『幸福手配師パーカー・パイン』アガサ・クリスティ/小西宏訳(グーテンベルク21)★☆☆☆☆

『幸福手配師パーカー・パイン』アガサ・クリスティ/小西宏訳(グーテンベルク21

 『Parker Pyne Investigates』Agatha Christie,1934年。

 訳者名からすると、創元推理文庫『パーカー・パインの事件簿』旧版の電子版のようです。パロディ的要素の強い前半6篇と普通のミステリっぽい後半6篇に分けられます。前半も後半もワンパターンなのが退屈でした。
 

「中年の人妻の事件」(The Case of the Middle-aged Wife,1932)★☆☆☆☆
 ――「あなたは幸福ですか? 幸福でないかたは、パーカー・パイン氏にご相談ください」。パッキントン夫人が夫の浮気について相談したところ、クロードというジゴロが現れ……。

 統計に基づいて不幸な人を幸福にするというパーカー・パインものの第一作。自分も浮気をして相手に嫉妬させて立場を逆転させるということを戦略的におこなう、ロマンス小説のパロディになっています。よほど恋に盲目でない限り戦略(というか駆け引きというか)するのは現実でも変わらないと思うのですが、この作品の場合は戦略を立てるのが第三者であるため、当事者たちは何も知らずにロマンス小説の世界を味わえることになります。そうは言っても大筋がロマンス小説なので、読むのがキツイ。
 

「不満な軍人の事件」(The Case of the Discontented Soldier,1932)★☆☆☆☆
 ――東アフリカ帰りのウィルブリアム少佐は退屈なのが我慢ならず、危険と興奮を求めてパーカー・パインの許を訪れた。ウィルブリアム少佐がパイン氏に教えられた場所を訪れると、フリーダという女性に出会い……。

 一作目と同じパターンで依頼人は冒険を味わえました。オリヴァー夫人登場。
 

「悩める淑女の事件」(The Case of the Distressed Lady,1932)★★★☆☆
 ――ダフニ・セント・ジョンという女性がパイン氏を訪れた。贅沢して浪費したうえ、穴を埋めようとした賭博でさらにひどいことになってしまった。そんなとき知り合った富豪の女性から指輪の修理を頼まれ、偽物とすり替えてしまったという。どうにかして指輪を返したいというが……。

 なるほどパロディとしてもベタだった二作のあとに変化球を混ぜてきました。こういうところが上手いのだと思います。しかも前二作と比べてもぐっとミステリ寄りになっています。依頼に相応しい解決策を見つけて完遂するためには依頼人を見抜く目も必要ということでしょう、本書のなかにあるからこそ光る一篇です。
 

「不満な夫の事件」(The Case of the Discontented Husband,1932)★★☆☆☆
 ――レジナルド・ウェイド氏は妻を愛していた。もし妻がべつの男を好きだというなら自分が出て行くと考えるほどに。パイン氏に女性を紹介され、そんなことをしては妻にますます疎まれるのではといぶかるウェイド氏に、パイン氏は「あなたは人間性というものを理解していませんね」と告げた。

 夫の浮気に悩む「中年の人妻の事件」とは反対に、妻の浮気に悩む夫の話で、女と男の違いがうまく対比されていました。人間心理に精通し、事実妻の行動までは読んでいたパイン氏でしたが、恋愛に耐性のない馬鹿な男のことは頭から抜け落ちていたようです。
 

「ある会社員の事件」(The Case of the City Clerk,1932)★★★☆☆
 ――「ちょっと、はめをはずしてみたいのです」人並みの会社員であるロバーツ氏は言った。依頼を受けたパイン氏はボニントン氏と会い、図面を手元に保管していた運び屋がボリシェヴィストに殺されたことを知った。

 退屈している依頼人に芝居の筋書きを用意するという点は変わらないのですが、その筋書きが実際の諜報活動と二重写しになっているところに一ひねりありました。
 

「金持の夫人の事件」(The Case of the Rich Woman,1932)★★★☆☆
 ――アブナー・ライマー夫人はお金の使い道に困っていた。退屈して疲れている魂を癒すという医師の治療を受けたライマー夫人だったが、目を覚ますと農家にいて女中のハンナと呼ばれていた。新聞によってハンナと自分が入れ替わっていることを知り、財産横領目的で嵌められたのだと考えた。

