『ミステリマガジン』2022年5月号No.752【カムバック、古畑任三郎】

『ミステリマガジン』2022年5月号No.752【カムバック、古畑任三郎

古畑任三郎とミステリ」三谷幸喜×石原隆
 脚本家と企画プロデューサーによる対談です。「毎回新しいセットを建てるのは無理だろう」という、予算面からの困難さというのは視聴者にはなかなかわからないところです。三谷幸喜の記憶が謎ですが、当初の古畑のイメージは玉置浩二だったそうです。『3番テーブルの客』という実験ドラマもあったんですね。
 

「殺意の湯煙」三谷幸喜(2021)★★★★☆
 ――シャトー二朗は人気俳優である。シャトーは毎月一人で箱根の温泉旅館を訪れると聞いた私は、同じ旅館の一室を予約した。「こんなところで三谷さんにお会いするとはびっくりだ」「シャトーさん、あなたの芝居は最近アドリブが多すぎる。脚本家が心血を注いで書いた台本を、即興の台詞でぶち壊さないで欲しいんです」「ぶち壊した? 私がいつぶち壊した!」もみ合った私はシャトーを突き飛ばし、シャトーはそのまま動かなくなった。翌朝、黒服の刑事が私の部屋を訪れた。「三谷さんですね。古畑と申します」

 朝日新聞に連載されていた「三谷幸喜のありふれた生活」より。まえがき自体もヒントになっていたんですね、やられました。ダイイングメッセージの曖昧さを逆手に取ったような仕掛けが絶妙です。
 

「古畑な『モデル』たち」菊池篤
 カッコ付きの「考察」や妄想の類の気がします。

「ミステリ・ディスク道を往く 特別篇(23) 永遠のフルハタ・ミュージック」糸田屯
 

「おやじの細腕翻訳まくり(25)」

「手負いのトラ」ジョン・ラッツ/田口俊樹訳(The Wounded Tiger,John Lutz,1963)★★★★☆
 ――ハンターのホルカムは、ハンティング関連会社のフォン・アイルから話をもちかけられた。「あなたはほぼすべての獲物を仕留めてこられた。まだ仕留めていないのは人間だけです」「それは法に触れるからね」「弊社の仕事はその動物を仕留める機会をあなたに提供することです。あなたの獲物はこのゲームに参加することに同意しています。獲物の写真や泊まるホテルはまえもってお知らせします」「相手にも同じ情報がいくんだな?」。獲物は前にもゲームに参加したことがあり、ハンティングではホルカムのほうが経験豊富だが、この点を考えると互角の闘いになりそうだった。

 所詮は殺し合いではあるのですが、飽くまでゲームであるがゆえのルールがありました。そこが人殺しやハンティングとはまた違ったところだったのでしょう。対等ではなく自分が上だと思い込んだ時点で結果は決まっていたのかもしれません。
 

「迷宮解体新書(127)誉田哲也」村上貴史
 

「書評など」
『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』宮内悠介は、「G・K・チェスタトン的な逆説推理を特色としている」そうです。

『名探偵に甘美なる死を』方丈貴恵は、竜泉家シリーズ三作目。

『創られた心 AIロボットSF傑作選』は、書き下ろしアンソロジーのまるまんま翻訳書。とはいえ出来はけっこういいようです。

『世界推理短編傑作集6』『短編ミステリの二百年6』。「ジェミニー・クリケット事件」の英版と米版の違いを、ミステリ的な辻褄の点から評価しているのが新鮮でした。
 

「華文ミステリ招待席(4)」

「あなたの人生のマジック」許言《シュー・イェン》/阿井幸作訳(你一生的魔术,许言,2019)★★☆☆☆
 ――名実共に「キング・オブ・ミステリー」であるベストセラー推理作家の高従遠の許に、黒い封筒に入ったサーカスの招待券が届いた。父である古典的推理作家・高元のファンであるという奇術師・呉は、高従遠の小説を批判し、高元の遺稿の場所の手がかりを記した黒い封筒を譲るよう迫った。断ろうとする高従遠に、呉は勝負を持ちかけた。鍵の掛かった金庫の中から封筒を消してみせるというのだ。

 金庫のなかからものを取り出すという不可能ミステリとしては面白いものの、父親の遺言とかいうほとんど意味不明な動機を取って付けたせいで台無しです。ましてや息子がなぜかあっさりと改心してしまうものだから、安っぽさ嘘くささが止まることを知りません。
 

