするところは薄ら寒くなります。構成する個々人ではなく、システムや組織そのものを愛する人というのはどこの世界にもいるものです。「どちらを選んでも間違えた」――人一人のプライドや選択なんかではどうせ変わらなかった……と思えば気は安まるでしょうか……。

   

『S-Fマガジン』2020年10月号No.741【ハヤカワ文庫SF創刊50周年記念特集】

「ハヤカワ文庫SF50年の歩み」渡辺英樹
 「40年の歩み」に加筆修正したものだそうですが、さすがに十年前の記事は覚えていません。創刊当初はハヤカワ・SF・シリーズとの差別化を図ったスペース・オペラなどの大衆娯楽路線だったこと――今となってはSF文庫の特徴でもある「青背」も、第二期になって登場した当初は、娯楽路線の「白背」とは違う本格SFを志向していたこと――など、新鮮に読めました。そして表を見て驚いたことに、今でも白背が新刊SF文庫の45%も占めています。白背なんて見たことないぞ……といぶかしんだのですが、本文を読んで納得。ローダン・シリーズが白背なんですね。
 

「ハヤカワ文庫SF創刊50周年記念エッセイ Part1 ★ 新世代SF作家による「わたしのいちばん好きなハヤカワ文庫SF」」石川宗生・小川哲・高山羽根子・酉島伝法・他
 小川哲氏の一冊はロバート・J・ソウヤー『ゴールデン・フリース』。文体にも凝っているのはサービス精神なのか照れ隠しなのか、いずれにしろ格好いい文章です。高山羽根子氏の一冊は『レ・コスミコミケ』。「ちょっとばかり現実が息苦し」い現在に配慮して選ばれています。
 

「ハヤカワ文庫目録[1976年版]再録」
 よく書店においてある出版目録の1976年版をそのまま掲載。う~ん……資料的価値なのかな。。。
 

「祝・50周年! ハヤカワ文庫SF」渡邊利道×鳴庭真人×冬木糸一
 微妙な人選に感じるのですが、鼎談メンバーも世代交代してきているのでしょうか。

 鳴庭氏が指摘している、「最近の創元SF文庫は、とにかく『受賞作』ということを押し出してきますよね」というのは、むしろ今も昔もハヤカワSF文庫のイメージなのですが、渡邊氏はそれを「最近のヒューゴー、ネビュラ受賞作は多様性の話とか、文学性が高いものとかが獲りがちな傾向があって、創元さんはそのあたりをまとめて導入してやろうという気持ちがあるんじゃないかな」と分析していました。冬木氏もそれに同調して、「(創元の文庫には)編集者の問題意識というか、こういうのを出していくぞという傾向があるのはけっこう感じます」とコメントしています。

 それに続けて渡邊氏が、創元から出ている文学系として、レイ・ヴクサヴィッチ『月の部屋で会いましょう』、マーク・ホダー《大英帝国蒸気奇譚》シリーズ、ジョー・ウォルトン『わたしの本当の子どもたち』のタイトルを挙げていました。レイ・ヴクサヴィッチは岸本佐知子のアンソロジーでおなじみですし、ジョー・ウォルトンも好きな作家なので、マーク・ホダーの《大英帝国蒸気奇譚》シリーズも気になります。確認してみると『バネ足ジャック』のシリーズなんですね。受賞作紹介当初と邦訳刊行当初に気になりながらも買いそびれて読みそびれていただけでした。

 渡邊氏は日本でYAがあまりヒットしなかった理由についても、「日本では読者の興味がライトノベルのほうにふれていて、あんまり注意を向けられなかったのかなと」分析していて、腑に落ちるコメントが多かったです。
 

「ハヤカワ文庫SF創刊50周年記念エッセイ Part2 ★ SF翻訳家による「わたしのハヤカワ文庫SFベスト翻訳」」大森望・小野田和子・小尾芙佐中村融山岸真・他
 

「SFのある文学誌(72)大江健三郎的想像力1――核をめぐる過剰もしくは貧困」長山靖生
 

「書評など」
『カラー・アウト・オブ・スペース―遭遇―』は、片仮名タイトルからもわかるように、ラヴクラフト「宇宙からの色(異次元の色彩)」の映画化です。ラヴクラフトが苦手なわたしですが原作は好きな作品の一つなのでこれは楽しみ。

◆海外作品は話題作が目白押しです。劉慈欣『三体II 黒暗森林(上・下)』、『時のきざはし 現代中華SF傑作選』、シオドラ・ゴス『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』。週末翻訳クラブ「バベルうお」による翻訳小説同人誌『BABELZINE Vol.1』は、未訳作品11篇を収録したアンソロジーですが、SFに限られているわけではなさそうです。
 

「2018年4月1日、晴れ」劉慈欣/泊功訳(2018年4月1日晴,劉慈欣,2008)★☆☆☆☆
 ――横領した大金を使って寿命を三百歳まで延ばせる「基延」技術を受けるかどうか、もう二、三カ月は迷っていた。躊躇している一番の理由は簡簡の存在だ。彼女と離れたら、たとえ二千年生きたってなんの意味があるのだろう。

 貧富の差による健康格差など、アメリカで現に問題となっている要素を取り入れているところに現代性を感じるものの、よくあるディストピアではあるし、最後は人生哲学的な話になってしまうのも興醒めです。
 

大森望の新SF観光局(74)「世界SF作家会議」の舞台裏」
 フジテレビで放送された、冲方丁・小川哲・新井素子藤井太洋・劉慈欣も参加した「世界SF作家会議」について。Youtube で公開されているので見てみましたが、面白かったです。
 

「乱視読者の小説千一夜(67)One Foot in the Grave」若島正
 ピーター・ディキンスン『Some Deaths Before Dying』。
 

ピグマリオン(後篇)」春暮康一

「火星のレディ・アストロノート」メアリ・ロビネット・コワル/酒井昭伸(The Lady Astronaut of Mars,Mary Robinette Kowal,2013)★☆☆☆☆
 ――63歳になったエルマだったが、今もNASAのデータベースには登録を続けており、ふたたび宇宙に行くのを諦めたわけではない。寝たきりの夫ナサニエルとエルマの看護師であるドロシーは、子どものころにエルマと会ったことがあり、エルマからもらったパンチカードで作ったワシを今も大切に持っているという。やがて、身体に影響のあることから若者にはまかせられないミッションの依頼が来る。引き受ければまた宇宙に行けるし、夫の死に目を見ずに済む。だが夫を残して行くことにも躊躇いはあった。

 ヒューゴー賞受賞作。本誌巻頭で紹介されている新刊『宇宙へ(上・下)』の後日譚。というか、発表はこちらの方が早いので、2018年の『宇宙へ』の方が本篇の前日譚ということになります。老いて一線を退いた宇宙飛行士が、一躍時の人となるきっかけとなった若いころのエピソードが『宇宙へ』ということのようです。かつてパンチカードで作ったワシの形=子どもを産むか産まないかの深層心理というのがあまりにも頭で作っただけの筋書きであるうえに、病身で先の長くない老夫という設定ともども、主人公の葛藤のダシに使われているだけの底の浅い物語でした。
 

「SFの射程距離(6)ストーリーに書けないものが見たい」池上高志
 熱い人です。元になったインタビュウの全容が http://aisf.work/oralhistory で読めると書かれているのですが、読めませんね。。。
 

  


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