 もったいない。これが『死の猟犬』あたりの短篇集に入っていれば、詐欺なのか超常現象なのか芝居なのか読者にもわからないまま楽しめたのに、パイン氏ものの一篇であっては芝居なのは明らかなので楽しみも半減です。ただしこれが雑誌掲載時には前半部分の最終作だったことを考えると、もしやパイン氏は悪い奴だったのでは?と読者が疑う余地もあったのでしょうか。
 

「ほしいものは全部手に入れましたか?」(Have You Got Everything You Want?,1933)★★★☆☆
 ――エルシーはイスタンブール行きの汽車のなかで、かの有名なパーカー・パイン氏を見つけて相談した。夫のエドワードが出張前に「ヴェネチアのちょっと手前が最適の時間だ」という謎めいた手紙を書いていたというのだ。果たしてヴェネチアの手前に差し掛かったとき、火事騒ぎが起き、エルシーの客室から宝石類が消えていた。

 てっきりパーカー・パインを騙る偽物がグルなのかと思いましたが、違いましたね。。。盗みの動機を見抜けないと一見不可能犯罪ですが、目的がわかってみれば不思議でも何でもなくなり謎めいた「ヴェネチアのちょっと手前」も腑に落ちるように、クリスティの騙しのテクニックは小品ながら冴えています。最後には夫妻に幸せが訪れるところに、男女の機微を知るパーカー・パインものらしさがありました。
 

バグダッドの門」(The Gate of Baghdad,1933)★☆☆☆☆
 ――過去においてはバグダッドは死の門であったが、今では三十六時間で旅をすませてしまう。だが道路は穴ぼこだらけなため、車の天井に頭をぶつけて死んだ者もあるという。果たして夜中に悪路を行く車中でスメザースト青年が死んでしまった。

 タイトルはフレッカー「ダマスカスの門」つまり『運命の裏木戸』と同じ詩から採られているということもあり、トミーとタペンス好きとしては期待していたのですが……。冒頭の記事で予想はつくものの、人物なりすましというのはクリスティらしいとも言えます。ただし短篇ゆえキャラクターが書き割りなので、なりすましのためのなりすましという感じで、誰が誰でも驚きも何もありません。前話では男女のロマンスにかろうじてパインものらしさがありましたが、本作にはそうしたパインものらしさすらありません。パインが犯人に罠を仕掛けるに至っては、もはや別人の話です。
 

「シラズの館」(The House at Shiraz,1933)★★☆☆☆
 ――パーカー・パインをペルシアまで乗せた飛行機のパイロットであるヘル・シュラーガルは、初めて運んだ客のことを話した。二人のイギリス人婦人のうち、レディ・エスター・カーはとても美人だったが、気が狂っていた。もう一人の女性、ヘル・シュラーガルが思いを寄せていた女性は、亡くなっていた。気が違っているレディ・エスターが殺したのかもしれない。

 男女の機微を諭して他人を幸せにし、統計によって真実を見抜くところにパーカー・パインものらしさが窺えます。異国が舞台だからこそ可能なトリック(?)で、レディ・エスターが狂人だというのもトリック成立を助けており、その場の勢いだけで考えなしに大胆なことをしてしまうのがこの手の若い女性らしいとも言えますし、大トリック【※ネタバレ*1】を支える細かい要素が張りめぐらされてはいます。登場人物が少ないのも、「バグダッドの門」とは違って意外性を生む効果を上げていました。
 

「高価な真珠」(The Pearl of Price,1933)★★☆☆☆
 ――アメリカの富豪父娘、男前の青年、イギリスの政治家、著名な考古学者、フランス人大佐、パイン氏の七人はヨルダンを旅していた。夕食の席で出たナバテア人が盗賊だったという話題に、なぜか一座はしらけてしまった。翌日、一行が歩いているとき小さなカチンという音がした。富豪の娘が八万ドルのイヤリングを落としたらしいが、どこを探してもイヤリングは見つからなかった。

 さすがに泥棒の話や音による暗示などの伏線が見え見えすぎて、まあそうだろうなあという真相でしかありませんでした。ただし、みんな哀れな人間だという結論を出してみんな幸せになる結末は、なんじゃそりゃという感じはするものの、普通じゃなくて印象に残りました。
 