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 ミステリマガジン 2022年5月号 

『ガラスの麒麟』加納朋子(講談社文庫)★☆☆☆☆

『ガラスの麒麟加納朋子講談社文庫)

 悪意や死や心の傷が扱われているにもかかわらず、深くは掘り下げられず、善意で安易にごまかしていると感じました。著者の作品のなかではわりと初期に当たる作品で、新境地に挑んだものの扱いきれずにそれまでの作風で逃げたという印象です。一話目で力尽きてしまったのでしょうか。そもそも日本推理作家協会賞を受賞したのは短篇集ではなく表題作の短篇だけのようです。
 

「ガラスの麒麟(1994)★★★★☆
 ――安藤麻衣子は通り魔に殺された。もっと生きていたかったのに。高校二年の麻衣子は美しく、公募の童話賞も受賞するほどの才能だった。同級生の野間直子は自分が麻衣子だと言うようになり、通り魔の特徴まで詳しく話し始めた。直子の父親は、麻衣子の葬儀で遭った養護教諭の神野に相談する。

 フィクションであることを逆手に取ったような真相が見事です。現実であれば信じるはずもないことでも、フィクションのなかでは信じてしまいますから【※ネタバレ*1】。真相は単純なことですが、何のことはない――とは言えない重さがあります。作中作の『ガラスの麒麟』が余計で、作品全体の完成度を求めた結果嘘くさくなってしまいました。
 

「三月の兎」(1996)★★☆☆☆
 ――無能な改革主義者の校長がわざわざ授業中に呼び出しをかけた。通学中の生徒がおばあさんにぶつかって謝りもせず立ち去り、百万はくだらない壺が割れてしまったという。生徒のタイはえんじ色、二年生のものだった。犯人を見つけろというお達しに、二組の担任小幡は頭が痛い。「そんでさー、そのばあさんったらすっげえコワイ眼でこっちにらむわけ」教室で聞こえたのは川島由美の声だった。

 さすがに校長の話は典型的な詐欺の手口ですから意外性はまったくありません。タイトルになっている「三月の兎」も、会話の一部だけを聞いて誤解してしまった話と関連付けるのは強引すぎます。安藤麻衣子のいたクラスというのがあまり活かされていません。
 

ダックスフントの憂鬱」(1996)★★☆☆☆
 ――幼なじみの美弥とは中学に入ってから口をきく機会もなくなった。そんな美弥から高志に電話がかかってきた。小学生のころ二人で拾った猫のミアが後ろ足から血を流している状態で見つかったという。獣医の話では刃物で切られた傷であり、この日はほかにも同じ傷を負った猫が運び込まれていた。その話を保健の先生にした近所の高校生・直子から、緊急の電話がかかってきた「今日はお天気だから」

 弱い者を狙うのが犯罪者の常ですが、さらには安全圏から狙うという卑劣極まりない犯罪でした。ここで描かれた犯罪は現実にも充分にあり得るわけで、日常のなかに悪意が潜んでいるかもしれないかと思うとぞっとします。
 

「鏡の国のペンギン」(1997)★☆☆☆☆
 ――少女が三人写っている。〈彼〉が殺したのは真ん中の少女だった。右の少女は殺し損ねた。すると残るは……。……学校では安藤麻衣子の幽霊が出ると噂が立っていた。トイレには「後ろにいる。ふりむいたら連れていかれるよ」という落書きが――。担任の小幡康子は養護教諭の神野にそんな話を愚痴っていた。

 助けてほしい人はトイレに籠るとか、ボヤや落書きはSOSのサインだとか、神野の主張が強引で説得力がありません。挙句の果ては見えない人の趣向をやっているのですが、到底納得できるものではありません【※ネタバレ*2】。友人が死んで不安定というのを考慮しても。無理にミステリにせず、思い込みの激しい人だったということにしておいた方がまだ何倍もましでした。
 

「暗闇の鴉」(1997)★☆☆☆☆
 ――伸也は由利枝にプロポーズしたが、「私は誰とも結婚しちゃいけないの。人を殺したもの」という返事とともに、同級生の死と放火を暴く脅迫状を差し出した。伸也はそのことを知っている唯一の人間である、由利枝の母校の神野を問い詰めた。確かにその話を保健室の生徒にしたことがある。だがその生徒・安藤麻衣子は二月に殺された。六月に手紙を出すことはできない。

