映画化のおかげで続々文庫化のカポーティなのだが、残念ながら読みづらい。シェイクスピア翻訳でおなじみの小田島氏なので悪訳とか誤訳珍訳とかいうわけではないのだけれど、戯曲じゃないんだから原文のリズムをそこまで重視する必要はないんだよ、と言いたい。日本語として頭に入って来づらいよ。
カポーティ自身が序文で「物語体」を採用していないと断っている。色のない文章が続く。「透明感」と言うと清々しいイメージなのだが、なるほど色のないのも透明には違いない。
ただ「観察記録」とタイトルにもあるとおり、カポーティの観察眼とそれを描き出す筆致はやはりすばらしい。あこがれの対象であってもクールな見方を保っていられるのは、やはり才能なのでしょう。そういうスタンスで書こうとしたエッセイなのだから、だけではないと思う。どこかつきはなしているくせに、意外なほど無邪気なところもあって、でも全体としてやっぱりひねこびてるなあ、という文章の端々から、あのちょっと気取った顔つきの肖像写真が浮かび上がってくる。
コレットとの出会いを描いた「白いバラ」、ボガード、ルイ・アームストロング、モンローらスターたちについてのエッセイ「観察記録」は必読です。「白昼の亡霊たち――『冷血』の映画化」と一問一答「自画像」もファンなら読まねばなるまい。
チェスタトン「飛び魚の歌」にも「仏陀のような顔」の男が出てきたし、本書でもルイ・アームストロングのことを「仏陀」と呼んでいるからいったい何なのかと思ったら、そうか「大仏」のことなのだと納得。欧米人にとっては「仏陀」=「大仏」なのだ。