「ナイル河の死」(Death on the Nile,1933)★☆☆☆☆
 ――グレイル卿夫人はいらいらしていた。船が貸し切りでないのが我慢ならなかったのだ。だが乗客がパーカー・パイン氏だと知ると、自分は毒を飲まされていると相談に来たのだった。一笑に付したパインだったが、今度は看護婦のミス・マクノートンも同じ相談をしに来た。それまでは仮病ばかりだった夫人が、三週間前から本当に具合が悪くなり出したという。しかもグレイル卿が出かけると容態がよくなるのだ。

 パインが犯人に仕掛ける罠があまりにも古くさいうえに、犯人を特定したのも唐突で、解決篇の手続きが雑すぎます。「バグダッドの門」の罠はまだ罠として成立していましたが、今回のはただのはったりで何の工夫もありません。パインに事件を解説させるための話相手としてだけのためにカイロの高官という人物を出してきたのも安易です。グレイル卿夫人がパインに相談しに来た理由というのが、浮気の正当な口実を手に入れるためだという一風変わった女心だった点しか見どころがありませんでした。
 

デルフォイの神託」(The Oracle at Delphi,1933)★☆☆☆☆
 ――ピーターズ夫人がホテルに戻っても、息子はまだ帰ってなかった。ホテルには脅迫状が残されていた。息子が誘拐され、警察に知らせれば息子の命はないという。身代金は一万ポンドだったが、現金払い戻しには困難が山積している。夫人はたまたまホテルに滞在していたパーカー・パイン氏に相談することにした。

 【※ネタバレ*2】だから一作ごとに異なる国を舞台にしていたのでしょうけれど、見知らぬ外国を舞台にした後半一作目の時点でその趣向なのかと疑ってしまいましたし、似たような仕掛けを「バグダッドの門」や「シラズの館」の犯人でやっているので、最終作でそれをやられても今さらというしかありませんでした。

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*1被害者と加害者の入れ替わり

*2この作品のパインは偽パインだった。

『ライオン・キング』(The Lion King,米,2019)★★★☆☆

ライオン・キング』(The Lion King,米,2019)

 ディズニーアニメのフルCGリメイク作品。

 CGもここまで来たのか、という圧巻の映像です。何の前知識もなく観たので、台詞に合わせて口が動く以上はたぶん実写じゃなくてCGなんだよなあ……というレベルでした。虫の動きなんかはまだ不自然ですが。気持ち悪くならないようにわざと作り物っぽくしてるのかな。ライオン勢と比べると、ハイエナは個々の特徴を出そうとしすぎて表情が人間くさすぎました。あとはギャグシーンをどうするかでしょうね。この映画ではギャグシーンは人間くさくすることを選んだようですが。

 直接的な残虐描写はないのですが、映像がリアルなだけに結構エグく感じるところもありました。

 オリジナルのアニメ版を観たことがないので比較はできない代わりに、ストーリーを新鮮に楽しめました。オリジナル公開当時は『ジャングル大帝』との類似が話題になってましたが、叔父による王殺しってのはむしろ『ハムレット』だよなあと思ったり。

 追放と帰還&復讐という王道は勧善懲悪にも似て小気味よいものですが、せっかくの王道を活かし切れていない感がありました。

 父王ムファサの死はもう少し何とかならなかったのでしょうか。あれじゃあとどめを刺したのこそスカーですが、スカーの言う通り実質シンバが殺したようなものでしょう。

 王国を逃げ出して草食動物たちと暮らしていたシンバが王に目覚めるシーンもあっさりしすぎていて説得力に欠けます。もっと豹変をドラマチックに盛り上げられなかったものでしょうか。

 シンバが真相を知る場面も、あれではスカーがただの間抜けでしょう。日本のドラマやアニメはクサすぎて見てられませんが、この作品の場合はもう少しクサく溜めて演出してもよかったのにと思ってしまいました。

 そもそも国土を収めている王っぽい描写があまりなかったうえに、最終決戦でも大臣みたいな鳥とシンバが逃亡先で知り合った二匹を別にすればライオンしか参戦してないので、これで王なの……? 何が王なの……?と思ってしまいました。