 前話のボヤ云々はテキトーな思いつきではなく、自身の経験からの発言だったことがわかります。とは言え前話の時点では探偵役しか知り得ない事実なので、後出しじゃんけんにしか思えませんが。本書では誰も彼もが安っぽいくらいに孤独と苦しみにさいなまれており、また、悪意に対してあまりにも楽天的な善意で話がまとめられており、安易でご都合主義なところばかり目立ちます。なお、本作はミステリではありません【※ネタバレ*3】。
 

「お終いのネメゲトサウルス」(1997)☆☆☆☆☆
 ――犯人は初めから安藤麻衣子を狙っていたのではないか。だから直子は殺されずに済んだのでは? 安藤麻衣子は殺されたがっていたのではないか――。直子は夢に見て思い出した。麻衣子が犯人だと思われる「ヒトゴロシ」に電話していたことをと。安藤麻衣子と自分は似てるんです、と神野先生は言う。

 一応のところは一連の安藤麻衣子事件が解決しますが、犯人から被害者から探偵役から、誰も彼もが安っぽいお悩みごっこに興じているとしか思えないような薄っぺらさです。神野先生は推理にかぎらず何事も直感的すぎる(というか感情的すぎる?)のでついていけません。神野先生と同じ経験をしていない読者にも共感できるように書いてくれないと。

 「あたし殺されたの。もっと生きていたかったのに」。通り魔に襲われた十七歳の女子高生安藤麻衣子。美しく、聡明で、幸せそうに見えた彼女の内面に隠されていた心の闇から紡ぎ出される六つの物語。少女たちの危ういまでに繊細な心のふるえを温かな視線で描く、感動の連作ミステリ。日本推理作家協会賞受賞作。(カバーあらすじ)

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*1 麻衣子の幽霊が取り憑いた――のではなく、直前に同じ犯人に襲われていた

*2 視線を感じて振り向くが不審者=男だと思い込んでいたので女は目に入らなかった。しかも不審者は安藤麻衣子そっくりの麻衣子の母親だったから、見たことに気づいてないけど実際には見えていて幽霊だと思った。

*3 謎がないわけではありませんが、ポストに引っかかっていた手紙(よくある問題点らしい)が投函後に取り出され中身をすり替えられたという話と、動物の死体やライターを庭に置いたのは死者の幽霊ではなく鴉であるという話なので、これをミステリとはさすがに呼べません

『諸国物語』(上)森鷗外訳(ちくま文庫)★★★☆☆

『諸国物語』(上)森鷗外訳(ちくま文庫

 森鴎外訳による世界各国のアンソロジー
 

「尼」ヴィーズ("Kyddet",Gustav Wied,1890)★★★☆☆
 ――ブレドガアデからの帰道。兄とおれである。歩いていると、尼が二人向うから来た。年上の方は太っていて、若い方は天使のような顔をしている。「あ。いつかの二人だった。」おれはこう云って兄の臂《ひじ》を掴んだ。いつか日なたぼっこをしているときに見かけて、「どうしてもあれにキスをせずには置くまいと、心に誓いました。ああした口はキスをするための口で、祈祷をするための口ではないのですから。」

 デンマークの作家。現在ではウィードという表記が一般的のようです。短篇集『Lystige Historier』(1896)所収。初出題「Nonnen(尼)」。タイトルの「Kyddet」とは、「肉(Kødet)は弱い」という兄の言葉に対する「肉がですか(Nå "Kyddet!")」という弟の発言によるもの。「Kysset(キス)」とも掛けているのでしょうか。「肉体(肉欲?)は弱い」という兄に対し、「欲望の起った時は、実際それを満足させるより外には策はありません」という持論を持つ弟が、強引にキスを迫って悪びれないという変態小説。人間と猩々との合いの子が云々という描写もあることですし、どうやら理論が先に立つ頭でっかちな人間のようです。
 

「薔薇」ヴィーズ(Roser,Gustav Wied,1906)★★☆☆☆
 ――お嬢さんは薔薇の枝を婆あさんに渡した。「これをねえ、わたしの体へ振り蒔いておくれ。幌の上にもね。」お嬢さんは車に乗って出かけていった。お婆あさんは食卓に薔薇の花を並べてお嬢さんの帰宅を待っていた。「ふん。そんなに甘やかしてどうするのだ。」と主人は言った。お嬢さんと家来のウィクトルと二人で自動車に乗って帰ってくる。

 短篇集『Circus mundi』(1909)所収。無邪気な幸せと、突然の悲劇。人生の一瞬を切り取ったエピソードとして秀逸ですが、ただのエピソードで留まっているのは否めません。
 

