『憑かれた鏡 エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談』E・ゴーリー編/柴田元幸・小山太一・宮本朋子訳(河出書房新社)★★★★★

「空家」A・ブラックウッド/小山太一(The Empty House,Algernon Blackwood)★★★☆☆
 ――世の中には、一目見ただけで邪悪だとわかる人間がいるものだが、建物にも同じことが言える。ショートハウスは叔母に付き合って、幽霊が出るという家を訪れることになった。

 幽霊屋敷ものの名作というと、短篇ではウェイクフィールド「赤い館」「ゴースト・ハント」、長篇ではジャクスン『たたり』あたりが思い浮かびます。それらと比べると分が悪いかな、とは思いますが、ショッキングではないじっとり来る恐怖が味わえます。最後の一ページにおける緊迫感ただならぬ恐怖は特筆に値するでしょう。終段までの大部分は思わせぶりというか雰囲気を盛り上げるために存在しています。好奇心から幽霊屋敷を訪れるのは叔母と甥なわけですが、これ、子どもが主人公になっていたらもっと雰囲気やサスペンスが盛り上がったんじゃないかな、という気がしました。
 

「八月の炎暑」W・F・ハーヴィー/宮本朋子訳(August Heat,William Fryer Harvey)★★★★★
 ――私の職業は画家。むっとするほどの暑さだった。ざっと描いたスケッチにしては、いいできだった。被告人席の犯罪者が、裁判官に判決を告げられたばかりの様子を描いたものだ。気分よく出かけたが、石屋の顔を見るとぎくりとした。あの絵に瓜二つだったのだ。

 これは「炎天」の邦題でおなじみの名作ですね。名作、とかいいつつ、何度も読んでいるはずなのに細部は忘れていたのですが。記憶では石屋さんがもっと邪悪な人だった気がしていた。そんな見え透いた話ではありませんでした。もっとさりげない。途中まで(最後まで?)二人ともなーんにも気づいてません、てな様子がいいんですよね。怪奇小説の名作ということになっているけど、実はこれって『ミステリー・ゾーン』的な奇妙な味の名作なんじゃないでしょうか。
 

「信号手」C・ディケンズ柴田元幸(The Signalman,Charles Dickens)★★★★☆
 ――その信号手は私の姿を見てびくびくしていた。以前にも何度か、叫び声が聞こえ人影が見えたのです。人影が現れたその後、大事故が起きて死者や負傷者があのトンネルから運び出されたのです。

 河出書房は著者名の表記方針をかたくなに守っているみたいです(^^)。ディケンズすらも「チャールズ」ではなく「C」。ま、それは置いといて。

 柴田元幸訳です。これはうれしい。でも読みづらい。アメリカ文学者はイギリス英語が苦手なのかなとかへんなことも考えてしまったが、これはディケンズの原文がそうなんでしょうね。自分視点の自分の行動に対して相手がどう反応したかというのを三人称視点で(なのに実際は一人称で)書くという凝りすぎの冒頭は情景が頭に浮かばずに困った。結末もわかりづらい。ディケンズはたぶん怪談はへたなんだろうなあ。
 

「豪州からの客」L・P・ハートリー/小山太一(A Visitor from Down Under,L. P. Hartley)★★★★☆
 ――キャリック・ストリート行きバスの二階に乗っていた怪しげな客はいつのまにか消えていた。その五時間ばかり前、キャリック・ストリートのホテルにタクシーが到着した。「これはランボールド様。なんと大富豪になって戻っていらっしゃって」

 ハートリーらしい室内劇的とでもいおうか、特別インパクトのあることは起こらないんだけれど、徐々に高まる雰囲気で読ませる。しかも採用されているわらべ歌の怖いこと! 描かれる因果応報には、時代は違うんだけどコナン・ドイルを思い出しました。植民地での悪行が云々というパターンのやつ。そういう意味ではどことなくイギリス的。本筋とはあまり関係ないのだけれど、最後の一文が半端じゃなく怖い。さらっとこういうことを書けるのがセンスというものなのでしょう。夢に出そうだ。
 

「十三本目の木」R・H・モールデン/宮本朋子訳(The Thirteenth Tree,Richard Henry Malden)★★★★☆
 ――友人が相続した邸にはよくない噂がついていた。歴代の相続人が不幸な死に方をしたのだという。気になりながらも寝室に下がり、いつもの習慣で窓を開けると、さっきまではなかった十二本の木が立っていた。