 シンバがムファサとの約束を破って影の場所にいったあとも、そこはもっと叱らなきゃだめでしょ?と疑問を感じてしまいました。王としての心構えを説くのは叱った後にすべきだし、シンバもやけに物わかりがよいし、なんだかじゃれ合って終わっちゃいました。

 元が子ども向けミュージカルアニメなので仕方ないのかもしれませんが、全体的に散漫で要素間がスカスカでした。でも映像だけでも2時間飽きずに見てられるので、映画としては満足でした。

 吹替えで見たので、音楽に合わせて無理に歌詞を当てはめるため言葉がメロディに乗っていなくて、音楽に関しては0点です。コーラスとボイスパーカッションが一つ一つ増えてゆく「The Lion Sleeps Tonight」だけはよかったけれど。

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『運命の裏木戸』アガサ・クリスティー/中村能三訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)★★★☆☆

『運命の裏木戸』アガサ・クリスティー/中村能三訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 『Postern of FateAgatha Christie,1973年。

 トミーとタペンス最終作です。クリスティー最後の作品でもあります。

 面白いんですよ。饒舌なタペンスとのんびりしたトミーは相変わらずだし、年を取って昔の冒険を懐かしむ二人の姿には読んでいるこちらも懐かしくなってしまったし。70歳を過ぎてなお木馬で坂を滑り降りるようなわんぱくをするタペンスには嬉しくなっちゃいますし。

 何よりも回想の殺人という趣向がクリスティーは本当に上手くて、引っ越し先に残された古本に隠されたメッセージが見つかる場面には背筋がぞくっとしました。

 メアリ・ジョーダンの死は自然死ではない。犯人はわたしたちのなかにいる。わたしには誰だかわかっている。

 しかも書き手の少年は十四歳で早世していたことがわかります。

 メアリの死にただ一人気づいた少年も口封じに消されたのでは――。

 ところが、中盤以降がだれてしまいます。結局この一つの謎だけで延々引っぱるので、いつまで同じ事をやってるんだとちょっとうんざりしてしまいます。

 表向き見えていたものが違っていたり、無関係に見えたさまざまなものが有機的に結びついたりするような、絶頂期のクリスティーはここにはありませんでした。

 飽くまでトミーとタペンスの物語であって、死者たちの肖像がまったく浮かび上がってこないのも淡泊な読後感を与えます。

 メッセージにあった「わたしたち」から意外な犯人が浮かび上がってくるわけでもなく、犯人や動機は取って付けた感が否めません。【※ネタバレ*1

 機密らしきものの隠し場所も、隠し場所としてはありきたりすぎて【※ネタバレ*2】、やっと見つけたという達成感に乏しかったです。

 解決編に当たるパートもないので、だから事件が解決したというカタルシスはありませんでしたが、たぶん作者は最後もトミーとタペンスに謎解きではなく冒険をさせたかったのだと思います。頭はタペンスの方が切れるけれど、いざというときには頼りになるトミー――それがこれまでも二人のスタイルでした。だから犯人をあぶり出すため(結果的に?)囮になるタペンスと、タペンスの危機に駆けつけるトミー(というか飼い犬のハンニバル)で幕を閉じる大団円は、たとえ謎解きがすっきりしなくとも味わい深い場面でした。

 ときどき出てくる「オペア・ガール」とは何なのかよくわからなかったのですが、「au pair girl」で「イギリスの家庭で,宿泊,食事の代償に家事を手伝う外国人女子留学生」だそうです。

 メアリの死は自然死ではない――タペンスは引っ越し先の旧家で見つけた古本の中から、奇妙な文章を見つけた。持ち前の好奇心がむくむく頭をもおたげ、おしどり探偵トミーとタペンスはさっそく調査を開始した。どうやら、本の持ち主は半世紀前に若死にした少年でメアリというのは彼の育児係だったらしい。彼女の死が殺人であったことを少年は知らせようとしていたのか? 犯罪の生じた起点に向かって進行する異色ミステリ!(カバーあらすじ)

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*1二重スパイに疑われていたカルト団体がスパイを殺した

*2おもちゃの木馬の腹の中

 

『アカシアは花咲く』デボラ・フォーゲル/加藤有子(松籟社 東欧の想像力15)★☆☆☆☆

『アカシアは花咲く』デボラ・フォーゲル/加藤有子(松籟社 東欧の想像力15)