「クサンチス」サマン(Xanthis,Albert Samain,1902?)★★☆☆☆
 ――クサンチスは飾箱の中の美しい人形である。公爵の人形と交際していたが、やがて音楽家の青年人形が現れると、音楽家と親しくなった。さらに……。

 フランスの作家。浮気な人形の行き着く先。壊れておしまい、ではなくその先があるのが余計なのですが、いま読むとその余計な部分が印象に残る。余計だけど。
 

「橋の下」ブウテ(Sous le pont,Frédéric Boutet,?)★★★★☆
 ――一本腕は橋の下に来て雪を振り落した。ふと見ると痩せ衰えた爺いさんがいた。パンと腸詰とをじっと見ているが、一本腕は何一つやろうとしなかった。「いろんな事をやってみたが、ひどい奴等だよ、金持と云う奴等は。」「なぜぬすっとをしない。」と爺いさんが云った。「口で言うのは造做《ぞうさ》はないや。」。爺いさんは囁いた「おれは盗んだのだ。ミリオネエルだ。そのくせかつえ死ななくてはならぬ」

 貧乏人同士、生きるか死ぬかの瀬戸際で、お宝を持っているのに現金化できずに野垂れ死ぬのを選ぶ老爺というのはあまりにできすぎで、嘘くさいと呟く一本腕の言葉もあながち捨て台詞とも断定できません。こういう物語らしいドラマのある物語は貴重です。
 

「田舎」プレヴォ(Provinciale,Marcel Prévost,1912?)★★☆☆☆
 ――三十六歳の脚本作者ピエエル・オオビュルナンは郵便を選り分けた。マドレエヌ・スウルヂェエからだ。イソダンで識っていた時は未亡人でいた美人である。その時のピエエルは高等学校を卒業したてだった。夫の不貞の手紙を見つけ、パリイで頼りになる唯一の人間に相談を求めてきたのだ。今でも変わらぬ見た目なのだろうか。ピエエルは頼み通りマドレエヌに会いに行ったが、なぜか追い返されてしまった。

 女心と男心の駆け引きと心理の綾がこってりと描かれています。むかしの人は時間にも心にも余裕があったんですよね。アラフォーにもなってこんな高校生みたいな頭でっかちな恋愛ができるんですから。
 

「復讐」レニエ(La Courte vie de Balthazar Aldramin, Vénitien,Henri de Régnier,1909?)★★★☆☆
 ――老バルヂビエロは甥のバルタザルに手紙を……おれが御身に暗室の女を襲わせたのは、女に立場をわからせるためと、女が若い甥に身を委せたと知ったら、おれの恋も褪めるだろうと思ったためだ。女はいまおれと同様に御身を憎んでいる。女は毎晩おれに葡萄酒を薦める。毒が調合してあることをおれは楽しんで口に銜む。おれの命にはもう価値がない。だが御身はまだ若い。警告せずにおられない。

 頽廃と滅びの漂う、耽美な復讐譚です。好き勝手なことをして満足と諦観を覚えて死んでゆく老人はともかく、バルタザルも善人でないとはいえ残された方はいい迷惑です。命を狙われていると知ったバルタザルが怯えるのではなく、命について哲学的な考察を始めるところは、当時の小説の癖みたいなものなのでしょうが、バルタザルの悪びれなさのようにも受け取れました。

 語りがちょっと変わっていて、初めは故バルタザルの友人ロレンツォがバルタザルの死の顛末をこれからお話しします――という宣言があり、これは現在から見た過去の回想です。次にその過去の話の内容がバルタザルの一人称に直して語られ、その告白のなかにバルヂビエロからの手紙が挿入され、バルタザルが刺されたのを自覚したところでバルタザルの一人称は終わります。そこでふたたびロレンツォの一人称に戻りますが今度は現在から見た回想ではなく過去の時点での現在形で語られます。文体が一緒なうえに全部「おれ」なので混乱しました。
 

「不可説」レニエ(L'Inexplicable,Henri de Régnier,1907)★★☆☆☆
 ――愛する友よ。この手紙が君の手に届いた時には、僕はもうこの世にいないだろう。名はジュリエットと云う、美しい、若い女に、僕は惚れているのだ。旅行の記念品を買いに行った先で、武器を売る男が刃を抜き出しながら、微笑んで僕の顔を見た。深紅色の氈は、そこで買ったのだ。氈の上に寝てジュリエットの裸体を抱いた時、あの上でこの世を去ろうと云う、不可説にして必然な心が養成せられた。