 自分の身に覚えはないのに、ご先祖さまの呪いがお屋敷についてまわるというあたりが、いかにもイギリスらしい怪談です。これをホラー大作に仕上げようとすれば、主人の留守中に植木職人が余計なことをして木を植え直してしまい、そこから新たな呪いが……みたいになるんだろうな、とくだらない想像をしてしまいました。相手が理屈の通じない人間――向こうの一方的な思い込みで勝手に恨みを抱くという電波なネット住人みたいな人のうえに、当事者同士がとっくに死んでしまっている過去のお話なので、語り手や友人たちにはどうすることもできないというのが嫌らしい怖さです。
 

「死体泥棒」R・L・スティーヴンスン/柴田元幸(The Body-Snatcher,Robert Louis Stevenson)★★★★☆
 ――酒場の酔っぱらいから聞いた話だ。当時の医学生にとって解剖実習用の死体は不可欠なものだった。ならず者たちがどこから死体を調達してくるのかは、公然の秘密だった。だがそこに実際に知人の顔を見てしまうと話は違った。

 たいていの“怪談”というと、描かれているのは幽霊だったり怪奇現象だったり心理的恐怖だったりするわけですが、本篇は“死体”の恐怖が描かれている珍しい作品だと思います。いやまあ怖さの質でいえば、犯罪に手を染めてしまった心理的恐怖ということになるのでしょうけど。これもホームズものなんかで描かれる、ごろつきの過去の犯罪みたいな雰囲気があった。面白いのは、現在の当事者が、臆病ゆえの犯罪歴に押しつぶされているのではなくて、怪奇現象に怯えている(?)ところでしょうか。おそらく当時に山のようにあったであろう“過去の犯罪”ものを、作者なりにひねった作品なのだと思う。
 

「大理石の躯」E・ネズビット/宮本朋子訳(Man-Size in Marble,E(dith) Nesbit)★★★☆☆
 ――結婚してから三ヶ月間、とても幸せに暮らしていた。ところが家政婦のドーマンさんが突然やめると言いだしてしまった。毎年、諸聖徒日の前日になると教会に安置してある大理石の躯が歩き出すのだという。大理石のままで。

 作者の略歴には、「社会主義に傾倒」とある。当時のイギリスの社会主義思想がどんなものだったのかわからないけれど、本篇に出てくる“わたし何にもできないの〜”ちゃんな奥さんというのは、すると風刺なんだろうか。実はこれ、因果応報の物語なのかな……。「諸聖徒日の前日」と書かれているから何のことやらだったけれど、つまりハロウィーンのことらしい。何かが起こって当たり前なのですね。
 

「判事の家」B・ストーカー/小山太一(The Judge's House,Bram Stoker)★★★★☆
 ――卒業試験が近くなってきたので、マルコムソンは静かな田舎で勉強することにした。借りたのはかつて首つり判事が住んでいたという『判事の家』だった。一日目には大きな鼠が出たものの、これといって変わったところはないように思えた。

 理屈のない理不尽な恐怖なんですが、これは絵的に怖いですねぇ。迫ってくるようで。いや実際迫ってくるんですが(^^;。絵的に怖い、ということはある意味かっこいいんですよ。絵になる怖さなので。クライマックスの、改行のない密度の濃い文体が緊迫感を感じさせます。ごりごりの恐怖です。ていうか、肖像画を掛けっぱなしにしておくこたぁないだろ、と思ってしまいましたが。悪い噂が立った時点で誰かはずせよ。
 

「亡霊の影」T・フッド/小山太一(The Shadow of Shade,Tom Hood)★★★☆☆
 ――レティの婚約者ジョージが、北極探検の乗組員に志願した。ところがお別れ会に招いたグリーヴというのが恥知らずなやつで、ジョージの友人でありながらレティをしつこく口説いてまわっていた。だがやがて二人とも探検船に乗り込み、はじめのうちはジョージからの手紙も届いていた……。

 ちょっと「判事の家」と並べていいのか、という気はしました。肖像画つながりですね(^^;。死ぬ前から肖像画に何かあるというのはおかしい気もしますが……。生霊? 不気味なほどそっくりだったからこそ魂も宿るということでしょうか。これじゃあ思わせぶりのための思わせぶりですよねぇ……。こういう古くさくてコテコテの話は、いかに細部が楽しめるかだと思うのですが、そういう点では、白い蛾や二つの影なんてのが印象に残りました。
 