 『Akacje kwitną』Debora Vogel,1935/1936年。

 2006年の再刊によって再評価された、ポーランドイディッシュ語作家の短篇集です。モダニズムモンタージュという言葉から想像できる通り、どこの誰とも特定できないストーリーもつながりもない断片がつらなって構成されていて、こういう実験系の作品は、今となっては逆に古くささを感じさせます。しかも内容が人生とか生とかについてばかりなので、自己啓発系の文章みたいで退屈というよりも気持ち悪い。

 「いっぽう世界の中心では、すべてがモノトーンという誇り高きリズムで進んだ。古典主義的な町、垂直と水平の見事な木が育っていく。

 世界は高価な素材のような灰色の冷たさで縁までびっしり一杯になった。そして生は、情熱という発酵しきった赤茶色の雑草なしに、憧れという鈍く乳白色の雑草もなしに展開していた。そして、この生にこれ以上ぴったりくる雛形は、矩形のかたち以外になかった。

 うん、厨二です。

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『血の収穫』ダシール・ハメット/田口俊樹訳(創元推理文庫)★★★★☆

『血の収穫』ダシール・ハメット田口俊樹訳(創元推理文庫

 『Red Harvest』Dashiell Hammett,1929年。

 ハメットの第一長篇として、また映画『用心棒』の元ネタとして知られる古典の新訳です。初読。

 映画『用心棒』のイメージから、有力者たちを対立させ抗争を引き起こして市《まち》の治安を取り戻すための主人公のヒロイックな活躍が描かれた作品だと思っていたのですが、その過程のいくつかの殺人事件で意外な犯人が描かれているなど、案外きちんと探偵していました。

 ハードボイルド文体ゆえに主人公の感情は最小限に抑えられているため、主人公が町を浄化しようとこだわるのが、殺された依頼人の依頼をまっとうするためなのか、正義を果たすためなのか、どういう理由なのか真意まではいまいちわかりません。仲間の探偵すらも不審を抱くほどで、完全に主人公のスタンドプレーなのですが、読者としても主人公を信じてついてゆくしかないんですよね。

 じめじめしているわけでも、露悪趣味なわけでも、スノッブでも自己愛的でもない、こういうからっとしているところが、ハメットのよいところです。

 市《まち》には四つの巨悪が存在しているのですが、前半で登場するのは賭博業者ウィスパーと警察署長ヌーナンの二者に絞られており、この辺りではまだ主人公の意図はわかるものの全体像はつかみづらく、小さな事件がちょこちょこ積み重なってゆきます。

 そうした状況が変わるのが、中盤を過ぎた「和平会談」からです。ここで主人公が一気に仕掛けます。なるほど機が熟すのを待っていたんですね。ある意味、悪です。市《まち》から悪を一掃するために、一つ二つの殺人が起きるのを待っていたわけですから。

 ここからは一気呵成――とならないのがもどかしい。正直なところ主人公自身が殺人容疑者にまでなるところは余計だと感じました。最終的にはその殺人がきっかけとなって悪人一掃が実現する【※ネタバレ*1】とはいえ、主人公がアヘンで意識朦朧とするのも強引ですし寝起きに見た夢もどういう意味があるのかよくわかりません。殺人の動機もしょぼいですし【※ネタバレ*2】。何より謎が深まってさらに推進力が上がるというよりもむしろ動き出した物語が停滞してしまった感がありました。

 コンティネンタル探偵社調査員の私が、ある町の新聞社社長の依頼を受け現地に飛ぶと、当の社長が殺害されてしまった。ポイズンヴィル(毒の市)と呼ばれる町の浄化を望んだ息子の死に怒る、有力者である父親。彼が労働争議対策にギャングを雇ったことで、町に悪がはびこったのだが、今度は彼が私に悪の一掃を依頼する。ハードボイルドの始祖ハメットの長編第一作、新訳決定版!(カバーあらすじ)

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*1リノに愛人を殺されたウィスパーが、ウィスパーが死んだという情報を確かめに来たリノと相打ちになる

*2四悪の一人の後継者リノがウィスパーの愛人ダイナに騙し討ちにされたと怯えて、逆上したダイナを返り討ちに

 


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