 これも退廃的で耽美な作品で、こういう死に対する憧れみたいな作風は昔の作品にはよくあるのですが、こういう観念的な内省は波長が合わないと響きません。
 

「猿」クラルティ(原題不明,Jules Claretie,?)★★★☆☆
 ――M提督が話してくれた。ある日金剛石を嵌めた指輪が紛失した。戸口にいたのを人に見られた一人の水兵が嫌疑者にせられた。水兵は猿の腕首を掴んで指輪のあった所へ連れて行こうとした。ところが近くなればなるほど、猿が震え出した。

 やたらとマクラが長いわりには、猿が宝石を盗んだというだけの話です。縁起を担ぐ船乗りにしては猿を殺してしまいますが、縁起よりも窃盗犯への規則を優先させたたということなのでしょう。殺しておきながら「物悲しくなった」とは自分勝手にもほどがありますが、そこまで含めてユーモアのあるお猿さんの話のようです。
 

「一疋の犬が二疋になる話」ベルジェエ(Monsieur Bonichon mène perdre son chien,Marcel Berger,?)★★★☆☆
 ――ボニション先生は家まで帰って来たが、まだ門には這入ろうとしない。犬のリップが骨を見附けて引き摩っているからである。家主のかみさんにはまだ見付かっていない。だが御新造にはとうとう「売っておしまいなさい」と言われてしまった。先生は帽をかぶって出掛けた。

 著者については一切不明ですが、収録順から見てフランスかベルギーの作家だと思われます。タイトルでネタバレしている通り、犬を捨てに行った旦那さんが捨てるに忍びなく、それどころかもう一匹拾ってくる話です。こういうユーモラスでちょっといい話も含まれているところに、鴎外の懐の深さを感じます。
 

「聖ニコラウスの夜」ルモニエ(La Saint Nicolas du batelier,Camille Lemonnier,1887)★★★★☆
 ――リイケが蒼くなって目を瞑った。もう産まれるらしい。ドルフはプッゼル婆あさんを呼びに走った。波止場まで来ると大勢の人がいて、叫んだものがある。「ドルフ。一人沈みそうになっているのだ。おまえでなくては出来ない」。一度は断ったドルフだったが、説得されて「よし、おれがはいる。代わりに誰か産婆を呼んでくれ」。溺れる者が足にしがみつく。やっとのことで浮かび上がったその顔を見て……。

 ベルジェエ作品のユーモアとペーソスから一転、非常にドラマ性の高い作品で、原題からするとドルフ自身が聖ニコラウスになぞらえられているようです。鴎外のあとがきによると原文をかなり切りつづめたそうですが、この翻訳を読んだかぎりそれは成功しています。本当はもっと間延びした作品なのでしょうね。妻と赤ん坊の命と、自分だけしか助けられない他人の命との間に板挟みされたジレンマ。生きるか死ぬかのサスペンス。私怨と人類愛のせめぎ合い。
 

「防火栓」ヒルシュフェルト(Das Große Vergnügen,Georg Hirschfeld,?)★★★☆☆
 ――たびたび噂のあった曲馬師の旅興行が定興行になると聞いて、市中の人民は次第に興奮して来た。どれもこれも見たい。昼興行が終わると、外に出ようとする者と中に入ろうとする者とで身動きが取れなくなった。「親方。防火栓をお抜かせなさい」と、道化師の声が聞こえた。

 これまたユーモアに戻ります。行き当たりばったりな行動の結果、現実が待ち受けていたという掌篇で、転んでもただでは起きないところにニヤニヤさせられました。
 

「おれの葬い」エーヴァース(Mein Begräbnis,Hanns Heinz Ewers,1901?)★★★☆☆
 ――おれは死ぬる三日前に「赤印自転車会社」へ葉書を出した。おれは是非「立派な死骸」として葬って貰わなくてはならない。冢穴《あな》はもう掘ってある。頭取が祭文を読み上げた。側で別れの歌を歌うのが聞えて来た。歌が終わると牧師の演説が始まり、中々止まない。頭取が構わず歌い出すと、巡査がやって来て「認可を受けているのか」と談じ付けた。

 現在ではエーヴェルス表記が一般的で、上巻収録作家のなかでは、ポー、リルケ、シュニッツラーに次ぐであろう知名度を持つ作家です。カフカを読んでいるようなシュールなブラックユーモアだと思われましたが、不条理なのではなくどうやら語り手は意図してジョークでやっているようです。
 