猿の手」W・W・ジェイコブズ/柴田元幸(The Monkey's Paw,William Wymark Jacobs)★★★★★
 ――老いた苦行僧が呪いをかけた猿の手。望めば三つの願いを叶えてくれるのだという。一つ目の願いは「二百ポンドほしい」という他愛のないものだったが……。

 問答無用の名作中の名作。ところが冒頭を読んだ途端、あれ、こんなに笑える話だっけ?ととまどってしまいました。あわてて平井訳と倉阪訳を引っ張り出します。ふむ。平井訳はもともとくだけた口語体で訳されているのでかえって印象に残らなかったんですね。倉阪訳は意外と言っては失礼ですが大人びて端正な訳。柴田訳で読むと、いかにもイギリス人らしい大真面目な顔で冗談を言っている感じがよくでているのじゃないかと思います。内容については言うまでもないでしょう。
 

「夢の女」W・コリンズ/柴田元幸(The Dream Woman,Wilkie Colins)★★★☆☆
 ――アイザックの夢に出てきた女は、ベッドの足元に立ちナイフを持っていた。何も言わずにナイフで襲いかかってきた。恐ろしい夢のことなどとうに忘れていたある日、アイザックはひょんなことから自殺未遂の女を助けた。

 これは怖いですね。ただの夢なのか。偶然の一致なのか。とは思えないですものねぇ……。あらかじめ未来を知ることができれば死ぬはずの人も救えるんじゃないか、というSFがありますが、これも発想は同じです。夜ベッドで襲われるのだから、夜には眠らない。SFでは、それでもやはり運命は変えられないというのがパターンなのですが、本篇ではどうなのでしょう。怖い怖い。
 

「古代文字の秘法」M・R・ジェイムズ/宮本朋子訳(Casting the Runes,Montague Rhodes James)★★★★★
 ――カーズウェルという投稿家のできそこないの論文を没にしたところ、しつこい問い合わせの手紙が絶たない。やがて没にした選考者のまわりに奇妙なことが起こり始めた。

 ジェイムズは苦手だったのだけれど、これは楽しめました。呪いVS呪い返し、みたいな対決ものだったから気楽に楽しめたんだと思います。地味なんですけどね。いかにして紙切れを返すか、ですから。血で血を洗う白熱の対決などではありません。姿の見えない襲撃者(物?魔?)が型どおりではあるんですがやはり不気味で恐ろしいです。
 

 ゴーリーの扉絵は期待ほどではありませんでした。独立した作品というよりは挿絵に留まってしまっていると思います。それでもやっぱり魅力的なんですけどね。カバー表紙絵の、月に枝がかかっているところなんかが邪悪でよい。本書扉の鏡の絵も不気味です。作品の扉絵では「十三本目の木」がお気に入りです。シンプルなのが想像力をかきたてる。

 古典的名作が多いというのは欠点ではないと思います。実際、初読の佳作よりも再読三読の「八月の炎暑」や「猿の手」の方が面白かったし。いいものは何度読んでもいいんだな、と感心しました。それと、こんな名作やあんな名作が一冊に集められて、しかもあの人が挿絵を描いてくれたらなあ……という、頭の中で想像していた理想のアンソロジーなんですよね、実はこれって。もちろん厳密には誤差があるんだけど。

 だから、見た瞬間は、既読が多いなあとか絵が期待ほどじゃないなあとか思うんですけど、時間をおいてじっくり眺めると、末永く手元に置いておきたい愛書に早変わりなのでした。

 『The Hounted Looking Glass』Edward Gorey,1959年。

 ※なーんにも書かれてないけど、翻訳者が柴田元幸小山太一・宮本朋子の〈ゴーリー組〉であるからには、すべて新訳なのでしょう。

 イギリスの作品ばかりなのはゴーリーのこだわりなのか出版社の企画かなにかの一環なのか偶然なのかがわからない。すべて新訳かどうかというのも含めて解説が不親切です。
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憑かれた鏡
E.ゴーリー編 / A.ブラックウッド〔ほか〕著 / 柴田元幸訳 / 小山太一訳 / 宮本朋子訳
河出書房新社 (2006.8)
ISBN : 4309204651
価格 : ¥1,890
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