「刺絡」シュトローブル(Das Aderlaßmännchen,Karl Hans Strobl,1907)★★★★☆
 ――医学博士のオイゼビウス先生が、新仏の墓を掘り返していた。解剖学のためである。と、男が先生のじき側に立っている。「この死体はあなたに譲ってあげましょう。ところで先生、手伝ってあげた報酬に、尼寺の刺絡を先生の代わりにわたしにさせてくださらんか」男は先生そっくりに変身した。

 『書物の王国12 吸血鬼』()や『文豪怪談傑作選 森鴎外』()にも収録されています。アダムとエヴァが見守る尼寺での殺戮には美しささえ覚えます。
 

アンドレアス・タアマイエルが遺書」シュニッツラー(Andreas Thameyers letzter Brief,Arthur Schnitzler,1900)★★★☆☆
 ――世間にては何と申し候とも、妻が貞操を守り居たりしことは小生の確信するところに有之、小生は死をもって之を証明する考えに候。子は我が嫡出の子なる故に候。その子の皮膚の色のいかにも異様なるは十分説明すべき理由あることに候。

 妻が黒人の子を産んだ男の絶唱。信じたくないものを信じないために理屈をこねたところで現実からは逃れられません。情けない男の悪あがきが可笑しいやら哀しいやら。
 

「正体」フォルメラー(Die Geliebte,Karl Vollmöller,1911)★★☆☆☆
 ――「是非君に見せたいのですよ」と男は繰り返した。「最初に僕を魅したのは風景でした。それから山や水の線を発見したように、女の線や体が僕を占領しました。そして第三者が来たのです。それは極美です。絶対の曲線です」

 これも『文豪怪談傑作選 森鴎外集』に収録されており、現在では垂野創一郎による新訳「恋人」も『怪奇骨董翻訳箱』で読むことができます。
 

「祭日」リルケ(Das Familienfest,Rainer Maria Rilke,1897)★★★☆☆
 ――スタニスラウスたちはミサから帰ってきた。兄の八周忌だった。「お父う様はどちらの椅子でお亡くなりましたの」とフリイデリイケが云った。「あちらの椅子でございました」おばさんは一族に関した出来事を精しく記憶している。ところが、それについて是非の論が紛起した。

 親戚一同の取るに足らないやり取りと、ふとした瞬間に覚悟する死の予感。何気ない日常からひょっこり顔を出すのではっとさせられます。
 

「老人」リルケ(Greise,Rainer Maria Rilke,1897)★★★☆☆
 ――ペエテル・ニコラスは七十五になって、いろんな事を忘れてしまった。毎日菩提樹の下のベンチに腰を掛ける。席も極まっていて、貧院から来るペピイとクリストフとの二人の老人の間である。

 老人の日常。何にも興味を持たずにただ生きているだけのように見えて、その実ちゃんと他人にも目を向けていたのだとわかってほっとした気持になれます。。
 

「駆落」リルケ(Die Flucht,Rainer Maria Rilke,1897)★★★☆☆
 ――二人は目を見合せた。アンナは溜息を衝いた。フリッツはそっと保護するように抱いた。「何もかも知られてしまいましたの。御一しょに逃げましょうね。わたくしあすの朝六時に停車場に参っています」アンナがおれに保護を頼むのだ。はじめこそ嬉しかった。だが夜が明けると厭になっていた。

 老人に続いては若者の話です。その場の勢いで熱くなったかと思えば情けない本性をさらけ出すところが若者らしい。
 

「破落戸の昇天」モルナール(Az Altató mese,Molnár Ferenc,1908)★★★☆☆
 ――ツァウォツキイはえらい喧嘩坊で、詐欺もする、強盗もする。女房がまたパンの皮を晩食にするかと思うと気の毒でならないが、骨牌《かるた》で負けてしまい、絶望して小刀を胸に衝き挿した。すぐに地獄に行くのではない。まず浄火と云うもので浄められる。「娑婆で忘れてきたことがあるなら一日だけ帰れるぞ」「生まれる子供の顔を見たかったが、あとの祭だ」

 戯曲『リリオム』のプロトタイプの短篇。愚かな男が過ちを何度も犯し続けるのとは対照的に、残された妻は賢しらにコメントするでもなくただただ我が子に愛情を注ぎます。最後の場面だけで母親の深い愛が伝わってきました。
 

「辻馬車」モルナール(原題不明,Molnár Ferenc,?)★★★★☆
 ――貴夫人「十年前のことでございますの。あのときわたくしあなたに八分通り迷っていました」。男「なぜ言って下さらなかったのです」。貴婦人「あなた『そんなら馬車に言って来ましょう』とおっしゃいました。あれがあなたの失錯の第一歩でございましたわ」。男「なぜですか」。貴婦人「女に冷却する時間をお与えなさるなんて」

 駆け引きを駆使する女と、鈍感な男の好対照。これは永遠のテーマですね。騒がしくて声が聞こえないため無言にならざるを得ないような状況では、沈黙に意味を持たせることができないというのは確かにその通りで、そこに二頭立ての馬車なら……というユーモアを絡めたために本気なのか冗談なのかさらに煙に巻かれてしまいます。
 

「最終の午後」モルナール(原題不明,Molnár Ferenc,?)★★★☆☆
 ――男「実はお別れする前に伺っておきたい事があるのです」。女「ええ」。男「以前に『これが、わたくしの夫です』と見せられた写真はとても美しく、その日には夕食が咽に通らなかったのです」。女「そうだろうと存じましたの」。男「ところがあなたはお母あ様に出す手紙を、わたくしの部屋に落してお置きになった。手紙に書かれたオペラ座に往って見ますと、お母あ様と御夫婦で桟敷にいらっしゃった」

 これも「辻馬車」と同じく女の駆け引きと男の鈍さが描かれています。「辻馬車」の男ほど鈍くはありませんが、所詮は女の掌の上でした。
 

「襟」ディモフ(原題不明,Осип Дымов,?)★★★★☆
 ――あの上等の襟のお蔭でおれは明日死ななくてはならない。ホテルを出ようとすると、門番がおれにうやうやしく包みを渡した。「なんだい」「昨日侯爵のお落しになった襟でございます」こいつまでおれを侯爵だと云っている。襟は丁寧に包んで紐で縛ってある。おれはそれを提げて電車に乗って、二分ほどして下りた。「旦那。お忘れ物が」車掌が云った。おれは聞えない振りをして、ずんずん歩いた。電車に乗っていた連中がおれを追い掛けに飛んで下りる。

 いかにもロシア流のユーモア――と書こうとしたのですが、鴎外の分類ではオーストリアの作家になっていますね。呪いのアイテムを捨てようとしてもどうしても捨てられないという話は多々ありますが、この作品の場合はそんなご大層なものではなく、ただの襟だというのが可笑しみを誘います。
 

うずしお」ポー(A Descent into the Maelström,Edgar Allan Poe,1841)
 

「病院横丁の殺人犯」(The Murders in the Rue Morgue,Edgar Allan Poe,1841)
 

「十三時」(The Devil in the Belfry,Edgar Allan Poe,1839)

 ポーは読んだことのある作品ばかりなのでこの鴎外訳では読みませんでした。

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 諸国物語(上) 

『悪魔とベン・フランクリン』シオドア・マシスン/永井淳訳(早川書房 ポケミス720)★☆☆☆☆

『悪魔とベン・フランクリン』シオドア・マシスン/永井淳訳(早川書房 ポケミス720)

 『The Devil and Ben Franklin』Theodore Mathieson,1961年。

 歴史上の人物が探偵役を務める短篇集『名探偵群像』の著者による、やはり歴史上の人物が探偵役を務める長篇作品で、本書の探偵役はタイトルにもある通りベンジャミン・フランクリンです。歴史に名を残すほどの偉人なら事件を推理するくらいの頭脳はあるだろうということのようです。著者はよほどその趣向が好きなのでしょう。しかし、ではその趣向が得意なのかというとそんなことはないようです。

 何よりもせっかくの歴史ものであるにもかかわらず、18世紀の風俗がまったくといっていいほど描写されておらず、そこらへんの田舎の話にしか見えません。町の人々が悪魔の存在を信じてしまい、フランクリンも魔女狩りに遭いかけるという場面こそあるものの、オカルトを信じる人々ならそれこそディクスン・カー作品にも登場しますし、何も過去の時代の専売特許ではありません。

 探偵役がフランクリンである必然性もなく、事件や推理法や手がかりがフランクリンの事跡にちなんでいるわけでもありません。要は有名人という記号です。

 この記号化は事件そのものにも及んでいて、悪魔の呪いをかけると恐れられる人物や悪魔を思わせる割れた蹄の跡は出てくるものの、著者にはそれで盛り上げようという気がないらしく、迷信VS理知の人という対立もなく、フランクリンがただただマイペースに捜査していくだけのつまらない内容でした。

 解決編にしてからが推理どころか推測によるただのリンチです。

 古いタイプというならともかく何から何まで古いだけの作品で、カーもクイーンもクリスティーも最晩年であるどころかチャンドラーが既に死去している時代に書かれた作品とは思えません。

 装幀上泉秀俊と書かれているけれど、抽象画だし勝呂忠の間違いでしょうか。

 アメリカ建国の偉人が挑む、奇怪な殺人事件

 時は1734年。フィラデルフィアで《ガセット》を発刊しているベン・フランクリンは、清廉実直の人として尊敬を集めていた。あるとき、ベンは社説で町の大金持ちマグナスの暴虐ぶりを非難した。記事に激怒したマグナスは、ベンの身に呪いをかけると脅してくる。彼は権力者であるばかりか、おそろしい魔力をもつと信じられていた。彼の怒りをかった者は、ことごとく不慮の災難に遭い、その現場には必ず悪魔の印である割れた蹄の形が残されていたのだ。人々の心配をよそに、マグナスの脅しを一笑に付したベンだが、数日後、使用人のトマスが行方不明になり、さらにその甥のジョサイアが無残にも殺害される。そして、死体が身に着けていたシャツには、不気味な蹄の形が! 政治家であり、避雷針の発明者として知られるフランクリンの名探偵ぶりを描く歴史ミステリ(裏表紙あらすじ)

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『書架の探偵』ジーン・ウルフ/酒井昭伸訳(早川書房 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ5033)★★★★☆

『書架の探偵』ジーン・ウルフ酒井昭伸訳(早川書房 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ5033)

 『A Borrowed Man』Gene Wolfe,2015年。

 難解な作風で知られる著者のこと、覚悟して読み始めたのですが、ジーン・ウルフにしてはかなりわかりやすいエンターテインメントでした。

 作家の複生体《リクローン》を蔵書(蔵者)として図書館で所蔵している世界――。亡父が遺した本の秘密を知るため、コレット・コールドブルックは本の著者の蔵者E・A・スミスを十日間借りることにします。ところが調査を始めた二人は謎の男たちに襲われてしまいます。

 邦題が『書架の探偵』であるのもむべなるかな、まるで私立探偵小説でした。主人公はE・E・スミスを連想させる名前ですが、SF作家ではなくミステリ作家です。それで一人称が自著の主役のような「しかつめらしい」話し方、美女の依頼人(?)ときています。

 関係者の死、依頼人の失踪、警察による取り調べ、逃走、相棒との出会い……それがまさか途中からあんな突拍子もないことになるとは! 確かに伏線というか、そのものズバリのことを博士に説明させてはいましたが、ただの譬喩だと思うじゃないですか。

 しかも理由は地球の資源のためとかではなく、ただのお金儲けなんですよね……?【※ネタバレ*1

 著者のことゆえいくつかは謎のまま終わるのではないか(自分で考えなければならないのではないか)と危惧していたのですが、関係者の死の真相や、黒幕の正体まですべてすっきり解決されていました。関係者の死や依頼に至る過程は堂々たる私立探偵小説です。黒幕が小者すぎるのが何かもったいないですね。

 そもそもの本の秘密はSFでなければ有り得ないものでしたし、蔵者という発想も非凡で面白いのですが、蔵者という設定にあまり必然性が感じられなかったのですが……。

 よく見ると表紙が漫画イラストでした。ほんとSFはこういうのをやめてもらいたいです。

 図書館の書架に住まうE・A・スミスは、推理作家E・A・スミスの複生体《リクローン》である。生前のスミスの脳をスキャンし、作家の記憶や感情を備えた、図書館に収蔵されている“蔵者”なのだ。そのスミスのもとを、コレット・コールドブルックと名乗る令嬢が訪れる。父に続いて兄を亡くした彼女は、死の直前、兄にスミスの著作『火星の殺人』を手渡されたことから、この本が兄の不審死の鍵を握っていると考え、スミスを借り出したのだった。本に込められた謎とは? スミスは推理作家としての知識と記憶を頼りに、事件の調査を始めるが……。巨匠ウルフが贈る最新作にして、騙りに満ちたSFミステリ。(裏表紙あらすじ)

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*1 ワープ(?)して火星の鉱山資源(エメラルド)を地球でお金に換える。

 


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